7・崩壊
七・崩壊
街がざわついている。学校は夏休みに入るも、寺田の牙はジワジワと街の中高生等を噛み尽くしていた。
初めこそ柚木等、不良と呼ばれる者等が、寺田という姿の見えない者に対し躍起になっていたが、今となると、この街全体がその牙に怯えている。
ここまでで解ったことがあった。寺田は、何かの目的で誰も彼もを襲わせているのではないだろう。ただ、柚木等、街全体の怯える様をみて楽しんでいるのだ。寺田にしてみれば、これはゲームみたいなものだ。目的も何もない。だからこそ、実態を掴むことすら出来ない。
……こんなゲームに、充は殺されたってのか。
それと、もう一つ……、
「柚木さん、俺からの情報もこれが最後です。すいません。俺も、もう、この件からは手を引かせて下さい」
シゲが申し訳なさそうに柚木を伺う。
柚木は、彼に無理強いしていた訳ではなかった。彼は本当によくやってくれていた。
「ああ、お前はよくやってくれた。別に無理することもない。後は俺一人ででもカタつける」
「すいません。俺も、出来るだけ柚木さんの力になりたかったんです。充さんが死んで、どうしても敵打ちたかったし。落ち込む暇なく、毎日、誰かがやられてて、でも、自分に危機感が感じられなかったんです。どこか、これは塀の外の出来事なんじゃないかって。だってそうでしょう? まるで、敵の実態が掴めなくて、奴等には事をやる動機がないんです。
この街だけでも、ガキは何千人もいるんですよ。その中で、奴らはランダムにガキを襲う。奴等の目的が解らないから、自分が狙われる理由も解らない。いや、そもそもランダムだから狙われていないんです。奴等の不気味な恐怖はありました。でも、自分は大丈夫なんじゃないかって」
シゲは現実味が湧かない。どこか他人事の様だと言いたいのだろう。気持ちは解らないでもなかった。柚木自信も、自分が塀の外にいる様な感覚は感じていた。
だが、実際は充が殺され、数人の仲間がやられている。柚木には、それをどうしても他人事で済ませられなかった。
シゲは、この件からは手を引きたいと言ってきたが、その理由をまだ話していない。話を聞く限りでは、笹崎等とは違うようだ。
寺田に関して何か掴んだと、柚木を呼び出したのはシゲだった。それが手を引くことに、何かしら起因しているのだろうか。
「塀の外にいる様な感覚は俺も感じていた。言いたい事は分かる。で、お前は何か掴んだんだろ?」
柚木は奴等の実態への確信を急いだ。奴等の実態のない不気味さが不快で堪らないのだ。確信を得ることで、それが解消されるならと、シゲを急かしてみせた。
「はい。塀の外にいる様な感覚、それは間違いでした。塀の外にいたんじゃない。塀が、広すぎたんです。だから、気が付かなかった。奴等が、こんなにも近くにいたなんて……。俺、もう、誰を信用していいか……」
シゲはガタガタと体を震わせている。
「何言ってる。落ち着け。何か分かったのか? 近くにいたって、寺田が?」
「すいません。落ち着きました。寺田は相変わらず足取り掴めません」
そこで、シゲは言葉を詰まらせた。
「仲介人が、分かったのか?」
「……はい」
「で、どこのどいつだそいつは。清門の奴か?」
様子がおかしかい。大体、何故シゲはこんなにも言葉を詰まらせているのかと、柚木は不安に駆られた。それに、誰を信用していいかなど、奴等が近くにいたなど、それではまるで、自分等の身近な者が仲介人だったと言っているようではないか。
ドクンッ。
内臓が軋む。太っいペンチで内蔵が引き千切られる感覚が襲う。
脈打つ心臓の鼓動が、呼吸を困難にさせる程早くなる。
ドッドッドッドッ。
一秒一秒が長く感じられる。シゲの言葉の間を待つだけで、疲労感さえ覚えるのだ。嫌な予感がする。聞いてはいけない。駄目だ。その先を……。
「……甲斐さんなんです」
「あ?」
聞こえなかったわけではない。はっきりと聞こえていた。ただ、それを頭が理解出来なかった。いや、理解したくなかったという方が正しい。そんな、曖昧な考えで甘えている柚木の頭に、シゲは追い打ちを掛け、もう一度柚木に現実を突き付けた。
「甲斐さんだったんです。仲介人は……」
柚木にそれを受け入れきれるわけがなかった。充を死に追いやり、世間を騒がせている黒幕の一人が、仲間の甲斐だったなんて。動機が分からない。柚木等と甲斐は、中学からの付き合いで、一緒にバカやったりしてきた仲間なのだ。特に充とは、よく二人でツルんでいることが多く仲が良かった。
……大体、充がやられた時だって……、
瞬間、笹崎との会話の時の違和感が頭をよぎる。
『相手は数人だったらしい。商店街を甲斐と二人で歩いてる時に後ろから。鉄パイプで頭割られてた。徹底的だったってよ。その後も』
『どうやら、連中は甲斐には目もくれず充に集中攻撃してたらしく、甲斐も止めに入ったんだろうが、あいつ、喧嘩弱ぇし』
『たまたま、その場に居合わせたのが充で、奴らの中に充を知ってる奴がいた』
あの時の違和感を放っておくべきではなかったのだ。人通りが多い商店街を鉄パイプ持った輩が歩いていれば、それは尋常じゃない。後ろからだから気付かないなんてあるだろうか。充等が気付かないにしても、周りの買い物客達はそれを見ているはずなのだ。それならば、彼が、その後ろの騒々しさに気付かないということが有り得るのだろうか。
