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孤高の天才  作者: 深水晶
第一部 嵐の予兆
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第二話 傍若無人

 私は時間を忘れて没頭していた。昼食を取るのも忘れて、キーを叩きディスプレイを覗き込んでいた。

「ここがナンバー204、ジーンハイム研究室か?」

 不意に背後からかけられた声に、飛び上がるくらい驚いた。目の前には、呆れるくらい背の高い、不機嫌そうな赤い髪の青年が立っていた。

「な、なんだ君は! 部外者は入室禁止だ。表のプレートに書いてあるのを読まなかったのか?」

 すると、その男は不躾なくらい私を眺め回し、吐き捨てるように言い放った。

「俺はちゃんとベルは鳴らしたし、インターホンに話しかけてみたけど、返事はなかったんでね、部屋のドアの前には入室者がいる事を示すランプが点灯していたし、もしや事故でもと思って、IDカードを使って入室したんだ」

「IDカード? まさか。部外者のIDカードでこの部屋のキーロックが解除される筈が……」

 と言いかけて、まさか、とその可能性に気付いてはっとする。

「まさか、カース・ケイム=リヤオス=アレル・ドーン=ラダー?」

「アレルまたはラダーで良い。大抵のやつはラダーと呼ぶけどな」

 今年入社の新人とは思えないくらい、不敵で辛辣な口調と目つきで見下ろしてくる。私は椅子から立ち上がったが、それでも目の位置は10cm以上違った。私はさして体格が良いわけでもなかったが、とりわけ小柄というわけでもない。だが、目の前の青年は、まるでフットボールかラグビーの花形選手のような立派な体格で、猛禽類のような目をしていた。燃えるような赤い髪と、光り煌めく琥珀の瞳に、日に灼けた肌。とても研究者には見えない。口元に薄く酷薄な笑みを浮かべたその顔は、悪魔的に見えた。顔立ちは良く見ると整っていた。だが、肩をそびやかし気怠げに立つ姿も、鋭い眼光を少しでも隠そうとするかのような厚めの瞼も、鋭すぎ高すぎる鼻も、薄い傷痕のある厚い唇も、美青年とか好青年といった言葉は似合わなかった。

 彼の首には私と同様に、彼のフルネームと所属を記したプレートがかけられていた。それが間違いなく本物で彼自身の物であるなら──プレートの顔写真を見る限りでは同一人物だ──彼は確かに本日配属予定の新人ラダーだ。だが、私の理性はそれを理解することを拒否している。

「……君がラダー?」

「そういう反応されるのもいい加減慣れたけどな。履歴書や社員証に顔写真は付いてるけど、体格や大きさまでは判らないらしいし。けど、間違いなく俺はラダーだ。いつまで経っても迎えが来ないんで、痺れを切らして来たんだがな、呆れるくらい広い社屋で迷子になった。一階の受付嬢は美人だが、俺を不審者のように見るし、他の社員も似たりよったりだ。いい加減、温厚で心優しいのが自慢のこの俺も、気分が悪くなってきたぜ。天下のアストと言えど、ろくな人材はいないんじゃねぇかと言いたくなる」

 言ってるじゃないかというツッコミは入れない。新人のくせに態度が大きい柄の悪い男を無言で睨み上げた。確かに時間を忘れていた私が悪いと思う。呼び鈴もインターホンも使用したという彼の言葉が正しければ、謝らなくてはならないのは私だ。しかし、私は彼の横柄で傍若無人な態度が気に入らなかった。

「君、言葉遣いに注意したまえ」

「何?」

 男は怪訝そうな顔つきで私を見た。

「態度も悪い。それがこれから世話になる上司への態度かね?」

 そう詰問すると、男は面白い事を聞いたといった顔つきで、逆に私に質問する。

「じゃあ、上司ってのは約束を忘れて無視しても良いのか?」

 私はカッと頭に血が上り、怒鳴りつけてしまった。

「目上にはきちんとした言葉を使え! 君はまともな教育を受けずに我が社に入社したのか!?」

 すると、男は悪びれずに肩をすくめた。

「少なくとも俺は、尊敬できない豚に敬意を示せとは教育されなかったんでね。おっと、これは豚に失礼な台詞だな」

「出て行け!!」

 私は後先考えずに怒鳴り付けていた。男は反論も口論もせずに、無言で退室した。室内に私の部下は一人もいなかった。はてと時計を見ると、時刻は十時を回っていた。午前ではない。午後だ。私は愕然として狼狽し、眩暈を感じた。ふと気付くと机の上に冷めた珈琲とクラブサンドが乗っていた。記憶にはない。慌てて部屋を飛び出した。だが、既に彼の姿はなかった。私は部屋に戻り、冷たくなった珈琲で、固くなったクラブサンドを流し込み、データのバックアップを取ってからスーパーコンピューターの電源を落とした。さすがに罪悪感にさいなまれながら、寮の自室へ帰ろうと部屋を出ると、そこには先程の男が立っていた。

「おい、下へ降りるエレベーターが動かないぞ。どうやって帰れば良いんだ」

 男の態度は相変わらず横柄で悪かったが、動揺しているのか紅潮し、目が泳いでいるように見えた。

「午後九時三十分を回るとエレベーターは止まり、階段を使うしかない。知らないのか?」

「今日来たばかりだ。そんなこと聞かずに知ってるものか」

 それもそうだ、と苦笑する。

「笑ってんじゃねぇよ、陰険野郎」

 男は明らかに頬を赤く染めて唸るように言う。

「陰険?」

「そうだろ? 何も知らない無垢な新人をネチネチいじめて。あんたのトコのチームの新人が皆一週間ともたずに逃げ出すってのも、あんたがそうやって追い出したんだろう」

 無垢な新人とは呆れて口が塞がらない。私は苦笑を引っ込めて、じろりと睨んだ。

「とても新人とは思えない態度と口調だがな。その調子じゃ繁華街の裏通りにでも行くのが似合いだな。そこならお前も違和感なく溶け込めるだろう」

 そう言うと、男は耳まで朱に染まった。

「……覚悟しろよ、クソ野郎」

「迷子になったと言っていたな。階段の場所は判るのか?」

 そう尋ねると、真っ赤な顔でうつむいた。意外に可愛らしいところがあるものだなと思うと、男は呟いた。

「……ぜってぇ、ブッ殺す……」

 前言撤回。やはりこの男には可愛らしさの欠片もない。

「その調子だと寮の場所も知っているものだか怪しいな」

「…………」

 男は無言で、こちらを噛み殺しそうな物騒な目つきで睨み付ける。

「他人に教えを乞う場合には、頭を下げた方が良いと思うがね、ラダー君」

 そう言うと、男は低く罵声を洩らして、屈辱の表情でぎこちなく頭を下げた。殺気に満ち溢れている。私は薄く笑い、男に言った。

「では、こちらだ。ついてきたまえ」

 男は低く呻いたが、素直に後について来る。後で仕返しされるかも知れなかったが、まるで恐くなかった。男があっさり逃げ出すならそれでも良い。いつも通りの日常が戻るだけだ。私はこれまで新人を追い出そうと思ったことはなかったが、この男は例外だ。是非とも嫌がらせして追い出してやる。上司も他の部署の連中もそれを期待していることだろう。期待の新人でも、有能な男でも関係ない。私はこの傍若無人な男が嫌いだと思った。虫が好かない。喜んで放り出してやる。元は自分が悪いのだが、男の態度はそれ以上だ。新人の礼儀と立場を教育して叩き込んでやる。その途中でこの男が音を上げて逃げ出しても、私の責任ではない。さて、明日からどうしてやろうかと、私は心の中で呟いた。

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