8・密輸
八・密輸
碇は相変わらずデスクに資料を散乱させていた。灰皿は吸殻が山盛りになっている。散乱する資料の中には、ZEROの資料だけに限らず、本件の資料もあった。
つい一週間ほど前に、管轄内の雑居ビルの駐車場で身元不明の他殺体が発見された。遺体は二十代の全裸の女性だった。死因は絞殺による窒息死。別の場所で殺された後、雑居ビルの駐車場に捨てられたと思われる。犯人が何故わざわざその場所へ遺体を捨て去ることを選んだかが気に掛かるところだ。物事には全て理由がある。その場所でないといけない理由が犯人にはあったのだろう。いや、何かしらの予期せぬ状況が犯人の身に起こり、やむなくその場所に捨て去ることになったとも考えられる。どちらにしても、犯人が捕まるのも時間の問題だ。
本署の捜査本部に届けられた解剖所見によると、女性の膣内からは犯人のものと思われる体液が確認されたらしい。女性の身元が判れば、犯人の特定も容易く割り出せるだろうと碇は思った。
この事件には、ZEROは全く関係していない。だがこちらの事件の方が、本来碇が捜査しなくてはならない事件なのだ。実際、彼がZEROの捜査に本腰を入れるのは非番の時くらいだ。後は署内で本件の資料を見る合間を縫っては、ZEROの資料を眺めるという地道な作業を繰り返していた。
ただ、緊急を要するZEROの襲撃があった場合などは、本件をそっちのけで飛び出してしまうことも碇は少なくはなかった。その後の係長からの痛い視線には、彼はもう慣れていた。
雑居ビルで発見された女性の殺害事件は、碇の署に捜査本部が設置されている。当然、本庁からの刑事達も集まってくる。いくら碇が暗黙にZEROの捜査をしているといっても、襲撃現場にどうどうと顔を出していれば、本庁の刑事達にも碇の行動は筒抜けである。
警察学校での同期である本庁の刑事から、「そんなにZEROの捜査をしたいのなら、四係に移動でもしたらどうだ。うちの四顆の奴等が愚痴をこぼしてたぜ」などと嫌味を言われることも少なくはなかった。彼が言うには、もう少し身をわきまえろ、とのことだった。
「迷惑掛けたんなら悪かったな。あまりでしゃばってるつもりはなかったんだが、行き過ぎた行動は控えるよ」と碇は彼に言った。
「まあ、俺は別に気にしちゃいねえけどよ。ただ、上はそういうわけにはいかんだろうからな」
彼の言うとおりだった。所轄で捜査本部の指揮をとる管理官に、身の振り方を考えろ、と碇は釘をさされたこともあった。しかし、碇はZEROの捜査に関わるほど、その存在を放っておけずにいた。
何故かは分からない。無論、親戚の子供のことも、その理由の一つと言える。だがそれとは別に、言葉で言い表せない何かが、彼をZEROに執着させた。組織全体には悲しみが帯びている。そんな組織など、碇は今まで見たこともない。彼等は、皆が自ら死へと向かっているのだ。
組織の背景、組織の人間の背景には、何とも言えない悲しみが潜んでいる。
それは、今この国自体が抱える悲しみではないのか。彼等は、この国の悲しみが生んだ哀れな殺人鬼ではないのか。
ZEROを止めるならば、それから目を背けてはいけない気がした。この国の秩序を守るのが警察なら、ZEROも、ZEROを生み出す原因となった理由も、放っておくべきものではないのだ。
碇はインスタントの珈琲を一口啜った。自分で淹れたものだ。
彼はあの喫茶店以来、珈琲の虜になっていた。彼が淹れた珈琲は、喫茶店の珈琲とは似ても似つかない味だった。
珈琲であることに変わりはない。それで充分だった。彼には大した味の違いも分からないのだ。それより彼にとって、喫茶店の珈琲よりも、喫茶店であった出来事の方が重要だった。
