4・ZERO 後
ジンは軽く一礼した。「軍事演習と言っても体はそんなに使わない。大体の事はこのホワイトボードで簡単な絵を描き説明する。
では、まず襲撃の際、銃器は一切使わない。手に入れるだけでも、足が付きやすい。使う武器はナイフ、包丁、シャープペン、ボールペン、鉛筆、硫酸瓶、等だ。ここまでで質問は?」
ジンが五人への質問を委ねると、テンマが手を挙げた。
「では、テンマ」
「使う武器等はニュースとかで言ってたから知ってたけど、ペン類はどう使うの?」
「ペンは刺す意外に使い道はない。ポケットに四、五本は忍ばせておけ。腕から近い、胸ポケットにも一本指しといた方がいい。
武器を選ぶのは自由だ。だがペン類は、全員持っていた方がいい。使う時は、武器を持った手が塞がれた時、間を与えずペンを指せ。目が一番好ましい。ボールペンなら胸でもいい。ただ、力いっぱい刺さないと胸には刺さらない。
ペンがなぜ有効なのかは、まず、ペンを武器だと敵は判断しない。それが重要だ。明らかに武器となるものがあったら、必ず敵はそれに注意する。仮にアイスピックに胸ポケットに掛けるストッパーが付いていたとして、胸にアイスピックが掛かっていれば、間違いなく敵はそれを武器として判断する。だが、胸ポケットにペンが掛けてあったとしても、別にそれはごく普通の事だ。それに注意が向かなくなる。まぁそれでも、場数を踏んでる者はペンにも注意はするだろうが。あとは?」
ジンはホワイトボードに簡単な絵を描き、ペンの使い方の説明をしてみせた。
「いや、大体解った」
「そうか。では話を進める。ヤクザは今や、我々の事をかなり警戒している。けん銃を皆が持っていると肝に命じておけ。
飛び道具には接近戦だ。これは基本だから誰でも判るな。屋外だったら手も足も出ないだろうが、事務所内ってのは実際、かなり狭い。まぁ例外もあるが、取り敢えず銃に臆せず迷わず突っ込め。そして急所を付いてなるべく一撃で済ませろ。撃たれても即死でなかったら怯むな。前へ進め。撃たれたら衝撃と痛みで足が止まる。だが、一瞬でも止めるな。撃たれた瞬間、痛みに負けないくらい叫べ。泣き叫びながらヤクザへ突っ込め。刺されても一緒だ。目を抉られてもだ。目を抉られながら殺せ。痛がっている暇はない。
殺したら、すぐまた誰かを殺せ。間を与えるな。そしてもし、致命傷を負った場合、死ぬまでに相手に傷を負わせろ。這いつくばってでもいい。ナイフで足を指せ。ナイフが無かったらペンを指せ。硫酸瓶を投げてもいい。少しでも敵の動きを鈍らせろ。その間に仲間がヤクザを殺す。ただでは死んでやるな。
相手に傷一つ付けられなくてもいい。注意を引きつけろ。仲間がその間に殺す。死んだヤクザの銃は、奪ってから使って構わない。
なぜ銃を持ったヤクザ相手に我々が勝てるか解るか? 我々は死ぬ事を恐れていないからだ。逆にヤクザは、殺す事にも恐れている。勿論、殺さなきゃ自分が殺されるので、奴等も殺しに掛かってくる。だが奴等には、その後の人生がある。刑務所暮らしを考えると、少なからず躊躇いが生まれる。それが奴等の命取りになる。仮に我々が全滅したとして、生き残ったヤクザは全員、刑務所行きだ。自分の事務所だ。逃げようがない。正当防衛で間違いはないが、過剰防衛の上、銃器も使っている。我々が襲撃した時点で、奴等の人生は終わりなんだ。
では、それ等を踏まえた上で、これから基本的な格闘術をレクチャーする。まずは、敵が――」
ジンは、一通り、襲撃の際の心構えを話た後、ナイフを使った戦い方、相手の武器の奪い方、素手での格闘術、素手での人の殺し方をホワイトボード、時にはキリクを敵に見立てて、指導してみせた――。
彼はかつて、民間兵だった。日本に嫌気がさし、海外で衛兵をし、死線を渡っていたのだ。そのため、殺人術には秀でたものがあった。
彼がZEROに入るきっかけとなったのは、海外から日本に帰って、三ヶ月たったころだった。夜、コンビニに立ち寄った帰り、血塗れで路地を走る三人の男を見かけたのだ。
