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  作者: 中邑あつし
第二章
33/36

5・昼間

 五・昼間



「――ですから、例え相手が暴力団だろうと、人を殺していいわけがないんです」

「その通りです。ですが、現状、暴力団が減少し、喜ぶ民衆も増えている。ZEROは、今や英雄扱いさえする者もいる」

「それが問題なんです。このままでは、人々の意識が、人殺しを正当化してしまいかねません。この民主主義の日本国家は、自分の意思より、自分以外の多数の意思を標準として受け入れがちです。このままでは、日本人のモラルの標準が書き換えられる恐れさえあります」

「それは大袈裟でしょう。有り得ないよ」

「大袈裟かもしれませんが、中東アジアの一部の国では子供が銃を持ち、大人達と一緒にテロを行う者もいます。その子供達は、それを、皆が正義と、聖戦と言うんです」

「これはまた、大体、日本の法律が人殺しを許可するわけがない。ちゃんと、モラルを子供のうちから教育している日本では問題ないのでは?」

「そのモラルを教育している日本で暴力団は生まれるんですよ? 暴力団は皆、教育を受けていなかったとでも?」

「それは、これから、日本の教育を一から見直して――」


 碇は、相良とうどん屋に来ていた。室内の隅、天井間際にあるテレビでは、昼のワイドショーが映し出されていた。

 最近は、どのチャンネルを合わせてもZEROばかりだ。ワイドショーでも、特番でも、ZEROを取り上げた対談などは、高視聴率を得ていた。一般参加型であるZERO肯定派、否定派が論争する番組なんかは、危機せまるものがあり、碇の妻でさえテレビににじり寄り、恍惚の表情で食い入っていたほどだ。

 中学二年生の娘は、別室でドラマを観ていた。最近はやりの、アイドルグループの一人が主人公らしい。

 碇はなかばほっとしていた。娘には、この事件について興味を持ってほしくなかったからだ。ZEROを英雄視する輩は、娘の年代が最も多くを占めていた。

 一度、娘にZEROのことをどう思っているか、碇は訊いたことがあった。

「どんな相手でも、人殺しは人殺しよ。英雄なんて、バカみたい。お父さん、わたしね、戦争で人を殺してる現実も納得いってないのよ。バカなこと訊かないで」

 我が娘ながら、出来た娘だと碇は感心した。刑事である父の手前に言った言葉かもしれなかった。しかしそれでも、娘を思う父としては、それが本心だと信じたいのだ。本心であるに決まっている――。

 今流れているワイドショーは、凶悪な犯罪組織としてのZEROを、評論家達が論議するものだった。しかしそれは、一見否定している素振りを見せてはいるが、彼等、組織の犯行が暴力団しか狙わないということに、世間体もかね、評論家達も言葉を選びながら話すあまり、何ともあやふやな論争になっていた。

 碇はメディアに対し不満を覚えていた。例え本当に興味を持ってなかったとしても、テレビを付ければ、どのチャンネルを合わせてもZEROの話題でもちきりなのである。嫌でも目に飛び込んでくる情報は、人を無意識に洗脳する。このまま彼等を英雄視する輩が増えれば、日本の秩序は間違いなく崩壊するだろうと思われた。

 民主主義の日本であればなおさらだ。多数派に何の迷いもなく流されるのだ。それが普通になってしまう。

 英雄視されて困るって言うなら、メディアで取り上げるなってんだ。毎回こんな放送流されてれば、その気がない者もその気になっちまう。表現の自由なんて言うが、その放送が、人の意識を束縛してんだよ――。

 碇は、冷めたうどんを啜った。相良を見ると、彼はガツガツとメンチカツを頬張っていた。彼を見ていると、淀んだ気持ちが晴れるようだった。色々な意味で、彼が羨ましいと碇は思った。

「碇さん。今日は、碇さんの奢りですからね」

「まだ言ってやがんのか。肝っ玉の小せぇ男だな」

「小さくてもかまいません。それに大変だったんですよ。身辺調査も」

 相良に言われて、身辺調査を依頼していたことを碇は思い出した。

「ああ。感謝してる。俺の読みに間違いはなかったってことだ」

 相良の話によれば、被疑者達は何かしらの闇を抱えていたらしいのだ。借金、仕事、医者に死を宣告されていた者、中には、何不自由のないように見て取れるものもあったそうだ。