その場に居合わせた青年は、柚木太成という名だった。彼はZEROの首領の名前を「零」と答えた。彼はどうやってZEROの情報を知り得たのだろう。警察でさえ掴めていない情報だったのにである。
そして、一緒にいた前田重晴という男。彼は何故警察に情報を提供しない。彼等もZEROを妄信する者の一人なのだろうか。
碇は頭を掻いた。彼等のことをもっと調べる必要があると思った。
「碇さん」
彼が煙草を吸おうと箱の口を開けたとき、誰かが声を掛けてきた。視線の先には、首の後ろを掻きながらこちらへ歩みよる仲川の姿があった。
「碇さんが頼む仕事は、毎回骨が折れますよ」
「まあ、そう言うな。こっち系は俺には全く解らんし、相良よりもお前の方が詳しい」碇は煙草を咥えた。「で、何か分かったのか?」
碇は自殺について仲川にパソコンで検索させていた。そこに確信に繋がる何かがあるとふんでいたのだ。
しかし仲川は首を横に振った。「まったくです。自殺ってだけでも、数万件ヒットするんですよ。その中から、自殺者の集まる支援サイトを絞っても、数十件はあります。中には会員性で全部覗けないサイトもあるし、いちお、会員登録はしましたけど、毎月の会員料、必要経費で降りるんですかね?」
「判らん。だから、署のパソコンを使えって言ったろ」
「勘弁して下さいよ。署のパソコンで自殺サイトに登録しちゃまずいに決まってるでしょう。やっぱり、検討違いなんじゃないですかねぇ。ここ三年間の自殺サイトの掲示板やら見たんですけど、勧誘らしき文面は見付かりませんし。それに、三年も前の古い掲示板の書き込みは消えてますよ。それは、俺個人の力じゃどうにも」
「そうか」と碇は顎をつまんだ。咥えた煙草に火は付けられていなかった。
また手詰まりか、と碇は思った。ZEROは自殺サイトで人員を募集しているわけではないのか。そうじゃないにしても、何らかの関連性があると予測していた。相良が言っていた、被疑者宅に友人が訪ねて来ていたというのも碇には引っ掛かかっていた。自殺サイトを調べること自体が、見当違いの可能性もある。
彼は使い捨てのライターを握り締めた。
いや、刑事は積み重ねだ――そう自分に言い聞かせた。まだ始めたばかりなのだ。これくらいで根を上げていては、刑事なんか務まらない。
碇は煙草に火を付けた。煙を目一杯吸い込むと、天井に向かって吐き出した。
「苦労かける」そう言って碇は破ったメモに零と書いて、それを仲川に渡した。「新しい情報なんだが、検索に零ってのを付け加えてくんねぇか。ZEROの首謀者の名前だ」
「やっぱり、まだやるんですか?」と仲川は、あからさまに嫌な顔をした。その後、首の後ろを掻きながら彼はメモを見た。「零、ねえ」
「お願いだ。あと、お前の言った通り、消えてるかもしんねぇが、三年以前にも少し遡ってくれないか?」
「分かりました」そう言って仲川は、吐息をついた。「こういう時の碇さんは、何を言っても無駄ですからね。でも、あまり期待しないでくださいね」
「ああ。このツケは必ず払う」
「いいですよ、自分も昔は、碇さんにだいぶ助けてもらったし」
こう言われると、碇としては昔の恩を彼にきせているようで、居た堪れなくなる。碇はそれとは別に、ちゃんとツケを彼に払うつもりだ。
そういえば、と仲川は言った。「相良君は何してんですか?」
「ああ、あいつは今、本件の捜査だ」
「しっかり本件の捜査もやってるんだから偉いですね」
「偉いって、あいつがか?」碇は眉を吊り上げた。
「そうですよ。碇さんにこき使われたうえでの本件捜査ですからね」
