封印(ふういん)
「オイ!何であんたがここにいるんだ!?」
俺が三日ぶりに再開したバイトの現場監督。野上源太郎に発した第一声はそれだった
たいする野上は幾分か痩せてはいたが、肥えて肉が付いた顎で卑屈な笑みを浮かべていった
「それは…あんたを助けるためや。コレを…」
最後まで言い切らないうちに俺は野上班長の汚れたシャツを掴んだ
この男には聞きたい事が山ほどある。それに山根さんの事も、俺を殴って監禁した事もだ
情けない事に野上は怯えた声を上げ、俺から遠ざかろうとした
しかし逃すつもりは微塵も無い、襟首を捕まえありったけの力で締め上げる
「あんたの身には何があった?あの場所で何が起こった?他の作業員達はどうなったんだ?」
聞くと、野上はばつが悪そうに顔を背けた。その態度だけでこいつが何をしたのか俺にはわかった
「見捨てて、一人だけ逃げたのか?」
「だって、しょうがないやろ?そんな暇なかったんやから…」
「コイツ!…ふざけるな!」
俺はありったけの力を拳に込め、野上を殴り飛ばした
床に叩きつけられる野上、怯え、迫りくる俺に対して体を丸めて震えていた
「勘弁してくれ…俺だって悪気は無かったんや」
「俺に謝って済む問題か!てめぇが見殺しにした人たちの家族に一人一人謝れよ!」
「謝罪はする、ホンマに…だから、もう止めてくれや!俺は悪くないんやぁ!」
「あんたは…」
呆れて物を言えない。俺は自分の中の熱が急速に冷めていった
チアキが俺の傍にいた。もし自分が白熱して野上の奴に摂関を振るい続けていたら彼女が止めに入ったのだろう
「偉いです、カズ君。今ここで無駄な体力を使っても何も良いことはありません
それより、この人が言った助けに来たという言葉。何か気になりませんか?」
「どうせ、恩着せに口からでまかせを言ったに決まってる」
「だからこそです。この人が他の場所に逃げずここに来た理由…何か決定的な情報、あるいは切り札を持って来たとも考えられませんか?」
彼女は冷静に見えた。教養があって勘が利くチアキの事だ
こいつが自信満々に話すのなら何かあるかもしれない
俺はそう思って、床でこちらを呆けている様に見つめている野上班長に詰め寄った
「おい、何かあるんだろうな?」
「…ああ、チユとか言う婆さんに会って、コレを渡されたんや
何でも封印の祠から引っ張り出したとか言っとったんや…使えるかどうかは分らないが、それをあんたさんに渡せってな」
「ん…?」
俺が取るより早く、チアキが差し出されたかなり細長く白い包みを受け取った
チユさんに渡されたものよりも大きくて、何が入っているのか予想が付かない
しかしチアキの奴はそれが何であるのか見なくても分るように、確信に満ちた手つきで包みの封を解いた
「これは…」
「和弓…ですね。それも大きさからして鎌倉末期から南北朝時代に用いられていたものに近い…
元寇の記録によると、当時の弓は博多の石垣から射ても海上の蒙古船団に届いた程の威力を持っていたといわれます
風向きにもよりますけど、有効射程が200メートル、飛ばすだけならば400メートルくらいですね
当時の鎌倉武士は弓を使いこなし、白兵戦も猛威を振るう事から、最強の軍隊として当時の蒙古軍に恐れられていたみたいです」
「…良く分からないけど、すごい弓なのか?」
「ええ、拳銃は意外と射程距離が短く20メートルくらいなんです。まぁ…近代兵器に関しては先輩の方が詳しいんですけど