 しかし、心の闇、不幸の価値観は人それぞれだ。自分等には解らなくても、彼等にとってみれば、死ぬほどのことだってあったのかもしれない。碇は自分の読みに間違いがなかったことに、改めて確信を持った。

「そうですね」相良は言った。「ああ、それでですね。一つ、不審な点があったんですよ」

「不審な点?」碇の箸が止まった。

「最後に見たのはいつですか? って親族に訊くじゃないですか? で、その時の内容を訊いてたら、中には、いつの間にかいなくなってたって言う親御さんもいましたが、友人が家に訪ねて来て、友人と出掛けてそれっきりってのがあったんですよ」

「その友人が怪しいってことか? まあ友人が訪ねてそれっきり、じゃあな」

「でも始めは、そんなに不信にも思わなかたんですよ。友人が家に訪ねて来る事は珍しい事じゃないし、たまたま、友人が訪ねて来た日に、ZEROの襲撃が被った程度にしか思ってなかったんですよ」相良は持っていた箸を皿に置いた。そして顎をつまんだ。「ところがです。そのうちの一人は学生でイジメに遭っていて、友人関係を調べた結果、家に訪ねて来るような友人は、一人もいなかったはずなんです」

 どういうことだろう、と碇は考えた。家族の話によれば、彼が友人からの誘いで家を出たことは間違いない。その彼には友人がいなかった。では、その友人は一体誰なのだ。いや、答えはもう出ている。そのすぐ後に、襲撃が起きているのだ。

 碇は腕を組んだ。右手の指で、肘の辺りをトントンと叩いた。

 もう揺るがない確信があった。その友人がZEROであることに間違いない。ZEROは直接、彼を迎えに行ったのか。携帯やパソコンを使わずに。データが残らないわけだ。恐らく、相良ももう気付いている。

「間違いないな」と碇は頷いた。「その友人はZEROと考えて妥当だろう」

 碇は、止めていた箸をうどんに付けた。うどんはすっかり冷めている。彼はそれを口に運ぼうとした。その時――。

 ピピピピッ、と携帯の着信音がなった。碇は箸を止めた。うどんが口に運ばれることなく、箸はどんぶりの上へと置かれた。携帯を取り出し、通話ボタンを押した。

「もしもし。ああ、仲川か。どうした? ……ああ。判った。すぐ向かう」碇は電話を切ると、椅子に掛けておいた上着を羽織った。

「ち、ちょっと、どうしたんですか? 碇さん」

「襲撃だ。急ぐぞっ」そう言って碇は、急いで店を出て行こうとした。

「え? ちょっと待って下さいよ」コートを羽織りながら相良は言う。「勘定どうするんですか? 碇さんっ」

「すまん。頼むっ」

「いや、ええっ? いかっ」

「お勘定は御一緒でよろしいですか?」

「はい……。領収書、お願いします……」


 碇はひと足さきに、車で相良を待った。ハンドルを握る手の指は、落ち着きなくノックを繰り返した。彼は時計を見た。一時半を回ったところだ。

 相良が駆け込み、助手席に乗り込んだ。

「よし、行くぞ」そう言って碇は、車を発進させた。

「うどん、俺が払ったんですけど」

「分かった。次は俺が出す」

「本当ですよ?」

 ああ、と碇は答えた。こんな時に、いちいち念を押してくる相良は逆に肝が座っている、と碇は思った。

 それよりも、おかしい。何でこんな時間に――。

 碇は困惑していた。突然の電話、通報で、ZEROの襲撃に対し駆り出されることは多々とあった。しかし今回はいつもと違う。ZEROは、今まで夜の襲撃しかしてこなかったのだ。

