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孤高の天才  作者: 深水晶
第一部 嵐の予兆
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第二十四話 違和感

 ふと思って、アイクのデータベースに登録する情報を、ルグラン・チームの物だけに絞る事にした。最終的には、全て入力しようと思ったが、そうした方が調べるのも早く済む。何故、そうしようと思ったのかは判らない。私が彼の事を嫌いだからかも知れなかった。何の確証もない。だから、先入観を抱いてはならないと思う。もしかしたら私は、彼が悪人であってくれることを望んでいるのかも知れなかった。そう思って自嘲の笑みをそっと洩らす。

 ただの杞憂であれば良い。何事も無いのが一番だ。嫌な予感──その正体すら見えない、不確かな不安──たぶん、私は考えすぎなのだろう。それでも、確かめられずにはいられなかった。私はラダーに、はっきりと好意を抱いていた。ルグランの態度も気に入らなかった。理由なんてそれだけあれば、十分だ。先入観だろうと、憶測だろうと、調べて何もなければそれで良いのだ。ただ、人間という生き物は、見たいもの、聞きたいものをでっち上げる事がある。そうと確信するのに十分ではない、不確かで、あやふやで、曖昧な事実を、自分のフィルターで脚色して、あらぬ『現実』を生み出し、増幅させてしまう。人を、憎まずにいるのは難しい。誰も、何も、恨むことも、嫌悪することもなく、生きていくのは困難だ。私は弱くて、ずるくて、小心者で、優柔不断で、卑怯でもある。

 たぶん、私は、何かを確信したいのだ。これだと思う『何か』を探している。その何かが一体どのようなものなのか、自分でも判らない。理解できない。気付けない。そして、その心理こそが、『錯誤』という罠にはまるための、架け橋であり、道であるというのに、私は疑いを捨てきる事ができずにいる。それはつまり、「ルグランは一体何故、カースに近付いたのだ?」ということだ。

 自分を懸命に律し、制しようと努力しながら、ラダーの入れてくれた珈琲を口へ運ぶ。指が、結果を急いで、入力ミスする。苦笑しながら、カップを机の上に置いて、右人差し指でバックスペース・キーをトントンと叩いて、文字を削除した。それから、ハイペースで、しかし慎重に、情報を入力した。カタカタ、カタカタ、キーが鳴る。リズミカルなその音を聞きながら、左手でカタログのページをめくる。シュル、という紙の鳴る音が、耳に心地よい。目で情報を拾い上げながら、両手指でキーを叩いて、入力する。三年前のルグラン・チームの開発した商品は、既に入力し終わっていた。現在、二年前の同チームの商品情報を入力していた。入力の際に、嫌でもその内容は目に入る。機械的に入力しているとは言え、その情報が全く頭の中に入らないという事は全く無い。その短期記憶されている情報と、現在入力している情報に、明らかな違いがあると、私の脳が警告を発していた。

 私はまだ判らない、と言い聞かせる。だが、「やはり、そうなのだ」と私の中の『もう一人の見えない自分』がけたたましく、うるさいくらいに、主張する。だから、私はこれ以上の入力を諦めて、一度手を止めて、もう一度、両方の商品カタログを二冊並べて、肉眼で見る。