それに、当時の物は男三人ばかりで弦を張った物もあって、それを用いる人間は剛の者だったと聞きます
刀に比べたら地味ですけど…神田明神に祀られたかの有名な平将門公は数々の武勲を…」
このまま放って置いたらまたチアキの講釈が始まりそうなので止める事にする
「…判った、弓がすごいのは良く分った。で、それは使えるんだよな?」
「ええ、以外と保存状態が良かったみたいなので…でも、弦の劣化状態から見るとあと、二、三射放てれば上等です」
「あの矢を使って射ろということか…だが、俺には弓道の心得は無い」
「わ、わしも弓なんて触った事なんか…」
「私は出来ます」
意外な言葉に俺と野上班長が千秋に目を向けた
自分に視線が集中したチアキは恥ずかしそうに身を捩じらせる
そういえばこいつは普段の言動から考えにくいが、若干人見知りだった気がする
「はい…幼少期に母に教わりました」
「おい、どんな家庭なんだよ…お前の実家って……」
「そ、それは頼もしいやんけ!あの矢と弓さえあれば、気色悪い化け物なんか怖くないっちゅう事なんやから!」
野上が立ち上がって嬉しそうに言うのを俺は覚めた目で見ていた
事が進んでしまった今となっては、どうでもいい事なのだが元々はこいつが引き起こした事件なのだ
化け神退治が終わったらすぐにでも山根さんや他の人達の償いをさせるつもりだが
こいつがいなければこの弓が手に入らなかったことを差し引けば今は大目に見てやるしかない…
そう、全員が助かるまではお互いに助け合って生き延びるしかないのだから
それに、相手は俺の夢の中にまで入りこんで取り殺そうとした神である
もしかしたら野上班長も同じような目に遭ったのかもしれない、そこをチユさんに救われたのかと思われるが
実際に見ても居ないし、野上に聞いても時間の無駄なので遭えて聞かないことにする
「これさえあれば、あの祟り神とかいうバケモンを鎮められるって言っとったからなぁ」
「それにしても、チユさんは何者なんだろう?色々知識があってあんな場所に住んでて…」
「もしかして祟り神を封印した巫女さんの子孫…では無いでしょうか?」
「……え?」
「その御婆さんのご先祖様が遠い昔に村の人と協力して破魔矢と大弓を持ち出して封印し、石碑を建てたんだと思います
元々は善い神だったのかもしれません。しかし…人々が自ら進んで罪人から生贄を差し出すようになり
邪悪な想念に取り付かれた恵みをもたらす神の属性も変質して…祟りそのものと呼ばれるようになってしまった」
「お前、そんなことまで言い切れるなんて…もしかしてサークルの活動で調べたのか?」
チアキに視線を向けると、彼女は小さく舌を出して言った
「それは、秘密…です」
俺はそのときの彼女の顔を一生忘れる事が出来ないだろう
魅惑的な彼女の仕草はある種の艶かしささえ漂わせて、それでいて物悲しげな気品があったからだ
まだ俺は知ったつもりになっていて、こいつの事を何一つ掴めていないのかも知れない
「お、おい!あれは…?」
割れた窓の外を見ると夜の闇に覆われた空でもはっきりと分るように、灰色の雲が渦巻いていた
まるで台風のように渦巻く雲は次第に肥大して行き、この町全体を覆うような大きさに成長していく
「空が…雲に覆われているのでしょうか?」
「アホな!さっきまで雲なんか一つも無かったやんけ!」
野上班長が怯えたような声を出す。彼はこの現象について何か知っているのだろうか?
