堅物ガール(2)
サーシャ=コールは苛立っていた。先程、口先だけの、気に食わない男を降したというのに、その心は苦いもので満たされていた。
あの男は弱かった。さも、自分は強いといった態度をしていたが、大したことはなかった。あの男は自分の槍を幾度も受けた。王国騎士団の中に、あれほど耐えられる者はいないが、Aランクを称する程の強さではない。
ふざけた言い方ではあったが、確かに王国騎士団を侮辱したことを謝罪させた。バルドには相応しくないとわからせ、パーティーを解消させに行かせた。
そして、自分とバルドの、二人きりという状況を作り出すこともできた。しかし、最後の問いに、努めて忘れようとしてきたことを、嫌でも思い出してしまった。
どうしてその男と直接戦わなかったのか。そのことを考えると自分の不甲斐なさと後悔がないまぜになって、胸を締め付ける。
「サーシャ?どうした?」
バルドがサーシャに声をかける。レイが立ち去ってから、一度も口を開いていないサーシャを不思議に思ったのだろう。
「…何でもない」
「何でもないことない。酷い顔をしているぞ」
それほど酷い顔をしているのだろうか。しかし、今は件の男の元へ向かう方を優先した方がいい。
「すまない。本当に何でもない。だから大丈夫だ」
「…そうか。サーシャがそう言うなら」
ここまで来て、うじうじ考えても仕方がない。
「それより、バルド殿。見ていただけただろうか」
「ああ、見てだぜ。すごいな、サーシャは」
「っ!わ、わかっていただけだろう。あの男はバルド殿に相応しくない。これでバルド殿は自由の身だ」
「自由の身って…。大げさだな」
バルドは苦笑する。
「大げさではない。王国騎士団に入るかどうかは別にして、もうあの男に縛られることはないのだ。バルド殿なら、大陸で初めてのSランクになることも出来る」
「俺のこと過大評価しすぎじゃないか?実際に俺の戦いを見たこともないのに」
「そんなことはない。バルド殿ならなれる」
断言するサーシャ。自分だけではなく、アルメリア王国、いや、大陸の多くの人間が憧れる魔術師バルドなのだ。魔術師として規格外である彼なら必ずできる。
「そこまで言われると少し照れるな」
そう言って、バルドは自分の頭に手をやった。
「ま、俺の話はここまでにして。レイはどうだった?」
「弱い。お世辞にも才能があるとは言えない」
実際に剣、いや、槍を交えたからわかる。あの男に剣士としての才能はない。
「それだけか?」
「それだけだ」
あの男の話題になると、途端に不機嫌になる自分がいる。
「そうか。それだけか…」
バルドは少し含みのあるような言い方をした。サーシャはその口ぶりが少し気になったが、バルドが口を開いたので、疑問はすぐに忘れた。
「屋敷までもうすぐだ。気を入れなおせ」
そうだ。男の居る屋敷は、もうすぐに迫っている。ならば、あの男の話をしている暇はない。
サーシャは無言で頷く。時刻は黄昏。件の男が待っている。
屋敷の周りは森に覆われていた。その大きさは遠目から見ても、大きいことはわかっていたが、間近で見るとなおさらだった。屋敷の前には一人の男が立っていた。オレンジ色に染まった太陽に照らされ、表情まではわからない。ハーベスタの言った通り、最低限の防具に、長剣を一本持っていた。
「お出迎えしてくれるとは思わなかった」
バルドが驚いたように口を開く。サーシャも内心ではバルドのように驚いていた。
「…さっき、激しく戦闘をしていただろう…。…それに、追手が来てもおかしくないと思っていた…」
男は律儀にも理由を答えてくれた。その声色は、落ち着いたもので、こちらを怯えている風には見られない。
「そうか。呼び出す手間が省けた。それで、一応聞いておくが、投降する気はないか?」
「…ない。…こちらも一応聞いておくが、本当に俺を捕まえるのか…?」
「ああ。面倒なことに、そういう依頼だからな。激しく抵抗したら、殺すかもしれないぞ」
「…」
男は答えを返さずに、剣を構える。
「サーシャ、やるぞ」
バルドはそう言って下がる。サーシャも槍を構える。彼我の距離はおよそ十m。
サーシャは男と初めて対峙した。目の前の男は騎士団員百人を殺した男だ。犠牲になった団員のためにもこの男を討たなければならない。
そうは考えるも、サーシャは震いだしてしまいそうな手足を抑えるのに精一杯だった。自分は本当にこの男を討てるのか。確かに対峙しただけで、強いのが分かる。魔術も厄介だ。しかし、それ以上に――
「…土よ」
男が小さく呟く。サーシャが身に入っていないのに気付いていたのだろう。近づかれる前に潰そうとしたのかもしれない
「下がれ!」
バルドの声が響く。サーシャは、そこで自分が思考の海に溺れかけていたことに気付く。すぐに、後ろに飛び退く。飛び退いた瞬間、サーシャの立っていた場所の土が棘のように隆起した。
「サーシャ!ぼけっとするな!間をつめて魔術を使わせるんじゃない!」
バルドの言う通りだ。今は、目の前の男を討つことだけを考えればいい。自分は前衛。援護はバルドに任せれば不安はない。
サーシャは全力で男に接近する。
「…水よ」
男がまた詠唱する。すぐに水の刃が表れ、前方、左右とサーシャを襲う。
「水よ!」
バルドもすぐに詠唱して男と同じ水の刃を作り出す。男の魔術がサーシャにあたる寸前に、バルドの魔術が衝突し、相殺する。サーシャにはそれだけの間があれば、十分。間合いに入ると同時に、男の首目掛けて槍を突きだす。しかし、その突きは男の剣に弾かれた。こちらも一発で男を倒せるとは思っていない。自分の体の許す限りの速さで、刺突を繰り出す。まさに槍衾。もし、全ての刺突が男に当たっていたら、男は体中が穴だらけになっていただろう。だが、男は防ぐ。レイのように後退することもなく、サーシャの猛攻をその身に刻むことなく防いでいく。
