5・真相
五・真相
「おら、早く歩け!」
両腕を後ろに縛られ、目隠しをされたまま歩かされていた柚木は、男の蹴りによって、背中を壁に強打し、床に座り込んだ。
「そこでおとなしくしてろ」
男は柚木にそう言い放ち、その場からの気配が消えた。
……クソッ! どこに連れてこられた。分かりゃしねぇ。
柚木は、佐伯等によって連れてこられた場所が把握出来ないでいた。両手を後ろ手に縛られた上、目隠しまでされている状況では、判りようもなかった。
ここが室内であることは、連れられた時のドアの開ける音で理解出来たのだが、目を閉ざされた今は、聴覚、嗅覚等、五感の一つを駆使して場所を検討する外ない。
すぐ隣で肩が触れているのは、たぶんチサだろう。耳元で微かに呼吸をする音が聴こえる。心無しか、その肩は震えているように思えた。
室内には数人の足音が聴こえる。会話はボソボソと何を話しているか分からなかった。自分の真上にあるのか、エアコンの音の方が五月蝿く感じられるのだ。
取り敢えず、考えるよりもこの場を何とかしなければならない。柚木にはまだ口が使える。
「おい! ここはどこだ!」
どこの誰とでもなく、柚木は自分達の連れて来られた場所を問い質した。
「目隠しを外してやれ」
意外にも、柚木の目隠しはすんなりと外されたのだ。
長い間、目を塞がれていたせいもあって、部屋の明かりが眩しく彼の目を貫く。次第に目が慣れてくる。柚木はまず、チサの無事を確認した。やはり、隣で肩を震わせていたのはチサに間違いなかった。
チサには始めから目隠しはされていないようだった。しかし、彼女にも柚木に同じく、両腕を後ろで縛られている。
柚木は、彼女の無事が確認出来ただけでもよかったと胸をなで下ろした。だが、状況が最悪なのには変わりはないのだ。
「チサ、大丈夫か?」
「うん」
そう答えるが、チサの声は恐怖で震えていた。
「おい! こんな事してお前等どうしようってんだ?」
柚木には、何故チサまで巻き込み、こんな事をされるか見当がつかない。少しずつにしろ、父は毎月、期日には借金を振り込んでいるのだ。それ以上に解らないのは、奴等は始めからチサが狙いだったっということだ。
組員は見る限り、全部で七人。柚木はもし、身体の自由が解けた時の対処を頭で廻らせる。手が自由になったところで、完治していない両手は使い物にならない。相手は七人で、しかも喧嘩なれしているであろうヤクザなのだ。頭に奴等を倒すイメージを何度もするも、三人までが限界だった。嫌な汗が彼の全身を纏う。
すると、頭を廻らせている柚木に、飄々とした声が掛けられるのである。
「初めまして。君が柚木太成かぁ」
見た目、柚木とそう歳の違わない男が、柚木に興味を持ち話し掛けてきた。切れ長の人を嘲るような目は、彼の内面からきているように感じられた。
……こいつは誰だ? 俺を知ってやがるのか。
自分の名前を呼ぶその男が、柚木には全く誰だか分からなかった。
「誰だ、テメェ」
男は、その質問を待ってましたとばかりに喜々に答える。
「捜してたんでしょ? 俺の事」
自分を捜していた君なら、俺のことは判るはずだろと言いたげに、男は逆に柚木へ質問した。
……何言ってるんだ? こいつは……。
だが、柚木には会ったことさえない人物を、この混乱する状況で特定することが出来ない。
「お前なんか知らねぇ。誰かと勘違いしてねぇか?」
男は変わらず喜々としていた。
……何がそんなに楽しい?
