2・受刑者
二・受刑者
今まで逮捕した、ZEROに関する犯人は十数名。被疑者は無罪を誰一人主張しなかった。罪はすんなりと認めてみせるのだ。ただ、それ以外黙秘を押し通すので、警察は手を拱ねいているのが現状だった。
身元不明の容疑者、身元不明の遺体等は、そう珍しくはなかった。だが、受刑者が身元不明というのはそうあるものではない。ZEROに関する受刑者は、そのほとんどが身元不明だった。
彼等が逮捕された時、身元の手掛かりになる身分証は何一つ持っておらず、当の本人は自分の事をデタラメな名前で通そうとするのだ。
……目の前にいる犯人は一体誰なんだ――。まったく気味が悪い。取り調べ中の犯人に碇が抱いた感情だった。
そして、この一連の暴力団襲撃事件、いくら異常者の集団であっても人間なのだ。ヤクザ相手にすんなりと事が進むわけではないのである。ヤクザの遺体に紛れて、ZEROの被疑者と思われる遺体も何体もあった。逆にヤクザに帰り撃ち、全滅するグループも。
碇は長年刑事をやってきてはいるが、こんな異様な事件は初めてだった。指紋を照合しても、前科がない犯人はお手上げである。いっそ義務教育中の健康診断で、日本人全員の指紋を採取してもらいたいくらいだった。そうすれば、犯人逮捕率もぐんと上がるだろうにと彼は思うのだ。
歯の治療後を見て歯型を取ってみても、東京だけで歯医者は腐る程あった。そして躍起になって身元を割り出している警察の気を知ってか知らずか、彼等の為に走り回っているその途中で自害されては、碇も頭を抱えるほかなかった。少ない情報を聞き出す前に参考人が身元不明の遺体にとって変わられれば、警察としてもたまったものではない。結果、今警察が抱えている受刑者は、たった三人である。当初、まるで素人と思われた組織に翻弄されるのは、警察の方だったのだ。
……まぁ、全部が全部、身元不明ってわけじゃない。今は遺体だが、身元の判明してるのもあることはある。そして、三人の受刑者の内、一人が今日――。
碇はデスクに散乱する書類を睨みつけ、頭を抱えていた。彼は考え込むと無意識に煙草を吸う癖があった。灰皿には溢れんばかりの吸殻が溜まっていた。デスクはZEROに関する資料の山で、片付けるだけでも一苦労である。
……本当はタバコ辞めるつもりだったんだがよぉ。年々値上がりするし。だがこれじゃぁ、吸ってないとやってられんわ――。
碇は腕時計を見つめ溜め息を大きく吐いた。時計は三時半を過ぎたところだった。溜め息と秒針が同時に回っている感覚がした。
「あれぇ? 碇さん、自分では煙草買わないんでしたよね? どうしたんですか? その煙草」
相良が外回りから帰ってきて、うどんの勘定のお返しとばかりに嫌味を言った。
「貰ったんだよ」碇は言った。
「誰にですか?」相良はそれが貰ったものではないという確信があるようだった。……くっ、しつこい。一端に刑事みたいな事しやがって――。
「うちの犬」碇は面倒くさくなったのか、相良に適当な言葉であしらった。
「相変わらずっすねぇ。てか、碇さん聞きました? 受刑者のウル。身元割れたらしいですね」
相良はそれを伝えに外回りから戻って来たようだった。もちろん碇もそのことは知っていた。相良はそれでも碇にそれを伝えずにはいられなかったのだろう。全く口を割ろうとしない受刑者の身元が割れるというのは、それほどのことなのだ。
「ああ。当の本人は舌噛み切って、喋れる状態じゃないがな」
本当にこの事件は異様だった。身元不明の割り出し、それはほとんどが家族からの搜索願いからだった。ウルの場合も例外ではなかった。そう彼等は全くの一般人なのである。ごく普通のサラリーマンからフリーター、中には未成年の学生、OLまでいたのだ。
彼等がZEROと名乗り暴力団を襲撃していたことに、家族は全く気付いてないのである。自分の家族の行動にこうも無関心でいられるものだろうかと、碇は理解に苦しんだ。
その他にも、この事件には異様なことが多々とあった。ごく普通の一般人が、女や未成年の学生までもがヤクザ相手に殺人をやってのけるのである。彼等は自分の死をまったく厭わない。そして彼等を英雄視して取り巻く、世間やメディアの存在。今やZEROを取り締まる警察は、暴力団の肩を持つ組織として在らぬ批判を受けているほどだった。