まあな、と碇は言った。
「その部分では、あいつには感謝してる」腕を組んだ。「ただいかんせん、あいつは頭が弱いからなぁ」
えっ、と仲川は声をあげた。「相良君、頭いいですよ。大学も有名な大学の法学部出身ですし、途中一年休学したらしいですけど、成績はトップクラスだったって、四係の相良君の元同期から聞いたことがあります」
碇は開いた口が塞がらなかった。口からは煙が漂っていた。
それに、と仲川は続けた。「四係でも期待の新人なんて言われてたらしいですよ。これは俺も信じられないですけど、四係の同期からしてみれば、今の相良君の方がまるで別人みたいらしいんです」
「信じられんな」腕を組み直し碇は言った。「四係にいたときとは別人に見えるほど、今のあいつは変わったってことか」
「少なくとも、今みたいに冗談なんか言う人ではなかったみたいですね。笑った顔自体、そんなに見たこともないらしいですよ」
「あいつがか?」
仲川は苦笑して頷いた。「でも、碇さんといて変わってしまうのも分かりますけどね」
「どういうことだ?」
「変わるっていうか、自が出ちゃうんですよ。タガが外れるっていうんですかね。俺も新人のころなんかはすごく気張っていたんですけど、碇さんといると、そういうのがなくなるんです。緩いっていうのかな。でもその中にも、決して揺るがない芯がある」
「それは誉めてんのか?」
「もちろんですよ」
仲川の言葉に嘘はないようだ。
それならいいが、と碇は頭を掻いた。そして呟いた。「俺は、あいつの才能を無駄してんのかもな」
「どういうことですか?」と仲川は訊いた。
「だから」と言って碇は煙草を灰皿にもみ消した。「あいつは期待の新人と言われるほどの逸材なわけだ。俺なんかの下についてるより、もっと上を目指すべきなんじゃないのか――と思ってな」
「気持ちは分からないでもないですけど、相良君は碇さんの下で働きたいと自ら志願したんでしょ」
「そこなんだよ」と碇は言った。「どうもそれが分からん。なんで俺なんだ」
「俺は相良君の気持ちも分かりますけどね。俺も碇さんに教えられたことはたくさんありますし。どういう刑事でありたいかは、人それぞれです」
「まあな」
「そりゃあ相良君でしたら、昇進試験受けて上を目指す道もありますけど、相良君は、刑事でありたいんじゃないですかね」
「分からん、俺の下でなくても刑事であれるだろ」
「そうなんですけど」少し考えるように仲川は顎をつまんだ。「碇さんは、刑事そのものなんですよ。警察という組織の社員ではなく、根っからの刑事。今はそんな刑事も珍しいんじゃないですかね。とくにキャリアや組織の上の人間であるほど、組織の在り方、組織の向上に目を向けてます。組織の内側を形成してるのに対し、碇さんは組織の外、事件であったりその被害者や犯罪者、人そのものを見てるんです。碇さんが現場にこだわっているのもそのためでしょ?」
「犯罪は人が犯すものだからな。犯人も被害者も、刑事もみんな人だ。現場で直接関わらんと見えてこんものもある。それが刑事ってもんだ」言いながら、仲川が何を伝えたいのか碇には分かった。「そういうことか」
「そういうことですよ。組織にとらわれていたら、刑事らしいことを出来るのは限られる。上にいけば尚更です。それが今の警察の現状なんです。碇さんだって秘密裏にZEROを追っている。それだけ、警察組織には行動に制限があるんです」
仲川の言うことは最もである。刑事は刑事である前に、警察組織の人間だ。組織があっての刑事なのだ。碇が好きかってに捜査に取り組むのも、組織の一員として落ちこぼれであると自負しているからにほかならない。もともと頭の出来も悪いし、彼には出世欲もなかった。
