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  作者: 中邑あつし
序章
6/36

6・充

 六・充



 柚木は、いつもの校舎の屋上にいた。いつもの様に昼寝を決め込もうするが、頭の中にドロドロと流れ込む思考のせいか、なかなか寝付けやしない。時間の経過さえもよく把握出来ないほどだ。

 陽はいつの間にか落ち、校舎から見える空はオレンジ色になり、街並みは群青の影を造っている。昼と呼ぶには程遠かった。

 ピピピピ。耳障りな携帯の音が耳を打つ。

「もしもし」

「…………」

「おい、もしもし」

「充が……、死んだ……」


 ゴッ! 左頬に鈍い痛みが走る。

「何しに来た。お前等が充を殺したんだよ。たった一人の息子なんだ! 息子を返せ!」

 顔をシワクチャにしながら、充の父親は柚木に殴り掛かった。

 殴られる事に関しては慣れている。慣れているが、十数年生きてきて、人に殴られる事がこんなにも痛いと感じたのは初めてだ。内側から言いようのない痛みが込み上げてくる。

「お父さん、辞めて。葬式中に」

 充の母親が父親を止めに入った。決して、柚木を庇うために父を止めた訳ではなかった。

「すいませんけど、出て行って下さい。判るでしょ? ここは貴方達のいていい場所じゃないの」

 母親の顔は酷く窶れ、化粧がその役割を果たせていない。どれだけ泣き腫らしたのだろう。化粧で隠しきれない程に、目の周りは腫れ上がっていた。

「なぁ、返してくれ。充を返してくれよぅ……」

 物凄い形相で柚木の胸ぐらを掴んでいた父親の顔に力はなくなり、柚木に縋り付く様に父親は膝を地に落とした。

「すいません……」

 何に対してのすいませんなのか判らない。ただ、責任は感じていた。もし、充が生き返る事が出来るなら、変わりに自分の命だってくれてやる。死ぬ事なんて全く怖くない。自分の死の代価が充の命になるなら、喜びさえ覚える。

 だが、結局、何も出来やしない。自分の無力さの憤りをただ、すいません……としか言葉に表せなかった。

「せめて、線香だけでも上げさせて貰えないでしょうか?」

 隣にいた笹崎が視線を落とし込み父親に尋ねた。

「母さんの声が聞こえなかったのか? 出てってくれ」

「でも……」

「出て行けっ!」

 間髪入れない父親の言動に、柚木達は従うしかなかった。


 葬式に参列させてもらえなかった柚木等は、肩を落とし、昼下がりの帰路を辿る。

 言いようのない悲しみと悔しさで身体中が強ばる。次第にそれが言い表せようのない憎悪に変わっていく。握り締めた拳の中は汗が滲み出し、自分が今、どんな顔をしているのか判らない。

 余程な顔をしていたのか、笹崎が柚木の顔をみて驚いていた。

「寺田だ。許せねぇ。笹崎、何としてもあいつを見つけ出すぞ」

「……もう、辞めよう。俺はもう降りるよ」

 一瞬、笹崎が何を言っているのか解らなかった。

「何言ってんだ」

「もう、辞めようって言ってるんだ」

「だから、何言ってんだ。充が殺されたんだぞ」

 怒りが自分の声さえも震わせている。顔の筋肉がコントロール出来ない。頬はヒクヒクと吊り上がり、顎はガクガクと上下する。

「だからだよ! もう、俺等の手に追えるもんじゃない。甲斐だってオカシクなっちまうし、大体、寺田ってどこに居んだよ! もう、怖いんだ。嫌なんだよ! もう! ……警察に任せよう。それでいいだろ?」

 笹崎は、体を震わせ怯えていた。柚木は愕然とした。笹崎のこんな姿を見るのは初めてだった。それでも、やはり納得がいかない。

 ……ダチが、仲間が殺されてノコノコと引き下がれるような奴だったのか。もし、殺られたのが笹崎だったとして、充なら絶対俺と同じ事を考えるはずだ。寺田を放っておいちゃいけない。

