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  作者: 中邑あつし
序章
9/36

9・相原誠

      守るべきものがあるから、人は強くなる


 何もかも失くしてしまったボクは、どうしたらいいのだろう


       いっそ、心も体も失くなってしまえばいいのに……




 九・相原誠



 五月蝿い。ガヤガヤ。ザワザワ。


「えぇ、お前らももうすぐ卒業だ。もう、進路も決まっているものもいる。決まってないものも気を引き締め……」

   「ねぇ、進路決まった?」

 「俺、まだぁ」     「てか、昨日の特番○○観た?」

     「私、○○大内定」          「見てねぇよ」

「うわっマジかよぉ」

「……であるから、もっと受験生としての自覚を……」



 五月蝿い。ガヤガヤ。ザワザワ。


 ……変わらない日常。のどかな学校。そんな平凡な毎日でいい。特別なんて要らない。良い意味でも、悪い意味でも、特別なんて。平凡、それでいいのに。

 学校では、教室の授業空間が一番落ち着ける。誰も干渉しないし、誰も自分を傷付けない。彼等に自由を与えると、授業の束縛から開放された彼等は、立ち所に自分をストレスの捌け口の的にした。ただ、それも彼は慣れてしまって、さほど苦痛ではなかった。

 高校三年の夏の教室は、まるで緊張感がなく、ガヤガヤとつまらない毎日を繰り返す。授業中にも関わらず、教師の話を聞いている者はいるのだろうか。

 窓際の後ろから四列目の席に、相原誠(あいはらまこと)は、見当違いの教科書のページを開き、窓の外を眺めている。この空間が一番落ち着くと思いながらも、彼はその空間にある全て、授業すらも拒絶していた。

 校舎にチャイムが鳴り響く。まるで統一性の無かった生徒等は、この瞬間だけは、皆、同じ動作を繰り返す。

「では、ここまで」

「起立、礼、着席」

 昼休み。皆がそれぞれに行動を取り始めた。

 一瞬、統一された静けさが訪れるも、教室は、より一層の喧騒が立ち込める。机を付け合い、弁当を待ってまいしたとばかりに開封する者。学食に行く者。昼休み前、すでに半分以上弁当の中身が無くなっている者。

 今日、誠には弁当がない。ポケットに手を入れる。チャリン。

「三百円か。パンは買えるな」

 誠は、相変わらずガヤガヤと五月蝿い教室を出ようとする。

 依然、鬱陶しさを増す教室は、居心地を悪くする。かといい、学食が騒々しくない訳でもなかった。逆に我先にと昼飯に在り付く人の様は鬼気迫るものさえ、誠に感じさせた。

 彼は、それが苦手なため、人が少なくなった後の残り物をいつも買っていた。といっても、元々、持ち金三○○円じゃ買えるものなど高が知れている。

 購買に向かうため、教室を出た先で突如、背中に息が止まるほどの衝撃が走る。突発的な後ろからの衝撃に、誠は廊下に倒れ込んだ。

「おぃ。いきなり背中に蹴りかよ。酷いことすんなぁ、吉井」

 声とは裏腹に、茶髪の前髪を弄りながらそう言う男の顔は、卑しい笑みを浮かべていた。だらしなくシャツをズボンから出し、そのズボンは腰下まで下げられている。そして、同じような出で立ちをした金髪の吉井と呼ばれる男は、

