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4.雪豹将軍の求婚

討伐軍の本部は現在、州都の中央近くにある二階建ての高級宿に置かれていて、将軍と副将軍、そしてそれぞれの副官たちの宿泊場所を兼ねている。

本部といっても討伐が終わったあとの空気はすっかり緩みきっていた。アレク以外の面々は昨夜の深酒がきいたとみえて、副将軍ゴートンの部屋からは騒々しい鼾の三重奏が聞こえ、アレクは眉をしかめながら体を起こした。

ゴートンの部屋は廊下を挟んで向かいの部屋で、その戸が開け放たれていたので、部屋の惨憺たる有様はすぐに見て取れた。ベッドの下からはみ出している丸太のように太い脚はゴートンのもの、アレクの副官ゼトは火の入っていない暖炉に頭を突っ込んでいるし、ゴートンの副官オグドはやはり火のついていない燭台をしっかと抱きしめて立ったまま寝ている。

(…寝方まで妙に器用だな)

オグドは「加工」の能力持ちである。硬い外皮をもつ災害獣に深く刺さる矢の加工や、用心深い種類の災害獣のための罠の加工などで飛び抜けた才を発揮するし、気がついた時には穴や破れ目だらけになっている軍服を繕うのもお手の物だ。

感心している場合ではない、と頭を振って、アレクはそっと戸を閉めた。

廊下がほんの少し静かになる。


この宿屋は2階に宿泊部屋、1階に風呂や、大テーブルのある広間などがあるつくりだ。広間の大きな暖炉に火をおこすと、暖かい空気がじわりと建物を満たしていく。

火にあたりながら全身の筋を順番に伸ばしていると、冷え切って感覚のなかった10指の先端まで血が通ってじんじんとしびれた。生まれが南州であるアレクは、雪豹と呼ばれながら実際には寒さに強くないので、時間をかけて全身をしっかり温めなくてはならない。

革の長袍を着て外に出ると、街はすっかり目を覚ましていた。適当にぶらつきながら朝食を食べ歩き、酔い覚ましに効くという酸味の強い果物のジュースまで買って宿に戻っても、まだ耳障りな三重奏は病んでいなかった。


大テーブルの上には、今回の討伐任務の当初の計画書や行軍中の日誌など、主に副官たちが手書きでつけてきた記録が並んでいる。残っている最後の仕事は、これらをひとつにまとめた正式な報告書を作成して軍務省に提出することだが、書面の作成は書記官の領分である。手持ち無沙汰にそれらの記録を眺めていたとき、宿屋の扉をこつこつと叩く音がした。

「ルデア、もう帰ってきたのか」

「はい、早く最終報告を作ってしまおうと思って」

「助かる」

暖炉の前に移動式の小卓を据える。その間にルデアは大テーブルの上のものを確認していた。

「あの、ほかの皆さんは」

「聞こえないか」

2階を指さすと、彼女は一瞬小首をかしげたが、すぐにふふ、と笑った。

「ああ、これ、もしかしていびきですか」

「とんでもない寝相だった。一人一部屋あるのに、なぜか3人とも同じ部屋で寝ている」

あら仲良しですね、と笑いながら、ルデアは外套を脱いで小卓についた。肩から下げた小さな鞄から、鈍色に輝く万年筆とインク壺、彼女のつかう”紙”と同じ大きさの石板を取り出して並べる。

「じゃあ、始めますね」

「頼む」

「『書記』。王国暦153年、大陸暦584年、枯月26日より、討伐軍は北州州侯の依頼に基づき氷虎と凍鹿の討伐に赴いた。将軍はアレク・タッツァー、旗印は『雪豹』。副将軍はゴートン・ソレル、旗印は『巌象』。本隊構成員3000名、補給隊構成員150名。以下に行軍の全容を示す…」

ルデアは詠唱するように書面の文面を紡いでいく。両手は石板の上に置いたまま、目を閉じて。

すると石板は淡く発光し、万年筆は虹色に光って宙を漂う。踊る光がやがて一点に集結し、実体を帯びてひらりと床の上に落ちると、書面の一葉目の完成だ。

同じ「書記」の能力持ちでも、発動の仕方は人によって違う。ルデアの場合は、石板は"紙"の大きさを均一に揃えるための基準として、万年筆はその上の文字を整えるためのイメージの補助として使っている、と言っていた。なんの補助具もなしに突然に空間に書面を出現させることもできるようだが、アレクはこの光る石板や踊る万年筆を見ているのが好きだった。初めてルデアが自分の前で能力を発動させたときは、すげえ、と声をあげて彼女を驚かせてしまい、そのとき生成しかけた書面は何だかよくわからないどろりとした灰色の液体になってルデアの両手を火傷させてしまったので、それ以来は息を潜めて見守ることにしている。

完成したばかりの”紙”は少し熱い。獣皮をなめして作られた一般的な紙と違い、薄く硬いので、指の皮が少し切れることもある。アレクはルデアの集中を妨げないように注意しつつ、ひらり、ひらり、と花弁が散るように床に落ちてくる紙を順番に拾い集めていった。


