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  作者: 中邑あつし
第一章
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1・チサ

                      第一章


 一・チサ


 二○一九年十一月


「だいぶ、指は動く様になりましたね。もう少し頑張りましょうね」

 リハビリセンターの看護師が、笑顔を絶やすことなくリハビリの経過を教えた。

 あれから三ヶ月。死を覚悟した柚木だったが、今こうして生きている。死なずに済んだ。街の人が通報して、救急車で運ばれた彼に命の別状はなかった。

 必死に頭を庇った結果だろう。頭への打撃は最初のシャープペン数撃と石の一撃。その変わりに腕や手は悲惨なものだった。両腕骨折と、両手指、六本の骨折、系八本の骨折で済んだのは奇跡だろう。全治四ヶ月。元通り手が動かせるようになるまでは、リハビリも兼ね、半年以上だそうだ。

 あの男の目は、確実に柚木をを殺そうとしていたのだ。思い出し、柚木にまた恐怖が走る。

 ……あんな目をした奴、今まで見たことがない。あいつは何者なんだ。あいつが寺田なのか?

 柚木は、自分を殺そうとした彼が、充が紹介しようとしていた相原誠だとは気付いていなかった。出会う時期、場所が違っていたのなら、二人は、掛け替えのない友達になっていたのかもしれななかった。その少しのズレが、人の運命を変えてしまうのである。

「どうしました?」

 看護師が固まる柚木の表情を見て訪ねた。

「あ、いや、何でもねぇ」

「それじゃぁ、今日はここまでですね。お大事に」

「はい」

 柚木は、次の日のリハビリの予約を入れ、リハビリセンターを出た。料金支払いのため、受付前の待合室の椅子に腰を降ろすが、彼はこの待ち時間がどうも好きになれなかった。身体を動かすなり、何かをしなければ、必ずといって嫌な事が頭に廻りくる。

 柚木は、音が鳴る度に受付の電光掲示板に目を向け、しきりに自分の受付番号を探した。

 待つこと十分くらいだろうか、彼の番号が電光掲示板に表示された。何もせずに待つというのは、体感では実際の何倍もの時間を感じさせた。

 柚木は、料金を支払い病院から出ると、急激な温度の変化に肩を持ち上げ身震いする。

 この季節の日の落ちるスピードは早く、辺りはすっかり暗くなっており、その街の風景と、凍えるような寒さが柚木に冬を実感させた。

 あの件以来、柚木は丸くなってしまった。自慢のリーゼントも辞め髪を降ろし、出席日数もギリギリだったため、学校の授業にも次第に参加する様になっていた。喧嘩等は、この腕じゃ出来るわけもなく、すっかり棘がなくなった感じだった。

 あれから借金取りのヤクザは、一度、別の知らない男が来て以来顔を出して来なかった。それが逆に不気味だった。ただでは済まないと思っていた。実質その通り、彼等の治療費やら慰謝料で借金は五百万にまで増えていた。それに柚木の入院費、治療費も含めると、それだけじゃ収まらないないだろう。

 ……親父には悪い事をした。俺が退院した後、知らない男が来て借金の上乗せを宣告された時、親父はただ一言、


「仕方ない。お前が無事ならそれでいい」


 ……俺はどうしようもないガキだった。何も考えず、いや、考えようとせず、嫌な事を喧嘩しては忘れ、そうやって逃げてきた。挙句、借金は増え、チサにまで……。

 案の定、彼等はチサの家に顔を出したらしいのだ。だが、チサの父親は借金の肩代わりを断ってくれたらしかった。ひとまず安心した。どうしようもない憤りを感じて、憎しみに囚われていた柚木だが、今は生きている。その掛け替えのない尊さが、彼を丸くさせていた。