そして捜索願いにしても、未成年の学生はともかく、サラリーマン等、成人した者になると家族からの搜索願いがなかなか届け出られない。家族が心配して搜索願いを出す頃には、受刑者達は死んでいるのである。
……一体、日本はどうなってんだ――。次々と現れる暴徒。その家族の無関心さ。ZEROに対する世間の英雄視。そのどれをとっても碇には、この日本が異常であるとしか思えなかった。
元々、警察という職業は一般市民から好まれる職業ではなかった。度重なる汚職もさることながら、ZEROの出現によって警察のイメージは堕落していた。だが、碇は警察の仕事に誇りを持っていた。彼が警察に抱いた憧れは子供のころからのものだ。よくある刑事ドラマの正義というものに憧れてだった。現実はまったくドラマとは掛け離れたものであったが、世間のために犯罪を取り締まる仕事に少なからず誇りは持てていた。しかし警察の信用は堕落し、ZEROは英雄扱い。彼等を正義と語る輩が現れた。人殺しを肯定し、正義と崇めているのだ。碇は今の日本の現状に悲観した。
「ウルの職業聞きました? 教師ですよ、教師。中学校の。中本俊英(なかもととしひで)、二十九歳。そして、住んでた場所が青森なんて。家族からの行方不明者の顔の特徴、年齢等聞いて、ウルの歯型を地元の歯医者で調べた結果、身元判明」
相良は受刑者の身元が判明したのが余程嬉しいのか、その経緯を碇に細かく話てみせた。
といっても碇は当然そのことも知っていた。それでも、相良の気持ちは解らないでもなかった。例えこれだけでも、少しは何かの手掛かりに繋がるかもしれない。このところずっと行き詰まっていたのだ。些細なことでも進展したといえた。
「青森か。やはりZEROは日本中から集まっているな。ただ、暴力団襲撃は関東でしか行われていない。本拠地があるとすれば、始めの襲撃が東京だった事も考えて、東京には間違いないだろう。
ただ、青森出身の犯人が判ったってことは、これから東北、いや、日本全国の暴力団が的にされる可能性もある。そうなったら、もうテロに近い」
碇は自分で言いつつ鳥肌が立つのを感じた。杞憂と思いたかった。だがZEROを英雄扱いする輩が後を絶たず、それが日本中に散らばることになれば、間違いなく日本のモラルは崩壊するだろうと彼は思った。そうなる前に何とかしなければならないのである。
すでにモラルが欠如した輩は、警察を悪く言う者まで増えている。そういった彼等からしてみれば、悪党のヤクザを庇う警察が許せないのだろう。警察だって別に庇っているわけではなかった。暴力団排除条例を行使しつつ、暴力団を無くす努力はしているのである。だからといって暴力団も人間なのだ。殺していい理由にはならない。
「それって、かなりヤバイんじゃないですか? スケールでか過ぎでしょ」
相良が信じられないのも碇は理解出来た。現実じゃ考えられない。自分自身でさえそれを信じたくないのだ。
「だがそうも言ってられん。今や、関東全域にZEROは広がっているしな」
「碇さん、俺は三年前の最初、この事件は暴力団、虎静会系吉良組に恨みのある奴等が、報復の為に起こした事件と思ってました。そしたら次に別の組が襲撃されるでしょ。これは暴力団全体を憎んでる頭のイカレた愉快犯だな、ぐらいに思ってました。こんなことになるなんて想像出来ました?」
事の次第を把握したのか、相良からはいつもの飄々(ひょうひょう)とした態度が感じられなかった。
「想像出来るわけないだろ。こんな馬鹿げた事。刑事ってのはな、常に現実に目を向けてんだ。
推理小説でよくあるだろ? 祟だの、幽霊だの。そんなんに囚われてたら事件なんて解決出来やしない。愉快犯にしてもそうだ。頭オカシイ奴の目線で現実を見るんだ。そいつらなりの理由がそこにある。だがこの事件は、現実離れし過ぎなんだよ」
碇はつい熱が入ってしまう。三年の捜査も虚しく、事は大きくなるばかりだった。それに比べ、手掛かりは霧に包まれたまま確信へ繋がらない。まるで実態が掴めないのだ。
そもそも実態が在るのだろうか。いや、もしそれがなかったのなら、ZEROは個々に事を起こしている事になる。それは有り得ない。事件には統一性があるのだ。
暴力団しか襲わない。ZERO。死を恐れていない。そして皆、自供する前に死のうとする。
…………何かおかしい――。何か、俺は勘違いをしてるんじゃないか? そもそも奴等は仲間の情報を自白しないために、その使命で死のうとしているのか――?
