第五十九話 脱出口
「本当に判ってるのかよ?」
「危険なことはなるべくしないよう努力するし、絶体絶命のピンチでも諦めずに助かる方法を考えてみるし、なるべく死なないように努力する」
「……なるべくとか、努力とか、なんか不安になるような言葉が混じってるんだけど……まぁ、俺が言いたいことはかろうじて伝わったとみて良いんだな?」
「……たぶん」
「たぶんかよ」
ラダーは大仰な溜め息をついた。
「それで、ラダー。お前を不安にさせたり、危険な目に遭わせて、本当にすまなかった。今後は、お前の身に危険が及ばないよう、戒める」
「……本当に判ってるのか?」
「私が考えなしで不用意だったから、お前にも、谷崎氏にも大変な迷惑をかけた。反省している。これからは独断先行せず、自重する」
「いまいち不安だが、そう本気で思ってくれてるなら、文句は言わねぇよ。ところで、谷崎のオッサンは何だって?」
「迎えのトレーラーを寄越してくれるそうだ」
「信用できるのかよ?」
「お前は彼を信用していないのか?」
「そうじゃねぇよ。谷崎のオッサンじゃなくて、その迎えの方だ」
「どういう意味だ?」
聞き返すと、ラダーは溜め息をついた。
「リック、あんたは本当に人が好いのか、バカなのか。ちっとも他人を疑わないんだな」
「……どういう意味だ?」
「来た迎えが本当に谷崎の言ってた迎えかどうか、確認する方法はあるのかって言ってんだよ」
「……そんなことが必要なのか?」
「さっきの連中があっさり諦めてくれてりゃ問題ないんだけどな。……あんたが、俺より谷崎のオッサンを信用していることは理解できた。確かにその気持ちは判らないでもないよ。俺はガキだし、頼りないと思ってんだろ? こんなことなら、谷崎のことなんか教えなきゃ良かったとか思ってるけど、済んだことは仕方ない。けど、谷崎を全面的に絶対的に信用するのもどうなんだ? あのオッサンは性格悪くて厭味臭いのを別にすりゃ、キレるし、出来るし、味方にすれば心強くて頼りになる大人だと思う。でも、人間誰だって間違いを犯すし、失敗もするんだ。だから、いざって時の対処法や逃げ道ってのは必要だと思うぜ?」
「どういう意味だ?」
「物事を解決するための方策は常に三つ以上用意すること。かなうことなら、千手先まで無数に考えておくことが望ましい――というのが、養父ジョーゼフが、セントラルアカデミー入学が決まった頃の俺にしたアドバイスだ。何か一つに絞ると、それが当てにならなくなったら、あっという間に全部粉々に崩れるからと」
「……君の養父は、頭がとても良かったんだな」
「ああ。日常的なことにはむしろバカといって良かったけどな。俺は天才っていうのは、ああいう人を指すんだと思うぜ。まあ、でもあの人は紙一重だったけど」
「そうか」
「うん。頭は良いんだけど、現実にはほとんどそれが役に立ってないような人だった。俺はおかげで色々苦労したよ」
その時、外で車のエンジン音が聞こえた。
「……来たようだ」
「リック、あんたはここにいてくれないか?」
「え?」
「俺がまず確認する。相手がさっきの連中なら、俺は面が割れてないからな」
「待ってくれ、ラダー」
「なんだ?」
「……さっき、実はお前を見知っている人間が混じっていたとしたら、どうする?」
「俺はヘルメットを被ってたぜ?」
「それでも、私はあの場でお前の名を呼んでしまった。私の交友関係や、お前の身体的特徴から、判明する可能性はある」
ましてやあの場にはルグランがいたのだ。彼なら声だけで看破できる。
「……知り合いがいたっていうのか? あんたはだから、ふらふらあんなところへ行ったと? 言われてみれば、挙動不審だったな」
ぎくりとした。
「誰があの場にいたんだ?」
もっともされたくない質問だった。
「俺も知ってる人間なんだろ? 聞かせろよ。嘘ついたり誤魔化したりすんなよ。俺にだって関係あるんだから」
「……軽率な真似はしないと言えるか?」
「あんた以上に? しねぇよ。するわけないだろ?」
「絶対だな? 相手の顔見ても逆上しないか? せずにいられるか?」
「そうしろって言うなら、そうするよ。っていうか、俺がそうなりそうな相手なのか」
「うむ。名前を言っても良いか?」
「勿体ぶるなよ」
その時、ドアが外から開かれ、男が入ってきた。思わず私は息を呑み、次の瞬間、悲鳴を上げた。
「ルグラン!!」
その瞬間、ラダーは駆け出し、ルグランの胸元に飛び込んだ。
「!?」
一撃でルグランは崩れ込む。
「なっ……何を……!」
