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  作者: 中邑あつし
序章
12/36

12・藤井

 十二・藤井



 相変わらず、退屈な日々と受験のストレスの捌け口に、吉井達は誠に嫌がらせをし、殴る蹴るの暴力を行使した。誠の席の周りだけ、他の席に比べ、机一つ分のスペースを造られている。菌が移るらしい。

 所有物の紛失は、当たり前のように繰り返し、彼は上履きを片方しか履いていない。生徒指導の先生や担任から指導を受けるが、新しく上履きを買う金すら持ち合わせないのだ。

 夏の体育の授業には水泳がある。彼は水泳の授業のとき、独りで自習を行うか、筋トレを課せられていた。

 ある日、誠が水泳の授業を拒み続け、それに痺れを切らした担任が、無理やり彼の制服を剥ぎ取ったのだが、担任は彼の裸を見て唖然とした。身体中に散乱するおぞましい無数の痣や火傷の後は、担任の顔を無意識に歪ませ、言葉を詰まらせたのである。

「先生は、何も見ていない。いいな?」

 と、日和見、事なかれ主義の担任は、誠に言い聞かせた。

 担任は、彼がイジメに遭っている事実を、前々から知っておりながらも、日和見に黙認していた。だが、無数の痣は明らかに古いものもあり、ここ数年で出来た痣だけではなかった。担任は、虐待の実態をも無かったことにしたのだ。だが、誠にとって、それは逆に都合がよかった。

 虐待について深く関わって欲しくなかった。児童相談所は、本人の意思を尊重する。虐待を受けている本人が助けを求めなければ何もしてやれないのが現状だ。彼は、両親を愛している。例え、どんなに酷い虐待を受けようが、両親は、数少ない誠の繋がりなのだ。

 担任、大人達のように、自分に関わらないように接っしてくれた方が、誠には幾分楽に感じられた。だが、それとは逆に、クラスメイト達は執拗な嫌がらせを彼に捲し立て、絡んでくるのである。尽く、鬱陶しい程に。菌が移るなどと敬遠しつつ。それならば、近づかなければいい。だが、相手から滲み寄り、誠を責め立て、醜い心の醜態を晒してくるのである。

 ……メンドクサイ。関わらないで欲しい。

 どうせなら、自分の事を空気扱いしてくれた方がよっぽど良く感じられるというのに、彼等が、何をしたいのかが解らなかった。自分の事を忌み嫌い、触れたくないのなら、そのまま、疎外してくれればいいものを。

 ただ、それでも変わったことがある。藤井の影響を受けてか、誠は吉井達に金を一切払わなくなったのだ。その分、嫌がらせや、暴力は前にも増して誠の身に降り掛かるのだが、それでも誠は、それに耐え、金を払うようなことは決してしなかった。


 放課後、誠は時折、藤井と下校を共にするようになっていた。

「相変わらず、お前ぇ、いつもボロボロだな。ホントにいいのか?俺がそいつ等、シメてやるっつってんのに」

 いつもボロボロの誠の姿が見るに耐えないのか、藤井が誠を気遣う。

「いいんだ。これは自分の問題だし、もし、藤井君が仲介して奴等の暴力が収まったとして、それは表面上に過ぎない。見た目じゃ分からないように嫌がらせは続くと思うし、結局これは、自分自身でなんとかするしかないんだ」

 正直、自分の事をこれだけ心配してくれる人がいる。誠は、それだけで本当に嬉しかった。

「そんなもんかねぇ。でもまぁ、はい。お願いします。って二つ返事で助け求めてくる奴はあまり好きじゃねぇしな。やっぱ、お前強いわ。さすが俺のダチだ」

「強いとか弱いとか、よく解らない。けど、藤井君は俺の事買い被り過ぎだと思う」

「お前は、自分の事謙遜し過ぎなんだよ。人に頼らず自分で何とかしようってのは弱い奴には出来ねぇ。もっと自分に自信を持て」

 ……自信を持て。か……、俺に持てる自信はあるんだろうか。

 藤井が、どうしてこんな暗い自分の事を友達だと言ってくれるのだろうかと、誠には実感が持てないでいた。何より、話を聞くほど、藤井の周りには、自分とはまるで正反対とも言える人ばかりで、自分と彼等とでは、居場所が違う人間ではないのかと思えたからだ。

