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孤高の天才  作者: 深水晶
第一部 嵐の予兆
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第四話 研究室の面々

ふざけた話ですみませんm(_ _)m。

「室長、どこか具合でも悪いんですか?」

 私にそう尋ねたのは、研究チームの紅一点、シエラだった。

「いや、いたって健康だ」

 私はごく穏やかに笑って言った。しかし、シエラは納得できないという顔をしている。実を言えば、その質問をされたのは今日が初めてではなかった。最初に、ラダーが来るまでは研究室一番の若手だったアンリ、次に陽気なムードメーカーであるリカルド、心配性のユージン、主任で皆の調整役を買ってくれているロルフが、全く同じ内容の質問をしてきた。何故、そうされるか、自分でも良く判っている。シエラが心配そうに、私と、書庫と研究室を行ったり来たりしている新人ラダーの姿を交互に見ていることからして、明白だ。私のチームには出勤時間というものは存在しない。皆が来たいと思う時間に出勤するというのが、この研究室の暗黙のルールだ。だからと言って、私のチームにたいした理由もなく午後に出勤するような痴れ者はいない。もし、いたとしても、そんな人間は一ヶ月と経たない内に、退職してしまう。退勤時間が決まっていないので、それに合わせて各々が自分で出勤時間を決めるのだ。そのため、当研究室は、二十四時間中、平均十八時間は誰かが在室している。結局、必要ないと主張してみたが、寮監命令で深夜に病院で検査を受ける羽目になり、今日は午後に病院からの出勤となってしまった。その原因であるラダーも、念のため検査を受けたが、私より一時間早く出勤した。そのため、彼の紹介は、私に代わって部長が行った。

 そして、出勤した私は、とりあえずロルフに資料整理を命じられて作業していたラダーの顔を見て、こう告げたのだ。

「今すぐ全員分の珈琲を入れてくれ」

 ラダーは驚いた顔をしたが、抵抗はせず素直に従った。私は彼の代わりに資料整理をし、溜まっていた書類に目を通し、チェックした。それから昨日の続きを始めたのだが、珈琲を入れ終わったラダーに、今度はトイレ掃除を命じて追い払い、それが終わったら、書庫の整理を命じたのだ。ここに至って、私の部下達は何かがおかしいと感づいたらしい。が、誰も、機嫌が悪いのかとは訊かない。具合が悪いのかと尋ねてくる。私は苦笑を洩らした。

「……ジーンハイム室長?」

 シエラは怪訝そうに、私の顔を覗き込む。

「いや、少々頭痛はするが、本当に身体に異常は無いんだ」

 頭痛と聞いて、メンバー達の背中や肩がぴくりと震える。聞いてないふりをしている者も、完全に手を止めこちらを注視している者も、皆こちらの方に聞き耳を立てているらしい。抑えようとしても、唇に笑みがこぼれてしまう。しまいには、シエラが驚くのも構わずに吹き出してしまっていた。

「えっ? ちょっ……室長!?」

 困惑し動揺するシエラを横目に見ながら、笑うのを止められず、噎せそうになる。

「……あの、室長」

 控えめに、けれどもう堪えられないといった表情で、ロルフが立ち上がる。

「何かね? ロルフ」

「すみません、お時間いただいてもよろしいでしょうか?」

 真面目な顔で、少々困惑した口調で、ロルフが言った。

「判った。会議室へ行こう」

 研究室の隣に、小さな我々専用の会議室──部屋というよりは部屋の一角を可動式の壁で区切った区画といった方が正しい──へ向かった。そして、そこにある円卓の周りに置かれた椅子の一つに座る。おそらく壁には耳がついているだろうと思いながら、口を開く。

「で、話と言うのは何かね?」

 我ながらわざとらしい、と思いつつ促した。

「……カース・ケイム=リヤオス=アレル・ドーン=ラダーのことです。それと今朝、あなたが病院で精密検査した経緯と結果について。お聞きしてもよろしいですか?」

「それが聞きたくて、声をかけたんだろう?」

 にっこり笑って言うと、ロルフは困ったように眉を僅かにひそめた。

「……こうしていると、いつも通りの室長に見えるんですが……」

「私はいつもと全く変わらないよ」

「嘘です」

 きっぱりとロルフは否定した。

「単刀直入に聞きます。じゃないとはぐらかされそうなので。昨夜、我々が帰宅してから、何があったんですか? 昨日の朝、部長に呼ばれて退室して、戻ってきてから何か考え事をされていたようですが、そこまでは別段異常は感じませんでした」

