第三十五話 シュナウザー
「これがその写真です」
「……ずいぶん暗いな。これで人の顔が判別できるものなのか?」
その写真はひどく暗い上に、セピア調の、しかしそれより赤茶けた色の、人物の輪郭等はともかく、顔立ちや服装などはまるではっきりしない、ピンぼけしたような写真だった。
「これは赤外線カメラで撮影したものです。それで、こちらが」
と言って、谷崎は新たに先の写真の四倍以上の大きさで全く同じ構図のおそらく同じ人物達と思われる、はっきりとしたフルカラー画像を印刷したものだった。良く見ると、ドットが粗めで、少々にじんで歪み、色がところどころ変色していたが、そちらの画像は写されてている人物の顔形がはっきり判る。
「……シュナウザー」
ジェレミーは唸るように呟いた。
「あぁ、お知り合いでしたか。それでは詳しい説明は要りませんね」
ジェレミーは罵声を呟き、
「待てよ、谷崎さん。これだけで判断できるものか。こりゃどう見てもコンピュータ・グラフィックだろ? 加工した可能性もある。決めつけるのは早すぎる」
谷崎は無言で笑って、その上に何枚ものフルカラー写真を重ねて行く。そのシュナウザーなる人物が人目を気にするように、頭をキョロキョロ動かしながら、裏通りをこそこそ歩く姿。怪しげな地下のバーに入る姿。バーの隅の席で、ルグランと語る姿。
「ルグランに間違いない」
私が指して言うと、谷崎は頷き、ジェレミーは顔をしかめた。
更に谷崎が写真を重ねて行くと、シュナウザーがルグランから現金――少なくとも十万連邦ドル以上はある――を受け取っている場面が現れた。それを見て、ジェレミーが更に嘆かわしげなうめき声と、大仰な溜め息を洩らし、眉間のしわを濃くして、右手でピシャリと自分の額を叩き、その写真をじっくり検分するように、手に取り眺めた。
「……光や影の加減におかしな点は見つからないな。もっとも、最近のCG技術は進んでいるから、署に持ち帰って調べてみないと、本当に間違いないのか不明だが。少なくとも、肉眼で見る限り、不審点は見つからない。この写真が本物なら、これだけで、贈収賄容疑の状況証拠になる。無論、このバーや周辺を調べて、他に見聞きした者がいないか、確認する必要はある。この写真が本物だとしても、これを証拠としてシュナウザーを逮捕するには弱すぎる。シュナウザーは勤務態度も良く真面目な好青年だ。他にもっと確実な物的証拠がなければ、誰も信じられない」
「例えばどのような物的証拠が必要なんだ?」
私が尋ねると、ジェレミーは顔をしかめながら言った。
「例えば、シュナウザーの預金通帳に給与とは別の不自然な入金があるとか、給与額には不相応に高額な、カードや現金での買い物をした領収書があるとか、確実にシュナウザーがその金を入手したと、第三者にもはっきり判る証拠だ」
「……それは絶対に無理だと思うぞ。明らかにそれは、警察が捜査によって入手するのでなければ、犯罪だ。たぶん、捜査令状を持たない現職刑事が、それをやっても、良くて減給、悪ければ降格・配置転換・停職処分だ。せいぜいで、あいつは近年金遣いが荒いとか、高額の買い物をするとかいった噂話を聞き付けるくらいが、関の山だと思う」
「まったくその通りだ、リッキー。しかも、汚職・収賄は俺の専門じゃない。俺は殺人以外の事件を取り締まる権限はないし、それを取り調べる権利もない。知り合いがいないこともないが、ごり押しや無理を聞いてくれそうな知り合いはいない。情報をリークして貰えるかどうかも怪しい。もし、シュナウザーが誰にもマークされてないとして、俺がその情報をタレ込んだりしても、確実に俺よりシュナウザーの方が、信頼されている。よって、面倒を避けてタレ込むとしたら、イタズラと思われる可能性を念頭に入れつつ、身元を伏せてタレ込むのが一番だ。指紋がつかないように、この写真を郵送するとかだな。じゃないと、どうしてこんな写真を撮ったのか、何が目的なのか、根掘り葉掘り聞かれる羽目になる。デッチ上げの疑惑もかけられるぞ。最悪、容疑かけられての任意聴取だ。それ以上の最悪はないと信じたいがな」
「面倒なんだな」
私が言うと、ジェレミーは肩をすくめた。
「他人事のように言うな。お前も何度か警察の事情聴取を受けたことがあるだろう?」
「……そんなことはいちいち覚えてない」
「嘘をつけ。俺や俺の親父やお袋が何回、警察からの電話を受けたと思ってるんだ。少なくとも九回だ。全部お前絡みだぞ?」
ジェレミーの言葉に、谷崎は大きく眉を上げた。
「見かけによらず、随分過激なんですね」
「こいつは暴走すると、見境ないんだ。勿論、やることは大胆というよりは無茶で、限度も加減もなく、過激で極端だ。しかも、自分の身を省みない。保身というものを全くしないんだ。実は自殺志願者なんじゃないかと、時折疑いたくなるくらいだ」
「……それは……大変ですね。ジョーゼフなど比較の対象にもなりません」
「いや、それは比較対象が間違ってると、俺は思うぜ。エリックは野性保護動物園にいるゴリラと比較するべきなんだ」
「あぁ、似たようなことは、ジョーゼフに対して考えたことがありますよ。私の場合は、ゴリラではなく、オランウータンやナマケモノでしたが」
「そうか。あんたも大変だったな」
なんだか随分ひどいことを言われているようだ。
「例えが悪すぎないか? 私は警察の事情聴取は受けたことはあるが、逮捕されたり、留置所に入れられたことはないぞ。入院なら二回ほどあるが、死にそうなほど怪我したのは、一回きりだ」
「一回でもあれば十分だ!! このバカ!!」
「すみません。やはり、失言でした。ジョーゼフはジーンハイムさんに比べたら慎重でおとなしく、人畜無害です」
ますますひどいことを言われている。
「……そこまで言われなくてはいけないほどですか?」
私が言うと、ジェレミーと谷崎は、強く頷いた。
「とにかくあなたは、慎重に振る舞ってください」
「そうだぞ。俺だけじゃないぞ、お前を危険人物だと感じるのは。これに反省して自重しろ」
いつの間にこの二人は結託したのだろう。もしや、私に対するいじめか。それとも、新手の嫌がらせか? 暫く思い悩んだ。