 藤井は、よく自分の周りの仲間の事を誠に話してみせた。その話はどれも新鮮で、誠は彼の話を聞くのが好きで、それが日々の楽しみになっていた。

「……でよぉ、その時太成の奴がさ、思いっきりチサに殴られてやんの。殴られた太成が一向に起き上がらないからよ、殴ったチサの取り乱し様って言ったらよ……」

 藤井は長身の長い手を、身振り手振りして、爽やかな満面の笑顔を造り誠に喋り掛けている。彼は、本当に楽しそうに自分の友達の事を話てみせるのである。藤井が話す中には、必ずといって柚木の名前が出くるのだ。この二人は本当に仲が良いのだろう。

「……な? おもしれぇだろ、太成。お前にも一回会わせてぇなぁ。太成も絶対お前の事気に入るって」

 藤井は、足を引きずる誠の歩くペースに合せ、喜々と話を続けた。

 こういう、さり気ない気遣いも、彼の思いやりのある優しさを誠に感じさせた。

 ……柚木君かぁ、会ってみたいな。藤井くんの話聞いてたら、メチャクチャ面白そうだし。でも、怖そうだな。なんてったって、あの大滝二強の一人だし。ていっても、藤井君がその残りの一人なんだよな。

 新しく人と話てみたい。こう思える日が来るなど、誠は思ってもみなかった。彼の中の世界が少しずつ変わって行く。それが誠にとって、初めて実感出来た幸せだったのかもしれない。

「会ってみたいな。柚木君に」

「ああ。あいつは正義感強くてな。お前だったら良い友達になれるさ」

「そっか。楽しみだな」

「おう。じゃぁ、今日はここまでな。甲斐の野郎が二人で話したい事があるらしくてよ。お前にも、甲斐のこと会わせてやりたかったし、そう言ったんだけど、どうしても二人で話したいなんていいやがる。俺はそっちの気はないんだけどよ。すまねぇな」

 路地の十字路に差し掛かると、藤井が冗談を混ぜつつも、誠に申し訳なさそうに弁明した。

「はは。気にすることないって。らしくないよ」

 本当にらしくない。自分を気遣ってくれるのがよく分かる。

 おそらく藤井は、今まで友達がいなかった誠に、少しでも友達を持つ喜びを知って欲しいのだろう。彼のそういう優しさが、自分のせいで気を使わせてしまっているように思えて居た堪れなくなる。

「おう。次は太成も読んでよ。俺とお前、チサ、四人で一緒にラーメンでも食いに行くか」

 ……柚木君も含めてラーメンか。きっと、皆で食べるラーメンは美味いんだろうな。

「うん。楽しみにしてる」

 藤井は誠の返事を聞くと、

「おう。またな」

 と、手をひらひらさせ、商店街の方の道へと身体を向けた。

「あ、藤井君」

「ん? どうした?」

 不意に誠に呼ばれ、藤井は商店街へと向かう足を止め、振り返った。

「あ、いや、気を付けて」

「はは。可笑しなことを言うな、お前は。毎日ボロボロのお前の方が一番気ぃ付けろよ」

「それもそうだよね。じゃぁ、またね」

「ああ。またな」

 毒気を抜かれたような面持ちで、藤井はまた同じように手をひらひらさせ、商店街に去って行くのだった。

 ……どうして、気を付けてなんて言ったんだろう。

 何故か分からなかった。ただ、ふと不安が過ぎった。

 自分の生活の中で、掛け替えのないものとなったこの楽しい一時、それを失う怖さが自分を臆病にさせているのだろうか。誠は何を気に病むことがあるのかと、楽観的に自分に言い聞かせ、過ぎる不安を取り除く。

 だがこれが、誠が藤井を見た最後の姿だった。


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