強い。目の前の男は自分の突きを表情変えることなく弾いていく。あの男は少しずつ後退していったが、この男はその気配をまるで見せない。
サーシャが焦れて、不用意な一撃を放った瞬間、攻防が逆転した。
サーシャの胴を狙った横薙ぎはバックステップで回避される。全て防がれていたので、少し大振りになっていたのを見越されたのだろう。サーシャに隙が出来た所を男が袈裟切りを放つ。
「く…!」
なんとか槍を引いてそれを防ぐ。しかし、向こうの間合いに入られてしまった。そのまま男はアドバンテージを逃さないように剣を止めない。
ぎりぎりの所で防いでいくサーシャ。いくら鎧の上からといっても、男の剣撃を喰らえば、骨は持っていかれるだろう。だから、全てを槍で防ぐしかなかった。
しかし、遂にその攻撃を追い切れなくなってきた。胴への一撃を間一髪防いだサーシャだったが、槍を少し弾かれてしまう。その隙を狙っての逆袈裟が放たれる。サーシャはこれはやられると思い、少しでもダメージをなくそうと全身に力を入れた。
「火よ!」
しかし、男の斬撃がサーシャに届くことはなかった。バルドの援護である。男の斬撃がサーシャに当たる寸前に、顔程の大きさの火の玉が横から男に襲いかかる。男は腕一振りで火の玉を弾いた。
そうだ。自分にはバルドの援護がある。ならば、この男に負けるはずがない。
サーシャは自分に喝を入れ、刺突を繰り出す。
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やりにくい。バルドは困っていた。サーシャは頑張っている。あの速さの斬撃を防いでいる。しかし、サーシャの動きが読めない。初めて戦うのだからしょうがないが、これでは魔術の援護も難しい。中級程度の魔術を下手に放つとサーシャまでも巻き込んでしまうかもしれない。
バルドの出来ることは見ていることしかなかった。
だが、状況が変わる。サーシャの槍が弾かれたのを見てすぐに詠唱する。初級の魔術を放つも男の腕に振り払われ消滅してしまう。サーシャはその隙を見て、突きを放つ。
このままではジリ貧だ。バルドは打開策を考え付くことは出来なかった。
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バルドとサーシャ。両者の祖語は少しずつ大きくなっていく。
サーシャはバルドの援護があるから、といって防御を無視した攻勢に転じる。
バルドはサーシャの動きが読めないから、効果のない初級魔術で男の気を散らす程度のことしか出来ない。
そのようなちぐはぐな二人の戦いが長く続くはずはない。
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サーシャの突きが男にかわされる。男はかわすと同時に斬撃を放つ。男の胴を狙った一閃。サーシャはバルドの援護を当てにして、槍で防ぐことはなかった。
「がぁ…!」
サーシャは何が起きたのかわからなかった。バルドの援護があって、自分は確かに男を押していた。突きをかわされはしたが、バルドの援護でこの身にその剣は届くことない。そう思い、次の攻撃に備えて、槍を引いたが、その瞬間脇腹に衝撃が走った。
「…ぁ、ぐ」
それはすぐに激痛に変わり、サーシャは膝をついてしまう。男はそのまま、サーシャの兜に覆われた顔を蹴った。兜は吹き飛び、サーシャは痛みに気を取られ、蹴飛ばされるままに、仰向けに倒れてしまう。そして、サーシャの眼前に剣を突き付けた。
「…勝負あり、だ」
サーシャは全身の震えを抑えることが出来なかった。自分はこの男に殺されてしまう。そう思うと泣き叫びながら、命乞いをしたい気持ちになるが、脇腹の痛みでそんな行動をおこすことも出来なかった。
「…そこの魔術師。この女を殺されたくなければ、引け…。魔術を放とうとした瞬間、この女の首を刎ねる…」
首を刎ねる。その言葉を聞いたサーシャは、自分でも面白いくらいに体が跳ねるのを感じた。
「…ああ。わかった」
バルドの肯定の言葉が聞こえる。
「ぁ、バ、バルド殿…。ぅ、ぅ、私のっ、事は、い、いいから」
強がりの発言をしても、その声は無様に震えていた。
「俺達は、手を引く。だから、お前も引け」
「…わかっている。俺が見えなくなるまで、動くなよ…。この女から離れても、魔術で殺せる…」
男はそう言ってサーシャに突き付けられた剣を引く。バルドから目を離さずに、後ろ歩きで後退していく。サーシャはその光景を見て、唇を強く噛んだ。
自分が不甲斐ないせいで男を取り逃した。民を殺し、我が王国騎士団の団員百名を殺害した危険人物をむざむざ逃がすことになってしまった。それも、ほぼ無傷で。それだけでも、己を殴りつけたいほどの怒りを感じる。
しかし、それ以上に助かってよかったと思ってしまう。男が引く、と言った時、自分は安堵した。死ななくてもすむかもしれない。確かにそう思ってしまった。
サーシャは唇を強く噛む。その唇から血が流れていることにも気付かずに。
「待て。言い間違えた。俺とサーシャは手を引く」
「…どういう意味だ?」
男は立ち止り、バルドに問いかける。その答えは、ここにいないはずの男が答えた。
「俺が相手するって意味だよ」
レイが、森から出てきながら答えた。