ZEROのことは噂に聞いていた。彼は別に正義感が強かったわけではない。ただ、死地から帰ったジンは生ぬるい日本に身体が疼いていた。彼はその三人を捕まえることを決意したのだ。
戦争で死線を繰り広げ、何人もの人を殺してきたのだ。例え武器を持っていなかったとしても、彼にとって三人を捕まえるのは容易なはずだった。ところが、地に伏していたのは自分だったのだ。
彼は驚愕した。彼の持つ、格闘術、殺人術は、相手を殺すため、そして生き延びるための戦術だ。しかし彼等は、まるで動きが素人だというのに、自分を守らない戦い方は、どこの戦場でも見たことがなかった。
ジンは鬼気迫るものを感じ、捕まえるという手段から、相手を殺すという手段に手を変えていた。しかし、彼が殺せたのは一人だけだった。その一人も、腕をキメようが自らその腕を折り、目を突こうが、奇声を発しながら自分の急所を狙い襲いかかるのだ。
彼は息絶えるまで、ジンを執拗に責めたてた。結果、その彼を殺したときには、ジンの足はナイフで刺されていた。そして、もう一人はすかさずジンの目を鉛筆で貫いたのだ。
ジンは恐怖した。死線を繰り広げる中、彼は何度も恐怖には立ち合っていた。それは、自分の死という恐怖だった。しかしこのとき彼に訪れた恐怖は、相手に対する、人間への恐怖だった。
その相手は、無表情で能面のような顔をしていた。殺し合いのさなかだというのに、まるで感情を感じられなかった。今まで、経験したことのない恐怖が彼の身を纏った。
結果、ジンが敗北に追いやられたのは、三人のうち、二人だけだった。ジンは死を覚悟していた。
しかし、鉛筆を刺した男が彼を殺そうとした直前だった。三人目の男がそれを静止したのだ。「だめだよ。一般人を傷付けちゃいけないって言ったはずだよ」
「しかし、零様……、このままでは……」
「仕方ないよ。薬あげるから、一緒に死のう」零と呼ばれた男は言った。
「分かりました」そう言ってジンを殺しに掛かった男は、ナイフを捨てた。夜の細い路地に、金属音が響いた。
「ちょっと待て、お前等が死ぬ必要はない」ジンは貫かれた目を抑え、上半身を起こしながら言った。「俺は死ぬ覚悟はいつでもある人間だ。お前等に殺されることは構わない。お前等が俺を殺さなかったとしても、俺はもう、お前等のことを捕まえようとも、警察に売ったりもしない」
何故自分が、彼等を庇ったのか分からなかった。ただジンには、民間兵として日本を捨てたときから、自分の命を捨てる覚悟は出来ていた。
いや、死にたかったのかもしれない。日本に絶望していた。そして、自分に絶望していた。彼は死に場所を求めて戦地に赴いたに過ぎなかった。自分を殺してくれる者を求めていた。
零と呼ばれた男は、ジンに視線を降ろさず、空を見つめたまま言った。「そう。ごめんね、目痛いよね。病院連れていってあげるね」
ジンは彼を見て言葉を失った。魅入っていた。恐ろしいほどに透き通る目、感情のない能面のような顔は、陶器で出来た人形を思わせた。そして自分は、この男には適わないのだと、心底悟ったのだ。
彼と殺し合いをすれば、間違いなく生き残るのは自分であることを、ジンは分かってはいた。身体的能力も、技術でも彼を遥かに凌いでいるのだ。
だがジンは、零という男に魅せられた時点で、彼に対する敵意を消失していた。そして、彼の側にいたいと心から願ったのだ。
「目のひとつくらい、取るに足らない。それより、俺を仲間に加えてくれないか? 俺の持つ技術は、少しは役立つと思う。お前等に対しては、なんの役にも立たなかったが……」
「いいけど、ボク達はみんな自分の死を望んでいるんだ。だから、無理だと思ったらいつでも言ってね」
死を望んでいる。そういった予感はあった。彼等と戦っていてそれは怖いほどに痛感した。そして彼等には、全く生気が感じられないのだ。
だがもともとジン自身、死に場所を求めていたことには変わりはなかった。
