第三十一話 プログラム
嘘だ、と思った。絶対に嘘だと思った。嘘なのだと言って欲しかった。
「あなたも今は混乱しているようですね」
谷崎は言った。
「確かにルグランは三年前、ジョーゼフからプログラムの一部とその論文を奪いました。それらを一体どのような目的で使用したのかは、私には不明でしたし、詳しい経緯は知りません。彼がやったというのは、私の推測にしか過ぎなかったため、そう証言しても信じては貰えなかったでしょう」
そこで初めてジェレミーが口を開いた。
「それでも、ジョーゼフ氏が何か奪われたのなら、そう証言すべきだった。警察はあなたの元にまで、事情聴取に出向いたはずだ」
「あなたはこんな荒唐無稽な話を突然されて、信じられますか?」
一瞬、ジェレミーはうっと詰まったが、すぐに反論する。
「信じる、信じないは警察の仕事じゃない。俺達捜査の人間の仕事は、疑わしいものを全て調べ上げて、その裏を取ることだ。どんなに眉唾な話でも、結果的に時間や労力の無駄になろうと、聞くべき話は全て聞き、見るべきものは全て見る。それができないやつは、刑事になんか向いていない。先入観や思い込みで、捜査妨害されるのは、かなり痛いんだ」
「……捜査妨害?」
谷崎は聞き返す。
「妨害までは言い過ぎかもしれないがな、あんたが市民の義務を怠ったのは確かだ。自己判断で、犯人特定にいたる鍵の一つを、故意に隠蔽した。そう取られる可能性は考えなかったかい? 弁護士さん」
「…………」
谷崎は無言で、ジェレミーを見た。
「あんたはまだ、何か隠し玉を持っている。秘密主義もいい加減にしておかないと、身を滅ぼすぜ? なんなら適当な罪状つけて、冷たい床に転がしてやっても良いんだぜ?」
「……脅しですか」
「いや、本気だと言ったらどうする?」
「訴訟を起こします。私の無実は明らかですから、あなたの職権濫用は明らかです」
「それが明らかになる前に、あんたが殺されるという可能性は考えないのか? ジョーゼフ・ラダーのように」
「……まさか」
「さっきから黙って聞いてたが、谷崎さん。あんたの言い分が正しいとすれば、ジョーゼフ氏の罪状はとんだ濡衣で、見当違いの冤罪だってことだ。法律には、ロボットの人権がどうのって条項は、存在しないからな。彼のやった行為が、虐待にしろ、そうではなかったにしろ、それを取り締まる法律も、処罰する法律もない。あんたは弁護士なんだから、俺よりもっと詳しいんじゃないか? あんたは事実を知っているのだから、彼を無罪にするのは簡単だったはずだ」
「……ジョーゼフが拒んだのです。救われたくない、身の潔白を証明したくない、最初から刑を受ける気でいる人間を、一体誰が救えるというのです?」
睨むように言う谷崎に、ジェレミーは言った。
「そういう時は相手を殴り付けるような真似をしてでも、無理矢理助けてやれよ。恨まれるかもしれないがな、一生償い切れない負債や重荷を抱え込むよりはマシだ。相手が生きていて無事なら、どうにかしてやりようがある。少なくとも、手の届かないところへ行かれるよりは良い。あんた、ジョーゼフ氏とは友達だったんだろ? 俺にもバカな上に、融通や常識がきかなくて、無鉄砲ですぐ捨て身になる、今すぐにでも友達の縁を切ってやりたいくらい、どうしようもない友人がいてな、ほとほと手を焼いてるんだ」
……まさか、それは私のことだろうか?
