第十三話 カース
「お前は本当に天才だな」
と、私がしみじみと言ったら、ラダーは目をむいて
「はぁっ!?」
と、絶句した。
「無論、わざとではないという事は判ってるんだが。こんなに気分が良いのは久しぶりだ。とりあえず、有り難うと礼を言っておくよ、ラダー」
「……なんだよ、気色悪いな。なんか企んでんのかよ?」
「うむ、あれで話が済んだとは思ってはいないのだがな。どうやら、私は自分で思っていたよりも、ルグランのことが嫌いだったようだ。今日初めてそれに気付いたよ。いや、実に気分が良い。爽快だ。長年の疑問がすっきり片付いた気分だ。これも、お前のおかげだ」
「俺のおかげぇ? なんか、本当あんた変だよ。あんた怒らすと恐いと思ったけど、機嫌良い方がもっと恐いとは思わなかったよ。あんた、仏頂面してる時の方がまともだな。これであんたの本気の笑顔見たりしたら気絶すんじゃねぇかと、怯えちまうぜ」
「……ラダー。私でも一応、傷付くこともあると、知っているか?」
「…………悪ぃ」
ラダーはぼそりと呟いた。
「いや、でもさ。マジでこえーよ。頼むから、そのにやにや笑いだけでもどうにかしてくんねぇ?」
「そんなにひどいか?」
「ひどいなんてもんじゃねぇよ。不気味に歪んでて気色悪いんだよ。俺がガキだったら、小便ちびって洩らしてるトコだよ」
「……今でも十分子供じゃないか」
「あ? 俺がガキに見えるってのかよ」
「十分すぎるほどだ。子供と言われたくなかったら、もうちょっと頑張ってみろ。無理しない程度にな」
「……あんた、本当ムカつく男だな、くそっ」
「後悔しているか?」
「後悔? 後悔なんかもう、ずっとしてるよ。あの、狸ジジイの部屋ですっぽかされた時から、ずっとだよ。あのジジイ、狸みたいな顔して、話長ぇんだよ。自慢の孫娘とやらの話を、延々と二時間も聞かされた俺の身になれよ? 俺が逃げ出すのに、どんなに苦労したものか」
「……二時間も聞いたのか?」
「それもこれも、時間通りに、あんたが来やがらねぇからだよ。ちょっとの間、我慢してれば終わるんだと思ってたのに、いつまで経っても来やがりゃしねぇ。拷問が二時間も続けば、どんなに忍耐強いやつでも、ブチ切れるぜ? あんた、あの狸ジジイのくっだらねぇムダ話に二時間付き合わされたことあるか?」
「無いな。せいぜいで、二十分だ。こちらもそれほど暇ではないのでな。しかし、余程熱心に話を聞いたのだな。アダム部長がいくら無駄話好きとは言え、明らかに嫌そうな顔をしている人間に延々と続けるほど、心臓の強い人ではないはずだぞ?」
「俺のせいだって言うのかよ!?」
「そんなことは言わない。シエラの時も思ったが、お前は真面目すぎるのだな。適当に流すことができないらしい。損な性分だな」
「……なんだよ、それ、慰めのつもりか?」
「いいや。事実を言ってるだけのつもりだが」
そう言って、ラダーを振り返ると、何故か真っ赤になってうつむいていた。おや、と思ったが、ラダーがずっと下を向いたまま、何も言わないので、私も黙ってじっと見つめていた。
「……なんか言えよ」
「うん? 何か喋ってた方が良いのか?」
「あんたさ、ニブいって良く言われるだろ」
ラダーはエレベーターの床をぎっと睨むように見つめた。怒っているのかと、一瞬思ったが、きらりとその目が光った事に気付いた。それで私はゆっくり不自然でないように、視線を外した。
「……そうだな、良く言われる。自分でも自覚は一応ある」
「あるのかよ? それでも直らないのか。重症だな」
「それで今、何故お前が泣きそうになってるのか、判らなくて困ってるのだがな?」
「……そういう事は言わなくて良いんだよ、バカ」
「言っておくが、上司にバカという部下は、アスト社内ではお前くらいだぞ。知っていたか?」
「うるせぇな。んなこと、知ってるよ!」
「知っていたのか。それは知らなかった。じゃあ、もう一つ言うと、上司にうるせぇという部下もお前くらいだと思うんだが、それも知ってるのか?」
「……あんた、嫌味臭ぇんだよ。なんかもっと普通に喋れねぇのかよ? よくそれで部下に愛想つかされずにいられるな?」
「私の部下は皆、親切で優しいんだ」
「……そうだな、俺もそう思うよ。俺、俺さ……なんか色々ビビってんだよ。たぶん、そうは見えないって言われそうだけどさ。セントラルアカデミーへ入学したばかりの頃なんか比べ物にならないくらい、いろんな意味でビビってるし、驚かされてるし、なんかメチャメチャ、混乱してんだよ。……あのさ、皆判ってんのかな? 俺の名前ってカースだぜ? 『呪い』とか『毒舌』とか『災い』とか、本当ろくでもない意味しかねぇ言葉なのに、どうしてあんなに簡単に呼べるのかな? 俺、あんな連中、他に知らないぜ? 少なくともカルディックにはいなかったぜ」
