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  作者: 中邑あつし
序章
11/36

11・家族

 十一・家族



「ゴチャゴチャうるせぇっ! 酒買って来いっつってんだろが!」

「そんなお金、どこにあるのよっ! 電話も止められてるし、ガスも水まで止められたら、どうするのよっ!」

「その金をどこぞの男に貢いでんのはどこのどいつだ! あ? 俺が何も知らないとでも思ってるのか?」

「何よ! 仕事も長続きせず、ギャンブルに酒ばっかりじゃない!あなた!」


 ……五月蝿い。五月蝿い。五月蝿い、五月蝿い五月蝿い……。毎日毎日、父さんも母さんも喧嘩ばかりだ。息が詰まる。辞めてくれ。お願いだから……。

 布団にくるまり、きつく両手で耳を塞ごうが、両親の罵声は誠の耳を貫いてくる。毎日毎日の事だが、全く慣れることはなかった。

 怒号。叱咤、罵声、つんざく音。それら喧騒は、ほぼ毎日誠を執拗に追い立てた。

 仕事に就いても長く続かず、すぐに仕事を辞めてしまう父は、ストレスですぐにギャンブル、酒に溺れた。惣菜工場でパートをしている母は、若い男に色目づいては、その稼ぎを貢込む。

 稼ぎがない、そのくせ金使いが荒いため、借金だけが膨らんでいく一方だった。

 その親の身勝手さに振り回されるのは、いつも子供なのだ。時には、ストレスの捌け口に酒に飲まれた父は、躾などと言い誠を殴り付けた。一方、母親は若い男と上手くいかないと、その鬱憤を、煙草で彼の背中に押し付けるのだ。誠の背中は、無数の痣やら、根性焼きの後やらで酷い有り様だった。

 それでも、酒を飲んでない時の父は誠に優しい時もある。母も機嫌がいいと、昔の自分を懐かしむように語りかけ、それを誠が真剣に聞いていると、とても嬉しそうな顔をするのだ。

 例え、どんな親だろうと、誠にとっては唯一の自分の父親であり、母親なのだ。誠には、家にいる時の方が、学校でどんなにイジメに遭おうが、一番の苦痛を感じることがあった。それでも、理解出来ないかもしれないが、彼は、この両親を心から愛しているのである。

「誠。誠! いるんだろ? こっちに来い」

 隣の自室で布団にくるまる誠を、父が呼びつけた。

 襖を開けると、部屋には酒瓶やら割れた食器が散乱していた。そして、部屋の中央の卓袱台に突っ伏した、くたびれたカーキの綿パンに、よれよれのTシャツ、一日中家にいたのか、白髪混じりの無造作な髪が寝癖を際立たせた父の姿があった。その手には空の一升瓶が握られている。一方、色目使う男には見せないであろう、だらしのない部屋着を着た母が、もううんざりと、額を片手で抑え立ち尽くしていた。

「何? 父さん」

「お前、酒買って来い。このババァは使えねぇ」

 母に酒を買って来させるのが無理と分かってか、母に皮肉を言い放ち、父は、誠にターゲットを切り換えた。

「あなた! いい加減にして下さい! それにババァなんて」

「あ? ババァはババァじゃねぇか。年甲斐もなくケバい化粧しやがって」

「なっ」

 母の顔は怒りに満ち、顔は赤く染まり上がる。

 ……なんて顔してんだよ、母さん。

 それは、外では絶対に見せることのない、ましてや、色目使う若い男に見せる事の出来ない、取り繕っていない母の顔だった。その真っ赤に染めた彼女の顔を見て、父は薄ら笑いを浮かべている。

 そしてその父は、誠に酒を買って来させようとするのだが、誠にそれを買う金があるはずもなかった。

「そんな金、俺、持ってない」

 父は、誠がそう言うのを分かっていたらしく、鼻で笑った後、誠に言い放つ。

「分かってんだよ、んな事は。ほら、こっち来い」

 父は、近寄る誠の腕を掴み、自分に引き寄せると誠の顔を殴りつけるのだ。 

 ……分かっていた。いつものことだ。父さんに殴られない日などなかった。昔から。もう、慣れていた、痛みには……。

 父は決まって、最後にこうやって誠に当り散らすのだ。結局、誰よりも母の事を理解している。

「誠に当たるのは辞めて! あなた! 分ったから。お酒買ってくるから」

「分かったら早く買って来い! そうやって母親ぶっても、お前も俺と何も変わりゃしねぇ。誠の背中の火傷の後、あれ、お前だろ?怖いもんだなぁ。女ってのは」

 父に言われるがまま、母は泣きながら家を出て行った。

 こうやって、誠はこの二人にいつも利用されるのだ。この二人にとって、自分は、一体何なのだろう。判らない。他の親がどうかなんて知らない。誠にはそれを聞く相手もいなかった。

