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  作者: 中邑あつし
第一章
23/36

6・覚醒 前

 六・覚醒



 路地には先程までの喧騒は無くなり、二つの缶珈琲が取り残されていた。見るからに切迫していた。彼等は、どこに連れて行かれたのだろうか。彼等は自分と違い、必要とされる人間なのだ。

 幾日、友達として過ごしたチサ、藤井によって語り聞かされた柚木、この二人は、誠が知る得る中で最も人間らしかった。

 ……助けなきゃ。

 彼の思考は、いつからか欠如している。齢十八の少年に何が出来るわけでもない。それでも彼の思考は、彼等を助ける、その一点から逸れるようなことはなかった。

 尋常ではない光景を目にしたにも関わらず、彼は少しの安堵さえ感じ取っていた。

 ……柚木君、無事だったんだ。

 気掛かりでなかったと言えば嘘になる。自分が人としての感情を失くしてしまったあの日、目の前に横たわる柚木大成、そして、血に塗れた自分の姿。

 何度も夢に見た。石で肉を破り、骨を砕く感覚がリアルに再現されていた。そして、動かなくなった柚木の顔を覗き込む、返り血を浴びた自分の顔は、……笑っていたのだ。

 夢は、あの惨状をリアルに再現してみせたが、毎度目が覚める直前、あの顔を歪ませた自分の顔が、現実でもそうだったか彼には判断が付かない。ただ、あの顔を歪ませた自分が、あの時に目覚めたもう一人の自分であることは、誠には確信を持てていた。

 だが、あの惨状は結果的にそうなったに過ぎない。誠は柚木のことを今でも尊敬し、慕っているのである。もしかしたら、殺してしまったと思っていた。それでなくとも、日常に戻れないほどの、傷を与えているのではと。

 安堵した。ヤクザに連れ去られわている状況を見せ付けられて尚、誠の中に安堵が芽生えたのだ。

 ……藤井君とチサさんの大切な人、助けなきゃ。

 誠には、彼等が連れて行かれた場所に、おおよその心当たりがあった。彼等を助け出すには、まず武器が必要だろう。誠は武器と成りえる物を模索した。

 彼等を救えるのならば、壊してしまっても構わない。人を圧倒的なまでに抑制する道具。

 ……包丁。

 意識してか、知らずしてか、誠は自分の母、そして父の命を奪い去った包丁を、彼等を助ける武器として選択していた。

 誠は冷静に、そして着々と二人を救出するための術を模索し行動に移した。彼は、百均で包丁と軍手を数双、黒いポリ袋を買うと、一旦施設へ帰り、自分の部屋へ向かうなり、バッグに数着の着替えと軍手、ポリ袋を詰め込んだ。

 ありったけの鉛筆、シャープペン、ボールペンをズボンや上着のポケットに入れ、胸ポケットに挿し込むと、大きく息を吐く。

「よし。これで何とかなるだろう」

 これで何とかなると考える誠は、誰から見ても壊れていた。

 ヤクザ相手に、たったこれだけの準備で何が出来るというのだ。それに、彼は相手が何人いるのかも把握出来ていない。

 ただ、早く死にたいと考える誠は、結果自分が死ぬ事になろうと構わないのだろう。彼は、柚木等が拐われる光景を目の当たりにして、確かにこう思った。

 ……「死に場所がミツカッタ」と。

 拉致現場の唯一の目撃者が誠だったのは、柚木等にとっても、ヤクザにとっても、不運としか言いようがない。今の彼は壊れている。柚木等が拉致されたとき、警察へ通報するような常識を持ち合わせた人が一人でもいれば、結果は変わっていたのだ。

 彼等が拐われた場所についてだが、佐伯等の務める表上の事務所、ケイアイ・ファイナンスではなく、誠は佐伯に父と前に連れていかれた、帝劉会系列、寺田組事務所だろうと見当を付けていた。そこで二人を助けられられなければ、そこが彼の死に場所になるだろう。

 また、誠の頭に蝶が浮かぶ。


 ……分かってる。足掻いてやるよ……。


「誠くん?」

 リビングに差し掛かった時、誠はまた中村に呼び止められた。

「誠くん、学校で何があったの? さっき、学校の先生から連絡があって」

 学校での惨事は、もう中村の耳に入っていた。

 誠がクラスメイト二人に怪我を負わせたのだから、中村も気が気がではない。彼の心情を察して、深く取り入ろうとしなかった自分に責任を感じているのだろう。

 だが、今の誠には、中村に取り合っている時間はなかった。

「すいません。もう、迷惑掛けませんから」

「ちょ、ちょっと、待ちなさいっ!」

「大丈夫です。先生に心配掛けるのはこれが最後です」

 誠は中村の話に取り合おうとせず、玄関に向かう。

「誠くん」

 そして、玄関のドアを開け振り返る。

「さよなら。先生」

 バタン。

 明らかに誠の様子はおかしかった。中村は胸騒ぎがした。無理にでも、今この家から彼を外に出すべきではなかったのではなかろうか。止めどない不安が過ぎる。教員に聞かされた学校での惨状然り、彼の覚悟を決めたような眼光。その手には、大きなバックが持たれていたのだ。

