4・目撃
四・目撃
コンコン。
「誠くん、今日の昼食、ここに置いとくわね」
「はい」
あれから三ヶ月近く。誠は、死のうと思いつつも、まだ生きている自を図々しく感じていた。思考が考える事を拒絶し、空っぽのまま、ただ、時間と日々が通り過ぎるばかりだった。
……死ななければ。
死ぬことが義務であるかのように、彼はその言葉を頭に木霊させる。だが、ここに何もしないでいて死ねるわけもなく、取り敢えずの行動として学校へ行ってみようと思った。
中村が置いていった少し早めの昼食を済ませ、彼は自分の部屋を出た。
自分の部屋から外に出るときは、必ずリビングを通らなければならない。五人の児童達はもう学校に行っている。
あの日、佐伯がここに来て飛び出して以来、誠は中村以外とは誰とも口を聞いていなかった。元々それ以前から、話などしていなかったのだが、今や彼は、中村との会話も拒絶し、ただ引き籠ってばかりだった。
しかし、リビングには大概中村がいる。通れば必然とこうなる。
「どうしたの? 誠くん」
誠の機嫌を伺い、腫れ物に触る様な中村の態度が見てとれた。
「学校。行こうと思って」
中村は驚きを隠せない。誠の発言に少しの希望の光さえ感じとっているのである。
当然なのだろう。あの事件以来、彼は学校へ一度も行っていなかった。それどころか、部屋の外にさえ出ることがなかった彼が、外に出ようとするその行為が、彼女には勇気ある希望の一歩に感じられたのである。
だが、事件が事件だ。誠の学校生活がどんな環境だったか中村には解らない。友達がいたかもしれないし、その逆だって有りうる。例え、楽しい学校生活を送っていたとしても、それまでの学校生活が送れるとは限らない。
中村は、誠に転校を進めたが、彼がそれを受け入れることはなかった。
「学校、無理しなくてもいいのよ」
「大丈夫」
「そ、そう。誠くんが前向きになったんだもんね。いい事よね。先生、誠くんの意思を尊重しなくちゃ」
別に、前向きとかそういうものではなかった。誠はただ、三ヶ月ものうのうと生きてきた自分が許せなくなっただけに過ぎない。部屋に籠っていても死ぬ事は出来ないのだ。
彼が前向きになったとすれば、死ぬ事に対して……。
「うん。じゃぁ、行ってくる」
「あ、ちょっと待って。これ、何かと入り用でしょ」
そう言うと、先生は誠に千円を持たせる。
「こんなに要らないよ」
「ううん。持っていきなさい」
中村は、誠に強引にもお金を持っていかせようとする。
「すいません。それじゃぁ」
誠は千円を受け取ると施設を後にした。
柚木に会ったあの夏以来、引き篭り、外に出てなかった誠は、外の肌寒さにその時の流れを実感させた。彼は学校に着き次第、教室へ向かう。三ヶ月の期間を経た学校もそう代わり映えしていなかった。生徒の着る制服が夏服から冬服に変わっているくらいだ。
今は昼休みの時間だ。教室までの道程、誠に気付いた生徒達がヒソヒソと騒いでいた。
廊下越しでも、教室の賑やかな騒々しさが伝わってくる。
誠がガラガラと教室のドアを開けると、昼休みの騒がしい空間が、急にシンと静まり返った。周囲の痛いほどの視線が誠に注ぎ込まれるが、彼は全くそれを気にすることなく、自分の席へと歩を進めた。今の誠には、教室のクラスメイトがガラクタのようにしか見えていなかった。
誠は、自分の席へ腰を掛けた。すると、以前は話すことは愚か、近づくことさえも嫌悪感を抱かせ拒絶していた彼に、女生徒の一人が恐る恐る話しかけてくるのだ。
「ま、誠くん……、そこ、席替えあったの。だ、だから……」
「そっか。俺の席は?」
「…………」
女は口を噤み答えようとしない。いや、答えられないのだ。彼の席は、担任の先生ですら、もう必要ないと教室から席を一つ減らしてしまったのである。
……そっか。俺の席、失くなったのか。
本当に何もかもが自分から失くなっていく。今や自虐に陶酔すらしている誠は、それが心地よくすらあった。後は残った自分の身体が鬱陶しくて仕方ない。
「おい。誠、お前生きてたのか。死んでんのかと思った」
誠の視界には吉井の姿があった。その吉井の相変わらずの対応に、誠は少しほっとする。中村や施設の児童の哀れみの言葉より、吉井の明らかに悪意のあるこの言葉の方が、幾分、心地よささえ覚えるのだ。
「や、辞めなよ。吉井くん」
クラスメイトの女子が吉井を止めに入った。
明らかに皆の態度が一変している。皆、中村と同じ腫れ物を見る目。誠は充が死んだ時、クラスメイトの中に死を嘆き悲しむ姿を見た。だが、そのクラスメイトは、その涙を流した目で彼を嘲り、その涙を拭った手で彼を殴りつけたのだ。
そして今、誠の両親が亡くなると、こうして彼に悲観の眼差しを向けてくるのである。