 テレビも無い家は、その情報すら彼には教えてはくれない。誠には、ごく普通の一般家庭がどんなものなのかを、知る術もないのである。ただ、誠に暴力を振るう父は、紛れもなく自分の親なのだ。

 父は、母が家から出て行ったのを見届けると、隣で力なく座り込む誠に喋りかけた。

「悪かったなぁ、誠。殴ったりして」

「うん」

 本当に悪いと思っているのだろうか。毎日殴られ続けていれば、その気持ちに信憑性などまるでなかった。ただ、父がそう思ってくれている。そう信じないと、やりきれなかった。

「仕方なかったんだ。今にでっけぇ仕事見つけてくるからよ。そしたら誠、たらふく美味いもん食わせてやる」

「うん」

「なんだって、欲しい物は買ってやるぞ」

「うん。いいね」

 無理に決まっている。分かりきっている。ただ、そうやって話す父は、自慢気に胸を張っていた。滑稽に見えるかもしれない。だが、自分の息子、誠に話し掛ける彼のその姿が、すごく嬉しそうなのだ……。

 誠がこの話を聞くのは何度目だろう。時折、父はこうやって、彼に現実に成り得ない未来を語りだすのである。

「そしたら、あんな女なんかと、とっとと別れて、新しく二人で暮らそう」

「別れるの? 父さん達」

「ああ、あの女は駄目だ。男を駄目にしちまう。誠。金と女にゃぁ気ぃ付けろ。この二つは、男をどこまでも駄目にし食い潰しやがる。

 いい女捕まえろよ。誠」

「俺、よく分からないよ」

 いい女など、今の誠には理解出来ない。金の事にしても、彼には考えたくもないことだ。

 ……俺はただ、父さん、母さんがもっと仲良くなったらって。そう思うんだ……。金がなくても、仕事がなくても、支えあって笑い合える家族。そんな家族だったら、幸せなんだろうなって。

 その思いを、誠が口に出したとしても、逆に、それを父が理解しないのだろう。

「お前にはまだ分からんか。でも、まぁ、いずれ分かる。大人になればな」

「そっか」

 大人になれば。大人というのは一体何なのだろう。誠は、もう十八歳になる。一般的には大人に近い存在なのだろうが、それでも、よく分からない自分は、まだまだ子供なのだろう。

 藤井充、彼は大人だった。もう、未来の自分などを見据えているのだろうか。

 ……俺も、今年で卒業だし、就職先考えないと。

「誠。もう遅い。お前は寝ろ」

「うん。おやすみ」

「ああ」

 父に促され、誠は眠りに付くため、自室に入り、布団を被った。

 だが、誠が安らかに眠ることは許されず、また、二人の罵声や叱咤の飛び交う声や音は、誠の眠りを妨げるのだった。布団にくるまり、ただ、ただ、誠はそれが止むのを願って……。


 朝。カーテン代わりの借金取りの張り紙の隙間から光が差し込む。いつのまにか眠ってしまっていたらしい。カーテン代わり、という捉え方は適切ではない。窓ガラスは割れているのだ。この場合、窓変わりと捉えた方が妥当だろう。

 皮肉だった。借金取りの嫌がらせのはずのその張り紙は、この家には必要な物になっているのだ。

 誠は、寝惚ける体に克をれるため、冷水を顔に浴びせかけ、ギュウギュウに絞られた歯磨き粉をなんとか絞り出す。赤切れした口元は、冷たい水と歯磨き粉の泡で、ヒリヒリと痛みを訴えた。

 卓袱台の上には今日の昼食代の三○○円。


 ……今日は、昼飯食えるかなぁ。


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