21.お嬢様は結界を解く
「そもそも、私が魔薬を安く購入できていたかのはなぜだか、わかりますか?」
神父はそう言って祭壇の前に歩み出る。
「……確かにそれは、結局コイツらも吐きませんでしたね」
後ろの方でひざまずいている密売人と奴隷商人にヒナが目線をやると、傷だらけの2人は「ヒッ!」と短い悲鳴を上げる。
「し、しし、知らないんすよ、本当に!」
「俺はただ、頼まれたもんを運んでただけで!」
神父が「その通りです……」とつぶやく。
「彼らは何も知りませんよ。私と『この方』の契約のことは。契約内容は主に3点。私が魔薬をほぼ卸売価格で仕入れられるよう魔大陸側と話をつけて頂くこと。報酬として、魔薬漬けにして死んだ人間を食事としてご提供すること。そして、いざという時にはその御力をもって守って頂くこと……」
そして神父は懐から取り出したいくつかの石を床に投げる。
「これは私と、そこにいるフリードランド医師の他に知る人間はいない秘密の契約……『この方』と謁見できるこの瞬間を、光栄に思うのですね……!」
すると神父がばらまいた小石が怪しく輝き出し、床に不思議な紋様が浮かび上がる。
アリステアが「あれは……?」とつぶやくとヒナが「おそらく召喚用の魔法陣ですね……」と息を呑む。
「教会の地下からお呼びするだけの簡易召喚ですがね……!」
神父がそう言うと、魔法陣からズズズ……と若い男が現れる。
柔らかな金髪、紫色に輝く瞳、怖気がするほど白い肌。
細身で背が高く、彫刻のように整った顔の美しい男。
しかし額には2本の角が生えている。
「――――ッ! 魔族……!」
驚きとともにヒナがそう漏らすと、アリステアはうろたえる。
「一体どうして教会に、魔族がいるんですの!?」
ふしゅううううううぅぅぅ……と魔族が息を吐き、ゆっくり顔を上げて言った。
「やれやれ……まだ昼じゃないか。一体どうしたんだい?」
魔族の足元に神父とフリードランド医師が慌ててひざまずく。
「お休みのところ大変申し訳ございません!」
「些末な問題でお出まし願い、恐縮の至りでございます!」
魔族は穏やかな微笑みを浮かべる。
「まあ、そう固くならないで。それで、問題って?」
神父とフリードランド医師が順番に話す。
「人間どもに飲ませた魔薬が霧散してしまいました!」
「浄化の結界を持つ聖女の仕業でございます!」
魔族が教会の中にいる人間たちを見回し、アリステアに目線を合わせる。
「へえ……なかなかの上物じゃないか」
次に魔族はヒナを見てから舌なめずりする。
「ほう、そっちのメイド服の子もいいね。2人とも、魔薬漬けにしたらとってもおいしそうだ……!」
アリステアが身ぶるいする。
「人間を食べるのですか……? しかも魔薬漬けにして……」
魔族は不思議そうな顔で首をかしげる。
「当たり前だろ? 僕たち魔族は魔素をたっぷり含んだ人間が大好物なんだ」
「なぜ、魔薬漬けなんて残酷なことをするのです……!」
「残酷? 君たち人間だってビールを飲ませて肉質を良くした牛を食べたり、酒を飲ませて肥えさせた鴨の肝を食べたりするじゃないか。それと同じさ」
アリステアの震えが大きくなる。
しかしそれは恐れではなく。
「に、人間を、何だと思っているのですか……!」
アリステアの全身が強い光を放ち始める。
「だから、食べ物だってば」
魔族が困り顔でポリポリと後頭部をかく。
「つまり、あなたは人類の敵ということですね……!」
ヒナがアリステアの後方で、腰のカタナに手をかける。
その時、
「そこまでだ! バカ者どもめ!」
フリードランド医師の叫び声が教会に響く。
アリステアとヒナがそちらを見ると、太った医師は女性信者を後ろから抱きかかえている。その手には鋭いメス。
「今すぐカタナを捨てて、結界を解け! コイツを殺されたくなければな!」
フリードランド医師のメスが女性信者の首筋をなぞる。
「ひ、ひぃいいいいぃ……ッ!」
震える女性信者。
「おっと、暴れるなよ? 頸動脈がスパッといくからな。さあ早くワシの言った通りにするんだ!」
フリードランドに促されて、ヒナはカタナを捨てアリステアは結界を解く。
アリステアとヒナの表情は苦悶に満ちている。
「ど、どうぞ、グリシルダ様! お召し上がりやすいように、このような形を取らせて頂きました!」
そう言ってフリードランドが媚びへつらいの笑顔を見せると、グリシルダと呼ばれた魔族は小さくうなずいて言う。
「じゃあ、エドワード。この2人に魔薬を飲ませて」
神父エドワードは「か、かしこまりました!」と言って聖水を手に取りアリステアの方へ駆け出す。