 ところが今は昼間なのである。ZEROの内情で、何か変化があったとでもいうのだろうか。碇は言いしれない胸騒ぎを感じた。

 奴等は夜しか襲撃しなかったんじゃなかったのか? くそっ、どうなってる――。

 車は道が混んでるせいで、中々前に進まなかった。彼は今回、私物の車で来ていたことに後悔をしていた。携帯用のパトランプも持って来てはいなかったのだ。

 彼は窓を開けた。そこから顔を出すと、前方を見つめた。車の列は先まで続いている。いくつかのクラクションの音が聞こえてきた。

 すると、相良が碇に煙草を差し出した。「はい」

「ん?」と碇は相良の方を見た。

「気ぃ立ってますよ。少し落ち着いて下さい」

「ああ、悪い。貰うわ」碇は煙草を咥えた。すると相良は彼の煙草に火を付けた。

 なんだかんだで、相良は自分のことを良く気遣っているな、と碇は思った。それと同時に、相良に気遣わせるほど、自分が苛立っていたことを知しらされた。

 彼は溜め息混じりの煙を吐いた。相変わらず、クラクションは鳴り響いていた。


 現場の周りには、ものすごい人集りが出来ていた。交通規制も入っており、これでは道が混むのも無理はない、と碇は事態を再認識した。どうやら到着するのが遅かったらしい。現場はもう後の祭りのようだった。

 二人は制服警官に警察手帳を見せ、現場の雑居ビルの中へと入った。相変わらず、ZEROが引き起こす惨状の酷さに、碇は口を被った。「こりゃまた、とんでもねぇな……」

 いつ見ても酷い有様だ。これが人間の所業とは、碇にはとても思えなかった。彼等のことを、誰かがバケモノと言ったのを思い出した。碇は今なら、それが解る気がした。その時――。

「誰かっ」と呼ぶ声があった。切迫した声である。先に現場へ来ていた警官の一人だ。生存者を見付けたらしい。彼は続けて叫んだ。「こいつ、まだ息がありますっ。な、何か喋ってますっ」

「なに?」碇は生存者の元へ駆け寄った。

 瀕死の状態だ。一刻を争う事態であることは明白だった。二十代前半だろうか、男は何か呟いている。碇は彼の声に耳を傾けた。

「み…つ…れ…ぃ……ま……」

 男の声は途切れ途切れで、何を喋っているのか碇に理解出来ない。

 ミツレイマ……? 何だ? 何が言いたい――。

 彼はまだ、口をぱくぱくとさせている。ときおり血の固まりを吐いた。

「もういいっ、喋るな。すぐ救護するからな。勝手に死ぬなっ。よく聞くんだ。いいか?」碇は言葉に力をこめる。「人の命も、自分の命も、粗末に扱っていいものはひとつとしてないっ」

「すいません。退いてくださいっ」

「あ、ああ」碇は生存者から身を引いた。

 救急隊員が駆け付けていた。救急隊員は致命傷の被疑者を担架に乗せ、現場から出て行った。

 もう駄目だ。ありゃ、助からんだろう――。

 碇は奥歯を噛んだ。また、救えなかった。もう何人、目の前で死にゆく人を見てきたのだろう。手を伸ばしても、伸ばしても、その命は彼の手の中をすり抜けていくのだ。

 碇は自分の出来ることの限界、不甲斐なさに憤りを感じた。

「相良、出るぞ」碇は言った。

「もう、いいんですか?」

「ああ。もう、何も出てこねぇ」そう言って碇は、出口へと向かった。

 現場から離れ、コンクリートの壁に覆われた、薄暗い階段を降りる途中、手袋をとった。それを上着のポケットに入れる。階段を降り終え、立ち入り禁止テープをくぐった所だった。

「おっさん。どういう事だ? 何故、奴等は昼間っから」と一人の青年が詰め寄ってきたのだ。

 誰だ? この男は――。

 口が悪く、目に力がある青年だった。彼の顔には見覚えがない。またか、と碇は思った。こういったことは初めてではない。

 最近、こういった野次馬が増えて困っていた。現場にまで表れ、ZEROを心酔するマニアだったり、刑事ごっこして、現場の写真やら目撃証言を取るマニアだ。インターネットのブログに取り上げる、ZERO追跡ブログなどのネタを掻き集めている者もいるのだ。

「ああ?」と碇はうんざりと、頭を片手で掻いた。「お前等には関係ない。こんなことする暇あったら仕事しろ」

「ええっと、このおじさん、怖いから言うこと聞いといた方がいいよ」碇がこういう野次馬を良く思わないのを知ってか、相良は彼の意見を尊重し青年に助言をしてみせた。

「くそっ」青年は、尚もくい下がった。「だが、これも……奴等なんだろ? レイのっ」

「れい?」

 聞いたことのない単語だった。青年が発した、レイ、という単語は一体何を意味するものなのか、碇には見当もつかなかった。

 もし、彼が言うレイという単語が、ZEROと深い関わりがあったとして、何故彼がそれを知っている? 何故、警察も知り得ない情報を知っている――?