 二年前のルグラン・チームの企画・開発した作業用ロボットと、三年前の同チームの企画・開発した作業用ロボットの外観はほとんど違わない。素人目には全くそっくり同じ物に見えるだろう。勿論、見えない部分では大いに違う。だが、それくらいは、当たり前で、おかしな事など何も無い。技術的に問題は無く、プロトタイプを量産し、よりコストダウンするために、不要な部品を減らしたり、軽量化や改良など、開発時とは異なる修正が行われるのは当然だ。ハードウェアの仕様はともかく、技術面での問題──というよりは違和感──は全く無かった。しかし、私が違和感を覚えたのは、ソフトウェア面だった。ルグラン・チームの担当は、この作業用ロボットの構想・基本的な仕様や、重視しなくてはならないポイントなどを、作成・策定する事と、それに載せるための基本OSの制作、そのOSで稼働させるためのソフトウェアの規格・仕様の策定等だ。実際の商品の生産・量産は、郊外などにある複数の工場や下請け工場などで、行われる。私がおかしいと感じたのは、別売りのソフトウェアでは無い。商品となる一歩手前までルグラン・チームで開発・制作される基本OSだ。この仕様や規格が、二年前と三年前で大きく向上・変化しているのだ。これはおかしいと思う。基本的に、OSというものは、そう簡単に大きく変更されるべきではないし、そうしようと思って可能になるものでもない。あまりにも大幅に変更してしまえば、そのOSは以前のバージョンとはまるきり別物になってしまう。OSの仕様や規格が変われば、それに載せるアプリケーションソフトも変更しなくてはならない。前バージョンと現バージョンで大きく仕様が異なるとなれば、前バージョンに合わせて作られたソフトは使用できなくなってしまう──仮に稼働したとしても、問題が起こる可能性がある。ハードウェアもそうではあるが、ソフトウェアの開発には時間がかかる。そのため、前のバージョンと、次期のバージョンのソフトウェアの開発期間は重なる事が多い。そのために、どうしても似たり寄ったりになってしまう。開発中に見つかった問題は、そのまま仕上げるには問題になるものは優先的に修正されるし、その場では全く問題が無くても、場合によって問題となりそうなものは、その時の状況によって、すぐに修正される事もあれば、次期バージョンへ先送りされる事もある。大体、同じコンピューターで、同じ部屋で、似たり寄ったりの人員が──無論全く同じメンバーが前後バージョンの開発に同時に携わる事は物理的に不可能だが──似たような時期に、似たようなプロセスで制作するのだ。それが全く異なるものになる筈がない。そして、そのどちらも陣頭指揮は、ルグランが執るのだ。彼のチームに置いて、室長は絶対で、刃向かうことなど許されない。しかし、彼の意見を優先すれば、優秀な商品が開発できる事も事実なので、それ故に、ルグランは『鬼』とまで呼ばれても、尊敬されているし、評価されているのだ。結果を出さなければ、従う者など誰一人いない。アストへ入社する者は、程度の差こそはあれ、ここへ来るまでにエリートと呼ばれ、優秀と呼ばれた者ばかりなのだ。自負も自信も、それなりにある者達ばかりなので──無論、アンリのような例外もある──そういうプライドの高い人間を押さえつける事が可能だというのは、それだけ、ルグランが優秀で、そうするだけの能力があるという事なのだ。だから、私は、彼の事は嫌いだが、素直に尊敬しているし、すごいと思う。私には絶対真似などできない。する気もないが、やろうとしても、できるものではない。だから、私は彼を評価する。やり方はあまり好ましいとは思えないが、それでも結果を出し続けるなら、それも良いだろう。結局のところ、私は彼の部下でもなければ、上司でもないので、彼が何をやろうと、私の知った事ではない。彼から給料を貰っていうわけではないし、彼に頭を下げねば仕事ができないわけでもない。薄給ではあるが、毎月決まった給料を貰い、社員寮で暮らし、衣食住も足りている。貯金もそこそこあるし、多忙ではあるが──とは言え、このところ不真面目な勤務態度で、少々手抜きという感はある──まともな休憩も休日もある。上司は時折、急な要請や無茶を言ってくるが、部下には恵まれているし、とりあえず現実に不満は無い。

 本題からそれてしまったが、とにかくOSが大きく変更されるというのは、通常有り得ないのだ。なのに、それが大きく変更されてしまったために、ハードウェア面での変更もなされている。OSプログラムをスムーズに稼働・運用させるために、その頭脳と言って良い集積回路の規格が変更され、メモリーが倍の値に変更されているのだ。そのため、内部の形状や配線等も大きく変更された。外観は上から被せるだけなので、ほとんど変化していないため、普通の顧客がそれに気付く事はまず無いだろう。熱心な顧客やマニアならば、すぐに判る仕様変更だ。私は他のチームの動向や開発などに、全く興味もなければ、関与しようとも思わなかったので、今までまるで知らなかった。一体何故、このような変更が行われたのだ? 異常だ、と感じた。慌てて社員名簿をめくった。だが、人員の変更、目立った人事異動などは見当たらなかった。そういったものが全く無かったわけではない。だが、優秀な人材が引き抜かれて移ったとか、画期的なプログラムを企画・発明した者がいたなどの形跡は、全く見当たらなかった。私は、研究室内に置いてある、社内便覧を棚から取り出し、ページを繰った。だが、やはりそれを匂わせるようなものは何もなかった。白い歯を見せて、爽やかな笑顔を向けている、今よりほんの少し若いルグランの顔を指でピンと弾きながら、私はぼんやり考えた。

 ルグランは一体何故、何処から、どのように、そういう企画を、規格を、着想を、考えついた? 三年前だ。ルグランの結婚した年。そしてラダーがセントラルアカデミーへ入学し、そして、養父が児童虐待容疑で逮捕された年だ。

 私は端末の電源を落として、立ち上がった。そして、商品カタログ、社員名簿、社内便覧を片付け、ラダーの元へ歩み寄った。ラダーは今、アイクの監視プログラムの蓄積データを熱心に読んでいた。その隣では、シエラがラダーに時折説明しながら、アイクに質問し、その反応をチェックしては、ラダーにも画面を覗き込ませている。

