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孤高の天才  作者: 深水晶
第三部 波瀾の幕開け
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第六十三話 トレンチコートの男

 食事を終え、会計をする。ラダーの機嫌は相変わらずあまり芳しくない。私は何回目になるかわからなくなってしまった弁解を口にする。

「すまない、ラダー。本当に悪い」

「もういい。聞き飽きた」

 うんざりした口調でラダーは言って、そっぽを向く。

「私は本当に悪いと思っているのだぞ?」

「だからタチ悪いって言ってんだろ」

 苛立ちを隠さない声でラダーは言う。

「もう別にいいよ。どれだけ謝ろうと、俺には話したくねぇんだろ? 俺じゃ頼りにならないってことだ。仕方ないよな」

 子供扱いされたくないと、以前ラダーは言ったが、そのむくれる姿はどう見ても子供だ。頭が痛い。

「ラダー、あのな……」

「さっさと会計済ませて出ようぜ。店員が困ってるじゃねぇか」

 私は慌てて支払いを済ませる。そして二人で店を出る。外に出た途端、ラダーは急におとなしく無口になった。

「ラダー?」

「……黙ってろよ」

 私が声をかけると、ラダーは低く囁いた。

「何?」

「いいから黙ってろ。一言も喋るな」

 ラダーは厳しい表情で、真っ直ぐ前方を見つめている。その視線の先には、聖書を小脇に抱えて立つ、トレンチコート姿の若い男がいた。男は店から出て来た私たちを注視している。

「ああ、迎えだ。聖書が目印だ」

「……聖書?」

 ラダーは眉をひそめた。

「リック、その取り決めはいつした?」

「先ほどの電話だ。谷崎氏が迎えの者には聖書を持たせて店の近くに立たす、と」

「面識はないんだな?」

「どういう意味だ?」

「あの男からは真新しい硝煙の臭いがする」

 その言葉にぎくりと硬直する。ラダーは淡々と言葉を続ける。

「銃を撃つ時に手袋をしていたようだが、コートの袖口に、その痕跡が残っている。それから、斜め向かいの裏通りに、真新しい死体がある。おそらくは20代半ばの独身男性、風呂は3日入っていないが、浮浪者ではなく中流階級の肉体労働者で、くたびれたワイシャツとスーツを着ている。……なんで、俺、ここまで判るんだ?」

「……ラダー」

 ラダーはトレンチコートの男を真っ直ぐ見つめたまま、機械的に呟く。

「普通の人間に、こんなことが判るはずがない。だとすれば、夢か幻覚、あるいはただの勘違いや思い込みだと判断すべきだ。だけど……さっきから俺の中で、無視できない強さの危険信号が鳴り響いている。逃げられない。既にロックオンされている。背中を見せた途端ズドンだ。俺が見ていることに気付いているくせに、目をそらさない。表情一つ変えない。微動だにしない。俺は丸腰だ。なのに、さっきからあいつに飛びかかりたくてしょうがない。俺はそんなに攻撃的でも無謀でもないはずなのに」

 ラダーはぶるりと身を震わせた。

「俺は、おかしくなったのか? 何なんだよ、これ。被害妄想か?」

「ラダー!」

 私は思わず大声を上げた。ラダーは視線だけを動かし、ゆっくりと私の顔に焦点を合わせた。呆然とした、表情がほとんどない顔。だが、自失したり、絶望したりしてはいない。

「ラダー、私の顔が見えるか?」

 私の言葉にラダーはこくんと頷く。

「ならば、お前は正常だ。安心しろ。恐いのなら、私の手を握っていろ」

「握ってどうするって言うんだ?」

「子供は恐いと思った時や不安な時には、保護者に抱きしめられるか、手を繋がれると、安堵するものだ。その恐ろしさや不安の発端となったものは、そこに変わらず存在していてもな。要は気の持ちようだ」

「つまり手を握ってやるから、安心しろって言いたいのか?」

「あまり頼りにならないだろうが、気休め程度にはなるだろう。騙されたと思って、ちょっとだけ信じてみろ」

「あんた、マジでおかしなオッサンだよ、リック」

「オッサンはやめてくれ。頼む」

 ラダーは苦笑した。多少ひきつってはいたが、確かに笑顔だ。笑える余裕があるなら、まだ大丈夫だ。何とかなる。

「忘れ物したふりで、店内に戻るのは駄目だろうか」

「もう無理だ。不自然なくらい注視してしまった。何より俺自身が、あいつから目を離すのが恐い。あの男に背中を向けるくらいなら、真正面から殴りかかった方がマシだ」

「じゃあ、違う道へ行くのも駄目か?」

「……こちらから近付いても良いか?」

 私の問いには答えず、ラダーは低い声で言った。疑問形だが、目には、はっきりとした意志が見えた。思わず心臓がドクンと跳ね上がった。

「嫌だと言ったら?」 声が震える。

「安心しろ。近付くのは俺一人だ」

 ラダーは、囁くように冷静な口調で言う。一見生身の人間に見えるが、彼は本当は軍用ロボットだ。見た目通り――いや、その倍以上に――頑丈で、強い。だが、私はまだ、彼のそんなところを見たことがない。彼は、見た目は大柄で乱暴そうな若者だが、人間である私以上に、ナイーブで優しい。

「お前に無茶はさせられない」

 私はきっぱりと言う。

「残念ながら、職場を離れたお前は部下ではなく、ただの子供だ。私は、お前を庇護し、保護すべき大人だ。そういうわけだから、お前は何もするな。黙って見ていろ」

「……なっ!?」

 私は無言で、トレンチコートの男に近付いた。

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