第三十六話 酒と料理
「しかし、クォートさん。何故彼にこのようなことをさせて、その上協力までしているのですか? あなたは仮にも友人なのでしょう?」
「仮にもは余計だ。大体、好きこのんで協力しているわけじゃない。ただ、どうせ止められないなら、見えない知らない場所で暴走されるよりは、目の届く範囲内に置いておいた方が、得策だと思っているだけだ。情報を共有していれば、次の行動も予測しやすいしな」
「なるほど。それは確かにそうですね。では、及ばずながら、私も協力いたしましょう。他人事のようには思えなくなってきましたからね」
「……何?」
「ああ、クォートさん。あなたのためを思ってそうするわけじゃありませんよ。ジョーゼフを救えなかった罪滅ぼしです。あまりにも、彼はジョーゼフを彷彿とさせるので」
「……同情はするが、あんたに借りを作ると、面倒そうだな」
「恩に着ていただく必要はありませんよ。あなたのためにするわけではありませんし」
そう言って谷崎は、私の方へ向き直った。
「何か困った事があったら、いつでもご連絡くださって結構ですよ。ジーンハイムさん」
「は……あ」
複雑な気分だ。有り難いが、とても手放しで喜べない。
「私は本当に、あなたの力になりたいのです」
「……ジョーゼフ・ラダーの身代わりに?」
私が言うと、谷崎は困ったように苦笑した。
「痛いところを突きますね。ご迷惑でしょうが、これも一種の人助けだと思ってくださいませんか?」
「私でなくても良いはずだ。あなたはラダーを、カースを救おうとするべきだ。そちらの方が理にも、ジョーゼフ氏の遺志にもかなっている」
「言われるまでもなく、カースの身柄は守りますし、十分な警戒を怠るつもりはありません。今回はあなた方に話しましたが、本来は告白する気など、まるでなかったのですから」
「…………」
谷崎は真顔だった。相変わらず表情が読めない。本心なのか、偽りなのかは、ちっとも見えない。
「どうして……あなたは、我々に話してくれたんだ?」
「さあ……何故でしょう。ひょっとして、疲れていたのかも知れませんね。誰を、何を当てにして良いか、敵の正体も見えるようで、見えないような、孤軍奮闘で、五里霧中な状況に。確かに私は助けを必要としていた。ジョーゼフのことも、カースのことも、気になりますが、仕事もある。相談相手も、事情を知る者もいない。三年経ってこれですからね」
思わず私は虚を突かれた。
「あなたも……他人の助けを必要とする……?」
「当然です。私はロボットではなく、人間ですから。……しかし、保護対象の『ロボット』の方が、私より余程感情の起伏に富み、情緒豊かで、人間らしいという自覚はありますよ」
「……すみません」
私は頭を下げた。
「失言です。言ってはならないことを申し上げました。謝罪いたします。思慮と配慮が足りなくて」
「いえ、別に構いませんよ、ジーンハイムさん」
「……谷崎さん。あなたは、本当に心広い、沈着冷静な人なのですね」
すると、谷崎は苦笑した。
「そんなことはありません。私だって、取り乱すことはありますし、それほど心が広いわけではありませんよ」
「…………」
「私は自分の利にかなうことには、敏感なんです」
もう、言葉通りには受け止めなかった。
「偽悪的な言い方をするんですね」
「弁護士が善人と思われて、得することなどありませんよ。卑下しているわけではありません。半分は習い性で、後は地と格好です」
「え?」
「これでも人並みに動揺や、驚愕・驚嘆していますよ。特にあなたという存在には驚かされる。本当に稀有で稀少で、興味深い方ですよ、あなたは」
……それは、褒められているのだろうか。これまでの流れから行くと、逆のような気がする。けれど、相手の目に悪意は感じられなかった。まるで、可愛がっている愛しい我が子を見つめる父親のような。谷崎は私より年上だろう。だが、十と離れていないはずだ。少なくとも、私と同じ三十代。彼の東洋系の容貌は年齢不詳に見えるが、おそらく三十五歳前後か、それより上でも三十七、八歳だ。私は困惑する。
そこへジェレミーが割り込む。
「ところで谷崎さん。カーティスという男については調べてあるのかい?」
「ええ。彼は『崩壊』前文明の遺物・発掘品の転売と、遺跡やそこから見つかった情報の転売屋です。表向きは『崩壊』前文明の研究者と名乗り、博士と自称していましたがね。彼自身は一度も発掘も調査もしたことがなかった。しかし、業界の人間には有名でした。尊敬はされていませんが、彼を利用する同業や研究者は、大変多かったようです。業界には属していない素人でも、その気になりさえすれば、すぐに居場所や存在を知ることが可能なくらいには」
「それは、あなたにもという意味ですか?」
「ええ。そして、ルグランにも、でしょう。彼は目立ちすぎ、そして少々稼ぎ過ぎた。派手に商売に走りすぎたのです。彼は便利だと思われていましたが、誰にも好かれていませんでした。少なくとも同業者には。彼は、金さえ出せば、どんな相手にも売りました。貴重な遺物も、情報も。彼の損得勘定に見合いさえすれば、何だって見境なしに。そして……」
