チート英雄の真実
「グウラララアアアア」
溶岩が沸き立つ火口に、その半身を沈めた巨大なドラゴンの放つ叫び声が周囲の空気を震わせ、その衝撃が一気に広がり取り囲む人間たちを吹き飛ばす。
「た、助け、ギャアアア」
溶岩の上に無数に浮かぶ足場から弾かれた全身鎧の騎士が、悲鳴を上げながら溶岩の上に落ちると、瞬く間に鎧に包まれた肉体が燃え上がり、炎を噴き出す金属鎧も徐々に赤熱して溶け出し形が崩れていく。
「いやあああああ、グラムスーーーー」
必死に手を伸ばしていた女魔法使いが涙を流しながらその場に崩れ落ちると、その隣でドラゴンの攻撃を防いでいた青い鎧を纏った黒髪の青年が剣を振り上げる
「くっそったれ、このトカゲ野郎がよくも、これでも食らえ」
少年が横一文字に剣を振るうと、その剣先から斬撃が飛びドラゴンの鱗を砕きその下に有る肉を切り裂く。
「ググウウウウ」
傷口から溢れた血が鱗の表面を流れ落ち、足元の溶岩にこぼれると同時に蒸発すると爆音と共に溶岩の断片を撒き散らしながら次々と湯気と化してドラゴンの巨体を覆っていく。
「御主人様、危ない『精霊の防壁』」
奴隷階級である事を示す皮の首輪を付けたエルフの少女が精霊魔法を発動させると、薄緑色の障壁が仲間たちを覆い飛び散る溶岩の欠片を防いでいく。
「ありがとうアリム助かった、ミアルこの霧を吹き飛ばしてくれ奴の姿が見えないと狙いがつけられない、おおっと」
「グガアア」
霧に隠れて接近し一気に首を伸ばして噛み付こうとしてきたドラゴンの牙を、青年は隣にいた女魔法使いと犬耳の少女を抱きかかえて跳び退る。
「ギャアアア、いやだ、誰か、誰かー」
青年を守るために盾を構えていた少年騎士がその場に取り残されて強靭な咢に捕らわれる。
「グギャ、たす、バブガ、止め、ブルギャ、ガアア」
霧の中に隠れたドラゴンの影が咀嚼するたびに悲鳴は小さくなり、それに代わって金属や骨の砕ける音が響いていく。
「この野郎、よくもトライを殺しやがって」
「イサム様行きます『烈風斬』」
怒りを込めてドラゴンに怒鳴りつける青年にミアルと呼ばれた猫耳の少女が声をかけてから両手にそれぞれ持った刀を振るう。
刃に込められた風の魔法が霧を吹き飛ばし、隠れていたドラゴンの姿を浮き彫りにする。
「神級スキルで一気に決めてやる」
両手で剣を掴んで振りかぶり力を貯めようとするイサムと呼ばれた青年へ、ドラゴンが咆哮を上げながら向かっていく。
「イサム様をお守りしなければ、騎士隊行きなさい」
頭に宝冠を付けたプラチナブロンドの少女が手を振ると、鎧に身を包んだ騎士達が足場を跳び越えながら青年の周りへと集まり盾を掲げだす。
『フェリサム王女万歳、英雄イサム万歳』
指示を出した少女と目の前の青年を口々に称えながら、騎士達がドラゴンの前に立ちはだかるが、その牙や爪の前に一人また一人と倒れていく。
「この、あたいが相手だ、イサムの所には行かせないよ」
子供にしか見えないドワーフ族の女戦士が茶色の髪を振り乱してドラゴンの背中に飛び乗り、自信の体よりも大きな戦斧を首元に振り落とし、その厚い鱗を砕く。
「ググウ、フウーーーー」
大きく体を振るって背中に乗った敵を振り落したドラゴンが、多いく息を吸い込みだすと辺りを漂っていた霧が見る見るうちに口元へと流れ始め、それを見ていた人間たちの間から悲鳴がこぼれ出した。
「いかんブレス攻撃だ、このままではイサム殿が……」
王女と呼ばれた少女を守る様に控えていた金髪の女騎士が、呻くと同時に主を守るべく王女の前に立って盾を構える。
「グフ、ブバアアア、グギャア」
笑うかのように口元を歪ませてからブレスを放ちだしたドラゴンの片目に矢が突き刺さり、顔を仰け反らせたのに応じ吐き出されたブレスは誰も居ない岩壁を削り、砕けた岩が溶岩に落ち水面を波立たせる。
