恋の海に花筏
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本作は花吐き病の設定をお借りしています
※プロットを共有し、誤字脱字の確認や執筆の補助、構成の相談でGemini(AI)と協力しています
婚約者交流の茶会は、今日も穏やかに終わった。
隣に立つ彼──私の婚約者は、原作どおり優しく、礼儀正しく、非の打ち所がない。
いずれ私ではない女性に恋をする男であったとしても。
「今日も楽しかったよ。君と話せて嬉しい」
微笑む彼の横顔を見た瞬間、胸の奥がツキン、と痛んだ。
私は“当て馬令嬢”で、彼は“ヒロインの運命の相手”だ。
私は、彼の幸せな物語のために存在する、添えものでしかない。
再認識してしまうと、胸が苦しくて仕方がない。
その違和感を抱えたまま部屋に戻った途端。
ふわり、と淡い色の花が、口から零れ落ちた。
「……え」
ピンクの、小さなブーゲンビリア。
見覚えのある“症状”。
手に取った花弁を見下ろしたまま、まるで全身が凍りついたよう。
「……嘘。これって……」
──花吐き病──
前世で知っていた、創作の病。
叶わぬ恋の象徴。
まさか……私が?
彼に?
そんなはずないのに、吐き出された花は残酷に真実を突きつけた。
どうして……だって知っている。
彼は原作では、私を捨ててヒロインに恋をする男なのだ。
……深く考えてはいけない、とゆるく頭を振る。
絶対バレてはいけない。
証拠は即燃やす。
これからは、花を吐く度に得意の炎魔法で焼き払うことになるだろう。
初めて花弁を燃やした夜、私は眠りにつくまで何度も胸に手を当てた。
熱は引かず、恋心を自覚してしまった痛みだけが静かに残り続ける。
この気持ちさえ隠し通せれば、原作は狂わない──そう自分に言い聞かせ、きつく瞼を閉じた。
翌朝。
朝の光が窓から差し込む。
淡い光の中、私はドレスの裾を整え、鏡の前で深呼吸をした。
今日も、あの人は優しいだろうか。
婚約者として接する彼の微笑みを思い浮かべる。
優しい人だ。
だけど、前世の記憶で知っている。
いずれ彼は、この物語のヒロインに恋をする。
私の想いなど、届くはずがない。
茶会の間、彼はいつも通り穏やかに私に話しかけてくれる。
私は静かに微笑み返す。
誰にも悟られぬよう、心の中で必死に想いを抑える。
和やかな茶会を終え、自室に戻って。
胸の奥に、言いようのない感情が湧き上がった。
「ああ……これが、恋心……」
喉に熱い違和感が走り、咳が込み上げる。
慌てて口元に手を当てると、掌に散ったのは淡く小さなリナリアの花弁だった。
「……っ……!」
慌てて炎魔法を放ち、花弁を瞬時に燃やす。
誰にも、見られてはいけない。
これは、私だけの想いなのだから──。
吐き出した花を燃やした香りは、私の胸に深く刻まれた。
明日も、彼は優しい笑顔で私に接するだろう。
でも、もう私は、決して平穏ではいられない。
「……少し顔色が悪いように見えるが、大丈夫か?」
「ええ、少し寝不足なだけですわ」
恋心の痛みも、吐き出す花の存在も、すべて隠さねばならない。
彼は何も言わないが、眉間にわずかな皺を寄せる。
「……庭で炎魔法を使っているところを見かけたんだが、なにを燃やしていたんだ?」
聞こえた言葉に、胸が高鳴る。
あなたを想うたび喉が熱くなり、花を吐き、炎で燃やしている、などとは言えない。
誰であろうと知られるわけにはいかない。
「魔法の練習をしていただけですわ」
私は、いつも通りに笑えているだろうか。
精一杯、自然な笑みを作る。
「……最近、妙だな。何か隠してる?」
声は柔らかいけれど、真剣そのもの。
私は深く微笑むだけで、否定すらできない。
胸の奥で、吐き出した花の感触と恋心の痛みが燃え上がる。
緑の香りが満ちる庭園を、彼に促されゆっくり歩く。
いつもと同じはずなのに──今日は、胸がざわつく。
「風が強いな。髪が……」
彼が、ふわりと私の髪に手を伸ばす。
(…! 近い……!)