柚木は、男の切れ長の目、いやらしく吊り上げる口元、仕草、そのどれもが気に食わなかった。
「おかしいなぁ。甲斐君、元気?」
「な? 何でお前が……」
男は柚木に確信を持たせるため、甲斐の名前を口に出した。
……まさか? コイツが、この男が寺田だってのか。
それなら説明がつく。柚木がこの男を捜していたことは事実だった。甲斐と寺田が繋がっているのなら、柚木のことをこの男が知っていてもおかしくはない。
ただ、何故寺田が今ここにいるのだ。目隠しを取られた今でさえ、ここがどこだか解らないが、拉致られて来た現場に寺田がいることが不可解でならなかった。
「さずがに馬鹿でも気が付いたみたいだね。どうだった? 俺のゲーム」
ゲームと、寺田は喜々に嘲笑った。
その怒りが柚木に沸沸と込み上げてくる。拉致されて来たという今の状況さえ忘れさせるほどに。
「ゲームだと? ふざけんな! テメェ! あんな事して一体何がしたいんだ!」
「だから、言っただろ? ゲームだよ、ゲーム」
分かっていた。いつ頃からかこの男、寺田はただ、脅えるガキを見て楽しんでいる、そう痛感していた。ただ、それを直接寺田の口から聞くと、胸の奥に沈めていた怒り、憎悪が吹き出してくる。
ずっと、彼はずっと柚木が捜していた男だった……。仲間の甲斐を巻き込み、親友の充を死へと追いやった寺田。その男は、今更、柚木の前に姿を現したのだ。
……ずっと捜していた奴がこんな形で……。こんな、こんなガキのゲームのために充は……。
柚木の顔が怒りで歪む。腹の底からマグマが喉元まで打ち上げられる。腹を、喉を破りマグマが噴き出してきそうな感覚に襲われる。
例え、もうこの手が使えなくなろうとも、思いっきり殴ってやりたい。歯痒い。ギリギリと歯を軋ませ、ギチギチと縛られた縄を鳴らす。今、ずっと憎み捜し続けてきた男が、自分の目の前にいるというのに、寺田を殴るための手は縛られているのだ。
「ぶっ殺してやる……」
柚木を支配する怒り、憎悪は、寺田への殺意に変わる。
「太ちゃん。ダメ」
チサが柚木を宥める。だが、宥めるも何も両手を後ろ手に縛られた柚木は、結局何も出来ないのだ。
それでも、チサは止めなければと思った。ギチギチと縄を鳴らす彼の形相が、余りにも獣じみていたのだ。その彼の手首は、痛々しく染まり、手の先は、血流を止められ紫色に変色していた。
「きゃはっ、その顔を見るのがたまんないんだよ。ゾクゾクする。君のその顔を造り上げたのは、他でもない俺なんだから。
でも、このゲームも終わり。飽きちゃったし、金、失くなっちゃったし」
「話はそれぐらいでいいだろ。将生」
ここの組長だろうか。立派なデスクに座る男が寺田に言う。
「もう少し話させてよ」
「分かった。あまり、時間取るなよ」
「分かったよ。父さん」
……父さん…だと……?
寺田は、デスクに座る男を父さんと呼んだのだ。
……そうか、そういうことか。
もっと早く気付くべきだった。帝劉会系列の寺田組。ここは寺田組の事務所なのだろう。解ってしまえばこれほど簡単な事はない。寺田は、ヤクザの金を使って人を動かしていたのだ。
「でも、つまんないなぁ。こんな感じで終わっちゃって。俺的にはさぁ、もっと色んな手掛かり掻き集めて、証拠掴んで、それで犯人はお前だ! みたいなの想像してたんだけど」
「ふざけんな! テメェのそのゲームのせいで充は殺されたってのか!」
「ああ、あれかぁ。あれは予想外だったなぁ。藤井充、アイツはマジで頭キレる。俺と甲斐の繋がりを一番初めに気付いたんだから。
別に誰も殺すつもりはなかったんだけどね。焦った甲斐が勝手にやった事だよ」
「やっぱり、甲斐が……。何でお前と甲斐が繋がってるんだ?」
「なんとなくは解るだろ?……金だよ」
……まただ。また、内臓が捩れる。吐きそうだ。金。金のために甲斐はダチの充を裏切り……。
何でだよぉ、甲斐。お前等あんなに仲良かったじゃねぇか……。そんなに金が必要だったのかよ……。
死を覚悟したあの一件以来、棘が無くなり影を潜めていた憎悪は、明らかな殺意となって柚木を支配していく。
中学校から培ってきた、仲間との信頼は、金の力でいとも簡単にねじ伏せられ、甲斐を裏切りへと導いた。そして、金の力で街を翻弄し、一人の男の命を奪ったのだ。
「この世界にいるとさ、金で人を裏切る奴とか、甲斐みたいに金で人を殺す奴、金のために人を売る奴。家族さえ裏切る奴。色んな奴が視えてくる。それで、思ったんだ。金でどこまで、人を操れるんだろうって。
そんな時、借金の取立てに興味持って、たまたま佐伯に着いて行った先が、甲斐んとこってわけ。借金返済に頭回らなくなった甲斐に、借金チャラにしてやる変わりに、俺の手足になってもらったわけ。最初は甲斐も断ったんだけど、目の前に大金積んだら、目の色変わっちゃって。怖いなぁ、金の持つ魔力は」
寺田は、相変わらず喜々としていた。
……狂っている。ヤクザの息子ってのは皆こうなのか?
