羽をなくした日
新作です!
「鳥の病と嘘つきの鳥」お楽しみください!
病室の窓から、空を見上げていた。
どこまでも青く、どこまでも高く、どこまでも遠い。
──空は、今日も私を許さない。
白い天井、白いシーツ、白い点滴。すべてが私の“今”だった。
ただ、夢のような幻覚が、脳の奥を霞ませる。
「ねえ、千羽ちゃん。羽、見える?」
小さい頃、誰かがそう聞いた気がする。
それは本当の記憶だったのか、それとも──。
私の病気は、「羽化症候群」という。
背中から生える幻の羽が、やがて落ちていく。
目に見えない羽が抜けるたび、背骨に鋭い痛みが走り、胸が押しつぶされるように苦しくなる。
進行すれば、少しずつ記憶が失われ、やがて意識すら閉ざされる。
……私は、ゆっくりと飛べなくなっていく鳥だ。
その日も、朝から羽が抜ける痛みに悶えた。
背中が焼けるように熱くて、吐き気と痺れと、それに──
「ごめんなさいね、千羽ちゃん……ちょっとだけ、痛み止めの量、増やすわね」
看護師さんの声が、まるで水の中から聞こえてくるみたいだった。
ぼんやりと目を閉じて、私は夢の中に逃げる。
──そこには、誰かがいた。
笑っていた。手紙を書いてくれていた。
私の代わりに、空を飛んでくれていた。
でも。
「……■■って、誰だっけ」
名前が思い出せない。
何通も何通も届いていた、あの手紙の主の名前が、思い出せない。
“その人”の顔も、声も、もう曖昧で、ぼやけている。
一枚だけ、ずっと枕元に置いていた便箋を見つめる。
それは、さっき■から届いたものだった。
「──■■がいなくなっても、空は、今日も青いです」
それだけが、鮮明だった。
何度も何度も読み返して、何度も涙をこぼした。
でも、“誰”がいなくなったのかが、もうわからない。
それでも、胸は苦しい。
痛い。息ができない。どうして泣いているのかもわからないのに、止まらない。
「……いやだ、忘れたくない……■■のこと、■■のことだけは……!」
でも、“羽”がまた一枚、抜け落ちた気がした。
記憶の一片が、ぽとりと、どこかへ落ちていく音がする。
その夜、私は病室を抜け出した。
エレベーターを使う勇気はなかった。
階段をひとつずつ登るたび、身体は悲鳴を上げたけれど、それでも足を止めなかった。
──病院の屋上。
誰にも見つからないように、ひっそりと開け放たれたその空間に立つ。
風が吹いた。
空の匂いがした。夏の夜の、湿った、切ない、空の匂い。
「……ねえ、空って、こんなに広かったっけ」
手すりの向こうを見つめる。
高い。高すぎる。でも、怖くない。
だって私は、もう飛べないのだから。
背中に羽はない。
痛みも、恐怖も、涙も、全部もう残っていない。
「■■……私、そっちに、行くね」
足を、一歩前に出した。
宙を蹴った。
身体が、風に落ちる。
誰かの名前を思い出そうとして、でも思い出せなくて──
──ごめんね。
地面が、近づいてくる。
そして──
(つづく)
続くゥ!