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パラノイア

 これは、夢。その考えが浮かんだ途端、周囲の美しい風景が、一変して醜いものになってしまう。


 月は赤黒く変色し、舞い踊っていた銀色の蝶は黒ずんで毒の鱗粉を撒き散らす。

 空から星は消え去り、赤い涙を落とす暗黒の天蓋に。

 風を受けてなびいていた草原も、異臭を放つ汚泥の沼へと変わる。


 怖い。怖い。世界が僕を殺そうとする。違う。これがイメージなのは分かっている。

 赤黒い月も、汚泥の沼も僕の想像の産物だ。でも、僕は小さい頃から、一度ついたイメージをどうしても持ち続けてしまい、そこから立ち直ることがほとんどできない。


「レイさん? どうかなさいましか?」


 僕の腕を、裾を揺らして間接的に動かし、そう問いかけてくる声。振り向くと、先ほどと変わらないユキさんの姿が映る。

 しかしそれも、半分が白骨、半分が醜い皺だらけの老婆の姿に変わり果ててしまう。


「く、来るなぁ!!」


 僕はそう懸命に叫んで、皺の寄ったロウ人形のような手を振り払い、数歩退がる。

 白骨老婆のひん剥かれた片目は、マジマジと僕を見つめる。きっと僕をどう喰らってやろうかと画策しているんだ。

 足が竦んで動けない。今すぐここから逃げ出してしまいたいのに。


 そんな風にたじろいでいると、白骨老婆は老婆に相応しくない俊敏な動きで僕の懐に飛び込んでくる。

 僕の二の腕とか他の間くらいを、白骨の手と皺だらけの手が掴む。その勢いに、僕は思わず地に倒れてしまう。

 そして節穴とひん剥いた目で僕を見据え、口を開く。


「その()に──真実を映して!!」


 老婆のものと思えない、清水のせせらぎを彷彿とさせる美しい声。その声にハッとした時、僕を掴んでいる手の温もりに気付く。


 途端、僕の両目に映っていた地獄絵図や、白骨老婆は消え去り、銀色の蝶が舞い踊る月光(ひかり)の草原と、僕を真剣な眼差しで見つめる麗しい女性に差し替えられる。


「ぼ、僕は……また夢に?」


「夢……? ここは夢なんかじゃありません。私はここにいます。ほら」


 僕の視界の大半を彩る女性──ユキさんが、僕の右手を左手で掴み、指を絡めて握ってみせる。温かい。僕の跳ねた鼓動よりも、ゆったりとした脈拍を感じる。


「落ち着いてきましたね。レイさんがどんなものを見ていたのかは分かりませんが、何かこことは違う世界を見ていたのは分かります」


「そ、そんなことどうして分かるんですか。それはあなたが僕の夢の中にいる存在だからじゃないんですか」


 僕がユキさんの言葉に対してまくし立てると、ユキさんは躊躇うかのように一瞬目線を僕から逸らすが、何か決心したような強い眼差しで再び僕を見つめる。


「私の目には、他人とは違うものが映ります。見た人が、何を考えているのか、漠然とですが見えるんです。あなたが何か違うものを見て、凄く怖がっていたのを見ました。ですが、今は、ちゃんと私を見てくれていますね。疑念の黒い霧も、少しずつ晴れてきています」


 僕がユキさんの言葉を信じ始めているのも、見透かされてしまう。

 こんな風に僕の考えを読めるのも、夢だからという考えもあるかも知れない。でも、ユキさんは僕の抱いた強烈なイメージを打ち破ってみせた。

 これは紛れもなく、ユキさんが僕のイメージの外にいる証拠だ。僕自身が制御できないイメージを、自身の力で打ち破るだなんて、絶対できないはずだから。


「僕は、今いるこの場所が夢の中だと思ったんです。そう思った瞬間、この草原も、ムーン・ダストも消えてしまって……」


 ムーン・ダスト……?

 自分で言って、気付いた。僕の思考を超えた、僕がここで貰った言葉。


「そうか、昨日から僕は貰っていたんだ……ここが夢じゃない証拠……はは」


 自分の無駄な苦労に、思わず乾いた笑いが出てしまった。


「散歩は止めて、またあそこに座りましょうか」


 ユキさんは立ち上がり、手を繋いだまま僕を引っ張って立ち上がらせる。

 僕はユキさんに無言の肯定を見せ、また岩場に戻るため歩き始めた。





「そろそろ終わりますね。光の夜」


 僕等は岩に戻っても、あまり言葉を交わすことなく、光の踊る草原を眺めていた。

 そんか時間も徐々に終わりに近付いてきた。


「今日はご迷惑をおかけしました。ごめんなさい」


 僕は岩から立ち上がり、ユキさんの正面に立って頭を下げる。


「あ、頭を上げてくださいレイさん! あなたは何も悪くないです。私、レイさんのお役に立てて、凄く嬉しいし、誇らしいんですよ?」


「誇らしいん、ですか?」


 僕はユキさんに言われた通り頭を上げ、そう返す。


「はい。こんな私の目でも、誰かの役に立つことができるなのら……それはとても、誇らしいんです」


 ユキさんの、特別なものが見える目。その目のせいで、ユキさんはたくさん苦しんできたのだろう。


「それじゃあ、もう謝りません。その代わり、ありがとうと、言わせてください」


「はいっ。どういたしまして」


 ユキさんの満足そうな笑顔を見て、僕はどこか、満たされたような気分になった。

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