「だからと言って、俺と落ちこぼれの道をあいつが歩く必要はあるのかね」碇は首を捻った。
「俺は碇さんを落ちこぼれだんて思ったことはないですよ。組織の一員としてではなく、一人の刑事としての碇さんは、少なくとも俺や相良君からしたら最高の刑事の形です」
「大袈裟だ」碇はやれやれと頭を横に振った。「そんな大層なもんじゃねぇ」
まあ、取り敢えず、と仲川は言った。「相良君はまだ若いんです。あとでいくらでも道は選べます。今は相良君の望むようにさせていいんじゃないですかね」
「今まで通り、てことか」
「そうです」
相良が望んでいるのなら、それでいいかと碇は納得した。もともと相良との接し方を変えるつもりなどなかった。それに自分が何を言っても、相良が自分の決めた道を変えるとは思えない。
「まあ」と碇は言った。「相良のことはもういい。自殺サイトの件、よろしく頼む」
「分かりました」そう言って仲川は、碇にもらったメモを改めて眺めた。「これ、読みはレイでいいんですよね」
碇は頷いた。「それで間違いない」
仲川はメモをたたんで手帳にはさんだ。その時、「仲川君、ちょっといいかね」と彼を呼ぶ声がした。係長だ。
「じゃあ、すいません」そう言って仲川は手刀を切った。「俺、行きますね」
「ああ、すまんな。時間とらせて」
「いえ、何か分かったら連絡しますんで」
碇は頷いた。それを確認して、仲川は係長のもとへと向かった。
碇は珈琲を飲もうとカップを手にした。さっき全て飲み干していたことに気付いた。喫茶店の雰囲気に流されて洒落たカップを購入したが、これならもっと量の入るものでも買っておけばよかったと少し後悔した。
時計を見ると、もう昼すぎだった。今までそうでもなかったくせ、時間を認識した途端に空腹を覚え始める。
今日は何を食おうか――そんなことを考えていると、ちょうど携帯が鳴った。相良からだ。時間帯から察して、昼食の誘いだろうことに碇は察しがついた。
「もしもし、どうした」
「あ、碇さん。飯行きましょう。うどん屋、先行ってますんで」
「ああ。今行く」
携帯を切ると同時に、碇は上着を羽織った。
毎日、うどんも飽きたなぁ――デスクの上を整理しながら呟いた。
碇はうどん屋に入るなり、相良の姿を探した。うどん屋に来れば、出入口に一番近いカウンターに座るのが二人の常だった。急な呼び出しにも、すぐに対応出来るからにほかならない。しかしそこには彼の姿は見当たらなかった。カウンターにはすでに空いている席すらない。
奥のテーブルで手を振る相良を碇は見付けた。彼のもとへ向かった。椅子を下げ、腰を降ろしながら碇は言った。「今日は混んでるな」
「そうですか?」と相良は言った。「この時間帯は、いつもこんなもんすよ」
そうだったっけな、と碇は首の後ろを掻いた。
パートの中年女性店員が、こちらに来るなりお冷を差し出した。
「ご注文は、お決まりでしょうか?」
「あ、俺は、トンカツうどんセット」相変わらず、相良は重いものを頼む。
碇はお冷を一口飲んで、メニューを片手に言った。「きつねうどんと、そうだな、あと、稲荷寿司でいい」
「はい。トンカツうどんセットに、きつねうどんと稲荷寿司ですね」店員は元気よく注文を繰り返した。そして踵を返すと、カウンターの奥の厨房に元気よく声掛けする。「注文入りまーす。トンどんセット、きつね、稲荷でーす」
はいよ、という複数の合わせた掛け声が厨房からあがった。そしてすぐに「すいません」と奥のテーブルから声がしたかと思えば「はい。ただいまお伺いします」と店員は慌ただしく次の客の注文を伺いに行った。
