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虹いろバタフライト

「そ、そんな……だって僕は毎日学校に……」


 ユキさんに告げられた言葉は、僕が送っている学生生活は僕の想像で、現実のものではないというものだった。


「今日の昼間、私はあなたのお家へ伺いました。レイさんのお母様は、レイさんのことをとても心配なさっていました。あなたは学校に行っているつもりで、最初は戸惑ったそうですが、あなたが真実に気付くまで、いつも通りの家族でいることにしたそうです」


「違う!! 僕は……僕はちゃんと学校に通って、毎日勉強して……」


 そうだ。僕は学校へ行って、勉強……あれ?


「気付き始めているようですが、敢えて訊きましょう。あなたは、学校で今日は何を勉強しましたか?」


「今日は……あれ? 何で、何でだよ……こんな」


 こんなはずはない。学校に行ってるのに、勉強の内容がまったく思い出せない。

 いや、でも僕には友達がいる。アキラくんが。


「勉強の内容は思い出せないようですね。それではレイさん。あなたのクラスメートの名前を、何人か挙げてください」


「えぇと、アキラくんに、鹿島さんでしょ。それに、それに……」


 そこで、言葉に詰まってしまう。クラスメートのの名前どころか、顔もぼんやりとすら思い出せない。


「鹿島さんは早々と問題を起こして辞めた生徒です。目立っていた分、覚えているんでしょう。アキラさん……後藤輝くんは、とても明るい人で、不登校になる前のあなたとも交流があったとしても違和感はありません。それ以外の方は?」


 そこで、足の力が抜けてへたり込んでしまう。


 そうだった。僕は学校に行かなくなったんだ。


 入学式の翌日、ガイダンスが終わった後、親睦会ということで10人前後でカラオケに行くことになった。

 僕は行かないでおこうと思っていたけど、隣の席だったアキラくんに半ば無理矢理連れて行かれた。


 僕は音楽を聴くことなんてあまりしていなくて、歌える曲も全然なかったから、歌わずにその場で座っているだけだった。


 突然アキラくんにマイクを手渡されて、有名歌手の曲が流れ始めた。

 人気の曲だから歌えるだろう、というアキラくんの算段だったんだろうし、僕も少しくらいならその曲を知っていた。でも、緊張して固まっちゃって、全然声が出なかった。


 その時の、僕を見るみんなの目がとても冷たく、氷の刃のように感じて、震え上がってしまった。

 結局僕のマイクを取ったアキラくんが歌ったけど、その場は白けた雰囲気を引きずっていた。


『顔真っ青だよ〜だぁいじょうぶ?』『無理して来なくてよかったのに』『ていうかこいつ連れて来たの後藤だろ? ちゃんと分かってやれよ〜』


 人を傷つけるための言葉としては、不充分だろう。寧ろ気遣いと取れるくらいだ。だけど、その時の僕からすれば、心を傷つける力は充分だった。


「そうか……僕は、そうだったんだ……」


 空を飛んでいた鳥が、突然鎖か何かで地上に縛り付けられたらこんな感覚なんだろう、今まで現実だと思っていた幻想と、たった今突きつけられ、気付いてしまった真実とのギャップに、僕は吐き気を覚え、熱い胃酸を吐き散らしてしまう。


 そっか。朝ご飯食べて、ずっと夢の中で学校に行ったつもりでいて、また翌日朝ご飯を。って日々だったから、吐くようなものも大してないんだ。

 ここに来てからは、そのサイクルに草原に来て、ユキさんと話して。という過程が入ったけど、食事は全然摂ってない。


「レイさん……」


 ユキさんが僕の前で膝を付き、ハンカチか何かで僕の口周りや汚れた服から胃酸を拭き取る。


「ユキさん、僕、馬鹿らしいですよね。自分を善良な学生だと思い込んで、それを必死に演じて。その実この醜悪さですよ。馬鹿らしくて、笑えてきますよ!」


 自棄(やけ)になって、僕は思うがままに言葉を振り撒き、散らす。

 だけど、ユキさんは僕の頬をその柔らかな両手で包み、首を大きく横に振って否定する。


「あなたが思ったこと、傷ついたこと、心を守るために想像で逃げ場を作ったこと。馬鹿らしいことなんかじゃありません。辛いことから逃げることは、悪いことじゃありませんから。あなた自身が笑ったって、私は笑いません」


 強く、しかし奥深い慈しみを持った声色で。僕を諭すユキさん。そして言葉を終えると、僕の頬を包んでいた手を離す。

 そして地面に伏せようとした僕を、ユキさんは胸に抱き締める。


「私、とっても嬉しいんです。確かにあなたの推測は外れていましたが、私のことを、掛け替えのない友達って言ってくれました。心強いんです、レイさんがいると……。私も、レイさんのことを大切な、とても大切な友達だと思っています。だから、自分を卑下したりしないでください……」


 僕の背と後頭部に回った手は、強く、温かく僕を抱き締めている。


 支えてくれる、人がいた。


 想像の世界へと逃げるきっかけとなる出来事が起こったあの日、僕はこの世界でたった一人の、味方のいない孤独な人間なんだと思い込んでしまった。


 それは僕の、とても恥ずべき勘違いだった。


 家族はみんな、僕が逃げ込んだ想像の世界を壊すまいと、いつも通りに優しく接してくれた。

 そして今は、僕のことをとても大切な友達だと言ってくれる人がいる。


 こんなに温かい世界に生きていたのに、僕は何で、目を閉じていたのだろう。だからせめて、これからはしっかり前を向いて歩いて行こう。


「ユキさん、ありがとう。あなたが僕の目を覚ましてくれなかったら、僕はいつまでも想像の世界で生きていたかも知れない」


 僕は顔を上げて、涙ぐむユキさんの目を見て感謝を告げる。


「僕、ちゃんと前を向きます。家族が、ユキさんがいるこの世界を、ちゃんと生きていきます」


「レイさん……良かった!」


 ユキさんが僕の首の後ろに両手を回し、今度は抱き合うような体勢になる。

 ……よく考えたらこの状況、すごいな。


 僕もユキさんの背中に手を回し、彼女を強く抱抱き締める。時折ユキさんがすすり泣くような声を上げるけど、何も言わない。きっと、言葉なんていらない涙だから。


 しばらくそうしていると、いつものように光を纏った蝶達が、舞い踊るように空を遊泳する。

 でも、今日は一味違っていた。


「ユキさん、始まりましたよ」


「光の夜、ですね」


「でも、今日のはとびきりですよ。ユキさんも見てください」


 銀色の蝶が飛び交うはずだった草原には、今夜は赤、黄色、橙、緑など、様々な色に発光する蝶が舞い踊っていた。


「すごい……」


 ユキさんはそれだけ言って、それぞれの色に輝く蝶達に見惚れ、溜息を吐く。

 まるで僕達のこれからを照らし出すように、煌めきを舞い踊らせる蝶達は、いつもより一層明るく、そして長く輝き続けた。

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