「……『異常』かね?」

「ええ、『異常』ですよ。室長は、特定個人に対して故意に嫌がらせしたり、いじめて喜んだりするような人ではありませんから」

「私が、特定個人に対して故意に嫌がらせをしたり、いじめて喜んでいると言うのかね?」

「……本当にそうだとは思いませんし、思いたくもないんですが──僕は室長を尊敬していますし──ただ、何も知らない人間にはそう取られかねない言動をされてらっしゃるように思えるので……」

「私がそういう事をする人間だったら、どうする?」

 そう言うと、ロルフは驚いたように目を見開いた。

「嘘でしょう!? 室長は絶対にそんなことはしません!!」

 ロルフの悲鳴のような叫び声は、会議室の薄い壁をビリビリと震えさせた。壁の向こうの耳達の悲鳴や呻き声、ひそひそと囁く声まで聞こえてくる。どう考えてもこの可動式の壁は、必要ないのではないかと思う。可動式だから、このスペースを広くも狭くもできれば、まるきり無くしてしまうこともできるという利点はあるが、こんなにも互いの音が筒抜けでは、仕切る意味がないのではなかろうか。

 狼狽した様子のロルフは、突発的に荒くなった呼吸を整えるために、深呼吸した。

「……室長」

 改まった口調と表情で言う。

「何かね?」

「悩みがあるなら、話して下さい。アダム部長にまた何か無理難題を押しつけられたんですか? 室長の悩みは私の悩みでもあります。どうか、迷惑だとか心配かけたくないとかいった理由で、隠すのはやめてください。付き合っていた恋人に振られたとか、故郷に残してきた母親の病気が重くなったとか、そういった事も悩んでいるなら是非話してください。僕は室長の心配をしたいんです。是非させてください。無理して笑おうとしなくて結構です。大体、室長は常日頃無理をしすぎなんですから、悩みやストレスは溜めずに相談してください。水臭いですよ」

 ……随分話が脱線しているのだが。

「……残念ながら、私には付き合っている恋人は過去にも現在にも存在しないし、両親は既に二人とも亡くしている」

「えっ……!? あ、その、すみません! 大変失礼いたしました」

 ロルフは深々と頭を下げた。

「いや、そんな風に恐縮されても困るのだが」

「ご不快ですか? ご不快ですよね。すみません。父母にも常々、お前は落ち着いているように見えて、実はおっちょこちょいだと叱られているのですが、生来の性癖というのは困ったことに、なかなか直りませんで……」

「別に、そんなことは気にしていないよ」

「そんなに優しいことをおっしゃらないで下さい。穴があったら入りたくなります」

 ……どうしろと言うのだろう。少々途方に暮れそうになった。

「失礼します」

 選手交代、と言わんばかりにユージンが入ってくる。ロルフが救いを求めるように、ユージンを振り返る。ユージンが部屋に入ってくる際に、リカルドの黒髪がちらりと見えたが、予測済みだ。

「すみません、室長。不躾ですが、精密検査の結果を教えて下さい。皆、それが気になって仕事に手がつかない状態なんです」

 それだけではないだろうと思ったが、私は穏やかに微笑んで答えた。

「心配いらない。昨夜、少し頭を打ったから、大事を取って検査しただけだ。軽い脳震盪を起こしたのだけれど、それというのも、このところ不摂生したり、睡眠不足が続いていたからじゃないかと思う。医師にも心配いらないだろうと言われたしね。ついでに睡眠薬も処方して貰ったから、心配いらない。ちゃんと肉眼では見えない奥の奥までしっかり診て貰ったから、大丈夫だ。余程の不運か医療ミスでもない限り、命に別状はないよ」

「い、医療ミスがあったらどうするんですか!!」

 途端にユージンは狼狽し、蒼白になった。

「CTスキャンしなかったところに脳腫瘍があって、それに気付かないまま放置して、室長のことだから頭痛があっても全く気に止めずに、安易に市販の鎮痛剤や風邪薬を飲み続けて、そのうち手の施しようのない状態にまで悪化したりしたら……っ!!」