碇はZEROの統一性のひとつに違和感を覚えた。ウルは病院で気が付いた後、「死に損ねた」と言ったのである。ということは、彼は捕まる前、暴力団襲撃中に死んでもよかったという事ではないのか。……違う。ウルは死にたかったんだ。使命とかで死のうとしているんじゃない。死にたがっていた。……最初から――。
「どうしました? 碇さん。いきなり力んだかと思うと、急に考えに耽って」
碇が静かに考え込み黙り込むので、相良はそれが気になるのか、彼にその理由を尋ねた。
「ああ。相良、頼まれてくれるか?」
「何ですか? 任せて下さい。こういう時の相棒でしょ」
碇がZEROについて何か掴んだのを確信したのか、相良はいつにも増して乗り気だった。
……調子いいこと言いやがって。まぁ今は助かる――。
碇はこういった時の若い者の原動力は頼りになると思った。
「身元の割れた受刑者ウル、中本俊英と、死亡したZEROの犯人等の身辺調査をもう一度、一から洗い直してくれ。
借金とか仕事、友人関係、家族、男女関係もだ。たぶん奴等は元々、自殺志願者だ」
「分かりました。けど、死亡したのも入れると結構な量ですよ」
「刑事は骨の折れる仕事ってのが大概だ。積み重ねなんだよ」
「分かってます。任せて下さい。でも前に身辺調査した時は確かに何件か借金抱えてた家とか、身の内に不幸が遭った者もいましたけど、他は特に何もなかったんですよね?」
その通りだった。だが、今は意識が違うのだ。あの時の警察は暴力団に対する恨み等を抱えていたのか等、家族、遺族に聞いて回った。実際、暴力団の経営する金融会社に借金抱えている者等も多かったため、彼等はその線で調査をしていた。だが――、
「深く切り詰めなければ、遺族や家族は世間体もあるし、深い傷を負ってる者もいるだろう。話したがらないだろう。自分の家族、友人が死にたがってた理由なんて。
もしもだ。親が子を虐待していたとして、それを親が警察に言うと思うか? クラス全員が虐めていたとして、クラスの友人が僕は虐めてましたなんて言わない。勿論、人間の抱えてる闇ってのは、本人にしか解らない。聞いても何も出てこないこともあるだろう。
だが間違いない。奴等は自殺志願者だ。暴力団を襲って自殺している。その線で、身辺の洗い直しをもう一度頼む」
視点を変えれば簡単な事だった。簡単過ぎて三年間気付けなかった自分が恨めしかった。実質、大概の事件はそうなのである。解ってしまえばこんな事か、なんて事件は多々とあった。それがなかなか気付けないからもどかしかった。
ほんの少しだった。これはほんの少しの手掛かりに過ぎない。ZEROが自殺志願者と判ったところで、それ以外は何も掴めていなかった。だが、そのほんの小さな手掛かりが確信へと繋がる事もあるのだ。碇は僅かながらの光明を感じとっていた。
刑事は積み重ねだ。例え何も得ることが出来なかったとしても、疑いがあれば徹底的に納得いくまで調べ上げる。それが碇の刑事としての誇りのようなものだった。
「了解です。行ってきます。碇さんは行かないんですか?」
「俺はもう一つ、気になる事がある」
「じゃぁ、行ってきます」
そう言うと、相良は慌ただしく部署から出て行った。
……まったく、事件が手詰まり滞ると仕事をのらりくらりするくせに、進展があればこの様だ――。
ただこの異様な狂気じみた事件に携わっているからこそ、相良のそういう人間らしさに碇は心底救われるのだった。