「……ルグランに殺された?」
「証拠はありませんよ。しかし、ルグランが彼を訪ねたことは確認してあります。それも一度や二度ではなく、常連といって良いほどに。勿論彼は業界人ではない」
「売り手ではなく、顧客?」
「そうです。ただし、発掘品より情報を買うことの方が多かった」
「……いつからです?」
「確認できた限りでは、六、七年前からです」
「……そんなに前から!?」
「彼はエリートですが、それほど裕福な家庭には育っていない。むしろ苦労した部類の人間です」
「え?」
意外だった。
「彼の父親は、アルコール中毒で、酔って家族にしばしば暴力を振るう男だったが、彼が――ルグランが――十八歳の年に酔って河に転落死したそうです。その後、彼の母親が、裕福な個人事業主と結婚して、彼の人生は好転しだしたのです。が、カーティスが死ぬ直前、彼は非合法の金融業社から借金して、その支払いを滞らせていたようです」
「……まさか」
「カーティスは強盗によって、五年前に、殺害されました」
「……そんなバカな。まさか、それがルグランの仕業だと? 彼がそこまで追い詰められていたと、そう言うつもりですか?」
「証拠は何もありません。奪われた大金も、大量にしまわれていたはずの物品も見つからなかった。おそらくプロの仕事です。素人にはあのように綺麗に痕跡を消しきれません。転売先も不明ですが、間違いなくとっくの昔に売り払われて、処分されているでしょう。組織的な犯行で、完璧な仕事と言えるでしょう。勿論、警察にも、私のような素人にも、決して尻尾を見せるような痕跡などは、どこにもありません。無論、唯一怪しい位置関係にある彼は、事情聴取を受けました。しかし、完璧なアリバイがあったために、容疑者から外れました」
「完璧なアリバイ?」
「五年前の、あなたの会社の副社長就任パーティーです。なんでも、随分豪華で、多くの人が呼ばれ、盛大だったそうですね。彼はパーティー会場である、新副社長の邸内・庭園の各所で大勢の人々に目撃されており、ひっきりなしに様々な人々と会話しています。これ以上に完璧なアリバイなど存在しないでしょう。とても当時、カルディックにいたカーティスを殺害し、金品を奪うことなど不可能です」
あの、パーティーか。勿論私も出席したが、私はほとんど隅の方で、親しい知人と時折会話する他は、ただひたすら一人で飲んでいた。あれは極上のブランデーだった。あんな場所で立ったままではなく、もっとどっしり腰を下ろして、じっくり静かに味わいたかった。けれど、とても私の給料では手が出ない逸品だったので、文句は言えない。ちょっとばかり、意地汚くて、せせこましい性分だとは思うが、人と話す暇があるなら、飲んでいる方がずっと良かった。疑われたのが、私だったら、いいわけのしようがない。自分のアリバイなど、とても証明できないだろう。副社長邸はとても広く、確かに大勢の出席者がいたが、誰とも会話を交わすことなく、酒と料理だけを味わった者は、私以外にもたくさんいるだろう。さすがルグランは熱心で精力的だ。……いや、待て。
「完璧なアリバイとおっしゃいましたよね?」
「ええ。警察と同じ情報はさすがに得られませんでしたが、私が確認した限り、二十人以上は彼と会話したことを覚えていましたよ」
「あなたがそれを調べたのは、三年前ですか?」
「そうです。カーティスの殺害と、その容疑者から調べるのが、一番手っ取り早いと思いましたから」
他にあんな大きなパーティーはなかったとは言え、二年前の酒の入った会場で話した人間が誰か、普通覚えているものか?
「まさか、その人々は、そのパーティーで、酒は飲まなかったということは?」
「そうですね。飲まなかったか、飲んでも少量だったという人たちばかりだったように思います」
「…………」
それは、相手を実に良く選んだと言えないだろうか。勿論副社長就任パーティーで、泥酔するなど許されない。だが、入社三年目の若造は、余程優秀か業績が良くない限りは下っ端で、下っ端には、副社長就任パーティーも、ご馳走と旨い酒が、ただでたらふくいただける場所だ。私のような不心得者は、そう少なくはなかった。
「……あのパーティーで、ほとんど酒を飲まなかったというのは、部課長クラス以上の役職付きか、下戸くらいだった。泥酔した者はさすがにいなかったが、私の見かけた同僚は大半が、酒を飲んでいた」
「本当ですか?」
驚いたように、谷崎は言った。私は頷く。
「我々の安月給では、滅多にあれほど旨い酒や料理を味わえる機会はありませんから。やめろと言われても、人間目の前に並んでいるご馳走を見て見ぬふりはできません。もっと良い料理が他に並んでいるわけでもないなら。次の機会がいつになるか判らなければ、我慢するのは大変だと思います。私がさもしいだけかも知れませんが」
私の言葉に、谷崎は厳しい表情になり、黙考し始めた。