人間とは、無責任にこんなにも人の死に敏感になる。それに対し人の心には、鈍感にも踏みにじり傷付けるのだ。
この世界は「生」、「死」に執着して、「心」を見ていない。身体は自分を形成する器でしかない。身体が死ぬ前に、「心」が死んでしまうその絶望を知らない。「心」を殺してしまう、その罪を知らない。
ただ今は、誠に飾り付けせずに悪態を付く、吉井の言葉が心地よく、それでいて彼が余りに滑稽に思えるのだ。昔、風邪で寝込んだ時に家で聴いていた、壊れたラジオから流れる雑音に似ている。
「うっせぇよ。こいつの家庭がどうとか知ったこっちゃねぇんだよ。おら、俺はお前がいなくなってから、ストレス溜まってんだ。金、出せよ」
ほら、こうして誠の耳にノイズが響く。
「もぅ辞めなよ。先生に言うから」
「言えよ。テメェらだって一緒だろうが。今まで誠にしてきた事よく考えてみろよ」
「それは……」
そう。ここにいるクラスメイト全員。誠のイジメに参加していたのだ。吉井にそれをつけ込まれ、立場を無くした女生徒は黙るほかなかった。
「バァカ。今更良い子ぶっても遅ぇんだよ。ほら、誠、早く金出せ」
あれ程怖かった吉井達が、今は不思議と全然怖くなかった。心地いいはずのノイズが、今はウザッたく思えた。
そういえば、あの時のラジオはどうなったのだろう。確か、父が壁に投げつけ、完全に壊れてしまったのではなかったか。当時、そのラシオは誠にとって、とても大切な物だった。大切な物であれ、人であれ、それらは突如として簡単に壊れてしまうのだ。
「人を壊す感覚って分かる?」
「あ? 何言ってんだお前。おい、佐藤、こいつオカシクなってんぜ」
吉井は、噛み合わない会話の意味不明さを近くにいた佐藤に訴えた。
「吉井。もう、マジで辞めよう。あんな事の後じゃ頭もオカシクなんだろ」
「興冷めだわ、佐藤。でも、んな事言ってらんねぇだろ。竜騎閃への上納金渡さねぇと俺等の身が危ねぇ。こいつが来たのは俺等にとっちゃ丁度よかったんだ」
「けど……」
「まぁ、いいわ。ほら、いつまで待たせるんだ? 誠」
……もう、メンドクサイ。……コワシチャエ。
誠は勢いよく立ち上がると、自分の座っていた椅子を持ち上げ、吉井の頭に振り下ろした。
ガンッ!
教室が静まり返る。
吉井は頭を抑え倒れている。彼は構わず地に伏せ悶えている吉井へ椅子を叩き付ける。
ガンッ! ガンッ! ガンッ!
「きゃぁあっ!」
教室中に女生徒の悲鳴が響着渡った。
静まり返っていた教室が急に響めきだす。
「佐藤くん、止めてっ」
「わ、分かっ」
ガンッ!
誠は佐藤の頭に椅子を撃ち降ろした。
「ま、待ってくっ、え?」
佐藤は固まる。見上げた先には誠。そして、その両手には机が持ち上げられていたのだ。
机の中に入っていた教科書やら文房具が、その口からボロボロと吐き出されている。
「た……、たすけっ……」
ガシャァァンッ!
教室には、クラスメイトの声にならない恐怖が満ちていた。先程までの喧騒は、恐怖でシンと静まり返っていた。
机の下敷きとなった佐藤は、低い呻き声を口から零し、静まり返る教室に不気味に響きわたる。
誠は教室から出ようとする。
「ひ、人殺し……」
一人の女生徒が誠に言った。
恐怖に歪み彼を見るその目は、人を見る目ではない。
「死んでないよ」
誠はそう言うと、教室を後にしたのだった。
……何故、俺は何かとここに来るんだろう。
誠は、公園のベンチに腰掛け、公園で駆け回る子供を眺めていた。
無邪気に遊び、子供達がボールを追いかける様を見ていると、自分がもう戻ることの出来ない、全く別の世界にいることに気付かされる。
そうして、どれだけ時間が経過したのか、辺りは夕暮れの時を告げていた。
……モロカっタナ……。吉井も、佐藤も……。ここで死のうか……。ここは、ダメだ……。どこか違う場所で。
誠は公園を出て、死に場所を求めさ迷い歩いた。だが、いざ死ぬとなると、人はどうやったら自分で死ねるかが分からない。
方法は色々とある。首吊り、投身、服毒、練炭等。自分には、首吊りが一番妥当ではないだろうか。彼はまず、首を括るロープを探すことにした。
「きゃあぁ!」
突如、誠の耳に悲鳴が聞こえた。
彼は、悲鳴のする方へと足が引き寄せられた。
……チサさん?
見るとそこには、車に詰め込まれるチサ。そして、腕を縛られている柚木の姿があった。
柚木は、男と対峙し何か話しているようだ。その男とは、前から家への借金の取立てで何度か顔を合わせたことがあった。ケイアイ・ファイナンスの佐伯。表向き金融会社としての顔を持つが、実際はヤクザに他ならない。
柚木は車のトランクに詰められ、慌ただしく車は去って行くのだ。
……どうして、あの二人が佐伯達に……。チサさん……、助けなきゃ。
……死に場所がミツカッタ……。