そう言えば…初めてあれと遭遇したときのことを思い出してみた
俺があの祟り神に追われていたときも、信じられないほどの豪雨と雷が降っていた
そして、見たのだ。降り注ぐ雨の中で俺を捉える無数の赤い瞳の存在を
「雨が…」
「やっ、奴や…あいつが現れたんやっ!」
(……来るのか?あの時と、同じように)
そして、いきなり降り出した豪雨の中。一瞬煌いた雷光の中に俺は見た
こちらを見つめる沢山の目の持ち主が、向かいのマンションの屋上にへばり付いているのを
そう、コレはまったくあの時と同じだった。俺が森の中であいつに追われたあの時と…
「あれが、祟り神…かつての神の成れの果てか」
低い声で、チアキは全く臆する様子も見せず呟いた。その声には畏怖と悲しみの感情が交じり合っている様な気がする
俺は彼女の横顔を見た。顔付きが変わっているような気がする、声すらも
いつものどこか落ち着かなくて、ふわふわした雰囲気のあるチアキとは違い、眦は鋭く…眼光はかの者を射る様な凛とした鋭さがあった
しかし、チアキとは対照的に怯え、沈黙を打ち破った者が居た。野上源太郎である
「ヒ、ヒイイイイイイッ!嫌や!死ぬのは嫌やぁぁッ!!」
「おいッ!待て!」
野上班長は甲高い悲鳴を上げると。破魔矢と大弓を持って玄関の方向へと走っていった
自分だけ助かろうという魂胆なのかもしれない。だが、あれが無いと此方には立ち向かう術さえないのだ
俺も木刀を拾い上げ、すかさず後を追う。チアキも無言のまま俺の後に付いて行く
幸いにも野上が錯乱し、弓一式を持ち去った奴への怒りもあって俺はどうにか冷静さを保っていられた
玄関を突き飛ばすようにして開けると野上は階段を駆け上っていった。どういう積もりか屋上に向かうようである
俺達もあいつの後を追う、マンションの外は土砂降りの大雨と雷で天が怒りを示しているようだ
背後から鋭い殺気が膨れ上がるのが判った。あいつが…あの祟り神が追ってきているのだろう
俺達は階段を上る足を速めていった。追いつかれれば間違い無く殺されてしまう
「堪忍してくれやあああッ!!まだ死にとうないぃッ!!!」
屋上に着くと野上は祟り神の出す黒い触手に絡め取られて、中に浮かされていた
向かいのマンションから祟り神が眼の下にある口のような者を開け、そこから無数の触手を出しているのだ
そして最悪な事に…野上がかっぱらっていった弓や矢も、吊り上げられたあいつの足元に落ちていた
「班長!」
俺は野上班長を救出するために木刀を持って駆け出そうとする
しかし、背後からチアキが俺の力を雁字搦めに抑えた
拘束を逃れようと俺はもがいた。奴にはせめて山根さんを殺した罪を償ってもらわないといけない
それまでにはどうしても死なせるわけには行かないのだ!
「ダメッ!カズ君!あなたも巻き込まれる!」
「くっ!離せよチアキッ!助けるんだ!!」
「カズ君ッ!!」
チアキを思いっきり振り払った俺は木刀を掲げ、野上班長を捕らえている触手を叩き落そうとする
しかし祟り神は俺が走ってくるのを察知すると、班長の体を持ち上げて木刀が届かないように浮かした
野上は恥も外聞も無く泣き叫んで助けを求める。しかし俺は何もする事が出来なかった…
「わああああああああッ!!まだ結婚もしてないのにいいいいいぃぃぃっ!!!!!」
捉えた野上を祟り神は口を大きく開け、飲み込んだ
自業自得…と言えばそうなるのかもしれない。野上は計略で気に食わない山根さんに危ない仕事を任せ事故死させた挙句
作業員達を見捨てて自分だけ逃げて、そしてまた俺達を捨て駒にした
救い様の無い屑だったのかもしれない。だが、こんな死に方はしなくても良かったはずだ
あいつには罪を償って更正して欲しかった。たとえそれが無理だと分っていても
「……祟り神」
無言で俺は慈悲無き邪神に憎悪の視線を向ける
だが、当の祟り神は俺の殺意に満ちた視線などそよ風だというように暗闇の中、無数に光る目を細めた
笑っていたのだ。あの化け物は、己の足元にも及ばない人間が無力さに打ち据えるのを
そして無数の蜘蛛の様なような足を跳躍させて祟り神は此方の屋上に飛び移ってきた
俺の間合いに自分から入ってきたと言う事だ。上等じゃないか!