甲斐が一人を相手にしていたというのも、何か釈然としない。充は確かに喧嘩が強かった。だが、後ろからの一撃で、彼の意識は既に失われていたのだ。それならば、他の数人は甲斐を相手取るのを一人に任せず、意識の無い充よりも、残った甲斐を相手する方が自然なのではないだろうか。
……と、いうことは……、
そこまで考えて、言い様のない怒りが込み上げてくる。
甲斐は充を呼び出し、信頼しきっている充を後ろから奴等に襲わせた。いや、始めから一緒にいたのかもしれない。そんなことはどちらでもいい。甲斐からしてみれば、奴等と共犯なら、いつでも充を後ろから襲わせることは出来たのだ。
彼が充を裏切ってまで、寺田の仲介人をする理由が柚木には解らない。ただ、充は信頼する仲間の裏切りで死んだということ。それは紛れもない事実なのだ。余りにも惨すぎる。イカれている。皮肉にも程があった。誰よりも仲間を大切にする彼が、その仲間の裏切りで命を落としたのだ。やりきれない。
……この街は、一体どうなってやがる。
寺田にしても甲斐にしても、この街で多事多難に事か起き過ぎる。
寺田の件とは別に、柚木も最近知ったのだが、街は一家心中事件まで世間を賑わせていた。その子供は生きていたらしいのだが、それが柚木と同い年の、大滝高の同級生らしかった。名前は覚えていない。ここ数日で、何故、自分の周りでこうも事が起きてしまうのだ。
柚木は、憤りを感じ家路を辿った。
どんな状況だろうと、家に近づき、細い路地に入ると、この吐き気はやってくる。葬式の帰りもそう。柚木を感傷に浸らせたのは、あの公園だけだった。家には、柚木の都合などお構いなしに、残酷な現実が待ち受けている。そして今日も、二人組の男はベンツを路肩に停め、そこにいるのが当たり前のように、アパートの入口に立っていた。
……毎日毎日、仕事熱心なことだ。
その仕事に対する熱を、もっと真面な事に使えばいいだろうに、彼等が借金の取立てをしているのは、ここだけではないだろう。彼等のその金に対する執着ぶりが、柚木には理解出来なかった。
相変わらず、佐伯の鼻に付く猫なで声が耳に入る。
「太成ちゃぁん。お父さん、お金払ってくれないから、大成ちゃんが払ってくれるって言ったよねぇ? おじさん達、大分待ってんだけど、今日は用意出来たのかな?」
柚木に、三○○万という大金を、すぐに用意出来るはずもない。それに、父は金を返していない訳ではなかった。昼夜、汗を流し働いた金を切り詰めては、佐伯等の経営する、「ケイアイ・ファイナンス」へ、毎月銀行から振り込んでいた。それにも関わらず、高すぎる暴利が逆に借金を増やしているのだ。
「すいません。もう少し、待って下さい」
柚木は、拳を握り、苦虫を噛み潰したような顔をさせ、意思のない謝罪をした。
「おじさん達も暇じゃないんだよ。太成ちゃん、本当にお金返す気ある? おじさん達もさぁ、色々考えちゃう訳。このままじゃぁ、埒が明かないんじゃないかって。で、調べさせてもらったんだけど」
いつもと違う。何か嫌な予感がする。不安がよぎる。並々ならぬ虫の知らせがした。ずっとこのままで通せることではないとは分かっていた。分かっていたが……、
「太成ちゃん、こういうことは早く教えてくれないと……」
一体、佐伯は何を調べ上げたというのだろうか、言葉に一時の間をおいた。そして、
「……前原建設って知ってるでしょ?」
と、口端を吊り上げ、卑しく俗悪な顔をさせ、柚木を覗き込んだ。
「なっ?」
身体に電気が走った。
……フザけんな!
チサの家は関係ない。どうかしている。何故、自分の借金が彼女を巻き込むのだ。
「そこの社長と太成ちゃんのお父さん、子供の頃から大の仲良しらしいんだわ。そして、その娘がこれまた、太成ちゃんと同級生。前原建設の社長は情に熱いらしくてね」
最悪だ。一番巻き込みたくない相手を。確かにチサの父親は情に熱い。柚木の父の借金のことも肩代わりしようなどと言ったこともあった。だが、父はそれを断った。それは柚木も断るべきだと思った。もし、父がチサの父親から借金を肩代わりされようものなら、彼は父を一生軽蔑しただろう。チサも、肩代わりすることは、何とも思ってはいないのだろう。彼女は、柚木がそれにより苦労している様を見てられないといった感じだった。だが、彼等ヤクザは、金の亡者なのだ。肩代わりして、金を返済してそれで終わる保証はない。有りと有らゆる限りを尽くし、前原建設から金を絞りとることを考えてくるに違いない。絶対に、是が非でも、チサを巻き込むことは出来ない。
「まぁ、今日はそれを伝えに来ただけだから、安心して。おじさん達、優しいだろ。お父さん、今日も居ないみたいだし、前原建設にでも顔出そうかね」
「はい」
と返事をすると、細身の男が背を向け、路肩に止めたベンツへ歩き出す。それに続き、佐伯も柚木から飄々と身を翻した。
途端…、
柚木の中のナニカが音を立てて崩壊した。柚木は車に向かい歩いている佐伯の後頭部を殴りつけた。
「何さらしとんじゃコラァ!」
ベンツのドアを開け、佐伯を迎えようと待っていた細身の男は、物凄い形相と罵声を浴びせ、柚木に向かって来た。
怒りが増幅する。憎しみが爆ぜる。制御出来ない。頭に血が登り、視界が赤く染まる。蟲が這う。胸に、頭に。その群れが、身体中に蠢く。支配されたのだ。怒気に。憎悪に。理性は失い壊れた。
…………そこからは、あまり覚えていない。気が付けば、立ち尽くしている柚木の足元に、二人の男が倒れていた……。