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孤高の天才  作者: 深水晶
第二部 孤高の天才
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第三十三話 遺書

 谷崎に見せられた、ジョーゼフ・ラダーの遺書だという手紙の入った封筒は、泥で汚れ、黄ばんでいた。無言で谷崎を見上げると、谷崎は微笑んだ。私は、封を切られた封筒の中から、ゆっくりと慎重に、中の便箋を取りだした。一度濡れてしまったようで、既に乾いているが、紙は波打ち、黄ばんで毛羽立ち、かさかさしていた。

 そこには、こう書かれていた。


『すまない。いつも、君には心配ばかりかけている。たぶん、この手紙が着く頃は、君が僕の死を知ったあとになるだろうと思う。この手紙は、バスの中で知り合ったご婦人に預けて、すぐに投函してもらう予定だ。彼女が僕との約束を守ってくれるのなら、君の元に間違いなく届くはずで、そうなることを信じている。

 たぶん、僕はこれから殺されるのだと思う。今まで、幾度も後悔し反省する事があったけれど、君には怒られそうなのだが、僕はこのことで後悔も反省もしていないし、これからもしないだろう。尾行されている事に気付いたのは、数時間前だ。一応撒こうと努力はしてみたのだけど、上手く行かなかった。慌てて公共バスに乗り込んだけど、振り切れなかった。まさか公衆の目前で、彼が僕に危害を加えるだろうとは思わないけれど、このまま逃げ切れるとは思えない。だから、僕は思い切って彼を誘い出そうと思う。

 心残りはたくさんある──完全に発掘が終わっているとは言い難い、あの例の遺跡、遺跡に眠っていた巨大コンピューター、それに、今、アカデミーに通っているカースのことだ。僕は本当に、保護者としては頼りない男で、彼の信頼に値しない養父であるにもかかわらず、カースは曇りない目で慕ってくれる。それは、彼が初めて見た人間を主人だと思いこむようプログラミングされているからだとは判っていても、あの光り輝く瞳と、柔らかな笑顔を見ると、忘れてしまう。僕にとって、彼は、僕の本当の、唯一の子供で、息子だった。十五年の歳月を彼と過ごせたのは、一番の幸いだったと思う。

 僕は彼と出会うまでは、自分が人間嫌いで、誰一人まともには愛せないのだと思っていたから。無論、谷崎、君のことは友人として、尊敬し、敬愛している。僕には不釣り合いなくらい、立派な友人で、君と友好を結べる事を、とても有り難く思っている。信頼できる人間も、君だけだ。しかし、僕は、カースを愛するほどに、誰かを、何かを愛し、夢中になった事はこれまで一度もない。他の全てが霧散してしまいそうなくらい、エキサイティングで、スリリングで、そして楽しく、愛しい。

 たぶん僕は狂っているのだろう。それでも良いと思えるくらい、僕は、カースを愛している。彼にどうこうしようという気はない。僕は今、ナルシスティックなヒロイズムに溺れている。僕は殉教者で、狂信者だ。だから僕の言葉は、正常な君には、異常なものに感じられるだろう。理解などしなくても構わない。僕は自分の死に際に、重大な証拠を彼から引きずり出して、君に見つけてもらえるように隠して置こうと思う。上手くやれるかどうか、実は自信がないが、努力してみる。

 僕は彼を、あの壊れた時計台の下へ誘い出すつもりだ。たぶん彼は僕を尾行するために、ついてくるだろう。彼の狙いがカースであることは判っている。彼は、裏切り者のカーティスから、僕が前文明の遺産である人型ロボットを発掘したという情報を得ている。しかし、当のカーティスは、彼によって殺された。僕はカーティスに同情する気はまるで起きない。彼の目は、僕以上に狂気に冒されている。彼が僕から何かを──遺跡やカースを──奪ったからと言って、彼が幸せになるわけではないのに。

 以降の便箋に、以前から書き溜めていた、遺書というか、遺言というか、そういったものを書き留めてある。そろそろ、バスが降車停留所に近付いている。もう、ペンを仕舞わなくてはならない。僕がもし、死なずに済んだら、この手紙が君に届く前に、君に会いに行こうと思っている。その時は、随分感傷的だなと笑って、この手紙を破り捨てて欲しい。』


『遺言とか、遺書というものを書いた事がないので、少々戸惑い、迷いながらこれを書く。

 ここ数ヶ月ばかり、不穏な気配を身に感じる。あえて言うならば、人の気配というか、憎悪というか、殺気というか。僕はたいがいの事には鈍感で、無頓着な人間だが、昔から何故か、自分には見えない場所からの人の視線や気配というものには敏感だ。過敏すぎて、一時期は家の外へ出られないくらいだったということは、谷崎、君も知っているだろう。僕にとって、不特定多数の人間がいるところ、特に都会というところは、道を歩くだけで呼吸困難に陥りそうな、不安と恐怖に襲われる場所で、不快な場所だった。