 ……もうすぐ卒業だ。それから働いて、少しでも借金を減らさねぇと。

「やっぱり、太ちゃんだ」

 ポケットに片手を入れ、背中を丸めて煙草を吸う柚木を見付け、チサが声を掛けてきた。

「おう。チサか」

「今、買い物帰り」

 言うと、チサは今晩の夕飯のオカズだろうか、買い物袋を持ち上げてみせる。

「太ちゃんはリハビリ帰り?」

「ああ」

「髪型、今の方が似合ってる」

「サンキュ」

「もう、喧嘩は辞めて。私を一人にしないで」

 急に思い詰めた顔をするチサは、まだ三ヶ月前のことを引きずっているのだろう。

 充を失い、柚木も未だにリハビリに通うこの有様だ。、チサは何かを失う怖さに臆病になっていた。

 柚木が入院した時、チサは取り乱して泣いていた。それもあってか、柚木はもう喧嘩をしないと誓った。

 それだけではない。柚木はまだ恐怖が拭いきれないのだ。

「喧嘩はもうしない。入院してる時も言ったろ」

「うん」

 最近のチサの様子はどこか変だった。充が死んで以来落ち込み気味ではあったが、それとは違う何か自分を責めている感があるのだ。チサはいつも人の心配ばかりしているが、ことさら自分の事となると一人で抱え込んでしまう感があった。それもあってか、柚木はチサがどこか無理をしているように感じられた。

「充の事は辛いけど、俺は絶対死なねぇ。だから、もう笑えよ。充もお前のそんな顔望まねぇよ」

 親友を失った悲しみを抱えるのはそう容易いものじゃない。それは柚木自信にもいえる。だからこそ、その事で落ち込んでいるチサを、彼は放って置けなかった。

「ありがとう。太ちゃん、私ね、もう随分前の事なんだけど、取り返しのつかない事しちゃったの」

 チサが抱えているのは、充の事だけではないのであろうか、チサの顔は一層曇っていく。

「お前が? 何したん?」

「相原誠って覚えてる?」

 チサが柚木に尋ねるが、彼には今一ピンと来なかった。彼女は「覚えてる?」と柚木に尋ねたことからして、彼が知っている存在なのだろうか。柚木は胸の内でその名前を呟いてみた。

 ……相原誠。

 徐々に思い出されてきた。一家心中事件の生き残り。その名前が相原誠だった。ただ、何故チサがその事件の人物の話をするのだろうか、柚木には理解出来なかった。

「ああ。覚えてるっつぅか、例の事件の生き残りだろ?」

「そっか、間違いないけどね、私が覚えてるって聞いたのはね、前に充くんと話したでしょ? 誠くんって友達が出来て、太ちゃんにも会わせてみたいって」

 ……誠……。そういう事か。充とチサのダチである誠は、相原誠だったってことか。

 確かにチサと充は、柚木に誠という男の話を聞かせていた。ただそれが、彼の中で一家心中事件の相原誠とは一致していなかったのだ。だが、改めて彼女に言われたことで、彼はようやく理解出来た。

 充の死に続き、相原誠という友達を襲った不幸が重なり、それでチサは落ち込んでいたのではないだろうかと、柚木は事情を察し始めた。

 ただ、彼女の言った「取り返しのつかない事」というのは、どういうことだろうかと、また彼に疑問が過ぎる。

「私ね、悪い女なの」

「え? 悪い女?」

 チサは目に涙を浮かべ、自分を悪い女と言った。その言葉が唐突だったため、柚木は聞き返してしまう。

「誠くん、初めてだって。初めて友達が出来て幸せだって言ったの。充くんが死んで悲しいのは、誠くんも一緒だったのに……。私、自分の事でいっぱいいっぱいになってて、自分の事しか考えてなくて……」

 チサは取り乱して泣き崩れていた。ずっと気に病んでいたのだろう。一人で抱え込んで。柚木は、今まで彼女の心情を察してやれなかったことを、その泣き崩れる様を見て悔いていた。

「もういい。今日は喋らなくて。また、落ち着いて話す気になったら、その時に言ってくれればいい」

「ありがとう。ごめんね……、太ちゃん」

「ああ。気にすんな」

 柚木は、チサが落ち着き泣き止むのを待って、彼女を家まで送った。

 ……チサは優しい奴だ。それでいて傷付きやすい。あいつに何があったか分からないが、相原誠の件で何か悔やんでる事は確かだ。それに心中事件なんて普通じゃねぇ。あいつに関わりはないと思うが……。


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