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  作者: 中邑あつし
序章
3/36

3・金

 三・金



 夕暮れ時、五月蝿いほどの蝉の声は、まだ帰路へ響きわたっている。時間の経過と共に夜が訪れ、次第に蝉の声は、涼しい夏虫の声へと変わるだろう。

 昨日、雨が降ったためか、湿度を残した空気は、身体にジメジメと纏わり付いてくる。制服のカッターシャツが地肌に張り付き、気持ち悪さを際立たせる。

 歩き慣れた帰路。もう、高校の登下校を繰り返すこと二年半、馬鹿でも歩き慣れる。家に近づくほど、それは増すばかり。増すばかりのはずだ。しかし、どういうことか、家に近づくほどに吐き気が込み上げてくる。

 いい加減、慣れて欲しいものだ。家が安らげる場所というのは、一体どんな気分なのだろう。少なくとも自分の場所は家にはない。

 シガラミにまとわりつく大人にはなりたくない。出来るなら、一生ガキのままでいたいくらいだ。だが、家に近づく度に、大人になったら、こんな家からさっさと逃げ去りたい。いや、この街から。なんてことを考えてしまう。


『あたしのお父さんがね、卒業したら家で鍛えてやるからって』

『本当に? お父さん、きっと喜ぶ』


 ……またこいつか。俺の頭ん中に湧いてきやがる。

 分かっている。自分がこの街から出て行けないことも、夢を追うには、自分の環境がそれを許してくれないということも。

 小さな街に嫌気が差し、ここではないどこかでと夢は視るものの、柚木自信、この小さな街の社会に食い潰される、ちっぽけな一人の人間に過ぎないのだ。


         金かえせ!


             借りたものは返しましょう。


    柚木さんは人のお金を返せない非国民です。

 

          ここの住人は人のお金で生きています。


  死んでも構わないので、お金を返してください!


 くたびれた一階建てのアパートの片隅に、落書きやら張り紙でありったけの罵声がアパート一帯を埋め尽くしていた。窓なんて、張り紙だらけでその役割を果たせていない。

 そして、ドアの前には、スーツ姿のいかにもそうな男が二人。二人の足元には、数本の煙草の吸殻が散乱している。その時間の経過が、金に対するこの者等の執拗なほどの執着ぶりを、柚木に否応なくも痛感させるのだ。

 髪をオールバックにした、紫のスーツを着た男が口に煙草を咥えると、すかさず、グレーのスーツ姿で細身の男が、それに両手で火を付けた。二人の上下関係がハッキリと伺える。

「またか」

 当然、予想していたことに柚木は頭を抱えた。

「おかえりぃ。太成ちゃぁん」

 今時、昭和を感じさせる紫のスーツを着た男が、猫なで声で柚木に詰め寄ってきた。

「太成ちゃん、君の親はいつだったら家に居るのかな?」

「知らねぇ」

「んだと? コラ! テメェ、口の聞き方……」

「まぁまぁ」

 柚木の態度が気に食わないのか、細身の男が食ってかかってきたが、猫なで声の男がそれを割って宥めた。

「しかし、佐伯兄」

 細身の男は、バツが悪そうに佐伯とかいう男に場を委ねた。

「太成ちゃん。どうせ、お父さんは居留守使ってんでしょ? お父さんが駄目なら太成ちゃんでもいいからさぁ。三百万、返してくんない?」

 猫なで声が妙に鼻に付く。ジリジリと、胸の奥の方から厭らしいプレッシャーが伸し掛る。

「俺が払える訳ねぇだろ」

 と、瞬間、佐伯は柚木の胸ぐらを両手で掴み上げ、顔を歪ませ、佐伯の声がドス黒いものに変わる。

「払えねぇじゃねぇ! 払うんだよ!」

 このギャップの使い分けが、人を恐怖に駆り立てるのに効率がいいのを佐伯は経験から身に付いていた。

 柚木は構わず佐伯を睨み返す。

「威勢がいいねぇ。ウチの組に欲しいくらいだ。テメェ、この辺じゃ、幅ぁ効かせてんだろ? カツアゲやら上納金やらで金集めりゃ済む事だ。なんなら、ステッカーぐらいは作ってやる。それ、一口十万で売って来いや」

「分かった。分かったから、もう帰ってくれ。ステッカーは要らない。金はカツアゲでもして集める」

 何も分かってはいない。金を返す気などさらさらなかった。

 ……もう、メンドクサイ。

 取り敢えず、この状況の打開に、柚木は従ったふりするしかないと結論付けたのだ。

「おう。太成ちゃんが物分かりのいい子で助かるよ。また来るからな」

 そう言うと、佐伯は、細身の男を連れ去っていった。

「クソッ!」

 ぶつけようのない悪態を付き、柚木は玄関のドアを開けた。

 真っ暗だ。部屋の電気を付けても誰も居ない。父は本当に居なかった。

 ……クソ親父。どこに行ってやがる。仕事か?

 最近、父は夜も仕事をしているらしく、ほとんど家に居る事がなかったが、柚木にとってそれは気が楽でもあった。

 大体が、柚木が家族との馴れ合いなど出来る柄ではなかった。それ以前に、この状況じゃ馴れ合いどころではないのだ。

 母が生きていた頃は、羽振りもよく、父の人一倍筋肉質でガッチリとした体型は、誇らしくもあり、憧れさえ抱いていた。

 昔から父は無口で余り喋らなかったが、今は、それが何を考えているのかが解らず、無性に腹が立つ。

 テーブルには、カップ麺がひとつと、置き手紙。


 ―いつも、こんな飯ですまない―


「クソッ!」

 柚木はただ、憤りを口の中に麺と同時に放り込んだ。


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