サクラサク、タイムカプセル
たまった新聞のあいだから、はらりとこぼれたハガキが宙を舞う。夕べの雨に濡れた地面に落ちそうになって、あわてて拾い上げる。タックシールに印刷されたわたしの名前。
卒業して十年経ちました。タイムカプセルを開けたいと思います。
三月十八日(日)、午後二時に校庭に集合してください。
橋立中学校 同窓会幹事 福田大樹、伊藤真琴
ため息が出た。大樹たちはただクラス名簿の上から順に宛名を打っていったのだろう。あれから十年も経つのだ。あの日、タイムカプセルをみんなで埋めた日、わたしが学校にいなかったことなんて、きっと忘れている。
新聞を広告ごとラックに押し込み、二階の部屋でぼんやりとしていたら、コウタがやってきた。この隣人で幼馴染みは、普通に門扉の呼び鈴を鳴らせばいいものを、わざわざ自転車のベルをうるさいほど鳴らし、存在をアピールしてくる。それはコウタが幼稚園の時も、高校を卒業し、パリで修業しパティシエになった今でも変わらない。
玄関におりるのも面倒くさくて、窓から顔を出し、下をのぞく。白い箱を持ち上げて、コウタが手をふっていた。
「新作、持ってきてやったぞー」
ああ、と思い出す。この前会った時、開発中だと言っていた春に販売するケーキが完成したのだな。大人になって、ひとつずつ夢をかなえているコウタのことをうらやましく思う。
「見ろよ。これが、新作にして力作。題してサクラサク」
箱の中から飛び出したデコレーションケーキ。桜の花びらが流れるように描かれている。女子の家に遠慮もなしにずかずかと入り込んでくるこのデリカシーのない男にどうしてこんな可愛らしいデザインのケーキが作れるのか不思議だ。
コウタの作るケーキはいつだって繊細でおいしい。
「おばさんたち、旅行、行ってるんだって」
「うん。結婚二十五周年なんだって」
「へえ、そりゃめでたいね。アニバーサリーケーキ、俺に頼まない?」
「商売するね~」
「ソースかけて見ろよ」
コウタに言われ、食べかけのケーキに付属のソースをしぼった。酸味のきいたラズベリーソースが、また一段とケーキを美味しくする。
「な、うまいだろ」
コウタが満足そうに言って、わたしを見る。
テーブルの端に置きっぱなしにしていたハガキに気づいてコウタが言った。
「俺のとこにもきたよ」
「咲良もくるだろ」
首をふると、「しようがねえなあ」とコウタは言った。
だって、わたしには行く理由がない。タイムカプセルを開けるために集まるのなら、行ってもしようがない。わたしは十年後の自分宛の手紙なんか書いていないし、それに、今さら麻美や帆乃と合わせる顔もない。
麻美、帆乃、咲良。中学の頃、わたしたちは吹奏楽部の仲良し三人組だった。体験入部からずっと「一緒に吹奏楽部に入ろうね」と言い合って、揃って入部届を出した。麻美はフルート、帆乃はクラリネット、わたしはトランペットを選び、はじめて触れる楽器に、わたしたちは興奮した。はじめて音が出せた時はうれしかったし、練習して曲が吹けるようになると、今まで感じたことのない爽快感があった。
吹奏楽部は、文化部でありながら運動部と変わらないくらいハードだ。練習も毎日数時間、体幹を鍛えるストレッチやマラソンもする。厳しい練習にたえられなくなった子がひとり、またひとりと辞めていくなかわたしたちはお互いを励まし合いながら二年、三年とあがっていった。
三年の春の地区大会で、創設以来はじめての銅賞に輝き、三人で朝礼台に並び校長先生から賞状とメダルを受け取った。
秋の大会では、絶対にみんなで県大会へ行こうね。
約束だよ。
お互いの手を重ね、誓いあった。部活が終わっても、わたしたちは学校に残って練習を続けた。下校時刻をとっくに過ぎて、見回りの先生に「君たち、早く帰りなさい」と何度注意されたかわからない。
担任の倉吉先生に呼び出されて、夕陽丘高校の推薦入試を受けないかと言われたのは、秋の大会の曲を決めたばかりのことだった。夕陽丘は、憧れの吹奏楽部の強豪校で、わたしは絶対に合格したいと思った。
「十一月七日に学力試験と面接がある。がんばれよ」
地区大会の日程と重なっていた。
受験のことを麻美や帆乃に言わなければいけないとわかっていた。何度も言おうとした。けれど、どうしても言えなかった。麻美も帆乃も秋の大会のことで盛り上がっていた。
「絶対優勝しようね」
口を開けば大会の話になる。二人の会話に水を差すことなんて、できなかった。
わたしは無断で地区大会を欠席した。麻美と帆乃で臨んだ地区大会は春と同じ銅賞で、結局県大会には行けなかった。
わたしが欠席した理由をあとから知った麻美が、帆乃を連れてものすごい形相でやってきた。
「どういうこと? 三人で地区大会に行こうって約束していたのに」
「そうだよ。高校だって、みんなで朝日高に行こうって言ってたじゃん」
