その男、幸福求めたる所以
駄文注意です。
ファンタジーものは結構多いけど現代版ファンタジーが全然ないなと思ったので自分で書いちゃいました。評価して頂けると執筆活動の励みになります。
【新宿駅南口近く】
「ねぇ、ゲーム理論って知ってるかい?」
出勤時間の交差点、駅の南口近く。
男に話しかけられたサラリーマンはあからさまに顔をしかめ男を無視して会社へ急ぐ。
だが男はそんなこと微塵に気にした様子もなく話を続けた。
「簡単に言うと人の行動なんて予想できるってこと。だけどさ、この理論、ひどく意味がないと思わない?だってさ、人の行動なんて外的環境によって幾らでも左右されちゃうんだから。囚人のジレンマだってそうよ。台風で刑務所が吹き飛ばされちゃえば囚人達は無条件で解き放たれる!んーと、つまり何が言いたいかって言うと...最後まで話を聞いて欲しかったかな?」
そう言い切った男の数メートル先でサラリーマンは車に跳ね飛ばされた。
宙を舞う赤い血しぶきとサラリーマンの叫び声。
男はその様子を最後まで目に焼き付け満足そうに十字をきる。
「君の死で僕はまた一歩ハッピーエンドに近づいたかもしれないね」
もっとも、そう呟いた男の言葉は事故の目撃者達の喧騒に呑み込まれ誰の耳に届くこともなかったが。
。。。。。。。。。。。。。。。。
【事件、或いは事故現場】
「こりゃあ、自殺だな」
機捜の笹倉が死体にかかっていたブルーシートを捲りながら、そうやる気なさげに結論付ける。
「ちょっと、笹倉さん。もうちょっと真面目に考えてくださいよ。刑事なんだから」
直属の部下だろうか。若い男が死体に手を合わせながら笹倉を窘めた。
「お前よ。刑事ってのは捜一の奴らのことを言うんだ。俺らは機捜!捜一の刑事達が来るまでの現状維持が仕事なの」
笹倉は、頭を使うのは俺らの仕事じゃないとでも言いたげに大きな欠伸を噛み殺す。
「でも、初動捜査は大事ですよ!僕らだって事件解決の役に立てるかもしれないんですから」
「ほう、そいつは面白い。捜一が来る前に事件を解決したら間違いなく警視総監賞もんだな」
やる気が満ち溢れている部下に笹倉は活力を失った声で返した。
自分にもあんな頃があった。活力を失ったのはいつからだろう。いや...最後まで見届けられない事件をいくつ経験してからだろうか。そんなことに考えを巡らせながら。
「そう言えば、何人かの通行人が駅の南口近くで彼に話しかける男の存在を目撃しています。内容は...宗教の勧誘の様だったと。彼が死んだ後、男は十字をきって...」
先ほどまで流暢に話していた部下の声が途切れたことを不審に思い笹倉が振り返る。
そして自分と部下を遮る様に立つトレンチコートの男を視界に入れると苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべた。
「その情報...詳しくいいかな」
捜査一課、戌亥 誠。笹倉の同期である。
最初は二人とも刑事を目指して切磋琢磨しあった。
自分たちが日本の犯罪を減らせる。本気でそう思っていた。
だが笹倉は現実を知った。その時から同じ方向を向いていたはずの2人のベクトルは少しずつずれていった。
気づけば機捜に、自分の隣に彼の姿は無かった。
戌亥 誠は笹倉にとって負の感情を抱かせる苦い思い出である。
戌亥に連れて行かれた部下を見て笹倉は大きな溜息をつく。
まだ俺の仕事が残っている。この事件を問題なく捜一に引き渡すという大きな仕事が。
。。。。。。。。。。。。。。。。
【東京某マンション一室】
白い部屋の中で、中年の女性と若い女性が向かい合っていた。
ぱっと見は親子だろうか。中年の女性は今朝がた、跳ね飛ばされたサラリーマンと同じぐらいの年である。
この日本にあのサラリーマンと同じ年ぐらいの女性などいくらでもいるだろう。
確かにこれだけでは異常なことは何もない。
向かい合って座る2人から離れたソファーにサラリーマンにゲーム理論を語ったあの男が座っていなければだが。
「有難うございました」
そう言って中年女性は厚みのある封筒を差し出す。
若い女性はチラリと封筒の中身を確認し深々とお辞儀をした。
「おばさんさぁ。自分には何も罪がないと思ってる?」
男は雑誌から目を離さずに女性に問いかけた。
「私は...あなた方に主人に話しかけるようお願いしただけです」
「うん、そーだね。でも俺が言ってるのはその事じゃなくって、主人を信じてやれなかったことなんだけど?」
女性はこの男が何の事を言っているのか分らなかったのだろう。
少し眉をひそめた。
それに対し男はやはり雑誌から目を離さず女性に大きめの封筒を投げる。
「気になったから俺たちで調べて見たの。あんたの旦那...浮気なんてしてなかったよ?」
「あ... ...あ... ...っ」
封筒から取り出した書類を握る女性の手は震えている。
言葉にならないほどの衝撃なのか、涙が無言で溢れ出た。
「な...んで、なんで...なんで..なんでなんで!なんでよぉぉぉ!!なんで止めてくれなかったの⁉︎知ってたなら...なんで止めてくれなかったのよぉぉぉ⁉︎」
「なんでと言われてもねぇ。俺は旦那に話しかけただけよ?」
「奥さん。心中お察しいたしますが、彼の言う通り我々は旦那さんに話しかけただけでございます」
若い女性が男に同調する様に口を開く。
そこで男はやっと雑誌から顔を上げ、中年女性に警告を投げかけた。
「まぁ、自殺なんて馬鹿な真似だけは考えないでね?」
暫しの沈黙、時計の針が時間を刻む音だけが響く。
やがて女性は何かに操られた様に顔を上げ無言で部屋を出て行った。
「...あそこまでやる必要あったかしら」
若い女性は複雑そうに顔をしかめ、手元のノートに数行、計算式を書き綴る。
「彼女ほぼ間違いなく自殺するわ」
「しょうがないじゃん。現段階で彼女を不幸にしてもこれから先いつ幸せになられるか分らない。だったら殺しておいた方が確実だろ?」
男の声はやはり無感情だ。しかし無理して感情を込めていないのか雑誌を持つ手が少し震えている。
「うん、しょうがないよね。こうでもしない限り、私たちの未来は...」
「そうだ。俺たちの未来は?」
そう尋ねる男の声に少し期待がこもる。
だが女が差し出した数式が書かれたノートを見て大きな溜息をついて項垂れた。
男は大して数学が得意でない。むしろ苦手と言っていいだろう。
だが、その数式の意味は分かっていた。
それはもう何度も自分が同じ質問を投げかけるたびに返って来た数式だったから。
「バッドエンド...か」
男はひどく自虐的に呟き宙を仰ぐ。
どこまでも白い壁が続いていた。