「シエラ、ラダー、仕事中すまない。今、ちょっと大丈夫だろうか? 少し、ラダーに用事がある」

 私の言葉に、シエラとラダーは顔を上げた。

「はい、問題ありません。簡単なテスト的なチェックをしながら、アイクの詳しいプロセスの説明をカースにしていたところです。後日、生のアイクのプログラムを読む時にも、アイクの詳細なプロセスを頭に入れる事は、必要だと思いますから」

「そうか。……ラダー、調子はどうだ?」

「うん、とりあえず必死で丸暗記してるとこ。分析はその後だな。今はそれどころじゃないや。丸暗記だけなら得意なんだけど。それじゃ使えないってのは良く判ってるし、大丈夫。それに、アイクの表と裏の動きが同時進行で判って面白い。いや、面白いとか言ってちゃダメなのか」

「いや、そんな事は無い。面白いと思えなかったら、この研究室に在席するのは大変だ。他の部署へ異動した方が良いだろう」

 私が真面目に答えると、ラダーは、げ、という声を上げて、嫌そうな顔をした。

「うわ、きっついや。……室長、あんたもうちょっと、言葉の使い方考えた方が良いよ。俺には言われたかないだろうけどさ。『他の部署へ異動した方が良い』ってのは、配属されたばかりの新人にはキビシイ台詞だとは思わねぇの?」

「厳しいのか?」

「……自覚してくれよ」

 と、ラダーは大仰に肩をすくめた。

「ところでラダー、昼休みの予定はどうなっている?」

 私が単刀直入に尋ねると、ラダーは目を白黒させた。

「へ? 昼休み? な、何だよ? まさか俺に何か奢ってくれるの?」

「奢れと言うなら、奢っても良いだろう。私は予定があるかどうかを尋ねている」

「予定なんかねぇよ。けど、それって、皆一緒か? それともまさか……俺だけ?」

「私はお前を誘っているつもりなのだが、お前はそれが嫌なのか?」

「…………」

 呆気に取られたような顔で、ラダーは私の顔を見つめた。ラダーだけではない。シエラも、リカルドも、ユージンも、私の顔を半ば呆然とした顔で、まじまじと見つめた。

「……どうした? 何故、そんな変な顔で私を見るのだ?」

 そんなにおかしな事を言っただろうか? 自問するが、自分ではそうは思えない。

「……あ、いや、別に嫌とかじゃなくて……俺だけ?」

「お前だけだと問題があるのか? 嫌なら断れば良いし、どうしても皆が一緒でなければ嫌だと言うなら、同席でも……」

「ああ、悪い。判った。良いから」

「え?」

「あんたはどっちが良いんだ? 室長。俺だけ声かけるって事は、俺に何か用件があるわけ? それとも新人との交流・親睦を深めるのが、目的なわけ?」

「勿論、用件があるから声をかけたのだが……それが一体どうしたと言うのだ?」

 すると、皆の表情が微妙に変化した。ラダー以外の全員が、何事も無かったかのように、自分の仕事に戻った。

「うん、たぶんそうだと思った。じゃなきゃ、おかしいもんな。あんたがそんな事言うなんて」

「……そんなにおかしな事か? 上司が部下を昼食に誘う事が? 他の部署では良くある事だぞ」

「ああ、他の部署では良くある事かもな。けど、あんたがそんな気を回すような人間か? おっと、これは上司である室長に対して、失言だな。けどさ、そう思ってるから、皆、驚いたんじゃないか? さっきの俺の、きちんとしたまっとうな発音の、クソバカ丁寧な言い回しの、謝罪みたいにさ」

「……つまり、私が、部下を昼食に誘うような、気の回しようも甲斐性も無い、無粋な上司だと、暗に言われているわけか?」

「そこまでは誰も言ってないだろ。被害妄想だよ。あんた、今度、用事なんかなくても、他のメンバー誘ってやれよ。昼食でも、夕食でもな」

「……最近、似たような事を違う台詞で、友人にも言われたような気がするな」

「うわ、最低。あんた、友達にもそんな事言われてんの? 終わってんじゃねぇ? ヤバイだろ。それでもし、付き合ってる彼女でもいて、同じ事言われたら、それって最後通牒だぜ? 二度は言って貰えねぇぞ? ま、相手にもよるけどな」

「……そんなにまずいのか?」

「まずいなんてもんじゃねぇだろ? とにかく、そんなこと言われる前に、ちゃんと誘ってやれ。見捨てられてからじゃ遅いんだからな」

「ところでラダー」

「なんだよ?」

「私はまだ、お前の返事を聞いていないのだが」

 そう言うと、ラダーは苦笑した。

「勿論、了解するよ。そんな泣きそうな顔するなよ? 用事があるんだろ。奢ってくれるってんなら、有り難く奢って貰うよ。俺、今月の給料、まだ貰ってないしな」

 ラダーは笑った。

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