「ヤクモ助かった、ありがとう」
剣を構えたままの少年が声をかけると、スラリとした体躯の狐耳をした女性が顔を反らす。
「べ、別にイサムを守ったわけじゃないんだからね、勝つ為なんだから、勘違いしないでよね」
銀色の長髪の間から赤くなった頬が見え、少年は苦笑しながらドラゴンへと視線を戻す。
「偉大なる神よ、あなたの敬虔な僕であるルプテルが願い奉ります。彼の勇士にどうかご加護を」
僧服を纏った妙齢の女性神官が豊かな胸元で両手を組み祈りをささげると、柔らかな光が少年の周りに集まり剣を覆いだす。
「お兄ちゃん、いくよー」
天使を思わせる白い翼を生やした小さな女の子が、片手に持ったステッキを振るうと、青年の目の前からドラゴンのすぐそばまで光の道がまっすぐに続き青年が一気のその上を駆け抜ける。
「いくぞーーー」
光を纏った剣を構えたまま距離を詰めた青年はドラゴンへ向けて迷うことなく剣を振り落す。
「グガアアアアアアア」
長い断末魔の声と共に、ドラゴンの体から力が抜け徐々に溶岩の中へと沈んでゆく。
「やった、やった、やったぞー」
ドラゴンの血に染まった剣を青年が高々と掲げると、それに合わせて周囲に歓声が広がりだす。
「千年の長きにわたる人類と竜族の戦いは、たったいま終わりました。暗黒竜グラドランを倒したわたくし達の勝利です。この勝利をもたらした、異世界より訪れた英雄イサムに最大限の感謝を」
王女であるはずの少女がその場に跪き青年に頭を垂れると、周囲にいた騎士達もそれに習って跪き、仲間たちが青年の周りに集まりだす。
「御主人様おめでとうございます、暗黒竜を倒すなんて流石御主人様です。わたしも奴隷商に売られていた所を助けてもらった御恩が返せました」
エルフの奴隷少女が目を潤ませながら見上げるのに頷き。
「イサム様、すごいです、やりましたね、ハーチも頑張りました」
尻尾を振る犬耳の少女の頭を撫で。
「イサム様、ハーチだけじゃなくチーコも誉めて」
刀を背負って駆け寄ってきた猫耳の少女の頭も、もう片方の手で撫でる。
「イサム、やったね、やっぱりアンタはあたしが見込んだ男だけあるよだよ」
満面に笑みを浮かべたドワーフの少女が差し出した拳にイサムも自分の拳をぶつける。
「ふ、ふん、おめでとうなんて言わないからね、私は好きで戦ってたわけじゃないんだから、仕方なくなんだから、これでイサムから離れられると思うとせいせいするんだから」
離れたところで憎まれ口を叩く狐耳の弓使いに苦笑を浮かべかけたイサムが、足元を襲った衝撃によろめく。
「お兄ちゃん、怪我は無い、大丈夫」
太腿に抱き着いて来た白い翼の少女を抱き上げると、金髪の女騎士と巨乳の女性神官が並んで両側から挟むように密着してくる。
「イサム様、貴方のおかげで人々は救われました、神殿を代表して御礼致します」
「ルプテル殿そんなに体を押し付けてはしたないぞ、イサム殿には今まで何度も助けられてきたが、これで返しきれない大きな借りが出来てしまったな。この恩は必ず返すゆえ何でも言ってくれ」
競うように体を摺り寄せていた二人が何かに気付いたかのように離れ、抱き上げられていた少女も羽を羽ばたかせて離れていく。彼女達の前に居たのは……
「イサムぅ、グラムスが死んじゃった」
魔法士の服を着た少女は両目から涙を流しながら近づいてくる。イサムがこの世界に降り立った当初から常に苦楽を共にした少女、この戦いが終われば幼馴染の騎士と結婚するはずだった少女は、そのまま相棒と呼びあった青年の胸に頭を埋める。
「ごめん、いまだけ今だけでいいからこうしていさせて、少しだけでいいから慰めて。私ほんとうはイサムの事が、なのにグラムスに告白されて、イサムが好きなままでもいいって言われて、それで、それで……」