 更に壁の向こうで悲鳴や呻き声、または別の客観的意見が呟かれる。ユージンにつられてロルフまで青くなっている。そこへ更に、リカルドが入室してくる。

「すみません、室長。率直に質問してもよろしいですか?」

 ……まさかこの調子で、全員が入室して来るんじゃないだろうな、と思いながらも、頷いた。

「うむ、何かね?」

 と言いつつ、質問の内容はおおよそ予測がついている。

「昼休みに変な噂を聞いたんですが、昨夜遅くに、新人のラダーとジーンハイム室長が、殴り合いの大喧嘩をしたというんですが、本当ですか?」

 とても信じられないと言いたげに、眉根を寄せて、取り繕ったような真顔で、リカルドが詰問してくる。

「殴り合いの大喧嘩は大袈裟だな」

 私は苦笑した。するとリカルドは大きく眉を上げた。

「え、まさか……っ」

「私が彼を殴り、彼が私を殴り返したのは本当だ。とてもつまらない些細な理由で、人に話すような内容じゃない」

「えっ、いや、でも……室長が人を殴るなんて、そんな話初めて聞きましたよ。って言うか、俺、室長が人並みに怒る事があるだなんて、初耳です!」

 私は苦笑した。

「……リカルド、それじゃ私は何があっても怒りを覚えてはいけないのかね?」

「あっ、いえ、違います! あの、その、ジーンハイム室長と言えばアストの良心、聖母マリアの生まれ変わりとの評判で、仏のジーンハイム、鬼のルグランと、並び称されるくらいにですね……」

「ルグランは鬼と呼ばれているのか、それは気の毒だな」

 ルグランは私と同期で、我が社の稼ぎ頭だ。彼が考案し、陣頭に立って指揮し、開発・実用化した簡易作業用ロボットのプランは、実用化されて六年経った今も現役だ。細かなプランは部下に任せているようだが、根幹となるシステムの修正、更なる向上を目指した新システムの開発などには中心となって、精力的に働いているらしい。彼の月給が噂通りだとすれば、私の年収の八割にも及ぶ。同期入社と言えど、雲泥の差だ。彼の立場なら、私などと同列にされたくないだろう。

「あぁっ、すみません! そ、その俺……つ、告げ口しますか?」

 狼狽し、動転するリカルドに、私は微笑む。

「いや、ルグランとは同期だが、告げ口できるほど親しくはないからね。もし、できたとしても、そんなことは絶対しないよ。逆に私が彼に叱られるからね」

 リカルドは大仰な呻き声を上げた。そこへ、コンコン、とドアがノックされる。

「はい?」

「あ、あのアンリです。そ、その、すみません、入室してよろしいですか?」

 駄目だと言われたらどうする気だろう。どのみち内緒話にはなっていないのだから、内でも外でも変わりはない。言いたいことがあるなら、その場で話してくれても良いくらいだ。どのみち筒抜けなのだから。

「どうぞ」

 そう言うと、控えめにドアが開かれ、おずおずとアンリが入ってくる。中へ入りながら横目で、呻き声をあげているリカルドと、二人で怖い想像しては怯え合っているロルフとユージンを見遣りながら、溜息をつく。その気持ちはなんとなく判る。私のチームのメンバーは皆善人であることは間違いないが、時折頼りなく感じることもある。なんというか、何か、偏り過ぎているのではないかと思うのだ。何がどうとは、上手く言えないのだが。

「あの、そ、その……」

 アンリはとても言いにくそうだ。足をむずむずと動かしている。

「うん? どうした、顔色が悪いようだが。トイレに行きたいようなら、こちらはその後でも良いんだよ」

「い、いえ! 違います!!」

 真っ赤になってアンリは叫んだ。甲高い声が、キンキンと壁や天井に跳ね返り、響き渡る。ロルフ、ユージン、リカルドの三人は慌てて耳を塞いだ。私は塞ぎ損ねて、まともに聞いてしまい、小さく悲鳴を上げた。

