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月光に蝶は舞い踊る

 気が付いたら、夜の坂道を歩いていた。

 ゆるい山道のような、舗装の行き届いていない、少し足場の悪い坂道を、歩いていく。


 目的なんて、分からない。この道の先にあるものなんて、想像もつかない。だけど、僕は何か使命感のようなものに駆られて、進んでいった。


 しばらく歩いていると、開けた場所に出た。


 そこは広々とした草原だった。

 何より視界で目立っていたのは、夜空に浮かぶ大きな銀色の月。どうやら今夜は満月らしい。だけど、僕が住んでいるところからこんなにも大きく、何より銀色に輝く月だなんて、見たことがなくて。あれが月だと認識できたのが奇跡なくらいだ。


「こんなところに学生さんだなんて、珍しいですね」


 僕以外に人などいないと思っていた草原の中に、ごく小さな人の声が投じられ、それは広大な草原に響くことなく霧散する。

 僕の耳に入りはしたが、その女声は非常に微かなもので、草原の中で、ほんの僅かな範囲にしか聞こえなかったくらいに控えめで弱々しかった。


「──!? あなたは?」


 その声の方に視線を向けると、一人の女性が立っていた。

 顔が隠れてしまうほどに長い黒髪が特徴的で、赤いカチューシャが印象的な女性だった。

 僕が着ている学ランと同じ高校の、指定のセーラー服を身に纏っているが、僕のような一男子高校生には刺激的な体のラインを覆いきれていない。


「私はユキと言います。あなたは、どなた?」


 ユキ。そう名乗った女性は僕にそう問いを投げる。僕は(かしこ)まって背筋をピンと伸ばし、答える。


冬木(ふゆき)(れい)と言います。冬の樹木の木の方に、お礼の礼で、冬木礼です! 美山第二高校に所属しており──」


 僕がテンパって自己紹介していると、ユキさんのクスクスと言う笑い声が聞こえる。

 その笑い声の声量は大半をユキさん自身に押し殺されながらも、可愛らしさと清らかさは殺しきれてはいなかった。


「レイさん、ですね。よければこちらにお越しください。とても綺麗な場所ですよ」


 よく目を凝らすと、ユキさんの立っている場所の後ろには、人が座るには丁度良さそうな、大きな岩があった。

 ユキさんは言葉を止めると、そこに腰掛け、僕を誘うように右手を伸ばした。


 僕は彼女に誘われるがまま、彼女の右隣に腰掛ける。


「あ、来ましたよ。言うなれば、ここの名物のようなものです。ご覧ください」


 僕が岩に座ってほとんど間髪入れず、ユキさんは無限の空を指差して、そう囁くように言う。


 僕はその指につられて空を、いや、ユキさんが指差したのは空みたいに遥かな場所じゃない。もっと身近な、この草原の空間そのものだ。


 ──それは、美しくもどこか、寂し気な光景だった。


 そこには、淡い銀色に発光した数十頭の蝶が、同じ銀の色に煌めく粒子を振り撒きながら、舞い踊るように飛んでいた。


「凄い……」


 僕は思わずそう呟く。こういう時、自分の語彙から素晴らしい賛辞の言葉でも述べられたらいいのに、中々上手くはいかない。


「ふふふ。私も好きな光景なので、気に入っていただけると嬉しいです」


 ユキさんは、長い睫毛を持った、少し垂れ気味な目を細めて微笑(わら)う。


「こんな『光の夜』を見られる場所があるなんて、知りませんでした」


 僕は舞い踊る蝶と、それが振り撒く光の鱗粉、そして、それ等に負けない美しさを持ったユキさんに見惚れながら、そう感想を述べる。


「光の夜、ですか。詩的な表現です。私は『ムーン・ダスト』と呼んでいましたが……ええ。光の夜の方が素敵ですね」


 ムーン・ダスト……なるほど。星屑(スター・ダスト)を変化させたのか。すごいなぁ、ユキさん。僕の表現を褒めてくれはしたけど、ただ思いついたことが口から出ちゃっただけだし、お世辞なんだろう。


「光の夜なんて、ただ直感的に浮かんだだけですし、何の捻りもなくて面白くないと思いますよ」


「いえいえ。光と夜、一見相反したものが共生するこの現象に、最も適した表現だと思いますよ。ムーン・ダストなんて、捻ったものを考えようとし過ぎて、分かり辛いですよ」


 うぅん……僕はムーン・ダストって良い表現だと思うんだけどね。


 ユキさんは何かを思案するように目を瞑り、微笑みを崩さず首を少しだけ傾ける。

 その仕草が、夜の闇と銀色の月、そして蝶が彩る光と相まって、とても現実とは思えないほど幻想的だった。


「こうしませんか? 私はこの現象を、レイさんが表現した『光の夜』と呼びます。そしてレイさんは、私が表現した『ムーン・ダスト』とお呼びください。これなら、お互い納得できるでしょう?」


「えぇ、そうですね。何だか言葉をプレゼントするみたいで、新鮮です」


 僕はそう言って、ユキさんの方から目を逸らし、舞い踊る蝶達に視線を投げる。ユキさん、綺麗過ぎて長い間直視できないや……。

 ん? んん? 言葉をプレゼントする、って凄くカッコいい表現じゃないか? これはポイント高いのでは?


「まぁ素敵。では今夜は、私達の出逢いを祝した、言葉のプレゼント大会ですねっ」


 ユキさんはニコりと笑い、左右の手を一本一本指同士を絡ませて組み、嬉しそうに語末を跳ねさせて言う。


 そんな仕草を見せるユキさんも、やっぱり綺麗で。僕はまた、彼女に見惚れざるを得なかった。





 やがて蝶達は何処(いずこ)へと消え行き、この草原には銀色の月と、時たまそよぐ涼やかな風と、僕。そしてユキさんが在る。


「さて、今夜も深くなってきましたね。レイさんは、お帰りになりますか?」


 ユキさんにそう言われて、自分が途中までの帰り道しか分からないことに気付く。

 気が付いたらあの山道にいただけで、家を出てどう歩いたかなんて、全然記憶にないなぁ。


「えぇ、帰りたいんですけど……道が分からなくて」


「ふふふ。大丈夫ですよ。来た道を戻ればいいのです」


 ユキさん、簡単に言ってくれるけど、それができないから困ってるんですよ。

 そうは思っても中々口に出せない弱気な僕は、苦笑でユキさんの言葉を聞き流す。


「それでは、私も眠らなくてはいけないので、今宵はこれで。私は毎日ここにいますので、よければまた明日、ご一緒しましょう?」


 ユキさんは着ているセーラー服の長いスカートを摘み上げ、お行儀よくお辞儀をして見せる。

 その所作も麗しいな、などと此の期に及んで考えていると、いつの間にかユキさんの姿がどこにも見えなくなっていた。


 困ったなぁ。取り敢えずユキさんの言う通り、来た道を戻ってみよう。

 僕は月明かりが照らす草原を後にして、また足元の悪い山道へと戻った。

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