この時間のうどん屋は、活気が溢れ返っている。めまぐるしいほどの忙しさに笑顔を絶やさない店員達は、余程教育が行き届いているのだろうと思われた。
「お前から飯の誘いとは珍しいな」碇はメニュー立てにメニューを戻してから言った。「まだ奢りのことを根に持ってんのか?」
「少し、気になることがありまして」と相良は言った。やけに真剣な顔だった。しかし奢りの念は忘れなかった。「今日は奢ってもらいますからね」
「今日は俺が奢る。それより……」碇はコートを脱いだ。それを椅子の背もたれに掛けてから言った。「気になることってのは何だ?」
「それなんですけど」と相良はテーブルに身を乗り出して声を潜めた。「最近、暴力団の銃器を持つ数が妙に増えてません?」
それはそうだ、と碇は思った。暴力団も自分の命を守るのに必死なのだ。
「まあ、奴等も必死なんだろ」
「それでも異常ですよ。問題は、どこから仕入れてるかってことです」
「密輸ルートか?」
「はい」と相良が頷いた。そして辺を警戒するように、視線をめぐらせてから言った。「警察が、暴力団への密輸ルートを斡旋してるらしいんです」
碇は我が耳を疑った。つい声を荒らげてしまう。「警察が暴力団への斡旋だと?」
「碇さん、声が大きいです」そう言って相良は両手を突き出した。きょろきょろと辺を警戒している。
「ああ、悪い」碇は手刀を切った。
しかし有り得ない。警察はいったい何を考えているのだ。
片手で頭を掻きむしって碇は訊いた。「それは、間違いないのか?」
相良は頷いた。
「おそらく、間違いないです」
碇は舌打ちした。胸騒ぎがした。全身が熱くなっていく。水を一気に喉に流し込んだ。
それが本当だとしたら、警察が暴力団への密輸を援助しているということになる。犯罪を取り締まる警察が道を誤ってしまえば、それこそ本末転倒だ。
大体、何のメリットが――。
彼は腕を組んだ。そして目を閉じた。しばらくそうしていた。その途中、二人の頼んだうどんが提供された。箸を付ける気にはなれなかった。
空になったコップに、ピッチャーの水を注いだ。その後、それを一口飲んでから碇は言った。「それが本当だとして、何故、警察は暴力団を援助する必要がある」
「まあ」と相良はお冷を飲んだ。「暴力団にとってZEROが邪魔なように、警察にとってもZEROが邪魔なんじゃないですかね」
確かに、ZEROは英雄扱いされ、世間からしてみれば警察の信用は右肩下がりだ。ZEROに妄信した輩の中には、警察は市民の生活を脅かす暴力団を守っている――などと言う者も増えている。
「だからと言って、それは有り得んだろ」碇はこめかみを掻いて言った。
それこそ、世間に知れ渡ることになれば、警察の信用は取り返しのつかないことになりかねないのだ。
「まぁ、そうですね」と相良は言った。そして顎をつまんだ。「ただ、警察上層部と暴力団幹部の繋がりって、よく聞きません?」
まさか、と碇は思った。いや、実際どうなんだ――?
そういった話をよく聞くことはあった。敵の情報を知るには、敵をよく知る必要がある。情報の交換、暴力団の警察上層部へのワイロ等もよく耳にすることは事実だ。実際、政治家と繋がっている暴力団幹部もいるのも確かである。
最近、勢力を上げつつある海外マフィアとの均等を守れているのは、実際、日本の暴力団との微妙なバランスで成り立っている。その均等が崩れてしまえば、必然的に困るのは警察なのも確かだ。上層部の人間で暴力団にいなくなってもらっては困る者――そういった警察の一部が暴力団を斡旋しているということなのか?
