第五十八話 怒り
「あの、夜分遅くにすみません。ジーンハイムですが、谷崎誠一郎さんはお休みでしょうか」
「私です。……既に事情は聞き及んでいます。現在迎えのトレーラーを回していますから、それに乗ってこちらへお出で願いますか?」
すごい。さすがだ。手回しも良い。
「ということはやはり、追跡されてたんですね?」
「ええ。あなたが独断・単独で行動なさらなければ、おそらく彼が誰と接触する予定だったのか確認出来ていたはずだったのですが」
すらりと静かに言われた言葉に、思わずカッと赤面する。
「……すっ……すみません!!」
慌てて、受話器を握りしめたまま、頭を下げて謝った。
「済んだことは仕方ありません。それよりあなたとカースが無事だったのが幸いです。お怪我はありませんでしたか? もし怪我をされているようでしたら、知り合いの医者を紹介いたします。口は堅いので、どんな怪我でも問題にはなりません」
「怪我はありません。ラダーのおかげで」
「……そのカースのことなんですが、先方には正体はバレずに済んでいるのでしょうか?」
「え?」
「なんでも、つけさせていた男によると、随分派手な立ち回りをやらかしたそうで。まるで超人的で、人間離れした動きを見せたとか」
「……え?」
言われて思い返す。そう言えば、ラダーは無造作に銃弾を避け、あっという間に敵を――バイクに跨った状態ではあったが、素手で武装した敵を――一人も殺すことなく倒した。
「……あ」
そうか、とやっと気付いた。あれは常人には不可能なことなのだ。普通の人間には出来ないことを、ラダーはいとも簡単に、あっさり実行してしまったのだ。……私のせいで。
「……本当にすみませんでした。私が……」
「あなたを責めているわけではありません。私も迂濶でした。手の者にあなたのことについての扱いや対処を指示し忘れていましたから」
「…………」
やはり私が余計なことをしたからなのだ。
「とにかく詳しい話は会ってからにいたしましょう。そろそろそちらに迎えの者が到着するはずですから」
「本当にすみませんでした。では、後ほど」
「はい、お待ちしております」
電話を切った。
「リック?」
不思議そうにラダーが私を見た。
「……ラダー、君はこういうことをしたのは初めてか?」
「どういう意味だ?」
「おそらく初めてだろうと思うのだが、さっきのような銃撃戦を経験したことがあるのかという意味だ」
「おいおい、俺を一体何だと思ってるんだ。俺はあんたと違って、犯罪者と揉め事起こすような不用意な真似なんかしたことねぇよ。大体まったく、一体何だってあんな連中に絡まれるような真似してんだ? はっきり言って、こっちの方が逆に質問してやりたいくらいだぜ。好きこのんでそうなったわけじゃないんだろ? だったらあんたは一体何してんだよ?」
「お前は……見なかったのか?」
「何をだよ? 銃構えた黒服のおっかないオッサンたちの他に? あんたが思わず理性なくすような、好みの美人でもいたってのかよ? いや、あんたがそんなものに興味持つわけないな。たぶん道端に全裸の美女が転がってても、全く気付きもせずに通り過ぎる男だ」
「……お前は私をバカにしてるのか?」
「あんたは自分が興味ないことは、本当どうだって良い人間だろ」
「どうしてお前はあの場に居合わせたんだ?」
「駅で張ってたんだよ。あんたがシェイルガルム行きの券を買ってたからな。バイクで先回りしてたんだ。けど、あんなおかしな事になるとは思ってもみなかったよ。マジで死ぬかと思った。俺はこう見えても、かなり肝が小さいんだからな。あんまりビビらすなよ」
「……そんな風にはとても見えなかったぞ? むしろ場馴れしているようだった」
「バカなこと言うな! あんなことに慣れてたまるかってんだ。なんかかすったかと思ったけど、幸い服だけだったみたいでラッキーだったけどさ。本当にマジで死ぬかと思ったぜ。っていうか普通あれは死ぬだろ? 後先考えずに突っ込んだけど、アレかなりヤバいって。ケンカはカルディックでさんざんやらかしたけど、銃使うやつなんか初めてだったしさ。当たったらどうしようかと思ったら、小便ちびりそうなくらい恐かったぜ。頼むから二度とあんなことやらかすなよ」