 それに比べ、ティボットは良い。人がほとんどいない。どのくらいいないかと言うと、僕が遺跡の真上に立てた屋敷から、隣家まで行くのに走っても二十分以上かかるんだ。食料を買う店など存在しない。僕は、隣家の農家に、毎月一定量の金を支払うことによって、野菜や果物、肉や魚などを仕入れている。こんな田舎でさえ、通貨が使用できるというのは、有り難いことではあるが、同時に奇妙だとも思う。

 僕は生活費を捻出するために、時折、地下の遺跡から、手放しても良いと思えるがらくたを、同業のカーティスに売り払って生活している。あまり高くは売れないが、田舎での生活は、それほど金はかからないため、不自由はない。足下を見られているのかも知れないが、なるべく他の同業者に、自分の居場所を知られたくない。訪ねて来られるのも面倒だし、それ以前に、ここに遺跡があることを知られるのも面白くない。カーティスは同業とは言え、その実質は発掘物や情報の転売屋だから、彼が僕の研究の競争相手にはなり得ない。もし、彼が僕から遺跡を奪おうとしても、彼には、僕の研究しているものが何かを全く理解できないだろう。

 僕は地下に潜って、コンピューターと対話し、パスワードを解き、新しい封印を解いて、その奥に潜る。封印の奥は、砂に埋もれていて、シャベルで掻き出してやらないと、一体何があるのか判らない。何も見つからない事もあるが、僕は見るだけで楽しいから、毎日のように砂を掘る。

 屋敷の中にいる時は平和だ。毎日のように、カースに叱られている。彼は部屋や調度品を汚すな、と言うのだ。砂だらけになるから、と。ロボットがそんなことを気にするなんて、と思うが、さて、彼は、どこでそういうものを気にしなくてはならないのだということを学習したのだろう? ちなみに僕は教えていない。もしかして彼が読んだ、僕の持っている蔵書の中のどれかに、そういった事が書かれていたのかも知れない。しかし、僕の記憶能力では、どの本にそんな事が書かれていたのかは判らない。どうも前置きが長すぎるな。とにかく、部屋の汚れを気にしなくてはならないくらい、家の中は平和だ。しかし、その外は違う。

 僕がその気配に気付いたのは、この春のことだ。しかし、振り返っても誰もいない。いないのに、気配だけは感じる。偶然だ、気の迷いだと思いたかったのだが、それが数ヶ月も続くとなると、考え直さなくてはならない。僕は考え、念のために、僕が死んだ後に、谷崎誠一郎に頼みたいと思っていることを、ここに記す。

 まず、僕が死んだら、この屋敷を封鎖して、誰も中に入れないようにして欲しい。僕の財産もだ。ちなみに、この屋敷、という中には、地下の遺跡も含まれている。遺跡は厳密には僕の財産ではないが、その所有者を定めるのなら、カースが一番相応しいと思っている。何故なら、そこは、彼の本当の故郷であるからだ。故に、遺跡の所有者はカースであり、僕の亡くなった後の財産もカースの所有物として欲しい。僕には身内や家族というものが存在しないから、それに意義を申し立てる者はいないはずだ。

 その時、カースが二十歳になっていなかったら、毎週三千連邦ドルを送金して欲しい。カースにとっての二十歳とは、僕が遺跡から彼を発掘し、動力を復旧させ、目覚めさせた時を誕生とし、それから数えるものとする。

 カースが二十歳になり、十分に人間社会に慣れて生活できるようになっていたら、僕の屋敷と財産を彼に相続させ、それから地下に眠る遺跡と、彼の真実を話してやって欲しい。おそらくその頃までには、彼はそれを受け入れる事ができるほどに、成長していることだろう。彼の成長には、めざましいものがあるが、現在の不安定な思春期の子供のような彼に、真実を打ち明ける自信と勇気がない。

 彼は自分を人間だと思っている。僕が屋敷の中に鏡を置かず、写真を撮るような事もなかったからだろう。彼は人間の子供が成長するという事はしっているが、自分にそれがないという自覚がまるでない。目線が変わらない事や、自分の腕や足の長さが変化しないことを、どう受け止めているのだろうと、時折不思議に思うが、彼に直接問い質すような真似は恐くてできない。

 彼の取り扱い説明書は、地下のコンピューター内のファイルに収められているが、そのパスワードやその手前のロックを開けるのは、何も知らない素人には無理だろう。だから、ここに簡単に記しておく。


