第三十七話 ハートの位置
「本当にありがとうございました、ジーンハイムさん。それにクォートさん。おかげで今まで判らなかった色々な事が、だんだんと見えてまいりました」
「俺はあんたがまだ何か隠してるように思うんだがな?」
ジェレミーの言葉に、谷崎は苦笑した。
「ご安心ください。私が現在調べたことや知っていることに関しては、全てお話したつもりです」
「……だと、良いがな。あんたは、ルグランという男がどこの金融業者から金を借りたのか、話してないよな? おそらくルグランという男は自分が非合法な金融業者から金を借りたなどとは吹聴しまい。エリート志向が強くてプライド高い男であるなら、なおさらだ。すると、あんたはどうやってそんな情報を得る事ができたんだ? ルグランは今でも金に困って借金しているのか?」
「まさか! そんなはずはないだろう。彼の月収は噂が正しければ、私の年収の八割だ。それが違っていたとしても、そう違いはないはずだ」
「ちなみに具体的に数字はいくらだ?」
「五十〜六十万連邦ドルだ」
「……って事は逆算するとお前の給料、俺より低かったんだな。大会社で役職付きなのに……」
「仕方ないだろう。業績が全くないからな。ベイリー社長のお情けで、私の部署は存続しているんだ。次期社長のジェンソン専務の代になる前に、なんとか形になるものを作っておかないと、我々の研究室は潰されるか、他の研究対象を選択するか、最悪、全員くびという事態も考えられる」
「……その割にはのんびりしてるな」
「悩んでいても仕方がない。それにジェンソン専務の社長就任は少なくともあと十年から二十年後だ」
「……すみません、ジーンハイムさん。今、ジェンソン、とおっしゃいましたね? その方のフルネームを教えてくださいませんか?」
「はい、ギルバート・ジェンソン。アスト社の専務取締役で、現社長であるベイリー氏の夫人の弟に当たる人物です。谷崎さん、もしや、何かご存じなのですか? あの、ラダーが……カースが、暴力事件を起こして、アカデミーの学園長に呼び出された時に、彼が同席していたという話は聞きましたが」
「私の調べでもそうなっています。……ジェンソン氏は、しばしば、ルグランと接触・交渉している人物の一人です。彼が専務取締役である事は知っていたのですが、次期社長になる予定なのですか?」
「はい。正式にはまだ未定ですが、ほぼ確実だと社内では噂です。ベイリー社長夫妻の間に子供はおりませんから」
「そうですか。とすれば、何故、彼が、ルグランのような男を支援するのか、謎ですね」
「そう、ですね。言われてみればそうです。もし、ルグランが後ろ暗い犯罪などに関与しているとしたら、彼がそのような人物に近付くのは自殺行為だと思います。黙っていてもアスト社の社長の座が転がり込んで来るのですから。それに、二人の役職には、あまりにも隔たりがありすぎます。年齢も十四歳も離れていますし、姻戚・親戚である可能性もほとんどありません。……とすると、互いに何か利害関係があるとしか考えられませんが……ジェンソン専務ともあろう人が、犯罪の可能性を知っていて、そのような事に手を出すとは思えません。とすると、ルグランに騙されているか、利用されているか……」
「それが、偏見や思い込みでないと、断言できるか?」
ジェレミーの声に、ぎくりとした。
そして、首を振る。
「……いいや。今のは憶測だ。私はルグランが嫌いだからな。つい、口が滑ってしまった。……たぶん、今のは私がそうだったら良いなと思っていたことだ。ジェンソン専務ともあろう人が、そんな犯罪に手を出すはずなどないと信じたいのだ。希望的観測だ。将来の上司──雲の上の人だが──に夢を見ていたいだけだった」
「気持ちは判る。俺も同僚が犯罪や収賄に手を染めているとは信じたくない」
「……そうだな。そういうものだ。でなければ、やってられない」
「私は部外者ですからね」
谷崎は言った。
「ジェンソン氏の役割は、ルグランへの資金提供です。なんのための資金提供かは不明です。ジーンハイムさんの言う通り、騙されているのかもしれませんし、利用されているのかもしれません。脅されているということだけはありません。が、それ以外の可能性も、脳裏にとどめておいてください」
「…………」
「勿論、この件はいまだ調査中ですので、なんとも申し上げられません。判り次第、ご連絡いたします。ジーンハイムさんや、カースの身にも影響がないとは言い難いですからね。しかし、五十〜六十万連邦ドルも貰っている人が、新たに資金提供を受けているとなると、どの程度の金額が動いているのか。ルグランはいささか軽率な人物で、自分が疑われチェックされているとは露程にも感じていないのか、非常に無防備なのですが、ジェンソン氏のガードは非常に厳しく、決定的な証拠・状況を見せようとしないのです。ジェンソン氏が有能というよりは、その秘書兼ボディーガードの男が切れ者でしてね」