「ジョーゼフが望まなくとも、私は真実を明らかにすべきだったとおっしゃるのですか?」
「そうだ。そうしたら、彼を救えたかもしれない」
「それはどうでしょうか。その時は別の問題が生じるでしょう。カースの真実を明らかにすれば、確かにルグランに奪われる可能性は低くなります。しかし、今度は別のものが――アストなどの一企業どころではなく――例えば、大きなところでは、国家がカースを合法的に徴収するでしょう。ジョーゼフはその発掘・発見者として、歴史に名を残すかも知れませんが、カースには二度と会えません。カースを本当の息子のように愛していたジョーゼフは、決して私を許さないでしょうし、塞ぎ込むでしょう。カースが分解されて、二度と動かなくなったり、軍事目的や人殺しに利用されれば、さすがにジョーゼフほど感情移入していない私でも、夢見が悪いでしょう。あれと少しでも会話すれば、あれが邪悪なところなどまるでない事は事実ですから。プログラムを改変したりしない限りは、あれが至上とする目的は、見聞きする全ての情報を記憶すること、まだ知らないことを知ることです。特にあれは、人間や人間の知識に興味を抱くように、プログラムされています。しかし、それらを分析したりはしません。分析は他のロボットかコンピュータ、あるいは人間の仕事だったのでしょう
。ジョーゼフがあれを見つけた時、あれは言葉一つ持たぬ、真っ白な赤子のような知能しか持ちませんでした。あれは人間との対話や接触により、知識を吸収し、蓄積していく。……もしかしなくとも、単独で情報収集する目的で作られたロボットです。身を守るための筋力や運動能力もある。あれが何の目的で作られたかなど、素人の私にも明白です」
「……スパイ」
私が呟くと、谷崎は頷く。
「えぇ、それも軍事目的だと推測されます。人間そっくりに見えますが、カースは銃弾を受けても、簡単に機能停止に陥ることはありません。当たりどころが悪くなければ、自動修復機能で修復されます。しかし、運動能力が非常に高いため、当たること自体まず有り得ません。切り付けることも同様です。熱は上は摂氏二百度、下は−四十度まで機能停止せずに耐えられます。彼を敵に回した場合、そう簡単には捕えられませんし、危害を加えることも、現在の科学技術では、ほとんど不可能です」
「…………」
「あれが暗殺目的に動いたりしたら、最強ですね。誰にも止められませんし、捕まえられません」
「カースはそんなことなどしない」
「無論、現状ではそうです。しかし、あれは自分で活動しているように見えますが、プログラムでそう動いているだけなのです。プログラムが変更されれば、違う行動・活動します。あれには情愛・感情など存在しないのです」
私の頭は一瞬真っ白になった。ラダーがプログラムで動いている? 彼には感情も情愛もない?
「……だが、彼は養父に会いたいと……彼は養父が好きだとはっきり言った。あんなに感情豊かで喜怒哀楽が激しくて……私などより余程人間味に溢れているのに……あれが、プログラム? 偽りで疑似的なものだと言うのか?」
「それは、あなたの方が専門なのでは? ジーンハイムさん」
確かに、人工知能は、それを構成・表現するプログラムは、私の専門だ。私は人間そっくりの疑似的な感情・心を表現・錯覚できる人工知能を理想としていた。人間の友となるためには、高度なそれらが必要だった。相手が人工物だということを忘れるほどのリアルさは追求していなかったし、それを求めるのは不可能だった。それに人間そっくりで、まるで生きている人間のようにリアルで生気に満ち、滑らかに活動するロボット。ルグランでなくとも、喉から手が伸びる、唾涎の的だ。誰しも、強く心揺れ動かされぬ自信などない。それに……人間は、ひどく勝手な生き物なのだ。
「どうして……あなたは何もしない!?」
不意に、怒りが沸き上がった。
「どうして、彼を放置するんだ!! 何故彼を今すぐ保護しない!? こんなところに、無防備に放置するなんて、正気の沙汰じゃない!!」
「……保護? 保護が必要なのは、カースではなく、周りの人間です。それに、私の顧客はジョーゼフだけじゃない。彼の遺言にもないような事に私が手を出せるとお思いですか?」
「あなたは……ラダーを……カースを救う気など、まるでないんだな!?」
「……死んだジョーゼフそっくりですね」
と、谷崎は溜め息をついた。
「呆れ果てました」
疲れたように言う谷崎を、ジェレミーは何故かにやにや笑いながら見ている。私は谷崎を睨みつけた。彼は口を開き、厳かな口調で言った。
「判りました。降参です」
私は一瞬、意味が理解できなかった。