「分かった。それより」ジンは立ち上がり、自分が殺した男を見た。「君達の仲間を殺してしまった。すまない……」
「ああ、彼はね、ミルっていうんだ。彼を殺してくれて、ありがとう。彼もやっと死ねて、喜んでると思うよ」
ジンは我が耳を疑った。死を望んでいたことは彼自身も同じであった。しかし、殺されて喜べるような精神は、彼には持ち合わせていなかった。
なんてことだ、とジンは思った。自分が戦っていた相手は、人間ではない。適わないわけだ――。
ジンは笑っていた。何がおもしろいのか分からない。ただ、腹の底からふつふつと込み上げる衝動に、笑いが止められず、声を高らかに笑った。
彼は空を見上げ笑った。目はズキズキと痛み、手を当てた。どこかから猫の鳴き声が聞こえいた。消え入りそうな声だった。いつの間にか、その猫を零が抱いていることに彼が気付いたのは、ずいぶん後のことだった。
空には、星が疎らとしている。星空を見て、綺麗と感じたのは初めてのことだ。空を見たのは、何年ぶりだろう、と彼は思った。
こうしてジンは、襲撃の際の実演の講師という形でZEROの同士として迎え入れられたのだ。襲撃にも何度か動向もしていた。この彼の存在も、ZEROの躍進に大きく関わった一人である。
「――以上だ。格闘の技術を身に付け、それを磨くのは構わない。基本的な体力もいるし、所詮、場数を積まないとあまり役立たない。
あと、格闘術に頼り過ぎるのも好ましくない。格闘術は自分が殺されないように相手を倒すための戦術だ。敵は一人ではないからな。よちよち戦ってても後ろから撃たれる。独自に格闘を取り植えた上で、自分の腕を、目を、心臓をヤクザに与えながら殺すんだ」
「質問いいか?」ジンの話が一息付いたところで、再びテンマが質問した。
「言ってみろ」
「では、ユスカさんが先に言った通り、楽に死ねない事は解った。奴等が全滅して、こちらが怪我を負った場合、歩けなくなっていた場合は、下手に逃げようとせずに死んだ方がいいな」
「そうだ。それが好ましいだろう」
「で、大体でいいけど、ヤクザ側が全滅する割合はどれくらいだ? あと、煙草吸っていいか?」
「煙草は吸って構わん。各々、自由にしてくれ。灰皿はそこにある」ジンは室内の端にある長机の上を指さした。そこには数個の灰皿が置かれている。テンマがそれを目で確認したのを見届け、彼は続きを話した。「あと割合だが、こちらが生き残り、ヤクザが全滅する割合は三割。両方全滅は四割。ヤクザが生き残り、ZEROの全滅する割合が三割だ。ただ前に話した通り、そこから無事に帰り着く事が難しい。無事逃げ果せて、最終的に生き残ってるのは一割にも満たない」
テンマは「解った」と答えたあと、席を離れ灰皿を自分の席へと持ってきた。そして彼は煙草に火を付けた。
「では、次に、テンマの質問に答えた通り、こちらが全滅。ヤクザが生き残る場合がある……」ジンはここまで言うと、言葉を噤んだ。その目には、テンマ等に覚悟を問うような真摯な眼差しがあった。
彼等は次にジンから放たれる言葉を、固唾を飲んで待った。
ジンが口を開いた。「そこで……、肝に命じておいてもらいたいのが、ヤクザには絶対に捕まるな。捕まった場合、ZEROにおいて、最も残酷で苦しい死に方になる。
お前達からしたら、我々は死ね、死ねと言い、冷酷に見えるだろう。だがそれは、人生に絶望したお前等が、最終的に死ぬ事が目的と判断しているからだ。変な話だが、早く死んだ者ほど羨ましい。出来るなら事なら、こちらもお前等を楽に死なせてやりたいのが本音だ。
だが……、最も最悪なのは、死ぬ前にヤクザに手足を縛られ、捕獲されてしまった場合だ。奴等は警察の様に甘くない。ありとあらゆる拷問をし、ZEROの情報を何が何でも聞いてくるだろう。間違いなく自白させられる。俺でもだ。拷問には耐えられない。
人間に苦痛を与える拷問は数百もある。苦しい拷問、激痛を伴う拷問。それを死ぬ事も許されず、死ぬまでやらされる。
