1話
「じゃあ、行ってくる」
今日、ゼノは隣国へ嫁ぐ。
好きでそうなるわけではない。
ある日突然、花嫁を差し出せと便りが来たのである。
それは人質も同然で。
横暴な要求に反対する者も多くいたが、結局は承諾するしかなかった。
隣国に比べれば、ゼノたちの国は息で吹き飛ぶほど小さく弱い。
騎馬民族であった祖先がようやく築いた土地だ。失えば、流浪の民になってしまう。なんとしても守らなければならなかった。
真っ先に花嫁候補に上がったのは、今年で十四になる妹。自分が行くとなっても、弱音を吐かない強い子である。
そして、大切な妹である。
現王ヴィンセントは冷酷で、肉親をひとり残らず処刑したと聞く。大切な妹をそんな男のもとへ送ってやれるわけがなかった。
幸か不幸か、隣国の王は性別関係なく子を孕ませることができるという恐ろしい体質のため、花嫁は男でも女でも構わないとのことだった。
それにゼノには優秀な兄がいて、後継ぎの心配もない。そういう意味では、ゼノは適任だった。
かくして、その日がやってきた。
付き添い人は拒否され、ゼノひとりでの輿入れだった。唯一許可されたのが、愛馬であるラビを連れて行くことだった。
「すまない」
「帰ってきたら盛大に祝ってよ」
気難しい父が眉を下げるのを見て、ゼノは笑った。
兄に「お前ならうまくやれるさ」と肩を叩かれ、妹は腰にしがみついていた。
(まあ、なんとかなるだろう)
皆に別れを告げ、ゼノは国を去った。
◇◇◇
そうして数週間が過ぎ。
ゼノは後宮暮らしを満喫していた。
来たばかりの頃は、蛮族だの異民だのと世話係や他の側室たちに叫ばれ、衝撃を受けたものだが今ではすっかり慣れた。
食事を抜かれたり、部屋を荒らされたりと、なかなか面白い生活を送っている。
きっと男だからこの程度で済んでいるのだろう。妹が来なくて良かったとゼノは心底思った。
後宮にはゼノの他にも男の側室がいた。皆、少女と見違えるほど可愛らしい姿をしていた。
比べてゼノは、温和な雰囲気の綺麗な顔ではあるが、どう見ても男だった。
唯一美しいと誇れるのは、一族特有の燃えるような赤毛と翡翠の瞳だろう。
とはいえ、それがどうということはない。
なぜなら、現王ヴィンセントはゼノに対してまったく興味がないからである。
後宮入り初日。ヴィンセントは突然現れると、ゼノを見るなりすぐに立ち去った。
あまりに一瞬のことで、ゼノは呆気にとられたのをよく覚えている。
ヴィンセントは噂通りの冷酷そうな男だった。
黒髪に黒目で、顔は整っていたが重苦しい印象だった。
その日以来、ゼノは一度もヴィンセントを見ていない。
他の側室のもとへ通っているという話も聞かず、単純にそういったことに興味がないように見えた。
ゼノとしても男に犯されるのは勘弁なので、ありがたい限りである。
そして。なにより驚いたのは外出許可が下りたということだった。
逃げたら国へ侵攻する、翌朝日が登るまでに戻れと後宮の上役より通達はあったが、それきりだ。
試しに王都をぐるりと散策して、戻ってきてもお咎めなしである。
愛馬ラビのこともあり、彼女のために遠乗りに行きたいと考えていたので、願ってもいない話だった。
この国からしてみれば、弱小国家とはいえゼノは王家の人間だ。
側室というよりは客人、もとい人質の意味合いが強いからだろうとゼノは判断した。
逃げたら逃げたで国をひとつ手に入れることができるし、むしろそれが狙いのような気がしなくもないが、ゼノはしっかりと約束を守っていた。
信用できる人間はいないが、ラビがいる。食事に屋根付きの寝床もある。生きていくには充分だった。
後宮から出れるまであと二年。このまま平穏に過ぎれば良いのだが。