その脳天をかち割って、顔上に張り付いたゼリーのような目玉を一つ残らず潰してやる
「カズ君ダメッ!矢と弓が無いと神には無力だよ!」
チアキの声も聞かず、俺は走り出した。激情が冷静さを失わせていた
振り上げた木刀は呆気無く弾かれ…俺は野上と同じように祟り神に飲み込まれた
「ここは…何処なんだ?」
それは夢の中で見たあの空間に近かった
俺は死んだのか?となると、ここはあの世なのか?
疑問が胸の中で渦巻く、だが答えてくれる人間は誰も居なかった
オ前ハ我々ノ中ニ居ル
「お前は…祟り神か?」
ソノ名ハ我ノ真名デハ無イ。我ノ名ヲ知ッテイル者ハモウ居ナイ
「元々は神だったのに…何故人を殺す?」
何モシナクテモ人ハ死ヌ。疫病ヤ戦ヤ日照リニヨッテ
我ハソノヨウニ望マレタ、ソシテ想念ヲ取リ込ミ…『我々』トナッタノダ
「そんな神が居てたまるか!」
ナラバ何故、人ハ我ニ生贄ヲ捧ゲタ?人ハ人ヲ殺ス事ヲ心ノ内デハ望ンデ居ルカラデハ無イノカ?
何故、人ハ今モ殺シ合ッテイル?数ガ増エル前カラ人間ハ戦イト殺戮ヲ望ンダノダロウ?
ソレガ人ノ願イ。ナラバ我々ハ人ヲ殺ス、人ノ願イ叶エル為ニ…
「…くっ」
こいつが概念その物だ。何を言っても説得することなど出来はしない
災害と同じで人に災いをもたらす「現象」なのだ
だが、こいつの言っていることを否定できない。人間にも醜い人間は沢山いる
俺の母やチアキを連れ去ろうとした連中…そしてこいつに殺された野上班長
人間は俺を含めて醜い連中ばかりだ、この神が言っていることは正しいのかもしれない
サア、我々ト一ツニナルノダ。オ前モ生贄トナリ…怨念ノ一部トナレバイイ
そうだ…一つになる。一つになって醜い人間を殺す
なんだ?ノイズが頭の中に響く…チアキ?いったい誰の事なのだろう?
我々は古の神。人間ニ災イモタラスモノ…
(君がずっと守ってあげるんだ)
聞コエル、人間ノ声ガ……コノ誰カノ声ヲ俺ハ聞イタ事が…………ある!
(君には守ってやる人間がいるんだろう?じゃあ、戻ってあげないと
僕に出来る事はこれ位しか出来ない。君の彼女と不思議な弓矢のお陰なのかな?
とにかく、僕の体を引き上げようとしてくれた事、ありがとう。そしてもし…彼女に会ったら――――)
「山根さん…なのか?」
答えると、頷く気配がした。暗いので何が何だか分らない
しかし俺は思い描く事が出来た。丸っこくて…愛嬌があって、それで居てしっかりとした眼差しを持つあの人のことを
そして…俺が愛すべきチアキの事を、彼女のはにかむような暖かい日のような笑顔を
マサカ…コレハアノ時ノ……
神の動揺の感情が伝わると同時に光が溢れた。俺は闇の中から解き放たれ…解放される
「カズ君!」
俺はこの化け物に取り込まれた。しかし、異物と認定され吐き出されたようだ
目の前の祟り神は、もがき苦しんでいるようだった。その隙に俺は自分のやるべきことを果たす
野上が落として足元に転がる弓と矢を拾い上げ、力いっぱいチアキに放り投げる
彼女がそれを受け取るのを確認した後、俺は声を限りにして叫んだ
「やれっ!チアキ!こいつをその矢で射るんだッ!!」
チアキは無言で弓に矢をつがえた。目一杯引き絞った鏃は祟り神に向けられている
雷が一瞬彼女の姿を照らし出す。巫女服を着て、長い黒髪を後ろで束ねた凛々しい女性の姿が一瞬映った
女性の顔は美しかった。おおまかな顔立ちはチアキに似ていたが、鋭い眼光ときりりと引き締まった口元が別の印象を与える
俺は直感する。あれはチアキであってチアキでは無いのだと――――
「…さらば、まつろわぬ神となった――――よ」
チアキでない何者かがあいつの唇がを借りて何か言ったが、遠くにいた俺は良く聞こえなかった
しかし、あいつの体を借りた『誰かは』涙を流しているように見えた。その理由は今でも判らない
おおおおおおオオオオオオンンンンッ!!!!!!!!
