7.お嬢様は覚醒する
「ドラゴンなんて、初めてお目にかかりますわ……!」
アリステアがそう言うと、ヒナもそのとなりで身構えた。
「私だってそうですよ……! ドラゴンが人里近くに現れるなんて、天変地異みたいなもんですから……!」
森の奥からバキバキバキと木々をなぎ倒す音が響いてくる。
「く、来るぞ……!」
「ダメだ……もう逃げるしかない……!」
「でも逃げ切れる距離じゃねえんじゃねえか……?」
うろたえる冒険者たちを尻目に、アリステアはドラゴンの咆哮が響く森の奥へと歩いていく。
「お、おい、何を……!」
戸惑う冒険者マックスに、アリステアは振り返る。
「ここでわたくしがドラゴンを止めれば、皆様は助かるのですわよね?」
「そ、そうだが……だからって、なぜ……」
「なぜ? そんなもの、決まっていますわ」
アリステアはそう言って走り出す。
ヒナも黙ってそれについていく。
木々の上からドラゴンが顔を出す。
冒険者たちが「ひ、ひいッ!」と悲鳴を上げる。
アリステアとヒナは走る速度を上げて、冒険者たちから距離を取る。
「人々を守ることが、聖女の務め!」
「そんなお嬢様を守ることが、私の使命!」
アリステアとヒナは二手に分かれドラゴンの左右に回り込む。
「こっちですわよ! ドラゴンさん!」
アリステアがドラゴンに石を投げる。
ドラゴンの顔にどうにか届いた石に威力はなく、コツンと弾かれただけだった。
しかしドラゴンの気は惹きつけられ、
「グワァアアアアッ!」
と咆哮して、アリステアに火炎のブレスを吐いた。
離れたところで冒険者たちが「うわあっ!」と恐れおののく。
激しい炎でアリステアのいた場所は一面の焼け野原となる。
鬱蒼としていた木々が燃え尽きてしまった中、アリステアだけは変わらず、そこに立っている。
ドラゴンの巨大な瞳に、困惑の色が浮かぶ。
「グォオオッ!」
咆哮とともに尾撃を見舞う。
――――ドガッ!
激しい衝突音が響くが、アリステアの細く小さな体はビクともしない。
ドラゴンの瞳の困惑の色が一層深くなる。
そこへ、
――――ズバアッ!
ヒナがドラゴンの背中を斬りつけた。
「グギャアアアアアアッ!」
ドラゴンの悲鳴が響く。
振り向いたドラゴンがヒナを視界に入れる前に、アリステアが再び投石をする。
ドラゴンがまたアリステアを睨みつける。
「あなたのお相手はわたくしですわよ! 逃げないでくださいまし!」
アリステアの挑発を理解してのことか、ドラゴンは瞳に怒りの炎を燃やして、アリステアに攻撃を仕掛ける。
頭突き、爪での斬撃、尾撃、噛みつき、ブレス。
いくら攻撃を浴びせても、アリステアには傷ひとつつかない。
ドラゴンの攻撃の合間に、ヒナが斬撃を食らわせる。
ヒナにターゲットが移りそうになる度に、アリステアが挑発を仕掛ける。
斬撃の直後に高速で姿を消すヒナの戦闘技術と、それにあわせて挑発を入れるアリステアのコンビネーションに、冒険者たちは思わず息を呑んだ。
「お前たちなら、ドラゴンにも勝てるかもしれないな……!」
冒険者マックスがそうつぶやくと、彼からポーションを受け取ったヒナが首を左右に振った。
「無理ですよ……!」
「え……?」
「溜める時間がないので、私の斬撃は薄皮を切っているだけです。それに、お嬢様がいつまで保つか。お嬢様はここに来る前から、とっくに限界を超えているんです……!」
アリステアは2時間にも及ぶイワウサギたちとの戦いで、すでに疲労困憊だった。
「今のお嬢様を支えているのは、聖女としての使命感。ただ、それだけです」
ヒナはポーションを手に、アリステアの方へと駆ける。
どうにか結界を維持しながらも息を切らし始めたアリステアは、心の中でつぶやいた。
(やはり、守っているだけでは、ラチが明きませんわ……!)
そしてアリステアは、思い出す。
イワウサギとの戦いの後。
ヒナがバラバラにしたイワウサギの断片。
そこにキラリと光った銀色の糸。
(――――いえ、あれは糸ではなく……!)
それは、硬いイワウサギの皮膚に刺さっていた。
表面にへばりついていたのではなく、深く刺さっていた。
(あれは結界をまとった、わたくしの髪の毛ですわ……!)
アリステアは自分の頭髪に、意識して結界を集中させる。
ざわざわと、アリステアの銀色の髪の毛がうごめく。
「動きますわ……! わたくしの髪が……結界の力で……!」
アリステアは光をまとった長い頭髪を束にして逆立たせる。
ドラゴンが鋭い爪でアリステアを引き裂こうと前脚を伸ばす。
「そんな腕! 斬り落として差し上げますわッ!」
――――ザンッ!
すり抜けざまにアリステアが頭髪の刃を振るうと、アリステアを捉えたはずの前脚が、宙を舞った。
「ギャアアアアアアアアアッ!」
切断された前脚を掲げ、ドラゴンがのたうち回る。
「すごいじゃないですか、お嬢様ッ!」
ヒナがアリステアに駆け寄る。
「でもこれは、人に向けてはいけないものですわね……!」
「刃っていうのは、そういうものです。それに……」
ヒナがアリステアにポーションを手渡して続ける。
「中途半端に斬られた相手は、怒り狂いますからね……!」
ドラゴンが緑色だった全身の鱗を、赤く変色させ始める。
燃え盛る炎のような、凶暴な赤。
「グォオオオオオオオオオオオンッ!」
ドラゴンは今までで最大の咆哮を放つ。
その音波はビリビリと激しく空気を震わせる。
ヒナは両手で耳をふさぐ。
アリステアはもう一度、結界を身にまとう。
しかしアリステアの手の中で、ヒナから渡されたポーションが強烈な音の振動でガシャンと割れてしまう。
「あ!」
アリステアとヒナが声を揃える。
「ヤバいぞ! こうなったらもう、とにかく逃げるんだ!」
後方から冒険者のマックスが叫ぶ。
「何を言っているのですか……!」
アリステアはそう言ってドラゴンの方へと歩き出す。
「わたくしが逃げたら、冒険者の皆様……そして最終的には、エルディムの町の皆様もみんなやられてしまいますわ……! それに何より……!」
つぶやきながら、アリステアは穏やかな微笑みを浮かべる。
「聖女が逃げるわけには、いきませんもの……!」
それでもアリステアの結界は弱々しく、消えかけた蝋燭の火のように途切れ途切れになり始める。
そこにドラゴンが尾を振り抜く。
――――ズガッ!
「ああッ!」
今まで微動だにしなかったアリステアが、とうとう衝撃で弾き飛ばされる。
猛烈な勢いで太い木の幹に激突して、アリステアの小さな体がズルズルと地に落ちる。
木の幹には、アリステアの血がこびりついている。
「お、お嬢様ぁ――――ッ!」
ヒナが絶叫するが、アリステアはうなだれたまま反応しない。
「お嬢様ッ!」
ヒナが駆け寄ると、アリステアはゆっくりと顔を上げた。
その表情に浮かぶのは、好戦的な笑み。
口の端を釣り上げ「くっくっく……」と笑い声を漏らす。
「おもしれーじゃねーか……。こっから先の〝喧嘩〟は、このアタシが〝買って〟やるぜ……!」