「いやいや、いい加減もう恒例になってんだからよ。この時間になったら、俺等のこと素通りはないっしょ。なぁ、誠」

 と、喜々に、誠に同意を求めてきた。

 ……今日も、昼飯抜きか。

 吉井が言うように、この時間、吉井達が誠に絡み、金をせびってくるのは恒例になっていた。

「ぎゃははっ。そりゃそうだ。ほら、吉井もこう言ってんだし、早く金出せよ」

 慣れている。こんなことは日常のほんの一部の出来事に過ぎない。

 大概の事は受け入れられる。これは自分じゃないと、今起きている事を他人事の様に思うと幾分楽になれた。

 ただ、その周りの傍観者のクスクス嘲る声や、冷たい視線、痛いものを見る目、同情、哀れみの視線は、どうしようもなく耐えられない。

「これ、俺の持ち金、全部」

 ポケットに入っていた、誠の昼食代の三○○円は吉井達の手に渡った。

「お前、相変わらずシケてんなぁ。これじゃぁ、俺と佐藤で分けたら一五○円じゃねぇか」

「ホントだよ。もう一桁、0を増やすぐらいの努力して来いよ」

 佐藤が無茶なことを言う。たった、三○○円かもしれないが、それが毎日だ。バカにならない。

「まぁ、いいじゃねぇか、佐藤。と、言っても、やっぱこれだけじゃ俺達の懐をの満たすにぁ足りねぇなぁ。て、ことでよ、一発一○○円でいいから、俺達に十発ずつ殴らせろ」

「え?」

「いいねぇ、その脅えた顔。んじゃ、俺から」

 そう言いうと、吉井の拳が誠の顔面へと放たれたのだった。


 ……痛ぇ。

 トイレで血に汚れた顔を洗い流した後、昼食を食いそこねた誠は行く宛なく、校舎裏の駐輪場で校舎を背に座り込んだ。結局、彼等は十発どころか、一発ずつ殴るのに飽きて、殴るや蹴るの暴行を繰り返したのだ。

 それを見て煽る連中や、歪な笑い顔で写メを撮る女生徒。殴るや、蹴る。その痛みにはいくらでも耐えられるが、どうもそれを取り巻く、周囲の傍観者の視線からの惨めさは耐えられない。

 他人事の様に事を受け流そうとしても、それらが現状の証人になり、それを許さないのだ。今、イジメに遭っているのは、自分自身なのだ。と、つくづく思い知らされる。

 でも、それでも、こんな学校の日々を耐えられるのは、家での現状に比べれば、些細な事にも思えるからかもしれない。

 そう、こんな学校でも、家にいるよりマシだった。

 ……腹減ったなぁ。

 駐輪場の屋根と、それを支える柱の繋ぎ目に、大きい蜘蛛の巣が時折小刻みに揺れている。そこには、必死に絡み付いた蜘蛛の巣から逃れようと足掻く、アゲハ蝶が羽をばたつかせいた。だが、獲物を捉える事に特化したそれからは逃れようもなく、蝶が藻掻けば藻掻くほど、蜘蛛の糸は蝶の体に絡み付く。獲物が力尽きるのを待ってか、蝶の三分の一の大きさにも満たない蜘蛛が、巣の端で不気味に動かない。

 必死に藻掻く蝶が自分に似ている様でやるせなくなる。結局、自分もこの蝶と同じなのだろう。いつの間にか、人間社会の捕食者の巣に絡みついて逃れる事なんて出来やしない。

 だだ、蝶は必死に藻掻いている。無駄なのに。必死に足掻いて。必死に。現状を変えようと……。

 ……全然違うや……、俺と……。

 必死で現状から抜け出そうと藻掻く蝶に対し、誠は現状から逃れることを諦めてしまっていた。ただ、日々を耐え抜いているだけなのだ。同じなんかではない。巣から逃れようと足掻いている蝶の方が、よっぽど今を生きている。

 誠は、蜘蛛の巣に雁字搦めの蝶を助け出そうと手を伸ばした。

 予期せぬ第三者の大きな手に驚いてか、蝶は一際羽を動かし、巣を揺らしている。端で獲物が力尽きるのを待っていた蜘蛛は、俊敏に柱の隅へと身を隠した。

 蝶に絡み付いた蜘蛛の糸を引き千切り、羽に絡み付いた糸を丁寧に取り上げる。蜘蛛の巣は半分以上が壊れてしまった。指には蝶の鱗粉が付着し、手には蜘蛛の糸が絡み付き、風が垂れ下がった糸を揺らしいる。

 誠は、蝶を少し高い花の上に放してみせた。蝶は羽ばたくも、力なくヨロヨロと地面に落ちていくのだった。

 蝶の羽はもう、ボロボロで飛べなくなっていた。こうなったら蝶はもう生きていけない。ただ、力尽きるのを待つしかないのだ。

 ……俺、余計な事したのかな……。結局、自分の事さえ救えない俺が、生き物を救うなんて無理なのかな。

 泣きそうになる。自分のやる事、全てが無意味に思えて。

 グルルル……。

 場所、状況を問わず、腹の虫は誠に食べ物を求めてきた。

 ……こんな時に……。

 食事に在り付けなかった蜘蛛には悪い事をした。


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