「咲良だけぬけがけみたいなことしてずるいよ」
「それに夕陽丘高って、朝日のライバルじゃん」
「夕陽丘に行くってことは、あたしたちと一緒には音楽やれないってことだよね」
「ようするに、咲良は、あたしや帆乃とはレベルが違うって言いたいんでしょ」
何も言い返せなかった。
学校にいれば、クラスも部活も麻美と帆乃と一緒だ。あの日以来、二人は何も言っては来ないけれど、ずっと責められているような気分だった。苦しくなって、学校を休んだ。一度休むと、さらに学校に行きづらくなった。
コウタが家の前で自転車のベルを鳴らす。学校からの課題を持ってくるのだ。何度ベルを鳴らしてもわたしが出てこないとわかると、コウタは課題をポストに入れて帰って行った。コウタの姿が見えなくなってから、そっと外に出て課題を受け取った。そうやって、わたしは無事中学を卒業することができた。
夕陽丘高校で、わたしは部活に入らなかった。吹奏楽部に入って、大会や演奏会で麻美や帆乃と出くわすことが怖かったし、そもそも嘘をついて二人を裏切ったわたしにトランペットを続ける資格もないと思った。
わたしは何のために高校に入ったのか、意味も見つけ出せないまま三年間過ごし、大学に進んだ。その延長線上で就職し、ただオフィスに行って帰るだけの人生を送っている。
部屋には、トランペットの黒いケースがほこりをかぶったままだ。
風のうわさで麻美は朝日高から音大に進み、教師になったと聞いた。朝日高に合格できなかった帆乃は、別の高校で吹奏楽を続け、専門学校を出て好きだったファッション関係の会社に就職したらしい。
あれから十年過ぎたのだ。通勤電車の窓から見下ろす桜並木はいまかいまかと春を待っている。夢をあきらめ、何にもなれなかったわたしだけが、十年たった今も同じ場所で悶々と過ごしている。
三月十八日。
タイムカプセルを開けるその日、わたしは部屋にこもると決め込んだ。ベッドにもぐり、布団をかぶって、ただだらだらと時間が過ぎるのを待った。麻美や帆乃がどんな風になっているだろうとか、もしもあの時、わたしが学校にいたら、タイムカプセルになんて書いただろうかとか、考えてもしかたのないことばかりが浮かび、そのたびにぶんぶん頭を振って妄想を掻き消した。
誰とも会いたくない。早く明日になってほしい。そればかり願った。
それなのに、夕方、コウタが家にやって来た。自転車のベルをうるさいほど鳴らし、ベッドの中のわたしを起こした。
窓から見下ろす。
マスク姿のコウタが、手をふっている。
「風邪?」
「ちがう。花粉症。今年、デビューした」
「今? 二十五で?」
「遅くて悪いか」
いつもと違うきれいめのジャケットを着ている。それで、コウタが学校へ行ったのだなとわかってしまう。誰と会い、どんな会話をしたのだろう。わたしが行けない領域に、普通に入っていけるコウタがうらやましかった。
「お前のぶん、持ってきてやったぞ」
え? 今、なんて言った? 窓辺に乗り出す。
「ちゃんと受け止めろよ」
そう言って、コウタが投げた小さなまるいかたちをしたもの。わたしの手にすっぽりとおさまるまで一瞬のことだった。
さすが元野球部。抜群のコントロールだ。
「開けてみろよ」
小さなピンク色のカプセル。両手でひねるようにして開けると、カップの中に幾重にも折り畳まれた紙が入っていた。
少し黄ばんだその紙を丁寧に開いていく。何も書いていない、まっさらな紙を。
「お前のかわりに入れておいたんだ」
「なんで?」
十年前、コウタがこれを一緒にカプセルに入れたのだ。
「今からでもいいから、なんか書けよ」
おせっかいめ。
今さらこんなものもらったって、何も書けるわけがないじゃない。
「俺のもやるよ。参考にしろ」
そう言って、コウタがもうひとつカプセルを投げてきた。「じゃ」といつものように手をあげて、コウタが自転車で去っていく。
その後ろ姿を何度見送ったことだろう。
十年後も咲良のことが気になってるのかな。中島光太
野球がうまくなるでもパティシエになるでもなかったコウタの願い。わたしは、自分の殻に閉じこもっていて、ちっとも気づかなかった。友達のいないわたしに、ずっと寄り添ってくれた。コウタだけは、わたしを「教室にいなかった子」にしないでくれた。
コウタが鳴らす自転車のベル。うるさがるふりをしていたけれど、本当はいつだって待っていた。コウタがパリに修行に行っていた二年間、ベルの音が聴こえなくてさびしかった。
コウタに、ずっとそばにいてほしい。相原咲良
十年間、白紙のままカプセルの中で眠っていた、わたしの願い。コウタに、ちゃんと伝えなきゃいけない。部屋着のまま外に出て、自転車にまたがった。
久しぶりに乗る自転車は、車輪が回るたびキコキコと下手くそな楽器の演奏みたいな音がしたけれど、かまわなかった。五分咲きの桜並木を走っていく。ポケットには、サクラサク、タイムカプセル。