 この青年の発言を聞き流すべきではない、碇はそう直感した。

「おい、若いの。レイってなんだ? お前、何か知っているのか?」

「ヤバイっすよ。もぅ行きましょう」口の悪い青年の肩に手を置き、もう一人が言った。

 ああ、と青年は頷くと、もう一人の青年に促され、彼は現場を立ち去ろうとする。青年は踵を返した。その青年の肩を掴んで碇は言った。「ちょっと待て」

 青年は足を止めた。それと同時に振り返った。

 碇は青年の肩から手を外した。「何か、情報を知ってるみたいだな。こちらも情報を提供する。知ってる事を教えてくれないか?」

「情報か……」青年は逡巡(しゅんじゅん)するように目を伏せた。そして視線を碇に戻す。目の力は増していた。「分かった。どこか、店に入ろう」

「碇さん。ちょっと、いいんですか? 一般人に情報提供しちゃって」相良が恐る恐る尋ねた。

「かまわん。どうせ何も出来ん」

 警察には守秘義務がある。第三者である一般人に情報を漏らすのは厳禁なのだ。しかし、それを破ってでも、碇にはZEROについて確かめたいことがあった。

「おい。行くのか? 行かねぇのか? おっさん」青年は碇に急かすように言った。粗悪で、乱暴な口振りだ。

 碇としては、長々と説教してやりたい気にもなったが、今はそれを押し殺してでも情報を優先するべき、と彼は気を制した。

「まあ」彼は言った。「そう焦るな。若い者はゆとりが大事だぞ。ゆとりが」

「碇さん、それって……」

 碇は誇らしく大人の許容を見せたつもりだ。彼は前に相良に言った事を忘れていた。


 四人は喫茶店に入った。ドアを開けると、からんからんと古風な音が店内に響いた。四人は一番端の席へ着いた。

 小洒落たレトロな造りの店内は、程良い音量のジャズが流れている。心が落ち着くようだった。

「あ、俺、御手洗」と相良が言った。彼はそそくさと御手洗へ向かった。

 アルバイトらしき十代後半のウエイトレスが、お冷を四つテーブルに配った。トレイを脇に挟むと、笑顔を造った。

「ああっと……」碇は慌ててメニューを開いた。「取り敢えず、珈琲をくれ」

 ウエイトレスは、困ったような表情を造った。「珈琲、と言われましても……」

 碇はメニューを改めて眺めた。珈琲の銘柄が何種類もある。彼には、珈琲の味の違いなど分からなかった。取り敢えず、メニューの一番上にある銘柄を頼むことにした。「ああ、そうだな、ブレンドでいい」

「お客様は?」ウエイトレスは二人の青年の方を見て言った。

「いや、俺達はいい」と口の悪い方の青年は、片手をひらひらとさせた。

「いいのか? 珈琲代くらい出すぞ」碇は言った。

「いや、いい。俺等がここに来たのは、今日二回目なんだ」

「なんだ、そうか」そう言って碇は、ウエイトレスを見た。「じゃあ、取り敢えず、ブレンドを二つ」

「かしこまりました」そう言ってウエイトレスはカウンターへ向かった。

 碇は、青年の方に向き直した。「で、レイってのは何だ? 情報源はどこだ?」

「ああ。警察は、もうそんな事知ってんのかと思ってた」青年はお冷を一口飲んだ。「まぁ、レイってのは……」すると、ピピピピ、という機械音が彼の言葉を遮った。

(わり)ぃ、出ていいか?」青年は訊いた。

「ああ、かまわん」

 青年は携帯を手に取る。携帯の画面を見て、一瞬、怪訝そうな顔をした。そのあと、彼は席を立つと同時に通話ボタンを押した。「もしもし」

 彼は席を離れると、カウンターへ座った。

 知り合いからの電話だろうか、と碇は思った。しかし、携帯の画面を見たときの彼の表情が引っ掛かる。碇は青年の背中を見つめ、聞き耳を立てた。

「……どういうことだ? なぜお前が……どうでも……なっ……」

 良く聞き取れないが、青年の慌てよう、声の上ずりようは、ただならぬ事態を碇に連想させる。それが、ZEROに関わる内容なのか、そうでないのかは判別出来ない。ただ、彼の背中からは尋常ならぬ切迫感が伝わってきた。