「その秘書に関しては、ラダーも何か言っていたな……参考になるような事は何も言ってなかったが。しかし、私は実は彼と面識がなくて、名前や正式な役職は社内で調べないとちょっと判りかねます。すみません。お役に立てなくて」
「いえ、かまいませんよ。十分参考になっていますから。彼の名前はガードが堅いために、姓の方しか判ってないのですが、デュバルという男です」
「……デュバル……」
「この男に関しては、私にお任せください。社内での役職やフルネームがそちらで正式に確認できるというのなら、非常に有り難いのですが、私は、彼がそのような人物とはとても思えないのです」
「え?」
「……彼は元軍人です。それも、この国の軍ではない。おそらく、隣国のファルゴット旧政権の関係ではないかという疑いがあります」
「何故……そう思われるのですか?」
「それについては、現在時点で公表できる状態ではありません。確認が取れていないので。ただ、闇ルートで非合法の物資を旧ファルゴット政権の残党達とやり取りしている可能性があるとだけ、お教えしましょう。しかし、まだ疑いがあるというだけです。違うという可能性もあります。しかし、十分ご注意ください」
「『非合法の物資』とは聞き捨てならないな? 一体何だ?」
「それは……『古代遺産』の兵器類、です。しかし、現時点では全く確認が取れていないのです」
「……それこそ、警察か、でなければ軍の仕事じゃないか? 何故あんたのような一般人がしゃしゃり出ているんだ? どうして通報しない?」
「……それは……」
言いよどむ谷崎に、私は言った。
「もしや、シュナウザーという男が関係している?」
その言葉に、谷崎はぎくりとした顔をした。
「なんだと!?」
ジェレミーは激昂した。
「そりゃ、さっきの収賄・強盗の話よりも、重大な犯罪じゃないか!! そんなっ……なんでっ……!!」
「……おっしゃりたい事は、判らないではないのですが、疑わしいだけでは、犯罪として取り締まることは出来ません。少なくとも、法治国家では。……違いますか? クォートさん」
「しかし……しかしだな、これは……警察組織だけじゃない、国に、国民に対する、犯罪だ。まさか、その兵器類というのは、先の強盗事件──カーティスという男の家から盗まれたものじゃないだろうな!?」
「盗掘は各地でありますよ。それ以前に、法も学問もきちんと成立されてない現段階では、発掘と盗掘の違いすら明確ではありません。許可を申請する必要はありませんから、見つけた者が早い者勝ちとばかりに、発掘し、見つけた物は総取りという状況です。よろしければ、『崩壊』前文明研究家で信頼性の高い人物をご紹介いたしましょうか」
「はい。できればお願いします」
「では、紹介状を書きましょう。……彼の名は、ヘルベルト・ノーマンです。ジョーゼフの学者仲間であり、私の知人でもあります。実は、我々はセントラルアカデミーの同窓生でしたので」
「セントラルアカデミー出身なのですか? それはすごい」
私は三流大学出だ。別にそれに劣等感などはないが、それでも、セントラルアカデミー出身と聞けば、やはりすごいと思う。あの、優秀だと言われているルグランでさえ、セントラルアカデミーには入学できなかったのだ。どうも、セントラルアカデミー出身と聞くと、非常に優秀というイメージが抜けきらないし、それが一般的な反応だと思う。
谷崎は苦笑した。
「しかし、カースもセントラルアカデミー出身なのですよ?」
「ああ……でも、しかし、あなたは人間です」
「……セントラルアカデミー出身というのはですね、実のところ、脅しや肩書きの飾りにはもってこいなのですが、あまりそれほど役には立ちませんし、セントラルアカデミーを入学・卒業したからと言って優秀だというのも、言い伝えのようなものだと思いますよ?」
「しかし、実際、入りたくても入れない人間がほとんどです。学者であれば、一度はセントラルアカデミーに憧れるものです。あなたは、それがご自分の出身校だから、卑下なさっているのでは?」
「……いえ。我々三名はどちらかというと、セントラルアカデミーの落ちこぼれでした。無事卒業できたのは、私だけで、あとの二人は途中でドロップアウトしてしまいましたから」
「……え?」
「……まあ、二人とも勝手に『崩壊』前文明研究に熱中して、遺跡を見つけたと言っては、授業を放り出しては発掘に行くような連中でしたからね。単位もろくろく取らないのでは、放校処分も無理なかったかもしれません。ちなみに、私は彼らの代返係を担当していたのですが」
「……その、つかぬことをお伺いするのですが……もしかして、三人とも同じ学部だったんですか?」
「そうです。三人とも法文学部でしたから」
「……法文の学生が、遺跡発掘……?」
思わず、眩暈を感じた。