胸の中でなく少女を抱きしめて青年が何かを堪えるかのように空を見上げると、一片の隙間も無く陽光を妨げていた黒雲はいつの間にか散り散りとなりだしており、差し込んできた光が彼らを優しく包み込んだ。
こうして異世界から訪れた高校生、御堂勇の三年にわたる戦いは終わりを告げた。
「イサム様、ほんとうに元の世界に戻られるのですか」
薄物を纏った巫女の言葉にイサムはゆっくりと頷く。
「ああ、あの世界には家族が待っているんだ、それにこの世界は平和になったからもう俺が居る必要はないだろう」
彼らが居るのは、白い大理石のみで作られた神殿の奥に有る聖域。
大型トラックの車輪に巻き込まれて一度死亡したイサムが神から謝罪を受けて肉体を再構築され、常人をはるかに超える力を与えられてから降り立った場所だ。
「そうですか、残念ですが仕方ありませんね。わかりました」
頷く巫女に、イサムは安心して小さく息を吐く。
今頃彼の自宅には、無数の女性たちが押しかけている事だろう。
彼がこの世界を旅するうちに出会った女性たち、年齢で言えば下は9歳から上は32歳まで、立場で言えば奴隷や放浪者から各国の王女や女王まで。
大陸にいるすべての種族と国家を網羅した女性たちの何割かは大きなお腹を抱えていたり赤ん坊を抱えたりしている。
彼女たちの争いに巻き込まれたり、追いかけ回される事に疲れたイサムは地球へと逃げ帰る事を選んだのだ。
(自分で管理しきれないハーレムがこんなに大変だなんて思わなかったよ。やっぱり手を出し過ぎたかな、でも処女の気持ち良さはやめられないもんな、一人一回しかできないからどうしてもやるたびにヒロインが増えちゃうから)
「一つ確認したいんだが、元々こちらに来るとき向こうの俺は死んだはずなんだが、それは大丈夫なんだな」
異世界から逃げ出せることに安堵しつつも、イサムは唯一残る不安を聞き直すが、巫女は微笑を浮かべたままで答える。
「ご安心ください、元の世界にはイサム様の新しい体が用意されております。新しい世界に行けばすぐにではないですが、そのうちに今と同じような力を手に入れられるはずです」
「そうか、ありがとう」
(よっしゃ、それならオッケーだな。向こうでもチートで居られるなら不良達に虐められるのも怖くないし、いやそれどころかメダリストだって世界チャンピオンだってなりたい放題だからな。金を稼いだりするなら野球かサッカーの方が良いかな、次は失敗しないぞ、しっかりと選んで少数の最高の女だけでハーレムを作ってやる)
安堵からイサムが自然に微笑むだけで巫女は頬を赤く染め、潤んだ瞳で見上げてくる。
「どうか思い直していただけませんか、この世界は貴方を必要としています」
「みんなには申し訳ないけど、もうこの世界での俺の役割は終わったんだ」
(今すぐ帰らないと、このままだと責任を取らされて誰かと結婚、なんてことになったら遊び回る事も地球に帰ることも出来なくなるし、このままだとヤンデレヒロインに刺されそうだもんな)
そんな事を考えているイサムの耳を無数の足音が叩く。
「イサム様、イサム様はこちらですか」
「御主人様、どちらにいらっしゃいますか」
「イサム殿はどちらにおわすか」
「こっちから匂いがします」
「お兄ちゃん、迎えに来たよ」
足音と共に聞こえてくる、ヒロインたちの声にイサムが慌てたように巫女へと詰め寄る。
「早く、早く地球に戻してくれ」
「後悔は致しませんね」
真っ赤になった顔を意思の力で必死に元に戻した巫女の問いかけに、イサムは勢いよく首を縦に振る。
「もちろんだ、急いでくれ、このままだと連れ戻される」
「それでは、これで終わりですイサム様、さようなら」
その言葉と同時に、イサムの姿は掻き消え、直後に足音や叫び声などを始めとする全ての音が消え、数秒後には世界から全ての光と存在が消えた。
「……君、勇君、御堂勇君、僕の声が聞こえているかい」
