第四十四話 負けず嫌い
「なんか、誤魔化されてる気がしないでもないけど、ま、いいや。あんまり良くもないけど……話したくなったら、俺に話してくれるか? リック」
「ああ、そうだな」
話す気など毛頭ない。だが、私は頷いた。
「なら、いいや。ところで本当に俺の養父と会ったの?」
「直接ではない。谷崎氏を通じて、映話で話した。居場所は判らない。教えてはもらえなかった。次はいつ連絡つくかは不明だそうだ。しかし、二度と仲介してもらえない可能性の方が高い。君の養父は、他人に対する警戒心が、とても強い人のようだな」
「……ああ、それはあるかもな。子供みたいに無邪気なのかと思えば、時折妙にかたくなで。……あんたに良く似てたよ」
「……谷崎氏にも言われたが、絶対似ていないぞ?」
「表面的なところはちっとも似てないさ。でも、ねっこの部分はそっくりだ。なんて言うかさ、普段は頼りなくて、世話してやらなきゃどうしようもなく見えるのに、時折何か覚悟を決めたり、思い込んだりすると、梃子でも動かないんだ。そういう時は頼もしくも見えるし、恐ろしくも見えるし、とても危なっかしくも見える。極端から極端へ走るところなんか、まるで生まれ変わりか、実の兄弟みたいだ」
「……兄弟?」
「ああ。養父は、実は代々法務関係の仕事をしている旧家名門の出なんだけどさ、ちょっとそれから外れてるやつで、最終的にも、折角入ったセントラルアカデミーを途中で退学しちまったりで、実家には勘当されたんだ。で、養父と関わりがあった身内ってのが、先日話したライオネルなんだ。ライオネルってのは、養父とは母親の違う弟でさ、元シャンソン歌手のエリザベスって知ってる? 俺は彼女の旧姓は知らないんだけどさ、すっげぇ美人なんだ。あんたに似た感じの金髪かな。って俺は写真でしか見たことないんだけど。それに、彼女は俺が生まれる前に死んでるからさ」
「すまない、私はシャンソンには興味がなくて」
「ああ、そうか。あんた、自分の興味がないことはさっぱりだもんな。悪かった」
「そのライオネルという人とお前は親しいのか?」
「いいや。実は一度も会ったことがない。だが、電話で話したことは何度かあるぜ。なかなか良い感じの人だった。養父に取り次ぐまでの数分くらいしか話したことねぇけどさ。そう言えば、家を出てからは、一度も話してないな。けど、彼なら養父のことを知っているかもしれない」
どきりとした。
「ラダー、お前は彼の連絡先を知っているのか?」
「いいや。残念ながら、全く知らない。番号案内に問い合わせたら判らないかな?」
「同姓同名なんて、山ほどいるぞ。砂の山の中から、一粒の砂金を探すようなものだ。私が谷崎氏からなんとか聞き出してみよう」
「……できるのか?」
「任せてくれ。ただし、相手の都合もある。今日はこれから来客があると言っていたからな。少し時間を置いて、都合の良さそうな時間に連絡してみようと思う」
「そうか。ところで、リック。今、俺に何か隠し事しなかったか? 呼吸が今ちょっと乱れたみたいだったけど」
「耳が良いんだな」
「ああ。目も良い方だけど、耳と鼻はそれ以上に良いぜ。時折犬みたいだって言われるくらいだ」
「それはすごいな」
「そうか? でも、あんまり役には立たないぜ」
「十分役立っているように見えるが。まあ、それは主観によるか。とりあえず卑下したり、悲観するようなことはない。ラダー、お前は、人の役に立ちたいのか?」
「養父がそうしろって言ったからね。俺にとって、養父の言葉は絶対なんだ」
どきりとした。
「……どんな内容でもか?」
「言っておくけど、養父の言うことでも、あまりにもバカらしいこととか、ふざけた内容なら、聞いたりしないぜ。それについては実際間違いないと思えることだけだ」
「じゃあ、誰かが、養父の言葉だと言って、お前の養父の言葉を預かってきて、その内容に納得するのか?」
「他人の言葉なんかそう当てにできるかよ」
「では、他人ではなく、良く知っている人間なら?」
「あんたは俺を試しているのか? リック。もしかして、養父の言葉だと言われたら、誰の言う言葉にも従うとか? 俺はそこまでバカでもボケでもないぜ。俺を子供だと思っているのか?」
「いいや、そうじゃない。だが、失礼な質問だった。すまない、ラダー。だが、あまりにもお前が無防備に見えて、ひやりとした。確かにお前を信用しなさすぎたと反省している。お前は本当に優秀だな」
「あ? 気色悪いな。なんだよ、それ。あんた、俺をベタ褒めして、何を企んでるんだ? それとも、さっきの俺の指摘が図星で、煙に巻こうとしてる?」
「いいや、そういう意図はなかった。ただ、少し気になったからだ」
「……あんまり腑に落ちないけど、まぁ、いっか。あんた一応本気で言ってるしな。しっかし、本当にあんたと話してると気が抜けるぜ。谷崎のオッサンとは別の意味で疲れるかも」
「疲れるのか?」