碇は額に手をあて吐息をついた。
「ああ。その辺は、俺も噂でならよく聞くがな。でもそれは、警察内部での都市伝説みたいなもんだろ」
「ところがですよ」と相良は言った。「密輸ルートを敢えて一本化しているようなんです。警察が用意した密輸ルートで銃を手に入れられれば、安全ですからね。もし、他のルートで密輸をして警察に見付かれば、逮捕されるらしいんです。だからわざわざ、彼等は別のルートから危ない橋を渡って銃を手に入れることはないんです。みんな、そのルートに集まるんですよ」
「確かにそうだったら、危険を犯してまで他のルートで銃を手に入れる者は無くなる。だがそれは危険過ぎる。ZEROをもし排除出来たとして、残った暴力団は大量の銃器を所有していることになる」碇はコップを口に持ち上げた。「そんなこと、許されるはずがない」
「それが、どうもそれに関しては手を打っているらしいんです」
碇は片眉をあげてコップを口から離した。「どういうことだ?」
「その、安全に銃を手に入れられる変わりに、暴力団の組織名、受け取る組員の名前は必要記入になってます。偽名、詐称は出来ないようになってますから、組織名、組員の名前は全部、データが取られているそうです。つまり、事が落ち着けば警察はそれを回収する。それを拒んだ場合は国家権力を使って、暴力団をどうにでも出来ます」
馬鹿げている、と碇は思った。それが本当だとしたら、警察上層部はかなり焦っている。
「仮に、もしそうだったとして、斡旋している上層部の一部の人間は、それでZEROを排除出来るとでも考えているのか。無理だ。ZEROは次から次に湧いて出る。大元を叩かない限り、ZEROは止まらない」
「上層部の狙いは、その大元にあるようなんですよ。さっき話した通り、密輸ルートの一本化は暴力団に限ったわけじゃないんです。暴力団は警察の協力ってことは、みんな理解しています。ですが、それ以外、マフィア、個人等への密輸は、警察の関与しない秘密裏の受け渡しってことになってるらしいんです。警察は密輸のルートを把握しているが、諸事情により、そこのルートは関与出来ない、把握出来ない、とみんなに思わせるんです。つまり、そこのルートで手に入れた銃器は、全く足がつかない。ZEROがそれに目を付ければ――」
そういうことか、と碇は警察上層部の考えに合点がいった。罠を張るってことか――。
ZEROは、銃器を使わないことにはこだわってはいないようだった。その証拠に、襲撃の際、暴力団の所持する銃器を奪い、それを使っている。彼等が銃器を手に入れないのは、足が付くことへの恐れからだとすれば、そしてそれに全くの足が付かないとなれば、彼等がそれに食いつく可能性はあるといえる。
「警察の狙いは分かった。それだったら、組織の大元を叩けるかもしれない。しかし、ZEROが偽名、詐称をしたら、どうやって見分ける?」碇は訊いた。
「密輸した銃器の受け渡しは、直接本部へ、つまり、暴力団だったら、その組の本部、会社だったらその会社、個人だったら、その家で受け渡しがされるようになってるらしいんです。ですから、詐称しようがないんです。銃器は金になりますからね、銃器提供者がそのくらい慎重になっても不思議じゃありません」そう言って相良はお冷を飲んだ。出された定食には、まだ一口も口を付けていなかった。碇も同じだ。
これでZEROが罠に掛かれば、一網打尽に出来るだろう。だがそう上手くいくだろうかと碇は自問した。
例え、警察には絶対に足が付かないと言う保証があったところで、これだけ頑なに機密を保持して来た組織が、本拠地の場所に他人を招き入れるとは考えにくい。
密輸の斡旋――ということは、海外から銃器を取り寄せていることになる。その銃器提供者が一体何なのか碇は気に掛かった。
「その銃器を受け渡す輩ってのは、何の組織だ」碇は訊いた。「海外マフィアか?」
この質問に、相良はすぐに答えなかった。表情を曇らせる。
吐息を一つついてから彼は言った。「テロ組織、中東アジアバルバト軍。通称・赤い神の旅団……」
顔が強ばっていくのが碇には分かった。全身から汗が噴き出す。
そんな馬鹿な、と碇は思った。戦争でも起こすつもりか――。