機械を通したようなやや不明瞭な声が頭に響き、それが勇の目を覚ます。
(う、ここは……病院かな)
視界に映るのは、真っ白な天井と壁、正面にはレントゲン室に有りそうな大きな窓が有り、その向こう側で白衣を着た中年男性がキーボードを操作しながらマイクで話しかけてくる。
「気が付いたみたいだね、脳波も安定してる。気分はどうだい、と言ってもこの数値なら悪くはなさそうだけど」
(あなたは、あれ声が出ない、どうなってるんだ)
「君はトラック事故の後で、この病院に運び込まれてね」
(病院って事はまさか事故の後でそのまま入院してたのか。声だけじゃない体も動かない、もしかして俺は寝たきりになっているのか、話が違うじゃないか、こんなはずじゃ、こんなはずじゃない)
「ふむ、混乱しているようだね。まさかこんなにメンタルが弱いなんて、せっかくあれだけの経験をしてきて修羅場を乗り越えて来たと言うのに、へタレはへタレのままか。いや、かさ増しされた強さにおぼれたから人間的成長があまりないのかな」
片手にマイクを持ったまま、講義をするかのように左右に歩き回る男を見ながら。勇はひとつの違和感に気付く。
(視界が動かない、奴を追いかけようとしたのに目が動かない、どうなってるんだ、麻痺状態だって目だけは動くはずなのに、いやそもそもおかしくないか、何でこいつは俺の正面に立って居るんだ)
白衣の男は、勇の視界の中央付近で縦に立っている。
勇が病院のベットで寝たきりになっているのなら視界の端の方で覗き込むように映るはずだ。それも足元に居るのでないのなら、横向きに見えなければおかしくなる。それが示す事は……
(俺は寝たきりじゃなくて、立っているか座っているって事か、ならなんで体が動かないんだ)
「混乱しているようだね、脳波がいい感じに乱れてきてるよ。さて、いつまでもこうしていては話が進まないからまずは今の状態を見せてあげようかな」
白衣の男がハンドマイクをヘッドホンマイクに切り替えてから窓の端に消え、すぐに勇と同じ部屋に入室し両手で持った鏡を勇の前に掲げる。
(な、なんだこれは、まさか、いやそんなはず、こんな事ない、こんなの嘘だ、そんな、こんな、あああ、ああああああああ)
鏡に映ったのは、ピンク色のブヨブヨした物体、まるでホルモン焼きの腸を無理やり丸くまとめたようなグロテスクで歪な半球体。
実際に見たことは無くても知識として勇はそれが何かわかっていたが、それでも理解が出来なかった。
細長い円柱形の水槽に浮かんでいるのはおそらくは人間の脳、そのすぐ下のあたりにむき出しの眼球が申し訳程度に付いており、表面からは無数のコードが天井へと延びている。
(嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ、ウソウソウソウソウソオオオオオオ)
耳元で急に大音量が流されたかのように白衣の男が顔を歪めて鏡を足元に落とし、ヘッドホンを外す。
「まったく、豆腐メンタルだとは思ってたけど、ここまでとはね。仕方がない」
男がポケットから小型タブレット端末を取り出して操作すると、それだけで勇の思考が落ち着きだす。
「データ調査に影響するから、本当はしたくないんだけど疑似脳波と人工ホルモンで落ち着いてもらったよ」
ヘッドホンを頭につけ直した白衣の男がまた窓の向こうに戻ってキーボードを操作しはじめる。
(こ、これはどういう事なんだ、どうなってるんだ、答えろ)
「順を追って説明するよ、君はトラック事故で死亡したんだけど、幸い脳だけは無事だったからこうして協力してもらってるんだ、あ、そうそう君の声はスピーカーで合成するから思うだけで話が出来るから、何でも聞いてくれたまえ」
(あのビッチ巫女、だましやがって、こんなののどこが新しい体だって言うんだ)
