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1.書記官令嬢の矜持

「補給部隊来ました!医療班もいます!」

伝令の少年がありったけの大音声で丘の頂上から呼ばわったのを耳にするや、丘の斜面をゆるゆると上っていた部隊はざわりと揺らぎ、ついで歓声をあげた。白い吐息が一度に上がるのを斜面の下から見ていると、そこだけ薄い雲でも出たかと思うようなようなありさまだった。

「もうちょっとだ、頑張れ」

「今日の昼は温かいものが食えるぞ」

「よかったな、治療が間に合えば、腕までは切り落とさなくてすむぞ」

男たちの期待に満ちた声があちこちから上がる。この部隊は冬季に山岳地帯に出没する氷虎と凍鹿の討伐を終えて、ジルヴァステルン王国の北州州都ガディラへの帰還の途上にあるのだった。家畜も人も見境なく襲う氷虎と冬の貴重な作物を食い荒らす凍鹿は二級災害獣に指定されており、これらを討伐するための専門組織として、災害獣討伐軍があった。

しかし専門の知識と訓練を受けたとて、吹雪の中でもまるで影響を受けずに活動するこれらの災害獣を相手取るのが簡単になるわけもない。現に、州都を進発した2ヶ月前には3000人だったこの討伐隊本隊は、帰途につくときにはほとんど半分になっている。その中でも怪我や体調不良のない者たちだけを集めると、200人にも満たなかった。

将軍が最後尾から、

「重傷者たちを先頭に出せ!軽傷で先に行ける者は、医療班までの道の安全確保を!」

と檄を飛ばした。自分で歩くことも難しいような重傷者たちは驢馬のひく荷車に乗せて、陣形の中央に置いている。治療隊のところまでその荷車を先に行かせたいが、ところどころ氷のはった岩の斜面でただ速度を上げれば、たちまち重傷者を死傷者にしてしまうだけだ。軽傷な者たちは氷の上に藁を敷き岩にくさびを打ち、荷車が揺れたり滑ったり転覆したりしないように道をつくりながら、可能な限りの速度で荷車を前にすすめた。


ルデアが今回借りた霜馬は神経質なたちだった。今も時折ぱらぱらと降ってくる岩のかけらや藁の切れ端に少しいらついているらしく、不満げに鼻を鳴らしている。

「よしよし、もう少しの辛抱だからね」

肩をたたくようにしながら声をかけてやると、分かっているならどうにかしろ、とでも言いたげに蹄で地面をかいた。そこに将軍が馬を寄せてくる。

「ルデア、あなたも先に行くといい」

「閣下、わたしはおかげさまで、かすり傷ひとつ負っておりませんから」

「しかし届いたものに不正がないか確かめるのも、書記官の仕事のうちだ。ゼト」

「はい」

「ルデアと共に補給部隊のところに」

「かしこまりました」


霜馬は凍った斜面も平らな草地も変わらぬ速度で駆けることのできる、北方山岳地帯の固有種の馬である。基本的に気難しく頑固な性格なのが難点だが、ルデアの馬はそれでもいちおう指示にしたがって、怪我人の部隊を大きく迂回しながら丘を上っていってくれた。丘の頂上を越えた先はある程度なだらかになっていて、補給部隊と医療班とはそこで、疲れ切って転がり込んでくる討伐隊を迎え入れるべく野営地の設営を進めていた。

ルデアは見慣れた長身の人影を野営地の端に認めて、そこへ馬を走らせた。

「レッカー隊長、お疲れ様です」

「ルデア、よく生きてたな」

「傷一つなく、ぴんぴんしてますよ」

「そいつは重畳。遠慮なくこき使ってやろう」

「もちろん」

レッカーは名うての双剣使いで、討伐隊で副将軍を務めていたが、数年前に火熊討伐で左腕を失って第一線を退き、現在は補給部隊で隊長として辣腕を振るっているのだった。曲がったことの大嫌いな性分で、資金の着服も物資の横流しも麦1粒たりとも許さぬという姿勢でいるので、中央のお偉方には蛇蝎のごとく忌み嫌われているが、ルデアや討伐隊にとってはこれ以上なく頼もしい後方支援部隊である。

2本分の働きをする右腕がルデアの馬のくつわをとった。馬は明らかに嫌がって鼻を鳴らしたが、抵抗のきかぬ相手とすぐに悟ったか、この2ヶ月でいちばんおとなしくじっと立っていた。ルデアはそのおかげで、危なげなく地面に降りることができた。馬を御せていないのを見透かされたのが恥ずかしく、なにか話題を見繕おうとして、とっさにゼトを振り返る。