一.一日の活動を終えた後は、必ず六時間の休眠時間を取ること。この間に、カースはその日得た情報や知識を整理し、バックアップし、ボディなどに異常がないか、チェックし、メンテナンスを自動で行う。このフェーズが正常に行われないと、活動時間中に、なんらかの強いショックなどで突然機能停止したり、何らかの理由でデータが飛んだ場合などに、バックアップデータによる復旧が速やかに行われなくなるなどのトラブルが予想される。


二.普通に飲食は可能で、薬物やアルコール、カフェインなどの刺激物、毒や麻薬などの有害物などによる影響については、特にマニュアルには記されていないものの、何があるか判らないので、なるべくこれらを与えるのは避けること。水分は体内で不純物を漉し取られ、冷却水として体内を循環し、熱くなると蒸気または、排泄機関より排泄される。彼のエネルギーは基本的には、太陽光発電でまかなうが、微生物槽の微生物を利用して、糖分などからそれを補うエネルギーを捻出する。従って、太陽光発電で全てをまかなえる場合には、食事の必要はないが、彼はどうやらそれを好み、積極的にするようプログラミングされているらしい。理由は『より人間らしく見えるから』だそうだ。


三. 軽い損傷や、簡単な神経系(体内を巡る光ファイバー製のケーブル)のトラブルは、体内に存在する非常に小さなロボットが補修・修理するため、外部の手を借りずに直す事ができる。もし、それで足りないような事態になれば、『Open, Sesame』で扉のロックが解除されるので、中のコンピューターに、遺跡の碑文の全文『The curse came real for us.』を入力してやると、ログインできる。音声入力が可能なので、『私は代理者だ』と告げた後に、用件を告げると、応答が返る。ただし、曖昧な言葉や、主語や述語、目的語が曖昧だったり、特定されていない場合には、エラーメッセージや警告が出されるので、注意すること。


四.基本的にカースは、半永久的に活動するが、バックアップ容量には限界があるため、限界が近付くと、自ら遺跡へ戻ろうとする。

その場合は、彼が二十歳を迎えていなくても、屋敷の封鎖を解除すること。そこから先は、彼自身が何をどうすれば良いか理解しているため、心配いらない。彼は自力でロックを解除し、コンピューターにログインして、自身に記憶されたデータを移し替え、全ての情報を消去し、自身の動力を切断し、人間の指示があるまで無期限の休眠状態に入る。

 カースは、君に以前にも話したが、純粋無垢な赤子のような存在だ。僕が彼を、屋敷の外の、この世界に飛び込ませるのは、彼を知る毎に、自由な彼を愛し、束縛したいと思ってしまう自分自身から、彼を解放するためだ。この純真で、全てを吸収して成長する、スポンジのような存在は、おそらく突然広大な世界に放り出され、戸惑い、恐れ、脅えて不安に駆られるだろう。

 だが、僕はカースがしたたかで、しなやかである事を知っている。彼はすぐに、順応するだろう。彼はロボットで、人工物だが、いとも容易く周囲に溶け込み、普通の人間として生活できるようになるだろう。

 それは、人間の僕には、どうしても不可能だったことだ。僕は、その柔軟性や、順応性を、羨み、驚嘆し、熱望し、そして妬むだろう。その時、僕は自分が彼のそばにいないことを望む。彼はきっと、僕なしで生活できるだろう。僕はもう、彼なしの生活など考えられないというのに。

 カースは僕の世界の中心となってしまった。最初はただの好奇心で、研究心で、好奇心で、功名心だったのに。僕はとても悔しい。愛しているのに、一緒にいて幸せだと思うのに、とても悔しいと思う。彼にとって、僕は一時的な『主人』であり、簡単に消去され、忘れ去られる存在なのだ。長い休眠に入った後の彼には、僕の記憶は残らない。けれど、僕は、死んでも彼を忘れられない。それが、とても、哀しくて悔しいと思う。けれど、同時に忘れられても良いのだ、とも思っている。

 忘れられたくはない。だが、それが避けられぬものであるなら、せめて少しでも良い思い出にしたい。僕はあえて、カースに言葉を教えない。彼には、人間とのコミュニケーションに苦労する事によって、その価値を身を持って知って欲しいと思う。言葉を使えても、人間とのコミュニケーションは難しい。必ずしも思いが通じるとは限らない。

 たぶん、半分以上は僕のやっかみで意地悪だ。しかし、カースは文句を言ったりしないだろう。カースの目的は『人を知ること』『人の持っている情報を得ること』だ。しかし、そのために彼に巧みな話術や、弁論術などを操って欲しくない。

 故に、公用語に限らず、言語に関する知識を、あえて多くは与えない。しかし、彼は、書物を多く読む。僕がわざと妨害しても、人間とのコミュニケーション方法を、彼は自力で習得するだろう。少なくとも、現状では、人間の情報、その人間が持っている知識は、コミュニケーションという手段の他に、それらを得る手段がないからだ。』


 そう、書かれていた。

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