公安は知っているのだろうか。公安がこれに嗅ぎつけないはずがない。ZERO確保――その目的のために、警察はその在り方を見失っている。これでは捜査の対象が分からない。
ミイラ取りがミイラになってどうするんだ――。
碇は困惑した。引きつった顔を戻せなかった。
「おい、冗談よせ」碇は苦笑して言った。「そんなの、公安に知れたら大事だぞ」
「はい。ただ奴等は、マフィアよりも大量に武器を保有してますし、比較的安く銃器を手に入れられるらしいんです。テロ組織も、資金調達に躍起になってますからね。上層部の知り合いに民間軍に入ってた人がいたらしいんですよ。それの繋がりだと思います」相良は言った。そして後頭部を掻いた。「あと、公安も実際どうなんですかねぇ。公安って、謎が多いじゃないですか? 共に行動する仲間のプライベートも、一切明かさない者もいるらしいし。偽名、何個も持ってるっていうし」
公安は実際、謎が多い。そういう点に関しては、組織としてZEROに多少なりとも似てはいる。だがそれは公安がテロ、組織犯罪への取締を何よりも優先してるからに過ぎない。そんな公安が警察と暴力団、テロ組織との繋がりを放っておくわけがない。
ZEROが国際問題にまで発展することはないだろうが、公安が出てきたら面倒なことになる。まったく、ZEROもイカレてるなら警察もイカレてやがる――。
「相良、お前、何でそんなに詳しく知ってんだ?」
「だって、碇さんじゃないですか。敵の情報を知りたがってるのは警察だけじゃない。暴力団も何か情報を集めてるはずだ――そう言って俺を暴力団偵察へ向かわせたからでしょ」
「よく、そんな情報訊き出せたな。対したもんだ」
「それが、意外と呆気なかったんですよね。暴力団の一人に、どうやって銃を仕入れてる――? て訊いたんですよ」
「ばかやろう。そんな直球で暴力団が密輸を自白するわけねぇだろ」
「そうなんですよ。ところが、それで返ってきた答えが、お前等の差し金だろ――です。奴等は警察が全面的に公認してルートを与えてるって思ってたらしく、それで、詳しく説明しないと全員逮捕だ、て言ったら、教えてくれたってわけです」
なるほどな、と碇は思った。相良にしちゃ大層なもん仕入れて来やがったと思ったら、そんなことか――。
しかしそれこそ、公安が嗅ぎつけるのは時間の問題だ。いや、出来るだけ早く公安が動き出すべきなのかもしれないと彼は思った。まだ今のうちであれば、警察は斡旋をどうにでも隠蔽出来る。斡旋に協力した一部の人間を処分すればいいだけのことだ。
碇は頭を振った。コップを持つ手に力が入った。
俺も、どうかしちまってる――。
本気で隠蔽のことを考えていた自分に、彼はほとほと嫌気がさした。
「まぁ、俺等、下っ端の人間は現場で足使ってなんぼだ。地道にやるしかねぇ」そう言って、碇は冷めたきつねうどんに箸を付けた。最近は、冷めたうどんばかりを口にしている気がした。
うどんが碇の口に運ばれる前に、彼の携帯が鳴った。
なんでいつもこのタイミングなんだ、と碇は舌打ちをした。液晶を見た。案の定、仲川からだった。
「碇さん、また襲撃です」
仲川の声は震えていた。彼からの急な電話は、いつも切迫したものがあった。大体が事件に関わる電話だから当たり前だ。だが今回ばかりは、いつもの切迫した声とは違っている。彼の声の震えからは、戸惑いが感じられるのだ。
碇は携帯電話を肩に挟んで、コートを手に取る。「どこだ」
羽織かけのコートのポケットに手を入れた。そして、しわくちゃの千円札をテーブルに投げた。すぐに現場に向かいたかった。相良は唖然と千円札を受け取った。碇は出口へと踵を返す。
しかし仲川の次の一言は、彼の予想を超えたものだった。「そ、それが……大阪なんです」
碇の足が止まった。「大阪ぁっ?」
「はい。大阪です。しかも、同時に二件」
「大阪で……二件同時に……?」
「ただ、おかしいんです」仲川の声はまだ震えていた。「文字が……」
「文字? 文字がどうした?」
「ZEROじゃないらしいんです。文字が……ZEBRA。血で、ZEBRAと……」
コートの袖には、まだ片方だけしか腕が通されてはいなかった。