祟り神は自らの危険を本能的に察知したのか、威嚇するように野太い咆哮を上げた
足元の俺には構わず何十本もある醜い足を百足の様に蠢かせ射手をしとめんとチアキに迫っていく
が…もう遅い。放たれた矢は光を、無数の砂金のように撒き散らし化け物に迫る
一条の閃光と化した光の矢は、かつて神であったモノの額を貫き、空まで一直線に飛んでいく
上空に達した光は、空一杯の粒子となって広がって行く
それは祟り神の手によって歪められた雲を吹き払いつつ、元の夜空を取り戻させたのだった
元の空を取り戻した後に、祟り神の形は崩れ、光の砂像となって崩れ落ちてゆく
あそこまでおぞましい蜘蛛紛いの化け物が、美しく光となって消滅していく様はある種の感慨と皮肉さえ感じさせる
まだやる事はあるが、これで三日間近く俺を悩ませてきた悪夢はようやく一段落着いてくれた
(山根さん…あなたのお陰で助かりました)
空は徐々に明るくなり、地平線の奥から朝焼けが顔を覗かせている
俺はふと眠気に襲われる、思えば今日は一日で尤も長い夜明けだった。ところ構わず寝転がって大の字になる
もう、しばらくはバイトも化け物退治もこりごりだった。三日くらいは部屋に引き篭もるのも悪くないかもしれない
「終わりましたね、カズ君」
眩しい光の中で見るチアキの顔は『誰か』のモノでは無く、俺の知る依乃理千秋のものに戻っていた
当然だが、髪も濃い黒の長髪じゃないし、紅白の巫女服なんて着ては居ない。私服のままのチアキだった
「ああ…ひとまず終わったようだな…」
チアキが膝に俺の頭を乗せた。膝枕だ、そう言えば昔あの性悪の母も何かの気まぐれでやったことがあったっけ
俺は何故自分がこいつの事を好きになったのか、その理由が分ったような気がした。出来ればこの事は墓までもって行きたいものだったが
そして最愛のチアキの顔を見た後に、意識を手放した。ようやく安眠は訪れたようである
「なぁ、お前ってさ?」
「何ですか?カズ君」
「お前さ?この前のあれって本当に覚えてないのか?」
「ええ、気付いたら朝になってて…カズ君が屋上で寝転がっていて…」
荒神を倒してから、一ヶ月後。ようやく落ち着いたその時に大学のカフェテリアであいつに聞いたのだった
俺達であの後チユさんにお礼を言いに行った。しかし、彼女の住んでいた古屋は何処を探しても見つからなかった
あのチユさんに看病された事は幻だったのか、現実かどうか分らなかった。しかし、弓は残っていたので近くの神社に返しに行ったら
その寺の老いた住職がえらく驚いた事は覚えている。なんでも、大昔に失われた対魔の大弓を一大学生だった俺が持ってきたのだから
事の顛末を話すと。住職は納得したように頷いて礼を言ってきたので驚いた
俺達の遭遇した出来事が何でも、その寺に伝わる古事に良く似ていたと話すのだ
千年前、源氏と平家が戦乱に明け暮れていた時代。この近くにあった村に戦いに敗れた武士達が落ち延びてきたと言うのだ
武士達がどの勢力に属していたかは定かではないが、彼等はその村に住む【山神】の存在を知った
