5話
誰かが髪に触れている。
目が覚めると、そこは自分の部屋だった。
(俺は――)
寝台から起き上がろうとして肩に痛みが走った。たまらず力が抜け、かすれた声が漏れる。
「目覚めたか」
声のほうに顔を向けると、寝台のすぐそばにヴィンセントが座っていた。
ゼノが再び起き上がろうとしたのをヴィンセントが止める。
「まだ寝ていろ」
相変わらず表情の乏しい男だったが、その口調から気遣いのようなものが感じられて、ゼノは目を見開いた。
「矢傷は処置した。熱はそのうち引くだろう」
こくりと頷き、それからはっとしたように口を開く。
「ラビは、俺の馬はどうなりました?」
「保護した」
「村の人たちは」
「無事だ」
「……よかった」
深く息をつくと、ヴィンセントがこちらを見つめているのに気づく。
「なぜ、俺を庇った」
理解できないとその目は語っていた。
「なぜって。手の届くところにいたからですよ」
「……酷いことをしたのにか」
(自覚はあったのか)
もちろん、あの日のことを忘れることはない。だが、もしそれで見捨てていたらきっと後悔したはずだ。
「貸しをつくったんです」
「そのせいで死ぬかもしれなかったんだぞ」
苛立ちを含んだ声だった。
なんと答えるべきか迷っていると、ヴィンセントがため息をついた。
「二度とするな」
(なぜだろう。助けたのに責められている気分だ)
ふと、ずっと疑問だったことを訊ねる。
「ひとつ聞きたいのですが」
「普通に話せ。今は俺しかいない」
周りを見渡してからゼノが頷く。
「それで、いつから俺のこと見張ってたんだ?」
村にヴィンセントが現れたのはあまりにも都合が良すぎた。となれば、王都を出た時からつけていたとしか考えられない。
(まあ、そのおかげでこっちも命拾いをしたわけだが)
ゼノの問いにヴィンセントが目を逸らした。
「別に構わないだろう。この国は俺のもので、お前は妻なのだから」
「とんでもない答えだな」
「……妻のそばにいるのは普通のことだろう」
誤魔化し方があまりに下手くそで。居心地悪そうに話すヴィンセントに思わず笑ってしまう。
(嘘が下手なのか……?)
「なにが面白い」
ヴィンセントがむっとしたように言うので、ゼノはまた笑うのだった。
◇◇◇
その日の夜。
ラビに会いに行こうとしたら、なぜか部屋の前に見張りがいて止められてしまった。
曰く、絶対安静だそうだ。
たしかに傷は痛むが、すでに熱は引いていた。ヴィンセントからもらった薬のおかげだ。
それに、一日中室内にいたので外の風を浴びたかった。
結果、ゼノはこっそり窓から抜け出すことにした。
音を立てずに地面に足をつき、見張りに見られないよう壁沿いに進む。
馬屋に着くと気配で気づいたのか、ラビが柵から顔出した。
「ごめんな。心配かけた」
ゼノがラビの顔に頬を寄せる。ラビは肩の怪我を気にしているようだ。
「大丈夫だから」
そう言って、少し散歩しようと手綱を引いた。
いつものように門に近づくと、門番がゼノを見るなり血相を変えた。
「どうか部屋にお戻りください! お早く!」
(なにかあったのか?)
話を聞いてみると、ゼノを外出させるなとヴィンセントが通達したらしい。
どうしても駄目か尋ねたが、首を何度も横に振られてしまう。
(怪我くらいで大袈裟な)
ゼノが肩を落として後ろを向く。
「あ……」
そこには、腕を組んで立つヴィンセントがいた。
「お前は、大人しくできないのか?」
静かな怒りが伝わってきた。
ゼノが気まずそうに口を開く。
「外の空気を吸いたかったんです」
「窓を開ければいいだろう」
「そうですが――」
そうじゃない、と言おうとした時。
ゼノの身体がふわりと浮いた。ヴィンセントが抱き上げたのだ。
「っ!」
横抱きにされたゼノが暴れる。その顔は羞恥で真っ赤である。傷が痛んだがそれどころではない。
門番が二人を凝視しており、ものすごく居た堪れなかった。
「おい……!」
ヴィンセントだけに聞こえる声で、歯を食いしばりながらそう言うと、黒い瞳がこちらを見た。
「よく覚えておけ。今後、お前が脱走するたびにこうして連れ帰る」
翌日、ヴィンセントがゼノをお姫様抱っこしたという話で後宮は持ちきりであった。