ウォーゼンの日記
ウォーゼンの日記
あの日は満月で、私は母に満月走の花を見に行こうとせがんだ。かの花は満月の光を浴びて青々と輝く。母は、
「もう時期父も帰ってくるでしょう。一緒に見られるかもしれませんね。」
と嬉しそうに私の手を取った。
母の墓標の前でウォーゼンは俯く。
(未来を心配すべきではない。過去に囚われるべきではない。過ちは経験に変え、対処法を身につけていくよい機会と捉えねばならない。)
そんなことはよく理解しているが、疼く感情だけはうまく整理できないようだ。
立ち尽くしていると背中を誰かが叩いた。カイルは何も言わずに持ってきた花を母に手向けた。
「優しいお方だったよね。僕たち使用人の子にも分け隔てなく声をかけてくれたんだ。」
「父から修道女だったと聞いた。
神のもとに皆の幸せを願っていた。父はその幸せを独り占めしたかったらしいけどね。」
持っていた花を墓標の前に置くと、ウォーゼンは少しだけ笑った。
「ウォルが大変なんだ。」
ジェイドが大きなサンドイッチを両手に持って駆けてくる。カイルは馬の手入れを一時やめて、手を洗いジェイドからそれを受け取る。
「昨晩のことは聞いているよ。」
カイルがぽつりと呟く。
「僕も大好きだった。いつも優しく声をかけてくれた。」
「おれほだ。」
ジェイドが口いっぱいにサンドイッチを頬張りながら答える。
「ウォルの母ちゃんは怖くて優しかった。」
「怖いのは君が悪戯ばかりするからだろ。」
「発明は悪戯から生まれるのさ。」
トリッキーな彼は相変わらずで、カイルは深いため息をついた。
「そんなことより、ウォルが地下の部屋から出てこないことが問題だ。」
サンドイッチを飲み込み水筒の水で流すと、ジェイドは手を顎の下に置いて策を講じ始めた。
(厄介なことが始まった。)
カイルはジェイドの考えるロクでもないことにため息をつき立ち上がった。
「どこへいく、友よ。一緒に策を練ろうじゃないか。」
「また怒られるよ。それより僕は地下に行ってみるよ。」
カイルは足早にそこを離れると、ウォルが籠ってしまった城の地下室へ向かった。途中城主様に出会い、深くお辞儀をする。城主様のお顔は疲れを隠せない様子で憔悴なさっていた。
「この度はご愁傷様で…。」
挨拶は分かるがそれ以上の気持ちを言葉で表せず、カイルは困ったように顔を上げる。城主様はカイルと目線が合う高さにしゃがみ、彼の肩に手を置いた。
「ありがとう。君の優しい気持ち。ちゃんと伝わっているよ。
ウォーゼンにも届けてくれないかな。」
「はい。」
大きく返事をして頭を下げ、カイルは駆け出した。
(ウォルも苦しんでいる。城主様のように。いや、それ以上に)
「夜中に盗賊に襲われたらしい。
奥さまは、ウォーゼン様を庇われてお亡くなりに。」
父は護衛をしていたから、自分の失態だと嘆いた。僕も悔しい。
「僕が二人を守ったのに。俊敏に動き、敵を倒したのに。僕が子どもじゃなかったら大切な親友を守れたのに。」
ドアは固く閉じていて、部屋からは物音ひとつしない。カイルは息を整えてドアを叩いた。
「ウォル…」
話しかけようと思ったが書ける言葉がない。カイルはドアの前に座り込んでため息をついた。
ジェイドは走り去るカイルを見てため息をついた。
「策もなく動くなんてなんで愚かな。」
腕まくりをすると大きく深呼吸をして立ち上がる。
「元気がでないのは腹が減っているからだ。腹が減っては戦はできぬ。さぁ、取り掛かろうではないか。」
堂々と厨房に潜り込むと、ジェイドは料理人たちに頼み込んでかまどを空けてもらう。料理人たちも昨晩のことを気にして何を血迷ったか彼の行動を快く許した。
暫くすると、煙突から黒い煙がもうもうと上がり、厨房が騒がしくなった。
カイルは長い時間ドアの前にいた。音のない空間は時間の流れを止め、思い出される悲しみだけが二人を責め立てる。
(僕が母を誘って庭に出なければよかったんだ。
僕がもっと強ければ母を守れたのに。
僕が悪いんだ。
僕が。)
「ウォル!」
彼の思考が流れ込んできて、カイルは踠き慌てて息をする。
「ウォル君のせいなんかじゃないんだ。僕が、僕だって。」
部屋からカタリと音がした。カイルはドアに頭をつけて語りかける。いつしか頬が涙で濡れていた。
「僕たちは今まで楽しいことをいっぱい一緒にしてきただろ。
でもねウォル。悲しいことも一緒にしたいんだ。君の悲しいも僕たちに分けてよ。」
返事はなかった。でもドアごしに、彼の体温を感じた気がした。
ガラガラ…ガシャーン
階段の上から派手な音がしてカイルは我に帰る。慌てて涙を袖で拭き、恐る恐る登るとそこには奇怪な格好でお盆を支える友の姿があった。
「何か言うことはある?」
カイルは尋ねた。
「いい質問だ。取り急ぎこの盆の上にある皿をとってくれないか。」
ゆっくり皿を持ち上げると、そこには焼けこげたピザが載っていた。
「ましな方でね。他は黒焦げだった。」
「よく料理人たちが許してくれたね。」
「皆快く。」
疑ったが、だからといって別に支障はなかったので料理人には申し訳なかったかそれ以上聞くのをやめた。
「彼とは和解したかい?」
カイルが首を振ると、ジェイドはほうらね。と言わんばかりの笑顔を浮かべ、カイルから皿を取り上げて地下へ走る。
「こういう時は、食べ物が一番さ。」
ドア越しに待ちぼうけの彼を背にカイルは地下を後にした。
強くなろうと思ったんだ。
君を守れるくらいに。
「ありがとう。」
ウォーゼンがカイルに手を伸ばす。カイルは彼の手を取ると立ち上がった。
「私たちは強くなった。きっと母も喜んでいるよ。」
風が吹きオレンジや黄色の花々が揺れる。満月草の花が夜の光を待ち侘びて青い灯を灯した。
遠くから手を振るジェイドが丘の上から見えた。背後に花をいっぱいに積んだ荷馬車が見える。
「あれは一体どんな策なんだろう。」
カイルがため息をつく。
「前向きなことは良いことさ。私は常々彼に学ばされる。」
「そうかなぁ。」
カイルは苦笑いをしてジェイドに手を振った。
ウォル
カイル
ジェイド