まず、耐え切れない。その拷問は一ヶ月以上続く可能性もある。そうなった場合、同士が拷問に遭うのはZEROの情報が漏れる以上に心苦しい。拷問の恐ろしさは死にたくない、生きたいと思う健常者が、もう殺してくれと泣き叫ぶほどだ。死にたい我々からしたら、最も辛い苦痛になる。だから、そうなる前に死んでみせろ。手足の自由を奪われたら最後だ。
舌を噛み切っても人間は死なない。あれは迷信だ。心しておくように。以上で辞めたくなった者はいるか?」
五人は息を飲んだ。拷問の恐ろしさを聞かされれば無理もないが、何よりも、今まで全く感情を表に出さなかった、ジンの声には熱が入り、キリク、ユスカまでもが苦渋の表情を浮かべているのだ。
だが五人のうち、その誰もが離脱を言い出す者は出なかった。
「判った。今から、お前達はZEROだ。死ぬ事が希望だ。ただ、生きる希望を見付けた者は、どのタイミングでも言って構わない。襲撃直前であろうと、我々はその者の幸福を心から祈る。以上だ。では、各々――」ジンは、事細かなルールをお浚いした。
「――それでは、解散する前に零様から個人面談の選出がある。では零様、誰か気になる者は?」
ジンは、零に選出の有無と尋ねた。
「そうだね。そこの若い男の人とオズ。それと、そこの女性でいいかな」
「分かりました。では、その三人以外はアイマスクをしてくれ」
「今度は俺が連れて行く」ユスカが先導を自ら買って出た。
「分かった、頼む。では残りの三人は一人ずつ別室の個室で零様が面談する。変に身構える必要はない。世間話みたいなものだ。
零様は今から別室に行かれる。三人は取り敢えずここで待機していてくれ」
「それでは、零様」
ジンが言い終えると同時に、キリクが零へ別室への移動を委ねた。
零はこくりと顎を下げ「分かった」と言って席を立った。彼がフロアから出て行き、キリクがそれに続いて同行した。彼等は三人を残してフロアを出ていった。
五分後、キリクがオズを呼び出した。最初に面談を迎えたのはオズだった。特別な指令等、何もなく、身の上、なぜ死にたいかとか、そんなものだ。
ただ、皆同じ意思で集まった者達でも、性格はまるで違う。零は少し自分に似た者を選出していた。そしてそういった者は、幹部には一人もいなかった。ZEROに最も素質があるからこそ、生きて帰っては来ないのだ。
そして二人目が零の待つ部屋へと通された。綺麗な女性である。歳は二十代半ばから、後半くらいだろうか。ロングヘアーの似合う綺麗な顔立ちだが、全体的に痩せ細っていた。零が良く見ると、所々に痣の様なものが見当たった。
最初にキリクに案内され、彼女がパイプ椅子に座るまでに、そのパイプ椅子であったり、デスクであったりと、肘や足など、彼女は身体を所々ぶつけていた。目が不自由なのだろうか、と零は思った。
「失礼します。私の事は、カエデでいいわ」
「そうだね、君ともう一人は、名前聞いてなかったね。ユスカは人の名前あまり覚えれないから、最初の自己紹介を飛ばしちゃうんだ。始めはしてたんだけどね、最終的に残るのは数人だから、メンドクサイんだろう。今日は、どうだった? 話し聞いて」
「話なんてどうでもいいの。それこそ、メンドクサイ……」
やはり零の思った通り、この女性の目は死んでいた。
「そうもいかないよ。みんな、君みたいな人ばかりじゃない。無理強いはしたくないんだ」
「随分、優しいのね」
カエデは少し腑に落ちなかった。前のフロアの時もそうだったが、零の言動が優しすぎる。ヤクザ殺しの狂った組織の創始者が、自分が今までイメージしていた人物と、あまりにも懸け離れいた。
ただその言動とは裏腹に、感情が全く伝わってこなかった。優しい言葉を発してはいる。だが、彼が何を考えているのかが全く解らない。まるで零に対し、機械と話しをしているような錯覚さえ覚えるのだ。
「人殺しに、優しいとかないよ」
「そうね」とカエデは言った。
