20.お嬢様は全員を救いたい
「お嬢様、今から教会に行きますよ!」
「ダメですわ! わたくしはこの病院の皆様を救うのです!」
「目的を見失ってますよ、お嬢様! 聖水事件を解決する話はどこ行ったんですか!」
ヒナは病院を出ようとアリステアをズルズル引きずった。
駄々をこねるアリステアだったが、ふいにその肩をガサついた手が叩いた。
「行っちまいなよ、聖女サマ」
その手は看護人のメアリーのものだった。
「あんたには、あんたの使命があるんだろ?」
「メアリー様……!」
「よしなよ、こんなあたしに『様』だなんて。この病院はもう大丈夫。あとはあたしたちに任せて、あんたはあんたの仕事をするんだよ」
アリステアはメアリーの瞳を見つめコクンとうなずいた。
メアリーはニッと歯を見せて笑い、親指を突き立てた。
アリステアもグッと親指を立てたまま、ヒナにズルズルと引きずられていった。
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「じゃあ手はず通りに、僕は合図があるまで待機しているよ」
教会の入口で、ジェイコブがそう言った。
ヒナはうなずき、アリステアの背中をポンと叩く。
「行きますよ、お嬢様」
アリステアは困惑気味に頬を膨らませる。
「行きますよって言われても、これから何をするのかわたくしにはよくわからないのですが……」
ヒナはニヤリと笑って教会の分厚い木の扉を押し開ける。
「ふふ、これからわかりますよ」
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「新約聖典、カイナ人への手紙、第2章16節には、このように記されています。『怒りよりも祈りなさい。怒りは己を滅ぼすが、祈りは敵をも救うのです』。つまり、自分を律して他者のために、そして女神様のために尽くすべしというのが女神様の教えであり……」
教会の中では、ミサが執り行われていた。
このロスベルグの町の門の外でジェイコブを袋叩きにしていた信者たちも、そのミサに大勢参加している。
その最前列には、でっぷり太った病院の院長、フリードランド医師の姿もあった。
「立派な教会ですわねえ……」
中に入るなり、アリステアは呑気にそうつぶやいた。
薄暗い空間に、美しいステンドグラスから午後の光が差し込んでいる。
祭壇の向こうには黄金の女神像、壁一面には大きなパイプオルガン。
ロスベルグの町はドラゴン討伐を果たした町エルディムよりは大きいが、アリステアとヒナが長年暮らしたウィンズベリー領の首都マレムよりは小さい。
にも関わらずマレムの教会に比べても、ここロスベルグの教会は明らかに荘厳で立派だった。
「それだけ、信者から大金を巻き上げてきたってことでしょうね。でも、それももう終わりですよ……」
ヒナがそう言ったところで、神父はアリステアとヒナの存在に気が付いた。
「おやおや、これはこれは……ウィンズベリーの聖女様と侍女のお二人ではありませんか。もしや結界を薄汚い政治の道具に使うことに疲れて、懺悔にでも来られたのですかな?」
そう言って「はっはっは」と神父が笑うと、信者たちも一斉に笑い声を上げた。
「私たちは、あなたの悪事を暴きに来たんですよ」
ヒナが鋭くそう言い放つと、教会の空気が一気にピリついた。
「ほう……面白い。一体何のことだか、さっぱりわかりませんがねえ」
ヒナは懐から白い粉が入った透明の袋を取り出して掲げる。
「これに、見覚えは?」
「………ありませんねえ」
「いいえ、あるはずです。これは魔薬。これを溶かしたものが『聖水』です」
神父は両手を広げて肩をすくめる。
ニヤけた顔で祭壇から見下ろしている。
「ふっ、そんなもの、あなたの単なる妄想では?」
ヒナは神父を睨みつけたまま、
「では、証人をここへ」
と言ってから、パンパンと大きく手を叩く。
すると、教会の入口がギイッと音を立ててゆっくり開く。
その向こうから現れたのはジェイコブ。
傷だらけの男を2人、その両脇に抱えている。
「すまねえ神父様……! 全部、ゲロっちまったァ……!」
「このヒナって女、お、お、お、おっかなくってよぉ……!」
2人の男はガタガタと震えながらそう言った。
「この2人は、魔薬の密売人と奴隷商人。何もかも洗いざらい白状してくれましたよ。どうやって白状させたのかは、お嬢様の手前、伏せさせて頂きますが」
アリステアはヒナの言葉の意味がわからないようできょとんとしたが、後列の信者たちは密売人と奴隷商人の後ろ手に縛られた手から、すべての指がなくなっていることに気付いて青ざめていた。
ヒナが続ける。
