10.カサンドラからの指令 【追放者サイド:2】
「カサンドラ様、ご報告いたします」
老執事ヴィクターが、カサンドラの執務机の前でそう言った。
カサンドラはヴィクターの方を見ることもなく、紅茶のカップに口をつけてから「どうぞ」とだけつぶやいた。
「は。アリステア様がエルディムの町を出発されたそうです。どうやら、ドラゴン討伐を果たして町の英雄となり、大勢の見送りを受けての出発だったようです」
カサンドラは「ちッ」と舌打ちをして紅茶のカップを置いた。
「侍女とはいえ、ヒナを同行させたのは失敗でしたかね……。ですが、あの異世界の娘はアリステア以外の言うことを聞きませんからね……」
ヴィクターはカサンドラの独り言には応えずに「それから」と報告を続けた。
「領内の有力者たちが反発の意を示しています。アリステア様について『ご自分の意志で出て行ったわけがない。確かな筋からアリステア様は追放されたのだという情報も得ている』と」
眉間にシワを寄せてカサンドラは「確かな筋とは?」と不機嫌そうに問う。
だから先日『噂の出どころを調査しようか』と言ったのに――とは、ヴィクターは言わない。ただ恭しく目を伏せて応えた。
「詳細は不明です。ただ、問題の焦点はすでにそこではなくなっております」
「……どういうことですか」
「は。アリステア様の処遇についての不満から、現状の税率について、さらには治安維持対策についての不満へと移行しています。この首都マレムにて、近年鳴りを潜めていた犯罪組織ユニオン・アビーが再び活発化しつつあるためでございます」
「なぜ、また動き出したのです」
「どうやら、これまで犯罪組織が恐れていた『何者か』がいなくなったことが原因のようでございますな。闇社会では『銀色の悪魔』などと呼ばれている者のようでございますが」
「銀色の悪魔……。それで、有力者たちの動きは?」
「有力者たちは結託し、カサンドラ様に反感を持つ庶民とともに組織化の動きを見せております。ウィンズベリー伯爵家へのレジスタンスとなる恐れがございます」
カサンドラは額に手を当て、机を羽根ペンの先でトントントンと苛立たしげに叩く。
「いかがなさいましょうか?」
「……捨て置きなさい」
ヴィクターは顔色ひとつ変えず沈黙した。
そこにカサンドラが付け加える。
「今は、結界の拡張で忙しいのです。このウィンズベリー領とスタンティアラ領に加えて新たに南の王家直轄領レディアックも手に入りそうなのです」
ヴィクターは丸眼鏡の位置を指先で調整してから「恐縮でございますが」と言う。
「私めは先々代の頃から、ウィンズベリー伯爵家に仕えております。もう60年ほどになりますかな。どうりで体のあちらこちらにガタが来るわけです」
「何の話ですか」
「不肖ながら、私めの言動はすべてウィンズベリー伯爵家のためであるということでございます。その上で恐れながら申し上げますが、カサンドラ様は結界を外に広げるばかりでなく、もう少し中のことにも目を向けられた方がよろしいかと存じ上げます」
「……より大きな結界で多くの民を守ることこそ聖女の使命。魔王軍の襲来に怯えることなく暮らせるのは、すべてこの私のおかげです。あなたは私の仕事に文句をつけるのですか、ヴィクター」
「滅相もございません……不敬な物言いになりましたことを、心よりお詫び申し上げます」
ヴィクターはそう言って深くお辞儀をした。
その角度は、分度器で測ったようにピッタリ45度だ。
「ただ、このままではウィンズベリー家にとって大きな損失が生まれることは間違いございません」
窓から陽が差し込み、ヴィクターの丸眼鏡が鋭く光る。
「……いいでしょう」
カサンドラがそう言って、深くため息をつく。
「私に反発しているという有力者たちを、ここに呼びつけなさい」
「……かしこまりました」
「私が自ら、全員まとめて黙らせてやります」
ヴィクターは改めてお辞儀をすると、音もなく部屋を出ていった。
そしてカサンドラは部屋で1人、
「一体なぜ、こんな面倒なことに……!」
とつぶやいて羽根ペンをへし折った。