「無論、最初からそうだったというわけではないのです。ただ、彼らはかねてから、『崩壊』前の文明に興味を抱いていた。そして、このセントラルアカデミーで、シュバルツ教授に会ったのが、運のつきでした」
「シュバルツ教授?」
「今はもう亡くなられましたが、我々の恩師です。私は、どうしてもそこまで興味は抱けなかったので、無事卒業できましたが、シュバルツ教授の実家がある日、土砂崩れで崩れ、その庭の一部から『古代遺跡』が発見されたのです。最初は教授に頼まれて、いやいや掘りに行ったのですが……」
「……そのままはまってしまった、と?」
「そこで、人と会話のできるコンピューターと出会ったです。しかし、既に耐用年数を過ぎており、復旧することもバックアップを取ることも適わぬまま、動力切れで電源が落ちて、以来、うんともすんとも言わなくなってしまいました。古代人ならば、復旧方法を知っていたかも知れませんが、我々にその知識も技術もありません。しかし、そのコンピューターとの会話に二人とも深い感銘を受けて、天命だと言いだしたのはジョーゼフで、この道を究めて体系化すると言いだしたのが、ヘルベルトです。私はそれを呆れて傍観していた、といったところでしょうか」
「…………」
「私も、まさか二人が本気だとは思いませんでしたから、晴天の霹靂でした」
……それは。
「最初の内は当てずっぽうでしたが、その内、何かが見つかったとかそういう噂話を聞きつけては飛んで行くようになり、ついに第二の遺跡を発見し、発掘して、彼らは歓喜したのですが、それで事は済みませんでした。先のコンピューターと同等の代物だったのですが、それから得た情報を元に、次から次へと遺跡を発掘するようになり、後はそのまま現状に至ります。正直に言えば、私には何が楽しいのかさっぱり判りませんが、彼らにとっては、それらは重要で、かつ興奮する事であるようです。確かに彼らは友人ではありましたが……彼らと私は違う夢を見たのです。私は彼らと同行したのに、同じものは見られなかった。私と彼らに何の違いがあったのかは不明です。それは今でも判りません。しかし、私は私の現在の仕事に満足していますし、ヘルベルトもそうです。ジョーゼフもそうでした。……だから、きっと、天職なのだと思います。……無論、彼らの学問も職業も、世には認められていないのが現状ではありますが、しかし、勇気のある行為であることは間違いないと思いますし、それなりの裏付けも体系化もされてきていると思います。後は、モラルの問題だけです」
「モラル……」
「世の中には色々な人がいますから、色々なことを考える人達がいるわけです。そうであってこそ、正しいのだという事は、確かですが──ジョーゼフやヘルベルトの嘆きを見る限りでは、早く彼らが認められ、法律によって、彼らの愛するものが保護されるようになれば良いと感じました。が、まだまだ先は遠そうですね」
「あなたは協力しないんですか?」
尋ねると、谷崎は苦笑した。
「……私はこの業界では、まだまだ若造の部類でしてね。今でこそ、こうして自分の事務所を構えていますが、まだまだ若輩者です。そういう新しいことを始めるのには……勇気が要ります。だから、私のできる事と言ったら、せめて彼らの成そうとしている事を一般に広く認知させるための道作りです。小心者なので、まだ、自分の名は出せないのですがね」
「そう、ですか」
「あなたは、とても優しい人ですね」
「……え?」
驚いて、目を見開いた。
「まだ会ったこともない、ヘルベルトのことまで心配してくださってるようだ」
「あ……いえ、それは別に、そういうことではなく……たぶん、私も興味があるのです。その、『古代遺跡』の生きているコンピューターに」
「そうですね。あなたはプログラミングの専門家です。人工知能を研究しているあなたが、現役のスーパー・コンピューターに興味を抱くのも当然です。しかし、残念ながら私はそういった事は不得手でしてね。だからこそ、のめり込めなかったのでしょうが」
「……引け目を感じてらっしゃる?」
「どうでしょうか。人には向き不向きがありますから。私が得意とすることと、彼らの得意とすることが、違っていただけだと思います」
「……私は、誰かが誰かと同じことをする必要はないと思います、谷崎さん。違うことができるから、意味があるのだと思っています」
「そうですね。私もそう思います。……本当にありがとうございました、ジーンハイムさん」
「いえ、お礼を申し上げないといけないのは、こちらの方です。本当に、色々お世話になってしまって……」
「いいえ。私の方こそ。それに、私は、カースの件でも、あなたにお礼を申し上げないといけませんし」
「カースの?」
