06 寝ぼけた面々――京葉宇宙空港にて
ホバーバイクを上昇させ、まずは、海に囲まれた丘から離れる。
「うおっ、カモメ、すげえな」
運転席から見上げれば、膨大な鳥の群れで、空が白くなったかのようだ。
(そんな映画、あったよな。ヒッチコックだっけ? いや、クロサワか?)
カモメを刺激せぬように、ゆっくり低空飛行。
校舎の屋上には、日本国旗と、横浜市小学校の校旗がはためいていた。
丘から、都市の方へ移る。軽く、海を越える形だ。潮の香りが遠ざかる。
それから、バイク下部のブースターとファンを展開させ、一旦、空中停止。
改めて、高度を上げる。
次に、周囲のビルの高さを超えた辺りで、龍輝は、右手のアクセルグリップをひねる。
ドンッ! とバイク後部のジェットエンジンが点火し、シート越しの振動が尻に伝わる。
本格的に、飛行開始だ。
「うぷっ」
目を閉じる。
顔面に、向かい風がぶつかってきた。短髪が、なびいて、逆立つ。
何だか、運転席が広く感じる。紗良葉を降ろした直後は、毎回そうだ。ハンドルと体の間が、大きく空いている。さっきまで、そこに娘がいたのだ。
ハンドルを回せば、体ごと右へ傾く。
「うッと」
空気の塊が、肩を斜めにかすめる。ちょっとしたスリル。
空中で右折。バイクの進路を九十度変えたら、背中に陽光が暖かい。
(いーい眺めだぜ)
都市の景色を、一望しながら飛ぶ。まさに、独り占めである。
オフィスビル、高層マンション、スクランブル交差点。街は清潔で、整然としている。ただ、人口激減のため、人影はない。
向かうは、そこを抜けた地域にある、京葉宇宙空港だ。国内屈指の宇宙センター。
だだっ広い施設ではあるものの、近年は惑星間を航行する者も減ったため、設備は絞り込んで使われている。
空港のエリアへ入ると、すぐに分かる。景色が一変するからだ。
(いつ来ても、ここからはすごい眺めだぜ……)
見下ろす龍輝。この異様さには、慣れることがない。
とんがり屋根、倉庫状、筒型。主に、この三種類の建物が、交互に並ぶ。全てが、無機質な灰色だ。その間を、モノレールの線路に似た、太い軌道が入り組んでいる。
電子情報、サーバー、燃料、部品。膨大な分量が、この一帯に集められ、格納されている。
たった数名の人間を、一光年弱の彼方まで、往復させる。それだけのために、これほど大がかりな設備を必要とするわけである。
ひと昔前の、派手なロケット発射台が立つ華やかな雰囲気は、残っていない。
もはや、ロケットは前時代の遺物。今は、「量子力学宇宙船」が使われる。人間をカプセルに乗せ、ブラックホール二つをつないで、彼方へ飛ばすのだ。
この空港の地下には、トンネルをリング状につなげた巨大施設が存在する。すなわち、人工ブラックホール生成に用いる、高エネルギー加速器である。
京葉宇宙空港へ入るために、わざわざホバーバイクから降りる必要はない。乗ったままで、入場することが出来る。
巨大な煙突のような建造物が現れるので、そこへ飛び込めばよいのだ。「煙突」の先端はこちら側に折れ曲がっており、吸い寄せられるように入ってゆく。
「うおしっ」
ブレーキをかけ、すぐ、バイクの進路を真下へ切り替える。「煙突」の内側に設置されたライトが、下から上へ、チカッ、チカッと、規則正しく視界をよぎる。等間隔の照明である。
「おっと、危ね」
天井に、頭をぶつけそうになった。下降するうちに、「煙突」が終わったのだ。そこは、基地の内部である。広い駐車場が見える。そこへ着陸した。
ホバーバイクの他に、自動車も並んでいる。ただし、空きが多い。この施設を訪ねる人も、少ないのだ。
バイクを停め、降りてから、歩いて駐車場の出口へ向かう。
高い天井。照明は弱め。
壁の上の方に、採光用のくもりガラス。全体的に薄暗い。
「ふう……」
龍輝の靴底が、金属の床に当たって、足音を反響させる。
本来、この通路はベルトコンベアー状の「動く歩道」であったのだが、利用者が激減したために、現在は停止中。来訪者は、自分の足で歩くしかない。
「疲れた」
恐らく、出口まで、たっぷり五百メートルは離れているはずだ。自力で行くには、結構、面倒な長さではある。
突き当たりの、両開きの自動ドアを抜ける。ドアはさびており、ガタガタときしんでいた。
その向こうが、空港のフロントである。
制服の係員が、三人いた。皆、暇そうにしている。
心の中で、龍輝はボヤく。
(みんな、やる気ねーなあ)
うち一体は、背がひょろ高いロボットだ。ロボットのみが、立った姿勢。ただし、ロボットはうなだれており、銅像のように、全く動かない。
再び、ボヤキ。
(ケッ、まーた電源オフにしてやがる。ケチりやがって……)
先ほどの、動く歩道と同じである。客が少ないので、電気を節約しているのだ。
受け答えが正確だから、人間よりも、なるべくロボット係員に質問をしたいのだが、
(仕方ないな。隣の若い男に聞くか)
カウンター越しに、龍輝は、二十代後半くらいの係員に声をかける。
「こんにちは。滝倉杏樹の夫の、滝倉龍輝です。昨日、杏樹がこちらへ着いたはずですけど」
眠たそうにしていた係員は、「いらっしゃひませ」とあいさつした。高めの声。
(てめえ、今、あくびをかみ殺しただろ……。張っ倒したろか)
龍輝は、内心で毒づいた。無論、龍輝も大人である。本気で「張り倒す」わけもないが。
若い係員は、椅子から立ち上がって、カウンター上のタブレットを確認し、告げてきた。
「あー、ええ」
と、けだるそうに首肯して、
「滝倉 杏樹様、確かに、到着なさってますね。五番ルームです」
「ん。ありがとうございます。五番ね」
龍輝が向かおうとしたら、係員は片手を上げて、
「あー、ちょっと、お待ちください」
「は?」
足を止め、振り返る龍輝に、
「実はですね、本日、女性スタッフがみんな、出払っておりまして……」
「それが何か?」
係員は、口を横開きにする。上下の前歯が見えた。一見、笑った顔にも見えるが、そうではない。
言いにくそうに、
「ええと。それが、その……。ですから、杏樹様に、身繕いをして差し上げることが、まだ出来ていないのです」
「はあ? 何だとォ?」
つい、龍輝は年甲斐もなく、けんか腰みたいな口調で、にらんでしまう。他人に対してこんな態度を取るのは、学生時代以来かもしれない。