「ああ。でも、いいよ。なんか慣れてきちまったからな。なんとかあんたのペースにも慣れてきたとこだし。時折やっぱ呆れたり、驚かされたりするけど、それでもいいかと思えるようになってきた。本来、俺は気になることは、とことん追求し究明するタチなはずなんだけどな、あんたはもう最初からそういうふうに出来てるんだと諦めてるよ。あんたのことは判りそうで判らない。でも、それが良いんだって気もする。いずれは絶対理解してやるって思ってるけどさ、それが十年でも二十年先になっても良いと思ってるんだ。その前に異動になったりするかもしれないけどさ、あんたとあんたのところの研究員とは、できれば一生付き合いたいよ。まだ完全に理解はできてないけどさ、あいつらなら、一生涯の友人になってくれるって、そうなりたいって思うんだ。だから、早く役立てるようになって、本当の仲間になりたい。同じ仕事が遜色なくできるようになったら、もっと、対等に扱ってもらえるだろう?」
「ラダー、お前はそう思うのか?」
「ああ。俺はどうも負けず嫌いみたいでさ。悪くない扱いなんだけど、今って俺、手加減されてるだろう? そういうのって、まぁ現状では仕方ないんだけど、なんか悔しいっていうか、淋しいっていうか、我慢できないんだ。皆が俺に優しくしてくれるし、それはメチャクチャ嬉しいんだけどさ、俺はやっぱり、多少乱暴な扱いでも良いから、対等に扱って欲しいと思うんだ。たぶん皆は優しいだけなんだけどさ、俺、どうしても子供扱いされてる気がするんだ。わがままで、被害妄想なだけかもしれねぇけど」
「……そうか」
皆が、ラダーに優しくする理由は単純だ。彼らが基本的に善良だからだ。しかし、それだけではない。
「ラダー、お前が私のところへ来る前におそらく聞かされただろうが、お前が来る以前に配属された新人はほとんど一〜三週間くらいで音を上げて、配置転換を願うか、出勤しなくなるか、退職してしまったんだ」
「あぁ、聞いたぜ。だからちょっとビビったけど、来てみたら全然たいしたことないから、別の意味で驚いたぜ。まさか、そいつらって、シエラにいびられて追い出されたってんじゃねーよな? 確かにあの人キツイし、プレッシャーだけど、慣れたら恐いけど、さほど脅威ではなくなってきたかも。とりあえず、真面目に一生懸命仕事してれば、愛想も良いし。ま、良すぎてすげぇ困るけど。でも、あの人、口だけだろ? それでもまぁ十分脅威だけどさ。新人が辞めちゃうくらいすごいのか?」
「それもある。が、それだけじゃない。リカルドはああ見えて好き嫌いが激しくて、嫌いな人間とは一言も口を利かない、割に神経質でかたくなな男なんだ」
「ぇえっ!?」
「口数は多いが、基本的に文句や愚痴は言わないがな、それにつけ込んで甘え過ぎると無言で切られる。天才肌で感覚的なようで、実はかなりの努力家で真面目な男だから、不真面目な人間に対しては、結構手厳しい。時折来る痛烈な皮肉に、次の日から出勤して来なくなった新人が1人だけいた」
「…………」
「ロルフは誰にでも優しい。面倒見も良い。だが、以前一人だけ匙を投げたことがある。といっても、彼が何かしたわけじゃない。彼があまりに優し過ぎたために、相手が勘違いしてしまったんだな」
「つまり気があるって思われたのか?」
「簡単に言えばそうだ。一時期はストーカーされてな、ロルフは一時期ノイローゼで、ほとんど仕事ができなくなった。神経が細く、また本当に心根の優しい男だからな。相手がそうなったのも、自分の責任だとひどく気に止んだ。だから、私が間に入って、悪役になったのだ。その新人は自主退職した」
「…………」
「アンリは内気な性格だ。実はシエラとアンリは、仲が悪そうに見えるだろうが、アンリはともかく、シエラはあれで、四六時中アンリの事を気にしてるんだ。シエラは口はあの通りだが、意外と優しく面倒見が良くてな。真面目過ぎるほど真面目で、力が入り過ぎるほど力が入っている。しかし、直接指摘してもあまり効果はないのでな、時折声をかけて、適度にリラックスさせるよう心がけている。ともかく、シエラは無論不真面目な人間や、仕事のできない人間には、かなり手厳しいが、もっと手厳しいのは、たいした理由もなく他人をいじめたり、嫌がらせしたりする人間だ。アンリをいじめた後輩の珈琲カップにミミズを入れて出したことがあってな、その男はミミズがこの世で一番大嫌いという人間だったので、ひどい騒ぎになった」
「……まさか、知っていてやったのか?」
「他に珈琲にそれを入れる理由はあるまい。一時は訴訟の話まで出て、仲裁するのに苦労した」
「……うわぁ」
「そういう経緯を見てきているからな、お前の今の現状は、非常に順調だし、この上なく上手くいっていると思うのだが、ラダー、お前はどう思う?」
「そんなすごい話と比較されてもな、あまりに現状と違ってるから、参考にならねぇよ」
「しかし、自分の待遇が破格で、恒常的なものではないとは理解できるか?」
「したくはないけど、しなきゃならないのか?」
「上司としては、自分が目をかけている新人が、部下の皆に好かれ、可愛がられていて、上手くいっているのを見るのは、結構幸せで満足できることなのだがな」
私が言うと、ラダーは真っ赤に顔を染めた。
「え? なんだって? 目をかけている?」
「うん、どうした? 真っ赤な顔して。何か私はおかしなことを言ったか?」
「……くそ、今の最高のおだて文句だよ。あんたに人をおだてさせたら、最強だな。たちうちできねぇよ。俺は、おだてに弱い男なんだから、ちったぁ加減してくれよ」
「…………」
「ところで、あんた昼飯食った?」
「ああ。食べて来た」
「俺はまだなんだ。珈琲だけで良いから、つきあってくれないか?」
ラダーの言葉に頷いた。