勇の言葉に、男はこらえきれないというふうに小さな息を漏らしてからマイクに口を近づける。
「その一点を持ってだましたと言うのは少し語弊があるかな。そもそも君が経験した三年間そのものが丸々虚構なんだからね」
(な、なんだと)
また混乱しだした勇に、男は口元を歪めたままで話し続ける。
「協力して貰ってるって言っただろう、君の脳に直接電流を流して現実そっくりの体験をしてもらってたんだよ。君が異世界だと思っていた物は全てここのコンピュータの中で構築した仮想世界って事だよ。君たちの協力のおかげでVR技術は長足の発展を遂げる事だろうね」
(こ、こんな、非人道的な事が許されるはずがない、こんな、こんな事、倫理的に間違っている……)
「人道? 倫理? たとえ虚構の中とは言え奴隷を売り買いして、二次性徴も来てないような幼女を抱き、数えきれないほどの処女を食い散らかした君が言うのかい。困窮し生きる為に盗賊となった連中を問答無用で皆殺しにし、男というだけでモブの兵士や冒険者を見殺しにし、金になると言って希少なモンスターを乱獲し絶滅させた君が人道を語るのかい。何百人もの妊婦や赤子を放置してこの世界に逃げ帰り、全てなかったことにしようとした気に行動のどこが倫理的なのかな」
(おかしい、こんなこと、こんなことが問題にならないはずが、家族が黙ってないぞ)
「大丈夫だよ、君は法的には死んだ事になっている、家族には内臓を取り除いた残りを返してとっくに葬式も埋葬も終わってるから。君の扱いはただの献体標本、ホルマリン漬けの内臓と同じだからね」
(いやだ、いやだ、こんなのいやだ、夢だ夢に決まっている、こんなのは絶対に夢だ)
勇の言葉に男はため息をつきながら、それでもキーボードを叩く手をとめずに返答する。
「夢ねえ、夢というのは、君が今まで見ていたような世界の事を言うんだと思うけどね。大体あり得るはずがないじゃないか全ての事が都合よく君だけのために有利に働いて、敵は勝手にボロをだし、なんら人間的魅力の無い君に美女たちが群がり、なにも苦労することなく過ごせる努力のいらない世界なんて現実的じゃない」
(そうだ、戻してくれ、せめてあの世界に俺を、やり直しを要求する)
「あー それも出来ないんだよね。あの世界は必要なデータを取ってすぐにリセットしちゃったから、もう残ってないんだよ。だから巫女が聞いたじゃないか後悔はしないかと」
(そ、そんな、じゃあおれは)
「心配することは無い、君はあたらしい世界でまた別な体験をしてもらう事になるから、彼女が言っていただろう『そのうちに今と同じような力を手に入れられるはず』って」
(な、ならもう一度チートが得られるんだな、それなら夢でもいい、今度は絶対に失敗しない、やってやる)
「もっとも、データ採集の支障になるから、君の記憶もすべてリセットして一からやり直しになるけどね。なに経験や技術はなかなか消せない物だから多少は楽になるともうよ。とは言え記憶の全てを永久的に失った『新しい君』が、同じ脳を使っていると言うだけで『今の君』と同一の存在と言えるかは疑問だがね」
(そ、そんなの、死ぬのと一緒じゃないか、やめろ、やめてくれ、たすけてくれ)
「それじゃあ勇君、また逢う日まで」
白衣の男がエンターキーを押すと同時にスピーカーから流れる音は完全に停止した。
「まあ消すのは、事故にあってからの記憶だけだけどね。それにしても最後の最後で実に興味深い恐怖のデータが取れたな」
ディスプレイに映る脳波のデータを楽しそうに見ていた男の背後でドアが開けられ、白衣を着た若い女が入室して声をかけてくる。
「清水教授、標本番号『N2691BS』がダメになりました」
「そうか、あれはそのうち集団投入実験に使おうと思ってたんだけど」
助手らしき女性の言葉に清水と呼ばれた男は残念そうに呟いてスマートフォンを開く。