彼等はその力を我が物にせんと神を目覚めさせるために、裏切り者や村人達の罪人を生贄に捧げた
そして、彼等は風や雷を操り大いなる災い持つ力を目の当たりにする事になる…他ならぬ彼等自身の命を以ってして
しかし、山神の怒りはそれで収まらなかった。武士達に同行した大陸から訪れたという破戒僧の祈りは
神の本質そのものを変化させた、元々は山の天候を操る神が怨嗟に満ちた生贄と間違った儀式によって悪神となり
闇そのものを纏う様なおぞましい姿は祟り神と称されるようになったのだと言う
そして、村を救う為に一人の巫女が立ち上がった。彼女は他の山の神と自分の霊力全てを矢と弓に篭め
荒ぶる祟り神を射倒したのだと伝えられていた。その後は巫女の遺言によって
神の遺体は埋められ、塚が立てられた。そして遺族によって巫女の骨を使った矢が遺されたのだと言う
矢は数本用意されていたが、俺達が使った一本以外は紛失したらしい事を聞くと後の権力者達が
埋められた山神の存在を悪用しようとして、その混乱の度に使われたのかもしれない
チユさんは巫女の末裔で、チアキも同様。あの時のあいつに巫女が乗り移ったかどうかは俺の想像だが、真相は誰にも分らない…
その例の大弓は手厚く扱われ、その神社に祀られる事となったという
おまけに俺とチアキは祈祷を受け、二人であの弓が二度と使われるような事態にならないように祈った
そして、テレビで知ったことなのだが、あの荒神を封じていた石碑は即座に新しいものが用意され工事現場に安置された
なんでも知事直々の命令であり早急に予算も出たようだ。ニュースでは近くに立派な祠も立てられダム建設も凍結されたと聞く
こんなときばかり対応の早い行政には、もっと早く行動して欲しかったと俺は呆れた感想しか出なかったが
早々非難してばかりもいられない。祟り神となった荒神が、いつまた姿を現すかも分らないのだから万全は期すべきだろう
それに、最近の宗教関係の人間。得に大学の近くにある大きな寺は若い跡取りがが生臭坊主で高級車を乗り回し、お布施でキャバクラに
通っていたのだから俺が持つ宗教のイメージと言う奴は最悪に近かった
大まかには話せないが、そいつとは殴り合いの喧嘩までした仲なので見聞だけではなく酷かった事は俺が良く承知している
とにかく、あの淫売女や他の要因もあって神仏の類を蔑視していた俺からすれば
今回の出来事は今までの価値観を払拭させるような大きな出来事だったに違いない
「もしかして、お前んちって何かあったりするのか?」
「最近聞いたんですが…私のお母さんの家系は巫女さんだったみたいです。だから、もしかしたら私にも対魔の力は残っているのかもって」
成る程。あれがチアキでは無い別の女性に見えたのだとしたら、彼女の祖先か誰かはあの荒神を封印した一族なのかもしれない
あくまでも、俺の推測だが子孫の危機を感知した彼女の祖先がチアキに憑依し力を貸したのだとすれば
あの光を放ち、祟り神と化した荒神を一発で封印したのも納得できる話だ。これは俺の予想が当たったのだろうか?