 彼は、もうここに戻って来ることがないような気がした。しかし、中村は彼にどう接していいか解らなかった。掛けてやる言葉も見付けられない。ただ、もう心配掛けないと言う、彼の言葉を信じてやる事しか出来なかった。

 彼女は、今まで沢山の心の傷を抱えた子供達と接してきたが、誠は、そのどれにも当て嵌らなかった。子供達は、皆、どこかで救いを求めていた。その救われたい感情が上手く表に出来す、周りに、中村に当り散らす子供等も少なくはなかった。それでも、中村は諦めず、愛情を注ぎ続けた。そうするうち、子供達は次第に心を開くようになったのだ。

 だが誠は、救われることを拒否している。彼自身が救われたいと願わなければ、誰も救いようがないのだ。

 それでも、中村が誠を放っておけないと思うのは、覚悟の奥に垣間見えた彼の目が、余りにも悲しい目をしていたからだろう。

「大丈夫だよね。誠くん」

 そう呟き、中村は胸にある不安を掻き消そうとするのだった。


 ……ここか。

 日は落ち、暗くなった夜空の月が不気味に貸ビルを照らしている。

 気温は下がり、ここまで走って来た誠の体温と心地よく調和する。

 ここの三階の角部屋が寺田組事務所。間取りは覚えている。幸いにも、周りにはまるで人気がなかった。

 ……壊シソビレナイヨウニシナイト……。

 誠は、軍手を両手に着用し、包丁を手に取ると、バッグを階段の下に置き、階段で三階まで行く。金製の折り返し階段は、乾燥した夜空に、カンカンという乾いた音を響かせた。

 階段を上り終えると、事務所に続く通路を真っ直ぐと前に進める。不思議と誠には、恐怖が余り感じられない。

 片手に人を殺傷するために包丁を持ち、一歩一歩と死地へと歩を進める。一歩、また一歩と歩を進める度に、自我が薄れていく。

 それに取って変わるように、もう一人の自分が内から溶け込んでくる。

 もし、死ぬようなことがあれば、その相手を、自分が死に至るまで目に焼き付けよう。感謝の意を込めて……。

 もう一人の自分が完全に浸透した頃、誠は事務所のドアまで辿り着いていた。

 誠は大きく深呼吸をし、呼び鈴を押した。


 ピンポーン。


 ……壊スカ壊サレルカ……。ボクハ……、ドッチデモイイ……。



「誰だ? こんな時分に。おい、誰か見てこい」

「はい」

 今まさに、佐伯がチサの父親に電話を掛けようとしたその時、突然の訪問者により佐伯の手が止められた。

「電話、どうしますか?」

「来客が帰ってからだ」

「はい」

 取り敢えずは助かった。けたたましく心臓が唸る中、柚木は僅かな安堵を覚えた。

 だが、この状況が最悪であることは変わりない。今はただ、最悪の状況が先延ばしになったに過ぎないのである。訪問客が帰れば、この続きは滞りなく進められるだろう。

 柚木の横では、チサが身体を震わせ泣いていた。

「大丈夫だ。チサは、俺が無事に家に帰らせてやる」

「……うん」

 自分が無責任なことを言っていると、柚木はそう思った。何も出来ない。自由を奪われた今、自分さえ守ることが出来ない。現状を打破する方法すら思い付かないのだ。

 だが、例え無責任でも、嘘であろうとも、恐怖で脅える彼女を一時でも安心させたかった。

「何とかして、お前だけでも助けてやる」

 それだけ言うのが精一杯だった。

「駄目。太ちゃんも一緒じゃなきゃ……」

 なのに、チサはその柚木の意思を汲み取ろうとしなかった。

「くっ、そうだな。俺までお前の元からいなくなるわけにはいかねぇしな……」

 チサが幼馴染である充の死、友達だった相原誠の身に起きた不幸で、精神が不安定な状況であることは、柚木も理解していた。理解しているが、何とかしてチサだけでも助け出せないだろうかと、柚木は切に思うのだ。