「あ、あの! すみません!! え、ええと、その……」

 アンリは顔どころか耳や首まで朱に染まった。

「……し、新人のラダーが、し、室長の『夜の行い』について、とても失礼な言動をしたというのは、本当でしょうか!!」

 その瞬間、私は呆気に取られて、ぽかんと口を開いてしまった。

「…………」

 室内を重たい静寂が支配する。私は目の前の世界がぐるぐると回り、思わず机の上に突っ伏した。

「わぁあっ! し、室長!!」

「大丈夫ですか!? 室長!!」

「アンリ、バカ!! お前なんちゅー言い方するんだ! もっとソフトにオブラートに包んで、遠回しに聞けよ!! 打ち合わせと全然違うじゃないかっ!!」

 ……つまり、わざわざ打ち合わせまでしたというわけだ。頭が痛い。なんだかもう、このまま顔を上げずに済ませたくなってきた。済んでくれないものだろうかと、心底思った。

「失礼します」

 凛とした涼やかな女性の声が部屋に響く。顔を上げなくても判る。シエラだ。……ああ、顔を上げたくない。目を見られるのも嫌だが、それ以上に今の表情を見られたくない。

「すみません、バカな男が、ちょっと不適切で恥知らずな世迷い事を口にしましたが、室長は気になさらないでください」

 ……それはたぶん無理だと思う。私は、机の上に突っ伏したまま、ぐうの音も出ない。

「不都合でなければ、そのままで結構ですので、聞いてください。彼らは、失礼にも、おかしな噂話や憶測をそのまま鵜呑みにして、混乱しおかしな言動をしていますが、私は室長を信じています」

 私は机の表面の木目を数えながら、さて、どう信じてくれているというのだろうと思った。

「私は、室長が夜な夜な異常性愛に耽ったり、夜中に街を徘徊して見知らぬ男達に殴る蹴るなどの暴行を加えて興奮したり、十代の少年を手篭めにして殺傷するような最低最悪の極悪非道な人間だとは、考えたこともありません」

 ……ちょっと逃げても良いだろうか。なんだか、泣きたくなってきた。『人の噂も七十五日』という格言が古代とある一地方で使われていたらしいが、そんな内容を噂されるのを、果たして七十五日も我慢できるだろうか? とても自信がない。断じてない。何がどうなって、そういう話になったのか、犯人がいるというなら、是非問い質したい。そこまで言われてしまうほど、私は他人に嫌われているのだろうか。同期のルグランにだってそれほどまでに嫌われているとは、思いたくない。もっとも、彼は私など歯牙にもかけていないだろうが。

「しかし、実際、ここまでひどい噂が横行しているとなると、実際何があったのか、彼らが不安になるのも無理はないと思われます」

 なんだか雲行きが怪しくなってきた。

「お願いします、室長。心に恥じるところが無いならば、是非私たちだけで結構です。真実を教えて下さい」

 ……それは、信じてくれていると、思って良いのだろうか。私はこの上なく落ち込み、凹み、めげて、悩んだ。今更真実を告げても、誰も信用してくれないような気がしてきたのは、気のせいだろうか。

「……あのさ」

 そこへラダーの声が割り込んだ。びくりとして顔を上げる。すると、不機嫌そうでありつつも困惑した顔のラダーと、視線が合った。しかし、すぐに視線は反らされる。

「……確かに昨夜は、虫の居所が悪くて、くだらない口喧嘩をして、殴られたり殴ったりしたけど、そんなに大仰な内容じゃねぇからさ」

「…………」

「口の利き方が悪いだの、態度が悪いだの言われて、頭キたから、一晩経ったら言い過ぎだったかなと思わないでもない暴言吐いて、そこの室長キレさせたのは事実だし、殴られたからって、ヤワなオッサン相手に本気で殴った俺もバカだしマズイし問題あるけど、どっからどうなって、そう……異常性愛だの暴行だの殺傷だのって話が出てきたのかちっともわかんねぇし、それがもし俺の暴言のせいだとしたら、すげぇ悪ぃかなとか思うんだけど、それ以前に何か物凄くおかしくないか? あんたたち」

「は?」

 私以外の室内にいたメンバーはきょとんとする。

「……信じてるとか言いつつ、実はちょっと信じてないか? そのおかしな噂話ってやつを」

「…………」

 室内はしぃんと静まり返った。今度こそ、私は机の上に轟沈した。

この物語の登場人物の名前を設定した際、個人の方が運営する以下のサイトを参考にさせていただきました(特に研究室の面々)。


「欧羅巴人名録」

http://www.worldsys.org/europe/


なお、エリック、カース(ラダー)は適当です。

特にカースは人名を意識していません。

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