「動くなよぉ……! そのまま大人しくしているんだ……!」
フリードランドが人質の首筋にメスを突き立てる。
アリステアとヒナは歯を食いしばって拳を握りしめる。
「そうだぞ……無駄な抵抗はするな……! お前も曲がりなりにも聖女なら、人質の命は無視できまい……!」
聖女の瓶を持った神父がアリステアの目の前までやってくる。
「神父にも関わらず、なぜこんなことをするのです……!」
そう言ったアリステアの前で、神父は顔をしかめる。
「そんなもの、金が必要だからに決まっているだろう……」
「ど、どうしてお金なんか……!」
「お金なんかぁ!? ふん、現実も知らない貴族の小娘が何を言うか。いいか、信仰の中心には金があるのだ。立派な教会を整えて信者を増やし、司祭から司教、大司教、教皇となるには莫大な金が必要なんだよ。女神像もパイプオルガンもステンドグラスも、一体いくらすると思っているんだ。ええ?」
神父が聖水の瓶のフタを開ける。
「普通に神父をやっているだけじゃ金なんか集まりゃしない。ここにいるバカどもだって、ただ間抜けヅラでミサに来て私の話を聞いているだけでお布施なんかロクに払いやしない。懺悔室で長々と話を聞いてやっても、たったの1ゴルさえも払わずに帰る奴がほとんどだ。ほら、口を開けろ」
神父がアリステアの柔らかな頬を乱暴につかみ、無理やり口を開けさせる。
「お嬢様……ッ!」
ヒナが噛みしめた唇から血を流す。
「アリステア様!」
後方のジェイコブとシェリーが叫び声を上げる。
「黙って見てろ! 愚民どもがッ!」
フリードランドがメスを突き立て、人質の首筋に血が流れる。
「安心しろ……! これを飲んだらすぐに気持ちよくなって、お前みたいなポンコツ聖女でも天国に行くことができるぞ……感謝するんだなぁ……!」
アリステアの唇に、神父が握る聖水の瓶が近づいていく。
傾けられた瓶がアリステアの唇に触れる直前、
グッ。
と、アリステアの小さな手が神父の手をつかむ。
「な……?」
戸惑う神父の手を振りほどき、アリステアは睨みつける。
「天国なら……〝テメー〟が行ってみろ……ッ!」
アリステアは右手で神父の下顎をつかみ、左手で神父の手から聖水の瓶を奪うと、神父の口の中に聖水の瓶を割れんばかりの勢いで突っ込む。
「あがッ! がぼぼぼぼぼおッ!」
アリステアは神父の喉に無理やり聖水を流し込むと、
――グシャアッ!
と神父の顎を殴りつける。
神父の体は一直線に空中を滑り、木でできた祭壇に頭から突き刺さる。
「アタシは〝ヤク〟とか〝アンパン〟が大嫌いなんだよッ!」
それを見たフリードランドが
「お、お前! 人質がどうなっても――――」
と言いながら人質の首をメスでかき切ろうとするが、その手はまったく動かない。
「あ、あれッ!? な、なんだ! この銀色の細い糸は!」
メスを握ったフリードランドの手に、いつの間にか銀色の糸が幾重にも巻き付いている。
「髪の毛だよ、アタシの……!」
「か、髪の毛!? そんなものが、なぜこんなところまで!」
アリステアがいる中央の廊下の中頃と、フリードランドがいる最前列付近は10メールト以上も離れている。
「アリステアが言ってたろ……この結界は、生命力を与えるってよ……」
アリステアの全身には、結界はまとわれていない。
しかしアリステアの髪のほんの一部だけがかすかに光を放ち、それがフリードランドの手まで届いている。
「伸ばしたんだよ……! 自分の髪に、生命力を与えてな……これはアタシじゃなくアリステアが神父の口臭に耐えながら、こっそりやってたことだぜ……!」
「な……! こ、こんなもの……ッ!」
フリードランドがアリステアの髪の毛を引きちぎろうとする。
「そして、それを引き継いだアタシは〝こう〟する……ッ!」
フリードランドの手に巻きついたアリステアの銀髪は一気に締め付けを強め、そのままその手をズタズタに引き裂く。
「あぁああぁああッ! ワシの、神の手とも称されたこのワシの手があッ!」
わめくフリードランドの体を、アリステアはさらに伸ばした髪の毛でグルグル巻きにして持ち上げ、
「テメーのような〝腐った〟神がいるかボケッ!」
と床に激しく叩きつける。
フリードランドの頭は床板を突き破り、開いた両脚の間から湯気が立ち上った。
「あとは、テメーだけだぜ……!」
アリステアは魔族グリシルダに人差し指を突きつける。
「へえ……ずいぶん活きのいい人間じゃないか……!」
グリシルダは口角を上げて舌なめずりをした。




