3・拉致
三・拉致
騒々しかった夏に比べ、冬の学校帰りは穏やかなものだった。いつのまにか、清門だの寺田だのという騒動は影を潜め、甲斐は学校に来ることもなく、どこで何をしているのやら、柚木には見当も付かなかった。シゲが警察に通報したため、彼は重要参考人として警察に追われる立場だ。これで、甲斐が警察に掴まれば、充を殺した犯人も寺田も芋づる式に捕まるだろう。
チサや佐伯の言う通り、これは警察に任せて置けばよかったと、改めて柚木はそう思うのだった。
「太ちゃん、珈琲飲む? 奢るよ。」
そう言うと、チサは自動販売機の前で立ち止まる。
今、冷えた身体を中から珈琲で暖めるのは丁度よかった。冬が寒ければ寒いほど、暖かい珈琲を美味く感じられる。
だが、いくら柚木に借金があるからといって、女にそう何度も奢らせるわけにはいかない。
「ああ。珈琲くらい自分で買うよ」
「珈琲くらい私に奢らせて」
チサは譲らず、柚木に珈琲を奢ろうとする。
こういう時のチサは、いくら言ってもその意思を通そうとする。食い下がっても、逆にチサは不機嫌にスネるだけだなのだ。柚木は観念して、チサの言葉に甘えることにした。
「おう。じゃぁホットな」
「分かった」
チサは自動販売機の前で財布を開き、小銭を探している。
「ん? と、あれ?」
中々、必要分の小銭が見つからないのか、チサは財布の小口を指でジャラジャラとさせている。
「あ、あった」
二人分のお金を自動販売機に入れ、チサがボタンを押すと、それに合せ、二回ガランと音を立てて、缶が取り出し口に落ちた。
取り出し口に二人分の缶が詰まったため、缶同士が引っ掛かり、チサは中々それを取り出せずにいた。それを眺め、柚木は自然と笑みが零れてしまう。
「はい、珈琲。私も同じのにしちゃった」
柚木に珈琲を差し出し、チサは照れくさそうに言った。
「サンキュ」
柚木はチサから珈琲を受け取った。
その時、タイヤをアスファルトに擦らせ甲高い音を鳴らして、慌ただしく車が二人の道を塞いだ。
ベンツのドアが開けられ車から出でくる男を見るなり、柚木は嫌な予感がする。
……クッ、佐伯……。
「チサ、行け。この男は俺に用だ」
チサを危険な目に合わせられない。柚木は、佐伯の前に出て、彼女の逃げ道を確保する。
何か様子が変だった。佐伯は、今まで家にも全く顔を出さなかった。それが今、柚木達の前に慌ただしく、車で乗り付けるようなことをするのだ。
「うぅん、残念でしたねぇ。今日はそちらのお嬢さんに用がありましてね」
佐伯は、柚木ではなくチサに用があると言った。
柚木は困惑する。チサの父親は、確かに肩代わりの申し出を断っていたはずだ。それでいてチサに執拗に迫るのは、父親を強制的に脅迫して肩代わりさせるつもりなのだろうか。そんなことをさせるわけにはいかない。
「ふざけんな。テメェ等に用があっても、チサにはそんなもん関係ねぇ」
「そうですねぇ。もう関係がどうとか、そうも言ってられないんですよ。こっちは」
佐伯の言葉から察するに、彼等は何か切迫しているようだ。だからといって、チサを巻き込むわけにはいかなった。柚木は、どうにかして、注意を自分に引きつけようと考える。
「何でチサなんだ? 訳を話せ」
「メンドクサイですねぇ。こっちも急いでるんですよ。おい」
佐伯の一言で、黒服の二人がチサの元へ掛け寄ろうとする。
「チサッ、逃げろ!」
「でもっ」
柚木を一人置いていけないのか、チサは判断を迷っていた。
つい最近、柚木は危険な目に遭ったばかりだ。そのリハビリもまだ続いている状況で、チサはその場を離れることが出来なかった。
「早くっ。クソッ!」
柚木は迫り来る黒服に殴り掛かった。
バキッ!
「くぁっ」
しかし、どういうことか、痛み苦しんでいるのは柚木の方だ。
彼は殴った右手を左手で抑え、顔を歪めた。左手に持たれていた缶珈琲は、音を立てて地面を転がる。リハビリ途中のその手は、まだ人を殴る衝撃に耐えきれなかった。
一方、殴られた男はその柚木を見て、相手することなくチサを捕まえたのだ。
「きゃあぁ!」
「チサッ!」
柚木の足元に、チサの持っていた缶珈琲が転がる。黒服の二人はチサを羽交い締めにした。
柚木は、缶珈琲を拾い上げると、それを武器に黒服の一人に殴り掛かる。
「テメェ、チサを離しやがっぐぁっ」
バツンッ!
首筋に強い衝撃を受け、チラチラと火花が柚木の視界全体を飛び交った。彼がチサに気を取られている隙に後ろからだった。
朦朧とする意識で柚木がその対象を見上げると、そこには佐伯がスタンガンを右手に持ち、もう片方の手にはグルグルと輪を造るロープが掛かり、動けなくなった彼をいやらしく笑みを浮かべ見下ろしていた。
その間に、チサは佐伯のベンツの後部座席に乗せられてしまったのだ。
「そういや、あの時の借り、まだ返してもらってないなぁ。太成ちゃん。おじさん痛かったなぁ。おい! こいつも連れてけ! 元はこいつの金だ」
三ヶ月前、柚木にやられたときの事を根に持ってか、佐伯が柚木も連れて行けと言うのだ。佐伯は元から、チサをどこかに連れて行く気だったのだろうか。
「クソッ。チサは関係ねぇだろ……」
スタンガンのショックに立ち直る間もなく柚木は後ろ手に両手を縛られた。
「事情が変わったんだよ。うちの組長はイカレちまった。おい。この男はトランクに詰めとけ」
「はい」
柚木はトランクに放り込まれ、そのまま車は走り出したのだった。