夜明けの迷い子
いやあ、女子主人公・・・難しいっす・・・
歩道を抜け、住宅街の隙間を縫って、駅へと向かう。
どうして道がわかるのか、自分でも不思議だった。
来たことなんてないはずの場所なのに、まるで、
昔一度だけ見た夢の中を、なぞるような感覚だった。
頭の片隅で、誰かが呼んでいる気がした。
懐かしくて、悲しくて、あたたかな声だった。
──■?
でも違う。
あれは、たぶん──月の声だ。
駅に着いたのは、午前三時過ぎだった。
改札も券売機も眠ったままで、電灯だけが白く灯っていた。
ホームのベンチに腰を下ろすと、冷たい鉄の感触が背中を伝う。夜空に浮かぶ月は、まるで息をひそめているように静かだった。
「……ようやく来たんだね」
不意に、隣に人の気配が生まれた。驚いて振り向くと、そこにいたのは、真っ白なコートを着た少年だった。年齢は自分とそう変わらないように見える。けれどその目は、何百年も前から世界を眺めていたような深さをたたえていた。
「君……誰?」
「名前は、月。でも君はもう知ってるはずだよ。あの夜、契約しただろう?」
千羽は、すぐには言葉を返せなかった。思い出すように、首を傾ける。
──月の世界、白い羽、約束、三十日。
胸の奥がじんわりと熱くなり、息が詰まりそうになる。
「……本当に、あれは夢じゃなかったんだね」
「夢と現、どちらが本物かなんて、君の心が決めることさ」
月は穏やかに笑った。
その笑顔は、どこかで見たことがあるような、不思議な懐かしさを帯びていた。
「行くんだろう? あの町まで」
「うん。覚えてるんだ、景色も、匂いも……■のことも」
「なら、きっと辿り着けるよ」
そう言って月は、そっと手を伸ばした。
千羽の手に、古びた切符が置かれる。
それは、どこの路線にも書かれていない、不思議な駅名が記された一枚だった。
「電車が来るまで、もう少し。君が進む道が、ちゃんと君のものになりますように」
その言葉と同時に、どこからか、鈴の音が微かに鳴った気がした。
千羽はその音を胸に抱いて、切符を握りしめた。まだ見ぬ夜明けの先へ──月に導かれて。
始発前の駅は、まだ世界のどこにも属していないような、ぼんやりとした空気に包まれていた。
ホームに降り立つと、夜明け前の潮の匂いが鼻をかすめる。
(……来たんだ、ここに)
線路の向こうには、見覚えのある山の稜線。
風景はまだ眠っているのに、心だけが先に走り出していた。
だが、改札を抜けようとしたそのときだった。
「おーい、そこの君!」
びくりと肩を震わせて振り返ると、駅構内を巡回していた制服姿の警備員が、こちらへと歩いてくる。
「君、いくつだ? 小学生くらいか? こんな時間にひとりで、どうしたんだ?」
その問いは、責めているわけでも怒っているわけでもなかった。
けれど、千羽の胸はきゅっと締めつけられる。
「……実家に、用があって。こっちで少し……」
どこまでが本当で、どこからが嘘なのか、自分でもよく分からない。でも、ここで立ち止まりたくはなかった。警備員は、千羽の顔をじっと見たあと、小さくため息をついた。
「親御さんには連絡してるか? 無断で出てきたなら、一応連絡させてもらうことになるけど」
その言葉に、鼓動が跳ね上がる。
(だめだ、ここで止まったら──)
「……大丈夫です。病院にも、伝えてあります。すぐ戻るって」
嘘をついた。けれど、それでも。この足でしか、たどり着けない場所がある。その気持ちだけは、本当だった。警備員はしばらく黙っていたが、やがて小さくうなずいた。
「……まぁ、君が無事ならそれでいい。気をつけてな。町のほうはまだ店も開いてないだろうけど、迷うなよ」
「はい、ありがとうございます」
頭を下げると、警備員は背を向けて去っていった。その背中が見えなくなったころ、千羽はようやく息をついた。
(……怖かった)
けれど、足は止まらない。
「行こう。■に、会わなきゃ」
夜明け前の町へ──風が、千羽の頬を撫でた。
町はまだ眠っていた。赤く染まりはじめた空の下、千羽は人気のない路地をひとり歩く。
(こんなに静かだったっけ……?)
見覚えのあるような、ないような風景。木造の古びた商店、曇ったガラスの銭湯、シャッターの閉まった駄菓子屋。小さな町のどこもかしこも、まるで過去から抜け落ちた切れ端のように、懐かしくて、遠い。
(■と……何を話してたっけ)
電柱の陰に、通り過ぎた風の匂いに、何かを思い出しかけては消える。追いかけても追いかけても、形にならない。
「……わかんないよ」
立ち止まって、俯く。靴のつま先が、砂利をこすって音を立てた。もう何時間歩いているだろう。
背中のリュックが、じんわりと重く感じられる。
(本当に、ここで合ってたのかな)
風が吹いて、足元の枯れ葉が舞った。ふと顔を上げると──
森の切れ目。
石段の奥、朝の光に溶けかけたような、朱色の鳥居があった。
「……神社?」
ぽつりと、声が漏れる。
そこが、何かの終わりであるような──
あるいは、すべての始まりであるような、そんな予感がした。
もう全て分かっている読者の方ァ!続きをお楽しみに!