26.お嬢様は投獄される
吸血鬼フィニーに狙撃される前日。
アリステアとヒナはメサティア公国の首都メルドリアにやってきた。
いくつもの建物から湯けむりが上がる大通りは、たくさんの人で賑わっている。
「温泉なんて、わたくし初めてですわ!」
「う~ん。この硫黄の香り、異世界でも同じですねぇ」
「ちょっとお風呂、入っていきませんか!?」
「そうしたいところですが、まずは宮殿ですよ」
ヒナが指さした先に宮殿が見える。
アリステアは(なぜ宮殿に?)と心でつぶやき首をかしげる。
「お嬢様は隣国の伯爵令嬢ですからね。まずはこの地を治める公爵様にご挨拶するのが筋ってものでしょう」
人ごみではぐれないようヒナはアリステアの手を握って歩く。
彼女たちが通り過ぎた大通りの中央。
そこに立てられた掲示板の前に集まる人々が、ささやきあっている。
「おいおい、また公開処刑かよ……」
「公爵様の悪口を言っただけだってのになぁ」
「そんなお方じゃなかったはずなのに」
「公爵様は一体どうしちまったんだ……?」
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「アリステア・ウィンズベリーにヒナ・ヒムラ。面を上げよ」
謁見の間にやってきたアリステアとヒナは、そう言われて顔を上げる。
その言葉の主は玉座にいるメサティア公爵ではなく、その横の宰相と思われる人物。
メサティア公爵から耳打ちされ、再び宰相が口を開く。
「そなたたちの噂は聞いておるぞ」
下々の者に直接声をかけたがらない王侯貴族は珍しくないが、アリステアはれっきとした伯爵令嬢である。
さすがに無礼ではないかとヒナは眉をピクリと動かしたが、
「南方のエルディムではドラゴンを討伐し、魔法都市レギアムではダンジョンをいち早く踏破して市民を救助。そして港町ロスベルグでは魔族グリシルダを討ち倒したそうだな」
と続いた宰相の言葉で、ヒナの表情は思わず緩んだ。
ヒナがニマニマと笑みを浮かべてアリステアを肘で小突くと、アリステアは困ったように眉根を寄せて首を振る。
「いえ、聖女として当然のことをしたまでですわ」
メサティア公爵のとなりで宰相が大仰に「ふむ」とうなずき、
「では、準備に取りかかれ」
と兵士たちに命じた。
兵士たちは「はっ」と声を揃えて動き出す。
ヒナが「これ褒美ですよね、お嬢様」とささやくと、アリステアは「しっ、だとしてもはしゃぐのは無礼ですわよ」とたしなめる。
だが動き出した兵士たちは褒美を持ってくる様子はなく、アリステアとヒナを取り囲んで槍を突きつけ始めた。
宰相はよく響く声で兵士たちに命じる。
「その者たちを引っ捕え、今すぐ地下牢に放り込め」
アリステアとヒナは驚いて顔を見合わせる。
「ど、どういうことですかッ!」
「なんでですの~~ッ!?」
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「……私なら、峰打ちで全員倒せましたよ?」
暗い地下牢の地べたに三角座りしたヒナが口を尖らせた。
アリステアは目を伏せて首を振る。
「峰打ちでも、暴力は暴力ですわ」
「でも私たち、捕まるようなことしてないじゃないですか」
「それでも、暴力はいけませんわ」
アリステアは真っ直ぐに前を見つめている。
ヒナがその視線を追うと鉄格子が見える。
「……まあ確かに、無抵抗で捕まってから脱獄して誰にも見つからずこの街からも逃げてしまうのが、一番戦闘を避けられる選択肢ではありますね」
「そういうことですわ」
「じゃあとりあえず鉄格子、斬りますか」
ヒナが立ち上がり、鉄格子の方へと向かう。
カタナは没収されてしまったが、手刀に闘気を溜めながら歩いていく。
「待ちなさい、ヒナ」
ヒナが振り向くと、アリステアは頭髪をざわりと伸ばす。
「壊す必要はありませんわ」
アリステアの髪の毛が伸びて鉄格子の錠に絡みつくと、小さく音を立てて鉄格子の扉が開いた。
ヒナが「おお……」と感嘆の声を漏らすと、アリステアはさらに髪の毛を伸ばしていく。
鉄格子の向こうへ。
薄暗い通路の方へと、ざわざわと。
「何してるんですか、お嬢様」
「外の様子を探っているのですわ、髪の毛で」
「出口の方向なら、気配と空気の流れで大体わかってますよ。あと、警備兵はこのフロアに8人います。取り上げられた持ち物は守衛室の中の……」
アリステアは髪の毛を伸ばしながら「ええ」とうなずく。
「ですから、争わず済むよう今のうちに髪の毛で拘束させていただこうかと……なるべく傷つけずに、そっと。夜も遅いので、皆さん眠っていてくださればよろしいのですが」
ヒナが目に涙を浮かべてアリステアを見つめる。
「本当に……ご立派に成長なされて……」
アリステアはヒナの褒め言葉に頬を赤らめるが、すぐにその表情を曇らせる。
「……なんだか様子がおかしいですわ」
「様子……?」
「やっぱり、皆さん眠っていらっしゃるようですの」
ヒナが眉根を寄せて首をかしげる。
「警備兵が全員? そんなわけないと思いますが……」
そう言ってからヒナは目をつぶって集中力を高める。
しばらくして目を開き、ヒナは驚いた顔でアリステアを見る。
「本当ですね……みんな寝ています」
「やっぱり、そうですわよね……」
「さっき私が気配を探った時には起きていたのですが。もしかして、お嬢様、結界で何かしました?」
アリステアはうろたえて首を振る。
「いえ……起きていらっしゃったら拘束しようと、結界をまとった髪の毛で触れただけですわ。確かに『眠っていてくだされば縛ったりしないで済むのに』とは思っていましたが」
ヒナは「それって……」とつぶやいてからゴクリと唾を飲む。
アリステアは額から一筋の汗を流してつぶやく。
「もしや、わたくしの結界の本質って……」