 元はといえば、自分の家の借金から撒かれた種なのだ。柚木は、その方法を模索するが、何も出来ない苛立ちと憤りに苦虫を噛む他なかった。

「太ちゃん、もしかしたら助けかもしれないよ。私達が拐われるのを見た人が通報したのかも」

 その可能性は、無くはない。だが、柚木にはそれに余り期待を持てなかった。それでも、チサを安心させようと、

「ああ、そうだな。きっとそうだ」

 と、彼は第三者の助けに、僅かな希望を抱かせた。

 玄関でよく聞き取れない会話が聞こえてくるが、何を話ているのか良く聞き取ることが出来ない。柚木は玄関が開けられれば、助けを求めてみようかと考える。だが、相手が一般人とは限らない。このヤクザ等の仲間かもしれない可能性は、充分に有りうるのだ。

 玄関のドアの開く音が聞こえた。

 その主が、自分等を救う者なのか、それとも、奴等の仲間であり、より最悪の現状に成りうるのか。それは近い将来、数分と言わず自ずと判るだろう。

 期待と不安、希望と絶望の淵で、彼はただ願う。神など信んじたことなど一度もなかった。だが、願わずにはいられなかった。


 自分達を救い出して欲しいがために。


 彼女を、守って欲しいがために。


 室内は、突然である来客の訪問に静まり返っている。実質、男が確認のため、部屋を出てから数十秒しか経っていなかった。

 柚木等だけに限らず、ヤクザ等もその相手が誰であるかに気を取られていた。張り詰めた糸が、緊張した空気を室内に充満させる中、玄関からはボソボソとした聞き取れない会話が耳に入る。

 その緊迫した糸は、男が向かった先で、何とも取れないその男の声によって切り裂かれた。

「ぎっ!」

 玄関で悲鳴の様な声が聞こえる。

「おい、誰か様子を見てこい」

「はい、私が」

 細身の男が玄関に向かう。

「須藤、気を付けろ。何か様子が変だ」

 佐伯は玄関の異様さに須藤を気遣う。そう。何か異常だった。さほど聞こえてきたそれは、さほど大きい声ではなかった。だが、あの悲鳴は、佐伯に何か異様なものを感じさせたのだ。

「分かりました」

 張り詰めた糸が切れ、それぞれの滞留していた情感が爆ぜる。柚木等を含め、部屋に残された者等の情感が響めきだす。

 その異様さは、須藤と呼ばれた男も感じ取っているだろう。彼は、佐伯の忠告を抱かせつつ、部屋のドアに手を掛け、玄関に向かって行った。

 人間、どんなことが自分の身に起これば、あのような悲鳴が出るのだろう。聞いたことのない悲鳴。まるで、悲鳴を叫びきる前に、その行為が閉ざされたような……。

「佐伯、何を身構える。東が勧誘の野郎でも殴り付けたんだろう」

「はい」

 組長がそう言うが、佐伯には、過ぎる不安が拭えない。

 ……だと、いいんだが、嫌な感じがしやがる。

 佐伯は、長年現役のヤクザで前線を仕切ってきていた。その勘が佐伯に不安を駆り立てるのだ。

 それは柚木も同じく感じていた。柚木の場合、本能みたいなものだろう。それに比べ、デスクでふんぞり返り、組員を使役する組長には、危機感をまるで感じ取れていないようだった。

 だが、戻って来ないのである。二人共。須藤が部屋を出て、数分の時が経過しているにも関わらず。

 それには、さすがに組長も危機感、不安を感じ始める。

 その時だった。ガチャッ、と静寂を破り、部屋のドアはゆっくりと開かれた……。


「ッッッッ!」



 ……そんなっ……、コイツは……。



 柚木の思考が停止する。いや、逆だ。状況の把握をしようと脳が高速に思考しパンクする。

 全員が息を飲む。この部屋にいる全員が柚木と同じ様に固まっている。唖然。絶句。言葉にならない。

 今、自分たちの前に突如、忽然として現れた受け入れがたい現実に言葉を失い、思考を失う。

 今この状況を目の前に、それを平然と潔く受け入れきれる者など、この部屋に、いや、この世に存在しうるのだろうか。この空間が静寂にある中、室内には雫の滴るような音だけが木霊している。

 そこには、二人の男の血を吸ったと思われる包丁を持ち、全身に返り血を帯びた年端も行かない少年が、死んだ目をして立っていたのだ。

 包丁からは、今さっきまで男二人の体の中を流れていた血液が、ポタッポタッと音を立て、床に小さな血溜まりを作っている。

 そして、その男は紛れもない。柚木を殺しかけた男に他ならなかった。


 その上、それ以上に柚木を追い打ちし、驚愕させるのは、チサの喉から絞り出された……、次の彼女の一言だった……。



「誠…くん……?」




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