「神父様……いえ、悪徳神父エドワード・アイルトン。あなたは、この密売人から安値で仕入れた魔薬を使い、信者を魔薬漬けにして金を搾り取り、体を蝕まれて倒れた者はそこのフリードランド医師の病院に売り払い、金の方が先に尽きた者はこの奴隷商人に売り払ってきましたね。すべての裏付けは取れています。もはや、言い逃れはできませんよ」
ヒナに人差し指を突きつけられた神父は「くっくっく」と笑い声を漏らす。
「それが、どうしたと言うのです」
神父はニヤニヤ笑いながら、おどけた様子で言う。
「仮にもしすべてあなたの言う通りだとしても、あなたたちがここで消えれば何もなかったのと同じことでしょう?」
ヒナが腰のカタナに手をかける。
「おっと、いけませんね。あなたの相手は、この私ではありませんよ」
そして神父はいやらしい笑みを浮かべて、祭壇の下から『聖水』の瓶を取り出す。
「さあ、信者の皆様! ここにいる異端者どもを捕えれば、この『聖水』をなんと1年分、無償で進呈いたしますよ!」
神父の言葉に、信者たちは一斉に立ち上がる。
「聖水……! コイツらを捕まえれば、1年分……!」
「ふ、ふふ……それだけあれば女神様とも会い放題だ……!」
「すべては聖水のため……! 女神様のために……!」
正気を失った表情で殺気を放つ信者たちに、ヒナは「峰打ちでいきますか……」とつぶやいて腰のカタナを抜こうとする。
それをアリステアは手で制して、
「お待ちなさいヒナ、ここはわたくしにお任せを」
と言って前に歩み出る。
「え、お嬢様、何を……?」
ヒナがそうつぶやいたのも束の間、中央の廊下をスタスタと歩いて出て行ったアリステアに信者たちが一斉に群がる。
「お嬢様ッ!」
アリステアの結界があれば暴行を受けてもダメージはないはずだが、ヒナは窒息を懸念した。
これだけ大量の信者が殺到すれば、中のアリステアは呼吸できなくなるかもしれない。
――そうなれば。
アリステアの身の危険もそうだが、それにより『あの人格』が出てしまえば、信者たちは大変なことになる。
それは、すべての人間を救いたがるアリステアとしては望まぬ結果を生むだろう。
「ふははははは! あっけないものですね!」
大勢の信者に押し込まれて沈黙したアリステアに、神父が笑い声を上げる。
しかし次の瞬間から、アリステアに群がる信者たちが1人、2人と離れ始める。
「神父様……」
「もう、やめましょう……」
「私たちは道を誤ったのだと思います……」
信者たちは輝きを取り戻した瞳で神父を見据えて、口々にそう言った。
「魔薬中毒者たちが、正気に戻ってる……?」
ジェイコブが目を見開いた。
「ま、まさか、治癒魔法、いや、浄化魔法……? それも上級以上の……!」
神父も祭壇で口を大きく開けて驚いている。
「これだけの毒を無効化できる浄化魔法の使い手なんて、冒険者なら確実にAランク以上ですよ……!」
ヒナも目をしばたいている。
群がっていた信者たちが離れると、柔らかな光を全身にまとって微笑み、目を伏せ首を振るアリステアの姿が現れた。
「浄化魔法ではありませんわ……。これは、わたくしの結界の新しい力ですわ」
そう言いながらも、アリステアはまだ襲いかかる信者に次々と触れていく。
頬は痩せこけ目は落ちくぼみ正気を失っていた信者が、アリステアに触れられると、皮膚に潤いが戻り血色も良くなり憑き物が落ちたように爽やかな顔になっていく。
「病院で働いていた時、しおれた花が生き返るのを見て、この力の使い方に気付きましたの。どうやら慈しむ心を込めた結界で触れれば、毒や病を取り払い、生命力を与えることができるようですわ」
アリステアがそう言うと、神父はわなわなと震えた。
「そ、そんなバカな……結界ごときでそんな奇跡が……!」
それから神父は「そそそ、そうだ、詐欺だ、何かのトリックに決まっている!」とアリステアを指さした。
「聖女などしょせんは結界を政治の道具に使う、偽物の聖職者に過ぎないんだからなぁ!」
すると教会の扉が開き、
「いいえ、その方の力は本物ですよ」
と大勢の男女が現れた。
「シェリー、どうしてここに……!」
ジェイコブがそうつぶやいた。
現れた男女は、聖水中毒で入院していた患者たちだった。
「アリステア様に治してもらったのよ、ジェイコブ。あの結界の力と献身的な看護、何より無償の愛で。おかげで私たち全員の目が覚めたわ……アリステア様こそが真の聖職者だって」
それからシェリーは神父を指さして言い放つ。
「そして、あなたこそ偽物の聖職者よ!」
祭壇の神父は衝撃を受けた様子で後ろによろめく。
二歩、三歩。
そこで再び神父は「ふ、ふふふ……」と笑みを浮かべ始める。
「ならば、奥の手と行きますか……!」