「レッカー隊長、ゼト様にお会いになったことは?」

「いや、初めてだな」

「お初にお目にかかります。アレク将軍からお名前はかねがねお聞きしておりました」

先に馬を降りていたゼトが折り目正しく頭をさげるのに、レッカーはうなずいて返した。

「こちらも名前は聞いていた。貴族の末っ子のボンボンがアレクに嚙みついたが、逆に手懐けられたようだとかなんとか」

「…お恥ずかしいかぎりです」

「いやなに、噛みつく気力もない臆病な爺どもにくらべればはるかにましだ」

かかかっと笑ったレッカーは、そのまま片手で器用にゼトの馬の手綱も回収した。

「馬のことはやっておくから、書記官の仕事にかかってくれ」

ルデアはレッカーに礼を言い、ゼトとともに、物資の積まれた天幕に向かった。


特殊能力「書記」。それは見聞きしたことをありのままに虚実なく記録する能力で、その能力を使いこなせる者は「書記官」と呼ばれている。書記官のつかう特殊な紙とインクで記されたものは何人たりとも、書記官本人でさえも改竄することはかなわず、たとえ紙を破ったり燃やしたりしても、一定の時間がたてば書かれたときの状態に再生する。ただし、書記官の死後10年が経過したあたりからその再生能力は衰えはじめ、50年がたつとほとんどが再生不可能になる。

歴史は勝者によって編まれるのが常である。勝者にとって都合の悪い真実を記録することができるこの能力は常に迫害されてきた。それに、能力を持って生まれてきたとて、それを十全に使いこなせるようになるためには間断ない努力が必要だった。能力を持っていることを隠したまま、あるいは本人すらそのことに気が付かぬまま生を終えている者も少なくないだろう。そんなわけで、書記官の数は年々減っていく一方だった。

一方で、書記官の記録したものには非常な価値があることも確かだった。例えば資産家が相続に関して遺言を残したいとき。あるいは売買や結婚にともなって契約が締結されるとき。書記官の手によって作成された書類があれば、後からその事実をなかったことにすることはほとんど不可能だった。

討伐軍に所属する唯一の書記官であるルデアの主な仕事は、討伐で出た犠牲者の数や、消費された物資や武具の数、討伐の成果などの正確な記録を残すことだ。この記録に基づいて、軍の予算が決定され、報酬が支払われ、犠牲者の家族には遺族手当が支払われる。今回の補給部隊の派遣要請も、ルデアが道中で作成して提出した被害状況報告書がなければ受け入れられなかったかもしれなかった。


ゼトとともに運び込まれた物資の確認と要治療者の容態確認をすべて終えたときには、すでに夜になっていた。ルデアは急ぎ足で将軍の天幕に向かった。

「アレク将軍、ルデアです」

「入れ」

天幕の入り口の布をまくると、中から暖かい空気があふれ出てくる。アレクは天幕の中央で、岩地の上に組まれた即席のかまどにかけた鍋をかきまぜているところだった。白い髪が湯気にあぶられて揺れている。

「支援要請どおりの品目が到着していることが確認できました。食料は要請より少なかったですが、医療士は要請より多く派遣されてきましたし、薬草の類は十分にありました」

「それはよかった」

アレクの黄玉色の瞳に、ほんのすこし笑みが浮かんだ。

「先に州都に帰らせた者たちに関する報告は届いていたか」

「はい。帰還した1426名のうち、53名が死亡、23名が依然として意識不明ですが回復傾向、その他は日常生活に支障なしとのことです」

「そうか」

53名か、というかすかなつぶやきは、ぐつぐつと音を立てて煮える鍋の中に落ちていった。ゼトが興奮したように声を上げる。

「死亡者の数としては史上最少ですね!州都に帰ったら、また勲章がもらえるんじゃ」

「おれの力ではない」

「…そうですね。書記官様様ってことで」

「そんなこと、ないですよ」

ルデアはかぶりを振った。53人しか死ななかったのではない。53人も死なせてしまったのだ。すくなくともアレクはそう考えるひとだと、ルデアはわかっていた。

「そんなことあるだろう。あなたを帯同するようになってから、死傷者の数は毎回減っていっている」

ルデアは本当は泣きたい気持ちなのを押さえつけて、あいまいな笑みを浮かべた。

「さあ、食事にしよう」

促されるまま、厚い毛皮の敷物に腰を下ろす。するととたんに、昼前から食事もとらず一度も座らずに働いていた両脚がかたかたと震え出して、つい先ほどまでどうやって立っていたのか思い出すことすらできない。塩漬けの干し肉、干した芋やきのこなどを、山羊の乳と唐辛子で煮込んだ赤い煮物の椀が手渡されるのを両手で受け取る。温かい食事はひさしぶりだ。

3人がそれぞれに椀を手にして輪になって腰を下ろすと、ゼトがおどけた様子で椀をかかげた。

「われらが救いの女神、ルデア書記官に」

「ルデアの勇気と献身に」

アレクまで調子をあわせて、2人してこちらを見てくるので、ルデアもなんとか調子をあわせた。

「わたしのなけなしの矜持に」

「「「祝福のあらんことを」」」

ちなみに一級は熊、超級が龍です

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