「……ああ、言うとおり……くっ……分かった……」

 青年の耳から携帯が離れた。しかしどういうことか、彼はその場から動こうとしない。背中が震えているように碇には見えた。

 しばらくすると、彼はカウンターから腰を上げ、こちらへ歩いてきた。

「ちょっと、来てくれ」青年は言った。

「どうしたんですか?」ともう一人の青年が席を立った。

 青年はこちらを見て言った。「すまん、少し待っててくれ」

「ああ、かまわん」そう言って碇は、片手をひらひらとさせた。「気にするな」

 彼等はカウンターに座ると、なにやらこそこそと話を始めた。

 碇は溜め息を一つ吐くと、煙草を取り出した。灰皿を探すため辺を見回したとき、禁煙と書かれたプレートが壁にあるのが目についた。彼は咥えた煙草を箱に戻した。そして頭を掻いた。

 ウエイトレスが、珈琲を二つトレイに乗せて持ってきた。トレイから珈琲をテーブルに配ると、木製の伝票入れに、伝票を入れる。

 ごゆっくり、と言ってその場を去るウエイトレスと入れ違いに、相良が御手洗から戻ってきた。

「碇さん、何かあったんですか? 彼等」相良が訊いてきた。

「長かったな」と碇は言った。

「食後、急にでしたからね」そう言って相良は、苦笑して首の後ろを掻いた。

「俺は半分も食えなかったがな」

「だからって言っても駄目ですからね」そう言って彼は、碇の隣に腰掛けた。「次はちゃんと奢ってくださいよ」

「ああ、分かってる」

「で、何か分かりました?」

「いや、まだ何も訊いてない。奴等の一人に電話があってな、内容は分からんが、ただならぬ電話だったってのは確かだ」

「ZEROに関係あるんですかね」

「正直、分からん」

「あ、珈琲」相良は、湯気を出す珈琲を見て言った。「飲んでいいんですか?」

「ああ、俺の奢りだ」

「これは奢られますけど、これと昼飯の件は別ですからね」相良は念を押すように言った。

「ああ、分かった分かった」と碇は軽くあしらって、珈琲を(すす)った。

 珈琲の味の違いなど分からなかったが、これは美味(うま)い、と碇は感銘した。

(わり)ぃ、待たせた」と言って、青年は向かいの席に腰掛けた。続いてもう一人も腰を掛ける。 

「大丈夫なのか?」碇は訊いた。「ただならない様子だったが」

「ああ、問題ない。内輪事だ」

「それならいいが」碇は珈琲を一口啜った。そして、青年を見つめ言った。「知ってる情報を訊かせてくれないか」

 彼は逡巡するように隣の青年と顔を見合わせたあと、碇に向き直した。「何が知りたい」

「そうだな、さっき言ってたレイってのは、何なんだ?」

「そういえば、途中だったな」そう言って青年は、手帳とペンを取り出した。手帳に何やら書いている。そしてそれを碇の方へと向けた。「零、ZEROのトップの名前だ」

 首謀者の名前が、零……。無論、初めて知る情報だった。問題は、これをこの青年等がどこで仕入れたかだ。

「何で、首謀者の名前を知ってる?」碇は続けて訊いた。

「それは、そい……」

「教えられません」

 なっ、と思わず碇は声を上げた。青年が話そうとすると、もう一人の男がそれを遮ったのだ。

「おい」と口の悪い青年は、怪訝の表情を造った。

 彼は言葉か遮られた理由が解らない、といった感じだ。それは、碇にしても同じだ。

「いいですから」と言って彼は、口の悪い青年を宥めた。そして、こちらに向き直して言った。「まず、そちらの情報も教えて頂かないことには、答えられません」

 中々考えてやがる、と碇は思った。警察相手に交渉を持ち込むとは――。

 しかし今は、猫の手でも借りたいのが実情だ。暗黙で捜査をしている碇には、本庁からの情報さえ回ってこないのだ。公安なんかは言うまでもない。公安にとって、機密、情報は個人の命よりも重宝される。