「気絶させただけだ。とりあえずそこの長椅子にでも寝させておこうぜ。手伝ってくれ、リック」
「あ、ああ」
ラダーはルグランの上体を、私は彼の足を担当する。
「で、見かけたのはこのオッサンか?」
ラダーが静かな口調で言う。
「ああ、その通りだ。しかし、ルグランは自分の乗用車を使っていなかったはずだ」
「ってことは、外に仲間がいるんだな。表のバイクは見つかってる可能性大だな。バイクは諦めて、表には出ない方が良さそうだ」
「しかし、いつまでもここにいるわけにはいかないぞ」
「裏から出られるか調べてみる。あんたは表から誰か来ないか、注意してくれ。ヤバいと思ったら、知らせてくれ」
「大丈夫か?」
「あんたがやるより確実だろ。おとなしく待ってな」
「……本当に場馴れしているように見えるぞ。落ち着いているし」
「必死で取り繕ってんだよ。それにヤバそうな時ほど冷静沈着さが必要なんだ。ミスしたら命取りだからな。俺は自己コントロールが得意なんだ。まあ、時折考え無しにキレるけど。じゃ、行って来る」
時折というのが、まずいのではと思いつつも頷いた。
「気をつけてくれ」
「あんたこそな」
そう言ってラダーは奥へと消えた。ルグランは良く眠っているようだった。こっそり窓の外を伺うと、乗用車が三台停まっていた。黒服の姿が何人か見える。こちらに来たのがルグラン一人で良かったと胸を撫で下ろす。しかもまだバレていないようだ。が、時間の問題だろう。
そこへラダーが現れる。
「なんとか外に出られそうだぜ」
「表に黒服と乗用車3台がいるが、まだお前のバイクに気付いた風はない」
「そりゃ良かった。じゃあ、裏に回り込まれない内にさっさとズラかろうぜ」
ラダーに連れて行かれたのは男子トイレだった。
「事務所らしいドアは、鍵がかかってたからな。こっちにした」
トイレに外へ出られそうな扉は無い。目の位置の高さにある窓があるだけだ。
「……まさか」
「そうだよ。窓から出るんだ」
「どうやって?」
「簡単だよ」
そう言って、窓を開けると、助走をつけてジャンプして、壁を蹴り付け、更に上へ飛び上がり、窓枠に着地してしゃがみ込んだ。
「さっき鍵は開けておいたんだ」
「……ちょっと待て」
「あ? どうした?」
「私には無理だ」
「え?」
ラダーはきょとんとした。
「私にはとてもそんなところまでジャンプできない」
「手は届くだろう?」
「手は確かに届くが、身体はどうやって持ち上げるんだ。絶対に無理だぞ」
「じゃあ、俺が後ろから押し上げるとか、踏台になるってのは?」
「降りる時はどうするんだ」
「大丈夫。よほど下手な飛び降り方しない限りは、怪我しないよ。この高さなら」
「言われてみればそうだな」
「で、どうする?」
一瞬、逡巡する。
「お前は私をあそこまで押し上げられるのか?」
「大丈夫だよ。俺、腕力には自信あるから」
「……他に方法がないなら、お願いするしかないな」
「判った」
ラダーは頷き、飛び降りた。
多少躊躇いはあるが、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。窓枠に手をかけて、力を込め、床を蹴り上げる。ラダーが私の尻を押し上げる。ようやく片足が窓枠にかかると、ラダーは私の尻を肩で支えながら、もう一方の足を手で支え、窓枠へと導いてくれた。私は窓枠の上部を掴みながら、一度両足を揃え、足を窓の外に下ろして、思い切って飛び降りた。が、尻で着地してしまい、さする羽目になる。
「あんた、不器用だな」
「自分と一緒にするな」
「それはともかくさっさとどいてくれよ。上から俺の全体重かけて踏まれたいのか?」
無論遠慮する。大体、ラダーの体重がどれだけあるか想像しただけで身震いする。慌てて離れると、ラダーは一度窓から離れ、軽く助走を付けると窓枠に飛び乗り、すぐさま外側へと飛び降りる。たん、と着地してにやりと笑った。
「……何も言わなくて良いぞ」
私が言うと、ラダーはにやにや笑いを頬に刻みながら言う。
「鍵はかけられないけど、とりあえず窓は閉めておくぜ」
そう言うと窓を閉めた。
「これからどうする気だ?」
「ヒッチハイクが可能だったらそれもありだけどさ、無難なのは近くで何処か宿を取って翌朝足を確保する事じゃねぇか? 犯罪やっても良いなら、その辺の車盗むけど。すぐ逃げてこの場を去りたいのは山々だけど、足が確保できなきゃ、徒歩はきついだろ? 俺一人ならなんとかなるけど、あんたには無理だろ?」
「すまない、ラダー」
「別に良いって。そんなのあんたに期待してないから。とにかくここは離れよう」
私は頷いた。