「……ええ。カースは、あれでずいぶんと甘ったれですからね。人間の十八歳にしても幼すぎるくらいです。ですから、そういうカースの傍にあなたのような人がいるのは、正直心強い。やはり、人を付けているとは言え、アスト社内など目の届かないところは多くありますからね。寮の内部にも侵入できませんので、本当に内部の方がいらっしゃるというのは、有り難いことです。カースが危害を加えられたり、彼の許可なく無理矢理誘拐・略奪されるといった事はまず、ほとんど考えられない事態なのですが、実を言えば、全てにおいて、彼が無敵かと言えばそういうわけでもありませんので」
「……どういう意味ですか?」
「『電気』に弱いのです。絶縁体で覆われていますから、破損が全くない状態では、内部の故障やショートなどがない限りは無事なのですが、物理的に大破に近い状態の衝撃を受けて、それが完全に修復されない内に、電気による衝撃を与えられると、最悪全ての機能がダウンします。しかし、それには少なくとも、軍隊クラスの戦力・火器が必要です」
「そんなことは遺書には書いてなかったが?」
ジェレミーが言うと、谷崎は頷いた。
「ヘルベルトが言っていました。しかし、そういう知識があり、かつカースがそういうロボットである事が漏洩しない限りは、そのような攻撃をカースが受ける可能性は非常に低いだろう、と。ですが、あなたの耳には入れておこうと思いまして」
「……私、ですか?」
谷崎は笑って頷いた。思わずどきり、とした。その笑顔は、今日見た彼の笑顔の中で、一番穏やかでにこやかだった。
「……あなたになら、話しても大丈夫だろうと思ったのです」
思わず、口ごもった。
「あ、その……そんなに私を信用して、よろしいんですか?」
「何故? あなたはそれを知ったからと言って、カースに危害を加えたりされる気ですか?」
「まさか。私には、そんな能力もありませんし、そうできる力もなければ、そんな気もありません」
「だから申し上げたのですよ。情報の漏洩は恐ろしいですが、何かあった時、知っている人間が一人でも多い方が、良い場合もありますから」
「……カースが軍隊クラスの戦力・火力にさらされる危険性があると?」
「……最悪の場合は。その場合は、我々一般人には、どうしようもありませんが、知らないよりは知っていた方が良い場合もありますから」
「…………」
「カースのバックアップデータは、丁度、人間でいうところの心臓の位置にあります」
「……え?」
「カースの構造は、重心のバランスを考えたのか、中枢を担う部品が身体の中央部に集中しているのです。ですから、我々人間の頭脳は、身体の一番てっぺんにありますが、カースの場合は胴体にあるわけです」
「……ああ、それで」
「アスト社の労働作業用ロボットも、確か胸元に、アプリケーションソフトの挿入口があるのでは?」
「はい、その通りです。その方がバランスが良いので。しかし……なんだか変な感じがします」
「変、ですか?」
「……カースの頭脳と心は……心臓の位置にあるんですね」
「そんなにおかしなことですか?」
谷崎が不思議そうに尋ねる。
「いえ、たぶん……私がまだ、彼を、人間であるかのように、感じているからだと思います」
「カース本人にはそう接してやってください。カース自身はそう思い込んでいますから」
その言葉に、少し、胸が痛んだ。
ラダーが二十歳を迎えたら──約束の時を迎えたなら──谷崎はどんな顔でそれをラダーに伝えるのだろう。そして、ラダーはそれをどういう気持ちで聞くのだろう。
「……酷ですね」
「え?」
谷崎はきょとんとした。
「……いえ、独り言です」
それは、私の関知する部分ではない。それを本人に告げなければならない谷崎の立場からすれば、私の立場など些細で些少なものだ。
「ちなみにカースのバックアップデータを取り出す時には、コマンドが必要ですが、彼の機能が停止、あるいは緊急停止している状態ならば、手動で取り出す事ができます」
「……え……あの、それは、何故、今、私に……?」
「たぶん、カースに何か緊急事態が生じた時は、あなたが一番傍にいそうな気がするからですよ。それに、私だけが知っているよりは、あなたも知っていた方が良い」
「…………」
「ですから、手動でデータを取り出す時は、カースの右耳の奥の指で触れられる箇所に、スイッチがあります。通常は上にありますが、それを下に動かしてください。爪で軽く押し下げてやれば、動くはずです。ちなみにカースの動力や機能が正常な場合は、触れてもキャンセルされます。その場合は、もう一度レバーを上に動かしてやる必要があります」
「…………」
「ご理解いただけましたか?」
谷崎の言葉に、私は頷いた。
「……右耳の、奥のスイッチを、下に動かすのですね」
「そうです。とりあえず、これだけはお伝えしておきたかったので。少しだけ肩の荷が下りました」
「……そう……ですか」
「浮かぬ顔ですね」
私は苦笑した。
「……いえ、それが必要な事態が起こらなければ良いと思ったので」
「そうですね。それが一番何よりだと思います」
谷崎は穏やかに笑った。