「集団投入実験ですか」
「ああ、同じ電脳空間に数十人を放り込んでそれぞれの反応を比較するんだ、VRMMOを作るには必要なデータだし、それにちょっとした変化を与えるだけで、色んな反応が一度に取れるから面白いんだ。たとえば一人だけ弱いままにしておけば、劣等感や優越感が観測できるし、後でその一人を最強にすればそれぞれが個性的な反応を見せてくれるから」
スマホを弄る手を止めることなく説明する。
「なるほど、それはおもしろそうですね。ところで何をされているんですか」
「ん、新しい実験体を探してるんだよ」
「インターネットでですか、それでどうやって」
助手が画面を覗き込むと『小説投稿サイト 小○家にな○う』という表題が浮かび上がっている。
「個人的に『なろ○症候群』と呼んでるんだけど、このサイトの利用者だと異世界への転移や生まれ変わりなんて言う普通なら信じられないような状況をあっさり受け入れてくれるんだよ。特に累計だとか日間を好んでブックマークしてる連中はイチコロだね」
日刊ランキング一位作品の感想欄を覗いて、書きこんでいるユーザーを一人ずつチェックしながら清水は助手に答える。
「そんなに簡単にいくんですか」
「もちろん、対象が男なら反則級の強力な能力を与えたり、努力ともいえないようなちょっとした練習で強くしてやれば良いし。女ならそこら辺の少女漫画や女性向けゲームを丸々コピーした世界で、悪役のアバターに入れればそれだけでもう好き勝手やってくれるよ。それにこのサイトにある幾つかの小説から適当に設定を持って来れば簡単にだまされてくれるから」
疑わしそうな助手の声に清水はモニターから視線をそらさずに答える。
「お、これなんていいかな。『神様転生大好きです』なんて書き込んでるし。このユーザーが誰か調査して『トラック係』に連絡して」
一人のユーザーページを開いたままのスマートフォンを助手に差出しながら、なんでも無い事のように指示を出す。
「それと、事故に見せかけるのは大切だけど脳がダメになっちゃ元も子もないから注意するように言って置いてね」
「解りました、すぐに手配します」
「ああ、それと一番ラボの実験は中止しよう、測定値が低すぎる、あれだけやって三万ポイントじゃ話にならないからね」
「そちらもすぐ指示を出して置きます」
助手が出て行ってから清水は楽しそうに、実験室の脳へ視線を戻した。
「さてと、勇君にはどんな世界にどんな状況で行って貰おうかな。下級貴族の六男とかかな、ついでに工夫すれば役に立つのに世間からは無能扱いされるような属性でもつけてみるか」
あれ、ここはどこだ、どうなってるんだ。
確か俺は、学校の帰りで、そうだトラックに轢かれたはずなのに。でも病院じゃないよなここは。
木でできた古臭い天井なんて最近の病院であるはずないし。
うん、体が重いなどうなってるんだ、起き上がれない。
あれ、これ、俺の手か、こんなちっちゃいモミジみたいな手、まるで赤ん坊じゃないか。
赤ん坊、古い作りの建物、それにトラック。
まさか転生か、転生したのか俺は、やった、やった、俺の時代が来た。
きっとこの世界は魔法が有るはずだそうに決まってる、やってやるぞこの世界でチートに成ってやる。
まずは動けるようになって、魔法書を探して、すぐに魔法の練習だよな。
そうすればきっと、成人する事には最強の魔法使いだ『○ろう』で何回も見た設定だから間違いようがないよな。
なんて最高なんだ、まるで夢みたいだ……
こんな話ですみません。
連載している異世界トリップ作品のオチ候補として考えていたんですが、これやったら大ヒンシュクだろうと思ってボツにしたネタです。
脳で実験っていうのはSFではよくあるネタなので、もしかしたらもう誰かやってたりして……