「それは気にしてないからだろう」
「そうか? でもさ、カース・ケイムで『災いが来た』だぜ? いや、そういう名前を付けたりする養父の感覚がどっかおかしいんだとは思うんだけどさ、なんか、そういう不吉な名前なのに、全然気にしないなんて、そんなのありえるかよ?」
「ありえるよ。私は彼らを良く知っている。単純に、君のファーストネームだから呼んでいるだけで、君の名前が例えば、ミカエルでもマイケルでもルシファーでもシットでも、同じように呼んでいたよ。ラダー、君は気になるのか?」
「俺が気になるのは、なんであいつらは気にしないのかって事だよ。つーか俺、あんなに屈託なく俺に話しかけてくる連中、他に知らない」
「……友人にはいなかったのか?」
この話題には、触れない方が良いようにも思ったが、私はあえて口にした。ぎくりとしたように、ラダーは顔を上げ、私の目を見た。それから、紅潮しうっすら涙を浮かべた顔で、ラダーは言った。
「……俺、さ。あの時は初めての経験で浮かれてたから、気付かなかったんだけど、別にあれは、友情とかそういうのじゃなかったんだと思う。なんか、そういう気がしてきた。だって、あの……あの時のあいつらはさ、ここの連中みたいに優しくなかった。何も知らない俺に、いろんなこと笑いながら教えてくれたり、世話焼いてもらったりしたけど、なんかさ……あいつらは、俺のこと、好きじゃなかったんじゃないかって、今は思う。俺は好きだったけど……俺が思うようには、思われなかったんだ。今なら、そういうことが、理解できる。結局、俺を取り囲んで珍獣扱いする連中と、そう大差なかったんだ。ただ、遠巻きに観察するか、近付いて間近で観察するか、そのくらいの違いしかなかったんだよ。俺、本当にバカで、そういうことも知らなかった。……なんか、今更だけど悔しいよ。あいつらが、今、目の前にいたら、最初に殴った時なんか目じゃないくらいに、メチャメチャのボコボコにしてやる。ぶっ殺してやりたいよ」
「ラダー」
「……嘘だよ、やらねーよ。くだらねぇしさ。バカみたいだし。あんな連中、本気でムカついてやる程の価値もねぇしさ。でもさ、俺、他にどうしたら良いのか、ちっとも判らねぇんだよ。こういう時、どうしたら気分が晴れるのか、養父は教えてくれなかったからさ。もし、会えたら、教えてくれるかな? なんか、すげぇ、会いたいよ。ずっと会いたいと思ってたけどさ、今、無性に会って、顔見て話したいんだ」
「……ラダー」
「判ってるよ。どこにいるか、何をしてるかも判らないのに、養父の居所探し出して見つけて会うなんて、難しいのなんて、良く判ってんだよ。俺が今まで養父に会うための努力をしなかったと思ってるのか? 俺はずっと捜してるんだよ。だけど、見つからないんだ。アカデミーにいる頃から、何度か故郷のティボットへ帰って、住んでた屋敷へ行ったり、近所の連中に話聞いたりしたよ。でも、何も判らなかった。逮捕されて、なんか刑務所に入れられたらしいんだけど、それが何処か判らなかったし、今どうしてるかも判らない。屋敷は俺がいた頃のまんま、放置されて処分もされてなかったけど、財産は凍結されて、よく判らねぇけど、俺が二十歳になるまでは、誰も何もできないんだって。弁護士とか名乗って来たオッサンが言うには、養父は、自分に何かあって、俺を養育できなくなった時は、財産凍結して、誰にも手が出せないようにして、毎週三千連邦ドルを俺の口座に振り込むように手配してたんだってさ。けど、その弁護士のオッサンてやつが、すげぇ頭カタくてさ、絶対あいつ、養父の居所知ってる筈なのに、俺には全く教えてくんねぇんだよ。頭キたから、襟元掴み上げて、殴ろうとしたんだけどさ、殴る前に冷静なツラして『殴るだけ体力や筋力、精神力の無駄使いで、時間と労力の浪費だ。それでも私を殴るかね?』とさ。なんか俺、気が抜けちゃって。……俺にとって、年くったオッサンてのは、化け物みたいなもんだと思ったよ。なんか砂にでも噛み付くような感じでさ、噛み付けば噛み付くほど、こっちがダメージ食らうような気がした」
私は苦笑した。
「その弁護士は、おそらく良い人だと思うよ。職務に忠実なんだ」
「……だろうな。あの時はただ、ムカつく陰険なオッサンとしか思えなかったけど、今はなんとなく、そうだったんじゃねぇかなって思う。たぶん、あの時とは違う気持ちで、今は会えるような気がするよ、あのオッサンとは。でも、やっぱり噛み付いても教えてはくれないんだろうなとは思うけど。……なんかずるいぜ。あんたはどう思う?」