喉が焼けるように熱くなり、呼吸が乱れた。
「っ……けほっ、……っ、ぁ……!」
こらえようとしたのに、激しい咳が溢れ。
次の瞬間、掌に落ちたのは見慣れたピンク色の花弁。
「……っ!」
私は反射的に魔力を練る。
見られる前に、燃やさなければ──!
けれど。
「──やめろ!!」
強く、けれど震える手が私の手首を掴んだ。
炎魔法が霧散して、私は息を呑む。
「な、何を……っ」
「何を、じゃない!!」
彼は、今まで見たことがない表情をしていた。
優しく穏やかで、どこか距離を置いていた彼が、今はただ取り乱しているかのよう。
彼の視線が、私の掌に散った花弁へ落ちる。
「……やっと分かった。君がずっと隠してきたものを」
風が止まったかのように、世界が静かになった。
「その花……っ、君の想いの証だろう」
「……っ!」
「騎士団で聞いたことがある。王都で花吐き病の症例が確認された、と。まさかと思ったが……全部繋がった」
彼は私の手首をそっと握り直す。
怒りではなく、恐怖と優しさで震えていた。
「君が僕と会うたびに席を立つこと。戻ってきたあと、どこか焦げた匂いがすること。あれは……吐いた花を、燃やしていたんだな?」
逃げたいのに、体が動かない。
羞恥と罪悪感と、どうしようもない恋心で胸が締めつけられる。
「どうして……どうして僕に隠したんだ……!」
彼の声は、悲痛だった。
私は……彼を困らせたくなかっただけなのに。
彼は深く息を吐き、私の両手を包み込む。
「……君の気持ちには……まだ、答えを返していないのに」
「ちが、……私は…っ!」
「いい。今は何も言わなくていい」
彼の手が、優しく、それでも決意を込めて私を握る。
私の心臓が大きく跳ねた。
彼はまっすぐに私を見つめる。
「君は……僕に恋しているんだね」
「──っ!」
「そして僕がどうすればいいか……もう、分かっている」
優しい声なのに、逃げ場がないほどに熱がこもっている気がせる。
「君を救う方法は、ただ一つだ」
その瞳があまりに真剣で、私の呼吸が止まった。
「僕が──君を、愛すことだ」
ザッ、と庭園の風が揺れた。
けれど、それよりもずっと熱いものが胸に流れ込んでくる。
「来週のガーデンパーティーは欠席しよう」
王宮主催のガーデンパーティには、必ず出席しなければならない。
会場でヒロインとの出会いがあるのに、欠席させるわけにはいかない。
それが私の、当然の務めだと思っていた。
けれど──彼の言葉が、私の思考をかき乱す。
「君の病気が治らない限り、僕は君を無理に出席させるつもりはないよ」
彼は強い意志を持って、私を見つめる。
その目に、揺るがぬ決意が込められているのがわかる。
「君が無理をして体調を崩したら、すべてが無駄になる。だから、来週は一緒に休もう」
「でも……」
「これからは、僕が一瞬たりとも君の側を離れない。絶対に治そう。だから、ゆっくり療養しよう」
彼の言葉に、私は無意識に息を呑む。
その強い言葉に背中を押されるように、ついに口を閉じて黙り込むしかなかった。
「でも……ガーデンパーティに出席しないと、あなたの立場が……」
「立場なんて、今はどうでもいい。君の体調が最優先だ。君が元気を取り戻さなければ、何も意味がない」
彼の瞳には、心からの心配が込められているのがわかる。
その眼差しに、胸が苦しくなる。
私は力なく頷くしかなかった。
ガーデンパーティを欠席することになり、私は部屋で静養することとなった。
彼は足繁く部屋にやってきては、花束を持ってきたり、心配そうに顔を覗き込んだりする。
「少し眠るといい」
「無理しないで、ゆっくり休んで」
「──少しだけ、庭に出てみようか?風が気持ちいいよ」
そんな彼の姿に、私は次第に気づく。
(あれ?私、──)
その気づきは、日に日に大きくなっていった。
彼がこんなにも私のために尽くしてくれるのは、もしかしたら──いや、確実に──彼が私を気にかけてくれているからだ。
でも、それ以上に、心の奥底で湧き上がるのは。
彼の優しさが、今、私にとってはとても大切で、未来をより苦しいものに変えるのだ、という気持ちだった。
次第に彼の存在が、私にとって欠かせないものになっていくのがわかる。
一週間が過ぎ、その間、彼は一度も私から離れることなく私を支えてくれた。
でも、気づいてしまった。