「……アクション映画のヒーローかスタントマンみたいに格好良く見えたのだが」
「全然褒められてるように聞こえねぇよ。むしろ悪い冗談に聞こえるぜ。なんだか本気で首絞めたくなってきた」
「そ、それは困るな。せめて殴るだけにしてくれないか?」
「あんたソレ本気で言ってるだろ?」
「その通りだが」
「……俺の今の気持ちをどう表現すればあんたに的確に理解してもらえるのか考えると、腸が煮えくり返りそうだぜ」
「ラダー、それは何かおかしな文章表現じゃないか?」
「殴って蹴って胸ぐら掴んだくらいで、あんたに俺の気持ちが伝わるなら、今すぐそうしてやりたいんだけどさ、リック。たぶんそれじゃ一生あんたには判って貰えないし、肝心なことがうやむやになっちまうんだ」
「……怒っているのか? ラダー」
「怒ってるよ。けどな、それ以上に俺はあんたのことが心配で不安で、ちったぁてめぇの心配したり、不安がったり、脅えたり、反省してみやがれ!とか思っていて、更に言うなら、俺がこんなに心配したり脅えたり怒ったり不安になったりしてるんだから、俺の心情を察して、なんか上手い事言ってみやがれとか、俺ばっかり振り回されてて理不尽だ!とか思ってることも察してくれると有り難いなぁとか思ってるんだけど、あんたはどう思う?」
「す、すまない」
「……それだけか?」
「いや、謝れというならいくらでも謝る。感謝してるし、申し訳ないとも思っているし、お前がいてくれて良かったとも思っている」
「……俺は生憎口先だけの感謝や反省なんかいらねーんだよ。あんたって男は、本当にムカつくな。見捨ててやりたいけど、それじゃ一生後悔することになりそうだし。頭痛ぇよ。本当に、どう言ったら伝わるんだろうな。俺が何故怒ってるか、理由が判るか?」
「すまない、ラダー。実のところちっとも判らない」
「そうだろうとも。あんたさ、自分の命を何だと思ってる?」
「どういう意味だ?」
「死にたいのかって聞いてるんだよ」
「いいや、そんな風に考えたことは一度もない」
「そうか、そりゃ良かったよ。じゃあ、さっきのあの銃撃戦、俺がいなかったらあんたはどうなってたと自分では思ってる?」
「なんとなく、おそらくだが、あの場で殺されなくとも、近々殺されていただろうな」
「あんたはそれについてどう思う? そうなりたいと思ってた?」
「まさか。そんなことは思わない。人との約束を破ることになるし、まだやり残したことや気になることはいくらでもあるし」
「そういうの抜きで、あんた、自分だけの都合で、心残りとかやりたいことはないのかよ?」
「アイクのことや、リカルドのことや、お前のこと……」
「だから、そういうの抜きであんただけの――あんたが自分に対してやりたいこと、だよ」
「……どういう意味だ?」
私は理解できずに、きょとんとした。
「上手いメシが食いたいとか、上手い酒が飲みたいとか、可愛い恋人とデートしたいとか、そういう望みはないのかよ?」
「上手い酒なら飲みたいといつでも思っているぞ?」
「そうかよ。じゃあ、あの時、それ、考えたか?」
「え?」
「上手い酒が飲みたいから、こんなところでは絶対死にたくないと思ったのか?」
「いいや。たぶん、これはきっともう駄目だと思った」
「あんた、諦めるの早すぎるんだよ! 俺がいなかったら、死ぬ気だったのか!? 俺が飛び込んだ時も、あんた、少しでも自分が助かるために努力したか!? してねぇだろ!? そんなこと思いつきもしなかっただろう!? 死にたくないといくら心の中で思ってたってな、本気で助かりたいと思ってなけりゃ、人間死ぬんだ!! 死にたくなけりゃ、必死であがけ!! 死なないために努力しろ!! 俺はな、今、あんたのそういうところにメチャメチャ腹が立ってんだよ!! 言いたいこと判るか!? これで判らねぇとか抜かしたら、マジで絞め殺すぞ!! このバカ!!」
「…………」
つまり、ぼんやり助けられるのを待っていた私の態度に腹を立てているということだろうか。
「俺は、あんたに死んで欲しくないんだよ」
その言葉にズキリとした。
「ラダー」
「……だから、自分の命を粗末に扱うな。今度、同じことしやがったら、絶対許さないからな」
「判った、ラダー」
私は頷いた。