「きっと彼も、君の気持ちは判ってくれてると思うよ。彼は、おそらく君と君の養父が会うことが、必ずしも問題の解決にはならないと信じていたんだと思う」
「なんで? 養父に会いたいって思うのは当然だろ? もう三年も会ってないんだぜ。俺がバカで、世間知らずなばっかりにさ。でも、自業自得だなんて納得できねぇし、会いたいもんは会いたいんだよ。俺、わがままか?」
「いいや、そうは思わない。私だって、父に会えるものなら、もう1度会いたい」
「……なぁ、あんたの父親ってどうしてるんだ? まさか、亡くなったのか?」
ラダーは真剣な表情になって言った。私はゆっくりと頷いた。
「ああ、八年前にね。……強盗殺人事件の被害者として」
「……えっ……?」
「それまでの私は、お金の苦労などしたことがない、いわゆる『金持ちのおぼっちゃま』だったんだ。父は、若い時から苦労した人でね、それでも新事業で一旗揚げて成功した。成金とも言うな。……でも、私が物心ついた時には、そんな苦労の陰など、父のどこにも見えなかった。おそらく、そんなものを感じさせぬよう、父も努力していたのだろうと思う。私の目には、父親は完璧な人物で、立派な紳士に見えた。それに比べて、自分はなんと出来の悪い息子だろうと悲観していてな。父はとても心が豊かで広い人だったから、そんな息子でも溺愛してくれたのだが。私は非常に察しが悪かったのでね。本当に、父には申し訳ないことばかりしたと思う」
「……あんた、人に教えられるまでは、実の父親だと思ってたんだろ? なんかそれ、えらく他人行儀じゃねぇか。親子なら甘えたりとか、しなかったのかよ?」
「父はいつも忙しそうにしていたからな。話しかけては邪魔になるのではないかと思っていた。私は臆病な子供だったのでね。お前のように、素直になれれば良かったのだろうが、どうしても今一歩の距離を踏み出す事ができなかった」
「…………」
「踏み出していたら、何か違ったりしたのかもしれないが、今は言っても詮無きことだ。失われた時間は取り戻せないし、亡くなってしまった人は生き返らない。今後、注意すれば良いことだ。次があるのならばな」
「……あんたさ、時折妙に年寄り臭くねぇか?」
「年寄り臭い? どういう風に?」
「なんか世捨て人みたいな事言ってんじゃねぇよ。『まだ独身なのに、気分が老けてしまう』からオッサン呼ばわりすんなとか言った男はどこのどいつだ。てめぇで老け込んでりゃ世話ねぇよ」
「そうだな」
私は曖昧に笑った。
「……含むところがあるのかよ?」
「そういうわけでもないのだがな。……大切なものは八年前に失くしたんだ。帰りたいと思う場所も、大切だった思い出も。でもまあ、それは半分は自業自得というやつだからな。誰を恨むわけにもいかない」
「なんだよ。嫌な言い方してんな」
「お前が養父に会いたいという気持ちは良く判るよ。力になれるものなら、なってやりたいと思う程度にはだ」
「なんだよ。同情してんのか?」
「同情というよりは、『同病相憐れむ』ってところかな」
「何だよそれ?」
「……別の言い方をすると、互いの傷をなめ合うとかそういった意味かな。私とお前では、共通項はほとんどないんだがな。だが、私もお前も、母を知らず、父のみを知っている。そして、どちらも父を何らかの形で喪失してしまった。私の方の父は亡くなったために、これ以上どうしようもないが、お前の父は生きている可能性の方が高い。……お前のためというよりは、自己満足のためだな。実際のところは、お前がどう思うかというのは、あまり関係がないんだ」
「……ひどい言い方するんだな?」
「ひどいか? でもお前の顔は笑っているように見えるな」
「あんたが変なやつだからだろ? 呆れてんだよ、たぶん」
「そうか。泣かれたらどうしようかと、実はハラハラしていたのだが。もしかして抱きしめてやったり頭を撫でてやったりしなくてはならないかと思ったりもしたが、私はそんな事はしたことがないのでな。やり方が判らないから、やれと言われたらどうしようかと少々途方に暮れていたよ」
「……そういう風には全然見えなかったぜ。まあ、でも、そんなことは絶対あんたに頼んだりしないから、安心しろ」
本当に呆れたように、ラダーは言った。
「俺が泣き虫だったら、とっくの昔に大声上げてわんわん泣いてるぜ? あんたの不気味な笑顔を見た時点でな」
「……そっちの方がひどいと思うが」
「単なる事実だ」
ラダーはぶっきらぼうに言い放った。