「分かった。テメェは家で大人しくしとけ。他の奴等とで寺田は何とかする」

「無駄だ。他の奴等も一緒だ。雄二や楠木等も。もう、この件には手を引きたがってる」

「どういうことだ。お前等、悔しくねぇのかよ! このまま、引き下がれるわけねぇだろ!」

「どうもこうも、皆、お前みたいに強くねぇんだよ。そりゃぁ、お前や充の強さに憧れて慕ってる奴もたくさんいる。その充も殺られちまった。腕っ節だけじゃない。周りの嫌な出来事、物事を抱え込めるほど、俺等は強くないんだよ」

「そうか……」

 それしか言えなかった。自分と仲間との間の意思の違いに対し、ショックを隠せない。

 柚木にとって、仲間はこうであるべき、自分と同じだと思い込んでいたに過ぎなかった。本当に仲間のことを思うのなら、笹崎の言う通り、この件は、仲間を巻き込まず、そっとしておくべきなのかもしれない。

「じゃ、俺こっちだから帰るわ」

 言うと、笹崎は路地の角を曲がり歩き出した。

「笹崎」

「ん?」

「すまん」

「らしくねぇ」

 片手をひらひらさせ、笹崎は帰路に付いた。


 家に帰る気も起こらず、どれくらいの時が経過したのだろうか、暗くなり始めた公園のベンチで一服する。始めこそ、子供等が駆け回り、無邪気に遊ぶ姿が見受けられたものの、今はベンチに柚木一人が取り残されていた。

 公園に来るのはいつぶりだろう。この歳になると全く縁がない。小学生の頃を思い出す。あの頃は、自分と充とチサ、いつも三人一緒だった。

「ここにいたんだ」

 葬式が終わったのか、そこにはチサの姿があった。彼女は柚木の隣に腰を掛け、自分の膝を見つめ、何か思い詰めたような顔をしている。チサもさっきまで泣いていたのだろう、目が赤く腫れ上がっていた。

「変なこと、考えてないよね?」

「変なことって?」

「寺田って人のこと。もう、太ちゃ、柚木くんまでいなくなっちゃうのは嫌だからね」

 チサまでが柚木を止めようとする。

 チサのその両手は、力一杯スカートを握り締めていた。柚木を思ってのことなのだろうが、柚木は寺田の事から手を引くつもりはなかった。

「太ちゃんでいい」

「太ちゃんは、いなくならないよね?」

「いなくなるわけねぇ」

「だったら、もう、寺田って人の事、探るのは辞めて」

「俺があいつのこと探るのを辞めたところで、奴は無差別に人を襲ってる。危険なのは変わりない」

 その通りだ。このまま放っておけば、チサにまで危険が降り掛かる可能性だってある。

「それでも、それでも辞めて。後は警察が何とかしてくれるはずだから。充くんも、きっと生きてたらそう言うと思う」

 ……充が、そんなこと言うはずがない。

 柚木は誰よりも充の事を知っているつもりだ。だが、同時にチサは、柚木、充、二人の事を誰よりも理解していた。柚木は、彼女が何故そう思うのか、どうしても納得出来なかった。

「警察なんかに任しておけるか。大体、充が生きてたら俺を止める訳ないだろう」

「ううん。充君ならきっと止める」

 きっぱりとチサは言ってのけた。その目線は公園の中央にあるが、どこか遠くを見ている様に見えた。

「太ちゃん、覚えてる? あの時のままだね、滑り台。

 小学生の時さ、太ちゃんが滑り台の下に大きな蜂の巣を見付けて、公園の平和は俺が守る! なんて言って、棒切れ持ってさ。私は怖くて、泣いて太ちゃん止めたんだけど、太ちゃんは俺に任せろ。なんて言って」

 なんとなく覚えている。いや、チサの話を聞いて思い出してきた。

「それでさ、太ちゃんその棒で蜂の巣叩き落とすんだけど、その後が大変。落ちた巣からいっぱい蜂が出てきて、私は、遠くで泣くことしか出来なかったけど、太ちゃんは、蜂に刺されながらも棒で蜂と戦ってんの。結局、太ちゃんも適わなくて、体中蜂に刺されて大泣きしちゃって」

 その時の懐かしい風景がチサには観えているのか、チサの遠くを見つめるその目は、まるで小学生そのものだ。

 柚木はというと、恥ずかしさで柄にもなく、顔を赤らめていた。というか、チサは淡々と語ってはいるが、柚木ににとっては生死の堺をさ迷いかけた出来事だった。

「充くん、あの頃から人一倍、冷静に周りが視えてたもんね。私が泣いて太ちゃん止めてるとき、充くんは、私のお父さんの現場まで大人達呼びに行ってて、お父さん達が駆け付けるのが遅かったら、太ちゃん、ショック死しててもおかしくなかったって」