(……優しくて、あたたかい人──)
例え、使命感に基づいた偽りの愛でも構わなかった。
このまま彼を騙せないという罪悪感と、それが偽りだとしても、彼が私を愛そうとしてくれている歓びで胸が張り裂けそうになる。
少しずつ、私の体調は悪化していった。
毎日のように花を吐き、炎で焼き尽くす。
最初はわずかな花びらだった。
ブーゲンビリアやリナリア、アンスリウムなどから深紅の薔薇、チョコレートコスモス、パンジーなど、だんだんとその種類と量は増えて、時には口から零れる花が床一面を埋め尽くすこともあった。
それでも、私はただひたすらに炎魔法で燃やすことしかできない。
彼は、相変わらず私を気にかけてくれた。
「君が吐いた花を焼いても、僕は君を見放さないよ」
彼の言葉が、私の胸に響く。
でも、心のどこかで感じていた。
このままでは私は治らない──彼を想うことを止められない限り、完治することはないと。
その日、私はとうとう限界を迎えた。
胸を締めつける痛みは日に日に増していたが、この日は違った。
喉の奥が焼け付くように熱く、息を吸うだけで涙が滲む。
「……っ……!」
堪えきれずに咳き込む。
次の瞬間、床いっぱいに深紅の薔薇が、重たく、濃密な香りを放ちながら溢れ落ちた。
その奥から、黒いクリスマスローズがゆっくりと零れ落ちる。
(……ああ……終わりだ)
恋が極まった証。
もう、隠すことも、偽ることもできない。
私は崩れ落ち、その場に手をついた。
──ガチャ
微かな音に顔を上げると、扉の向こうで彼が息を呑んでいた。
「……君……これ……」
床に散る花と、崩れる私の姿。
次の瞬間、彼は走り寄り、私を抱きしめた。
「どうしてだ……!どうしてこんなになるまで隠したんだ……!」
震えた声が耳元で落ちる。
私は首を横に振ろうとしたが、力が入らない。
「だって……あなたには、あの子が……未来が……」
「未来なんて、知らない!」
彼の声は、今まで聞いたことがないほど必死だった。
「君が苦しんでいるのに……どうして君がいないかもしれない未来を、僕が受け入れることができるんだ!」
私は息を呑む。
「……僕はね、気づいてしまったんだ」
彼の額が私の額に触れ、優しい温もりが伝わる。
「……僕は君を守りたいと思った。義務でも、婚約だからでもなく、気づいたら、君のことばかり考えていたんだ。それなのに君は、僕に恋をしながらも、自分以外を宛がおうとする」
「……ちが、う……私は…ただ…」
「違わない」
彼の声が震えている。
「君が笑っていると、それだけで心が安らぐ。君が苦しんでいると……胸が張り裂けそうなんだ」
「、…それって……」
「──恋だよ」
世界が止まった。
「君の病気よりも大事なことなど、この世にない」
彼は私の手を握る。
その手は、驚くほど熱く。
「僕は、君を選ぶ」
「……っ」
「誰かに決められた未来より、君と生きる今のほうが、ずっと大切だ」
涙が零れ落ちた。
彼の言葉は、あまりに現実離れして、まるで夢のようだ。
溢れる涙。それが、共に罪を犯すことへの歓びなのか、愛が救われたことへの安堵なのか、判別がつかない。
「……治そう。君を」
彼の手が私の頬を優しく包み込むと、彼の温もりがじんわりと伝わり、そっと顔を寄せる。
「相思相愛になれば……治るんだろう?」
答えるより先に、彼の唇が触れた。
胸の奥で、何かがふっとほどける。
痛みが消える。
温かい光が身体を満たしていく。
口から零れたのは、深紅や黒の花ではなく、白銀の百合だった。
「……治った?」
「……はい……」
涙の跡が残る私の頬に、彼はそっと触れた。
「これからは、君を二度と苦しませない」
その目が、深い感情で震えていた。
そして、私の手の中の白銀の百合を見つめ、彼は震える声で言葉を紡ぐ。
「これは……君が、僕を想ってくれている証なんだな」
私は、ただ静かに頷いた。
そして、彼の目を見つめながら、心からの想いを伝えた。
「はい。私は、あなたが──」
その言葉を言い終わる前に、彼の手が私の頬に触れ、そして──
「僕もだ、君を愛している」
彼は優しく、私の唇にキスをおとす。
風が静かにカーテンを揺らす。
私はその腕の中で、初めて穏やかに息をついた。
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