醜悪に立ち振舞う寺田を、柚木は下から睨み上げることしか出来ない。自分の無力さに腹が立った。
一方、チサは柚木の隣で俯き、声を押し殺し泣いていた。悲しみ、そして、彼女も自分では何も出来なかった悔しさを抱えて。
「腐ってやがる。人の弱みに付け込みやがって」
「人聞き悪いなぁ。俺は選択させただけ。俺の手足になる事を選んだのは甲斐自信だ。でも、金の力は凄いね。街中のガキが翻弄される様は見ものだったよ。
でも、藤井充が死んでからさ、甲斐、なんか壊れるし、今や音信不通。ちょうど飽きてきちゃったし、父さんの金も失くなったし」
「そこまでだ。これ以上、ガキの話に付き合ってられん」
そう言うと、組長は寺田の話を切り上げさせる。
「分かったよ」
寺田はつまらなさそうに引き下がった。
「ああ、それと将生、この件で使った金は、甲斐んとこの借金と合わせて六百万。お前は特別に利息一年一割で許してやる」
「な、何言ってんだよ、父さん。冗談だろ?」
「冗談言ってどうする。甘ったれるな。お前みたなガキが自由に出来る金など一銭もない」
「嘘だろ? わ、分かったよ。ここでみっちり働けばそのうち返せる」
「勘違いしてないか? 将生。高校卒業したら、お前は家を出て行け。お前には組は勤まらん。俺の知り合いで泊り込みの労働施設がある。そこで、六百万全て返済するまで働け。お前が思ってる以上に金は尊い」
「嫌だ。俺は行かないからな。父さん」
「勝手にしろ。お前には生命保険たんまりと掛けている」
「え? 父さん? クソ! ふざけんな!」
父の言葉に寺田は、声を荒らげた。
寺田の父は、自分の息子を強制労働施設に送ろうとしていた。そこは、人が人として扱われず、奴隷として強制労働を強いられる場所であった。生きて外に出る者は、過半数に満たないという。
柚木も、そういう施設があることは、噂ながらに知っていた。
……腐ってやがる。ヤクザってのはとことん。金。金。金。
金の為に自分の息子まで売り飛ばすのか。
つい先程まで、殺意さえ芽生えさせていた寺田に対し、柚木は同情してしまう。それほど、施設の凄惨さが柚木には想像に伺えたのだ。
だが、寺田は自業自得だった。彼がどんな目に合おうとも、藤井充はもう戻らない。
そう、彼がどうなろうが、充は生き返らない。柚木は、寺田へ殺意を抱いていたことに対し、馬鹿らしくなっていた。
「おい。誰かこのガキを黙らせろ」
「し、しかし」
「構わん」
組長に言われ、男達が寺田を抑え込む。
「え? な、何だよ。お前等! 俺にこんな事してただで済むと思うなよ! おいっ!」
「将生様、すいません」
寺田の抵抗虚しく、寺田は別室に連れていかれた。
「さぁ、ここからは大人の話だ」
そう言うと、組長は机に両肘を付け、顎を両手の甲に乗せた。
「チサを拐って何するつもりだ」
一難去ってまた一難、柚木が組長に噛み付く。
「威勢がいいなぁ。そんな奴は嫌いじゃない。うちの馬鹿息子も柚木君みたいだったら苦労せずに済んだものだ」
そんなことは柚木にはどうでもいいのだ。すぐに質問に答えようとしない組長にまた怒りが込み上げる。ここに連れて来られてから、柚木の顔は歪みっぱなしだった。
さっきの寺田にしても、チサには何の関係もなかった。元々、彼等がここに二人を連れて来た確信は彼女なのだ。直面する問題が先送りになるほど、柚木の不安は大きくなる。
「質問に答えろ。チサをどうするつもりだ」
「何、こっちも切羽詰まっててね、早急に金が必要なんだ。一千万」
相変わらず、両手の甲に顎を付いた姿勢で、組長は軽々と一千万という大金を口に出した。
……い、一千万?
その途方もない金額に、柚木は驚きを隠せない。馬鹿げている。そんな大金、どうにか出来るわけがないのだ。
「む、無理です。そんな大金、うちの会社でも払えない」
その余りの金額に、聴き手に徹していたチサは、顔を上げ声を震わせ訴えた。
「チサの言う通りだ。子供が子供なら親も親か。ここの奴等は、皆頭がイカレてやがる」
「それは、困ったなぁ。娘さん死んだら、お父さん悲しむだろうねぇ」
「い、嫌っ」
チサの顔が恐怖で引き吊る。
……ふざけるな、ふざけるなフザケルナッ! クソッ! クソッ!
チサの命が危ない。柚木は必死に縄を解こうとするが、キツク縛られた縄は手首に食い込むばかりだ。手が引き千切れてもよかった。例えその両手が無くなろうとも、残った腕でチサを守れるなら。
だが、人の力では硬い縄をどうすることも出来ず、ギチッギチッと絞るような音を響かせるだけで、柚木の腕に自由を取り戻すことが出来ない。
絶望が襲い来る。血の気は引き、全身の毛が逆立つ。
「さぁて、取り敢えず千紗さんのお父さんに電話しよう。おい」
「はい」
「辞めろぉ!」
柚木の静止も聞かず、組長の合図で佐伯は携帯に手を掛けた。その時……
ピンポーン。