「へぇ、だからあんなにいろいろ変な事を知っていたんだ。歴史とか文化とか」
冗談半分にからかうつもりだったが、チアキの方は糞真面目に受け取ってしまったようで、ふぐの様に頬を膨らませてまくしたてる
「失礼ですけど、私が日本文化や歴史に詳しいのはサークルや専攻している学科の影響もあってですね。それに先輩の方が…」
「あーわかったわかった。お前が歴史が好きだっていう気持ちはよーく理解できたからな
もう少しその癖直してファッション雑誌でも読め。磨けばお前のようなじゃじゃ馬が光る宝石になるかもしれんぞ?」
「もうッ、適当にはぐらかさないで下さい!おしおきに今日は源氏発祥から、実朝暗殺までみっちり講義してあげますからッ!」
「…それは勘弁」
俺はカフェテリアから脱兎のごとく逃げ出したが、俺より足の早かったチアキに捕まり、歴史探求研究会と言う怪しげなサークルに連行され
不気味に眼鏡を光らせたチアキの先輩とやらに椅子に縛り付けられ、身動きを封じられた挙句の果てに―――――――
…映写機の前に座らされ、三時間近く講義と言う名の拷問を受けたのであった…………………………………
更に二週間後、事件からもう一ヶ月半経ち、俺とチアキは花を持ってある場所を訪れていた
この墓地には山根さんの体が眠っている。つい最近、土砂に埋もれた遺体が見つかって葬られたのだ
彼の遺族は一族だけで手早く葬式を済ませたらしく、俺が遺体の結末を知ったときには彼は墓の下にいた
もしかしたら、遺体の損壊が激しかったのだろう。他の作業者の墓も…無論遺体が見つからなかった野上班長の墓も回り
皮肉にも一番世話になった山根さんの墓参りが最後になったのだった
「山根さんって人。世話になったんですね?」
「ああ、あの人がいなかったら俺はここにはいなかったよ」
祟り神に取り込まれたとき、俺は奴の怨念に同化されかかっていた
幾多の憎悪、怨念は二十年くらいしか生きていない俺の精神をたやすく侵食し仲間に引き入れようとしていた
この俺、大間和磨と言う『個』が消失しかけた時、何者かが呼びかけてきたのだ
幻聴だったのかも知れないし、証拠も出せないが、あれはおそらく山根さんだったと信じたい
あの人はチアキと弓の力が関係していると言っていたようだ。自覚の無いチアキの力が無数の怨念の中から山根さんの意志を汲み取ったのか?
「どんな人だったんですか?」
「優しくて強い人だったよ。仕事でも沢山教えてくれた
お前の写真を見せたら気品があるって言ってたよ。俺にはそう見えなかったけどな」
「……カズ君」
「冗談だよ。どっちかと言うとお前綺麗って言うより可愛い系だからな」
「私がおてんば娘って言いたいんですか?」
「違う!そうじゃなくって…」
案の定チアキが俺の腕を引っ張り始めたので、コイツの無駄に豊満な胸が腕に当たって仕方ない
力ずくでチアキを引っぺがすと上目遣いで俺を見上げ、ふぐのようにほっぺを膨らませた。全くコイツと居ると飽きない
まるで双子の妹が出来たようで退屈しない。結婚しても面白い日々を送れそうだ
小動物を髣髴とさせるチアキはものすごくからかいがいがある……無論、完全に怒らせないよう加減と見極めが必要だが
「あれ、あの女の人も墓参りに着たんでしょうか?」
「あ、ああ。何だか綺麗な人だな」
紫色の着物を着て、紙を後ろで結った上品な女性とすれ違う
少し目元に皺があったが、まだまだ若い。唇に塗った紅の赤さが大人の気品と色気を漂わせている
年齢を推測するに見た目は二十台でも通じる容姿だが、若いうちにあんな上品な雰囲気は出せない。おそらく三十代後半あたりか?
そして良く見ると、そでの裾には土が付着しており、それ以外にも所々汚れている箇所が確認できる
掃除でもしたのだろうか?あの高そうな着物を着たままで
「…………」
見とれていると、チアキが笑顔で―――笑ってはいるがある種の凄みを感じる視線を向けたので、俺は女性から目を逸らす
そして、二人でしばらく坂を歩いていくと山根さんの墓はもうすぐだった
墓石に辿り着くと、花瓶に黄色い花が添えてあった。墓石は磨き上げられ、周辺も綺麗に掃除されており雑草さえ生えていない
「あれ、花が植えてある。でもこの花ってもしかして…」
「知っているのか?何か」
「うん…このツワブキの花言葉はね――――きゃっ!」
ふと、大きな風が吹き上がりスカートが捲り上がったチアキが小さく悲鳴を上げる
少し強いその風は、もしかしたらこの山に住まう神の雄叫びなのかもしれないと、俺は頭の隅で思った
最初にチアキというキャラを考えたときはもう少しお淑やかな性格だったような気がします
彼女は思った以上に個性的になったのでお気に入りですね
ツワブキの花の意味は調べて頂けると判ると思います
感想・評価等ございましたら作者のモチベーション向上の為によろしくお願いいたします
それではよいお年を…