「……凝月24日、ガディルに帰還。ここに討伐任務は完了した。以上」

ふ、と光が消えて、ルデアが深々と息をする。2か月に及ぶ討伐遠征の一部始終と消費した人的・物理的物資の内訳を克明に記した最終報告書の完成である。

「…ルデアちゃん…マジ女神…おぇ」

「テーブルに吐いたら殺すぞ」

オグドが真っ青の顔のまま、ジュースの空き瓶を手に起きだしてきた。空腹に耐えかねたものと見える。

「買ってきた食事がそこの棚に入っているから、暖炉で温めて食べるといい」

「…殺すとか言いながら優しい…うぉぅぇ…そんなところも好き…」

「ルデア、行くぞ」

「え」

「それともこいつが吐くところを見ていたいか」

「あっ嫌です」

「冷たぁ…ゔっ」

仕方がないので暖炉の脇に伏せてあった大きめの鍋を拾ってオグドに投げつける。そのまま片手にルデアの腕をとって宿を出た。

「…すまない、外套を置いてきてしまったな」

「もう日の高い時間ですから、大丈夫です」

「そうか」

雪に映える日差しが目に痛い。昼食時を少しすぎた街には、静かで穏やかな時間が流れている。

「何か食べに行こう」

ぐう、とルデアの腹の虫が返事をした。集中している間は忘れているのだろうが、能力の発動には相当の体力を消費するので、ルデアは華奢な見た目からは想像もできないほどよく食べるのだ。

「お財布を置いてきてしまいました」

「おれのがある。店が閉まる前に行くぞ」

返事を待たずに歩きだすと、少し遅れて、軽い足音がついてくる。

「おれの財布とあなたの胃袋と、どちらの容量が大きいかわからないが」

「……さすがにそんなに食べませんよ」


宿からいくらも離れていないところに、「煉瓦亭」という食堂がある。昼食時の客はもうほとんどはけていて、アレクとルデアは窓際の日当たりの良い席に案内された。

雪鱒と根菜の煮込み、紅鴨(あかがも)の丸焼き、火喰鷲(ひくいわし)の卵のサンドイッチ、香草漬け光茸猪(こるいのしし)の炙り。大盛りの料理を2人が次々と胃に収めていくのを、ウェイターの少年は目を丸くして見つめていた。いったん店を閉めてディナーの仕込みにかかろうとしていた料理人は初めは少し不機嫌そうだったが、すぐに2人の健啖ぶりに気をよくし、最後にはディナーのデザートに焼いていた白苺のタルトを一切れずつまけてくれた。熱々のタルトは口の中でほろほろと崩れ、冷やしたものとはまた違う味わいがある。

「お姉さん、気持ちいい食べっぷりだったねえ、嬉しくなっちゃったよ」

「こちらこそ、昼食時を過ぎていたのに、ありがとうございました」

またいつでも来てな、という言葉に見送られ、2人は煉瓦亭をあとにした。


穏やかな陽光の下、ひと仕事終えたあとの満腹をかかえて、のんびりと歩く。ルデアはさっきから欠伸をかみ殺している。いまなら聞いてみてもよいだろうか。

「ルデア」

「はい」

こちらを向いた森の色の瞳はとろりと力が抜けていて、その表情はいつもよりずっと幼く見えた。

「お母上とは、話せたか」

「…あ」

眠たげだった瞳の奥に、見たことのない色の嵐が巻き起こった。とっさに謝罪の言葉が口をつく。

「すまない、急かすつもりはない」

「いえ、あの、代わりを探すなら、早い方が良いですものね」

「まあ、それはそうだが」

それきり沈黙が落ちて、きゅ、じゃり、と半分溶けた雪を踏む2つの足音だけがいやに大きく響いた。こういうときには口まで器用なドルグがほんの少しだけ羨ましい。


いくらもたたずに宿に帰り着いた。宿酔三人衆はどこに出かけたか、宿はしんと静かになっていた。

自分の鞄と外套を手に取って帰り支度をするルデアはまだ口を開かず、何かを考え込んでいる。なぜかこのまま彼女を帰してはいけないような気がして、衝動のまま名を呼んだ。

「ルデア」

「はい」

「おれは気が利かないし頭も良くないが、おれにできることがあったら、何でも言ってくれ」

まさに気の利かないことしか言えなかったが、こわばっていたルデアの表情はふっと緩んだ。

しかし、その後に続いた言葉は、予想の範囲をはるかに超えていた。

「ありがとうございます。あの、お言葉に甘えて、一つお願いしてもいいでしょうか」

「なんだ」

「私と結婚式をしてくれる方に心当たりがあれば、ご紹介いただけませんか」

「……結婚…式…?」

それからルデアは不思議なほど感情の抜け落ちた声で、訥々と昨夜の出来事を語った。

「…そういうわけで、母が生きているうちに私の花嫁姿を見せることが、わたしにできる一番の恩返しということになるようなのです。ですのでわたしと結婚式をしてくれて、母が死ぬまでは夫婦を演じてくださる方を見つけたいな、と」

なるほど貴族の女性たちには花嫁衣装を受け継いでゆく伝統がある。女性の感情や家族の情に疎いアレクにも、死ぬ前に娘の晴れ姿を見届けたいと思う母親の思いは少しは想像がついた。

あらためて、7年間ともに死地を駆け抜けてきた、討伐軍唯一の書記官の姿を、頭からつま先までじっくりと眺める。きっちりまとめた栗色の髪、森の色の瞳、軍服の下に隠れた若鹿のような肢体。それが純白のレースに覆われているところを少し想像したとたん、自分でも予想しなかった言葉が口から飛び出した。

「それは、おれでもいいのか」

「…え」

「おれがその、結婚式の相手になってもいいのか」

森の色の瞳がいっぱいに見開かれてこちらを見ている。アレクは息をするのも忘れて、その瞳にとらわれていた。

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