 あの時、気付いた時には、柚木は病院のベッドの上だった。

 ……そうか。だから、なんとなくしか覚えてないのか。

「太ちゃんはね、今、色んなことがあって、周りが上手く視れてないと思うの。だから、充くんが生きてたら……」

 その通りなのかもしれない。柚木は、自分の知らないうちにも、充に助けられてきている。自分が何も考えず喧嘩していても、充はそのフォローも徹底していた。

 昔、暴走族の竜騎閃の頭とのタイマンをすると、川原に柚木が一人で向かったことがあった。だがそれは、竜騎閃の罠であり、川原には木刀や角材を持った十数人の族が待ち構えていたのだ。柚木は、構わず十数人を相手取り、応戦していたが、いくら柚木でも多勢に無勢、現実、武器を持った複数の族を一人で倒すのには無理があった。一方、竜騎閃の罠を見越して、仲間を集め、柚木の窮地を救ったのは、他でもない充だったのだ。

 ……ただ、俺一人がガキのまんまってわけだ。

「あぁ。お前の言う通りかもな」

「じゃあ」

「ああ。もう、寺田の事は干渉しない」

「よかった」

 チサの顔がみるみる緩んでいく。本当に表情が分かりやすい。

「あ、太ちゃん達の分も、お焼香、私が変わりに済ませといたから。充くん、きっと喜んでると思う」

 途端、今まで押し留めておいた何かが弾けた。

 親友の死。それが柚木に突き刺さる。受け入れたくなかった。信じたくなかった。考えないようにしていた。ふと、悲しみに襲われることはあった。だが、親友の死の現実を、寺田への憎悪に転化していた。彼の死に耐えきれる程、柚木自信、心の強さを持ち合わせていなかったのだ。ずっと、幼い頃から一緒だった。これからも、大人になっても、ずっと一緒にツルんでいくものだと思っていた。それが当たり前だと思っていた。三人が。それなのに……。

 柚木はチサに抱き付き、溢れ出す涙を止められない。チサは、始めこそ驚いてみせたが、柚木の肩を、優しく両手で包み込んだ。

「充、死んぢまったよぉぅ……」

「うん」

 それだけ言うと、チサは柚木の頭を黙って撫で続けた。

「うっ……」

 こんなに、泣いたのはいつぶりだろう。喧嘩最強とまで言われた自分が、齢十八にもなって、少女に縋り付き嗚咽する姿はおかしいのだろうか。今まで受け入れようとしなかった分、その反動は、自分の想像を遥かに超えた悲しみを突き付ける。

 柚木は、頭をチサに撫でられ、ただ、ただ子供の様に泣くことしか出来なかった。


 チサと別れて家路を辿る。

 雲の無い夜空は、星が満天に輝き、三日月が涙に濡れた目を照らす。皮肉にも、悲しみに濡れ、上を見上げたその時、この街の空がこんなにも美しかったことに気付かされる。

 それと同時に、この美しい夜空を、もう見ることさえ出来ない充のことを思うと、また、途方のない悲しみに襲われる。

 ……チサにはああ言ったが、俺はやはり寺田を許す事が出来ない。俺から、チサから充を奪った奴が許せない。


「なぁ、太成。お前、チサのことどう思う?」

「どうって?」

「好きとか、嫌いとか」

「充、お前まさか、チサのこと好きなんか?」

「ああ。もう、ずっと」

「へぇ、お前がねぇ」

「んだよ。ニヤけてんなよ。けど、チサはお前のこと好きだかんな」

「は? んなわけねぇだろ」

「やっぱ、気付いてなかったか」

「だから、んなわけねぇって。てか、いつ告るんだ?」

「告るつもりはない」

「はぁ? 分かんねぇ。好きなら告ればいいだろ」

「俺はお前とチサ、三人といれればそれでいい。それに、チサと同じくらいお前も好きだしな」

「なんだそれ。キモ」

「お前の頭の方がキモい。今時、リーゼントはねぇだろ」

「テメッ! 男はリーゼントだろが。なんなら、アイパーにすっか?」

「ははっ。やっぱお前、おもしれぇなぁ。退屈しねぇ」



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