「君……」零は言った。「人、殺したことあるでしょ?」
カエデは驚いた。その通りなのだ。
「よく、分かったわね」
「なんとなくだよ。君の目を見てそう感じた。理由、聞いてもいいかな?」零はそう言ってカエデの目を見つめた。
キレイ――。カエデは心の中でそう呟いた。零の目は惹かれるほどに透き通っていた。
自分のことを話すつもりはカエデにはなかった。話してもどうにもならないことは分かっていた。だが彼女は気が付くと、彼に自分のことを話していた。
「恋人よ……、殺したのは……」彼女は言った。「どうでもよかったの。いつ頃からかな、生きているのが辛いとかじゃなくて、生きているのがどうでもよくなってた。恋人のことも好きだったか、嫌いだったかもよく判らない。殺しても何とも思えなかった。ああ、壊れちゃったって感じ……。
私ね、感覚がないの。肉体的痛みも、熱さも、冷たさ、快楽も。昔はあったのよ。この病気は先天性無痛覚症っていって稀にあるらしいわ。でも名前の通り先天性、つまり、生まれつきなのね。私の場合、徐々に失くなっていったの。医者もこんなケース初めてだって。
昔の記憶、癖で何とか怪我しないようにやってたけど、最近じゃ、いつの間にか口が血だらけだったり、起きたら足が折れてたり、そんな時にね、心の痛みが連続で襲ってきたのね。いくら病気で身体の痛みを感じれなくなっても、心の痛みまでは無くならないのよ。よくリストカットする人っているじゃない? 心の痛みを和らげるために身体を痛めつけたり、その痛みで生を実感出来たり。だけどね、痛みを失くした私は、辛い事は全部、心が受け止めてしまうのね。そのうちに……、私の心、壊れちゃったみたいなのよ」
「そうなんだ。病気、治したいと思う?」
「思わないわ。病気が治ったとしても、やっぱり私は壊れてるんだと思う。自分で死んでも、殺されても構わない。
拷問の話を聞いても、何とも思えなかった。私には拷問なんて何の意味もないもの」
「話してくれてありがとう。君はZEROに向いてるよ。早く死ねるといいね」
「ふふっ、初めてだわ。そんなこと言われたの」
カエデは零の言葉に可笑しくて笑った。ただその時初めて、ほんの少し、零の感情がカエデには視えた気がした。優しくて、とても悲しい感情……。
「零もさ、早く死にたいの?」
「死にたいよ。でも、まだ死ねないんだ」
「そう。早く死ねるといいね」
「うん。ありがとう」
残り数分、零はカエデとの会話をし、カエデの面談は終了した。
次にもう一人の男が通された。見るからに、絶望を身に纏っている。歳は零とさほど変わらないように見えた。
「やぁ。今日の話はどうだった?」
「逢いたかった……」
「え?」
「逢いたかった。あなたに……」
ZEROは今や、有名で憧れる者も少なくなかった。その創始者に逢いたいというのも、そんなに珍しい事ではない。この男もその一人なのだろうと零は思った。
「そう。よかったね、ボクに逢えて。で、どうだった? 話、聞いてみて」
「何でもやる。俺は、生きてちゃいけない人間なんだ」
生きてちゃいけない人間、という言葉に、零は少し動揺を覚えた。過去は、捨てたはずなのに――。
過去も感情も捨てたはずだった。しかし、死を抱えた者等との対談は、零の捨て去られた感情を時折こうして揺さぶった。やはり生きているかぎり、本当に0になることは出来ないのだろう、と彼は思った。
「そう。よかったら、何があったか聞かせてくれるかな?」
「身の上の不幸を話すのは、あまり好きじゃない。俺より不幸な奴は腐るほどいる。ごく有り触れた、目を凝らせば世界のどこにでもある不幸の一つだ」
「不幸の大きさは、人それぞれだよ。みんな、価値観が違う」
「ああ、そうだな……。俺は、人を裏切った。自分のために……。そんな自分を、今は殺したい」
「そっか。詳しく話してくれないかな? そういえば、名前、聞いてなかったね」
「俺の名前は…………ブルータス……」