 碇は仕方なく交渉に応じることにした。

「分かった。何が知りたい」

「では、奴等は何故、今回、昼間の襲撃を行なったか判りますか?」

 それはこっちが訊きたいくらいだった。碇は頭を掻いた。「判らん。今回の件は警察も驚いている」

「では、奴等の通信手段。人材収集方法は?」

 碇は彼の質問に答えるべきか迷った。質問の内容がそうさせたのではない。交渉の駆け引きにおいて、続けて質問を受けるのは立場が弱くなるからだ。

 しかし彼の最初の質問に対し、明確な答えを碇は出せていない。それに彼の質問は、同時に彼等がZEROに関してどこまで知っているのか、それを探ることが出来る。今の質問も、警察は何ひとつ掴めていないのだ。

 碇は偽ることなく話す。「正直、それも判らん。こちらも色々調べたが、パソコン、携帯には履歴、ログ等は発見されなかった」

 言いながら碇は、警察の不甲斐なさを露呈しているようで、居心地の悪さを感じた。相良は呑気に珈琲を啜っている。

 碇は無意識に、相良の後頭部を平手で叩いた。ぶっ、と彼は珈琲を噴き出した。幸い、向かいの青年に飛沫(しぶき)は掛からなかった。

「何するんですか、碇さん」後頭部を抑えながら相良は言った。

「すまん、八つ当たりだ。気にするな」

 かまわず青年は続けた。「消去されていたってことですか?」

 まぁ、普通はそう考えるわな、と碇は思った。消去したデータが復旧出来ることを知っている者は少ない。

「いや、違う。消去したくらいじゃ、こっちは調べれば復旧出来る。完全に消去は、ほぼ不可能だ」

 これには、二人の青年も驚いているようだ。目を大きくしてお互いを見つめている。それもそうだ。それなら、どうやって連絡を取り合っているのか、ということになるのだから。

「そうですか。では、最後の質問です。一番最初の事件の事を教えてくれませんか?」

 最初の事件――? 

 何故彼等が最初の事件を気にするのか、碇は疑念を抱いた。三年も前の事件だ。それがZEROの確信に繋がるとは、碇には到底思えなかった。最初の襲撃と今の襲撃には、大差がないのだ。

「最初の事件ねえ」碇は顎をつまんだ。「一番始めの事件は三年前――」

 碇は三年前の暴力団襲撃、その一部始終をかいつまんで話すことにした。だが詳細を語るほど、生々しく事件の惨状が碇の頭を支配した。気分が悪くなる。途中、珈琲を一口啜った。味が分からなかった。

 碇は内容を少し端折って話すことにした。無論、今までの事件と大差はないのだ。ニュースで流れてる程度のことは彼等も知っているだろう。

「――ってわけだ。別に他の事件と何も変わらんよ」碇は軽く首を横に振って、珈琲カップを持ち上げた。中身はカラだった。碇は仕方なく、それをテーブルに置いた。

「分かりました。では、俺達はこれで」そう言って青年は立ち上がった。そして、口の悪い青年に言った。「行きましょう」

 口の悪い青年は、ああ、と頷くと、続いて席を立った。

「おい、お前等、どういうことだ?」碇は慌てて訊いた。

「話を聞かせて頂いた結果、こちらは何も得られませんでした。ので、こちらから、提供出来る情報はありません」

 碇は舌打ちをした。やられた、と思った。それと同時に、彼が始めから話す気なんてなかったことに気が付いた。まさか、刑事がこんなガキにしてやられるとは――。

 彼らは、すでに出口に向かって歩いている。その後ろ姿に向かって碇は言った。「おい。お前等っ」

 彼は立ち上がった。「名前はなんだ? それくらいは教えてくれていいだろう」

 すると、口の悪い青年が振り返った。

「ああ。俺は、柚木」彼は言った。「柚木太成」

 目に力のある青年だった。


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